ホストって非モテ弱者男性からしたら、普通に生きてたら関わることのない若い女を「金さえ払えばセックスできる風俗嬢」に変えてくれるから、俺ら非モテからしたらめちゃくちゃありがたい存在なんだよね。
何言ってんだこいつと思う人もいるだろうから、わかりやすく漁師と魚に例えてみよう
マグロという魚がいるけど、一般人はマグロを食べたいと思っても自分で釣って捕まえることはほぼできないよね?
そこで漁師の方々が代わりにマグロを獲ってくれて、それが市場から食料品店や飲食店に並んで、そこで一般人はお金を払ってようやくマグロを食べられるわけだよね
この構造と全く同じで、要するにホストは漁師で女は魚なんだよ、風俗客の非モテは釣りはしないけどマグロを食べたい人
「ホストは金貰える上に女とセックス出来るのに金払わないとセックスできない非モテw」という嘲笑も恐らくあるだろうから先に言っておくと、これは漁師に例えると「魚を獲って金を得られる上に漁船で獲れたての新鮮な魚を味見できる」みたいな話と同じで、大体の職業でそういう役得ってあるよねというだけの話だよね
まだテレビのニュース番組を普通に見ている人はいるのだろうか。自分はもう全く見ていない。というか見れない。
すでにテレビのワイドショーやニュース番組はあまり見なくなっていたんだけど、さすがに時事を知るために必要なので、ある程度は見ていた。しかし、昨年以来、統一教会とジャニーズ性加害の問題を大手メディアが長年まったく報じてこなかったことが明らかになって、さすがにもう全く見ないようになった。
つまり、「深刻な問題」を扱っているニュースを見ても、今でもどうせ、忖度や圧力で報じてないない、もっと深刻な問題がたくさんあるんだろう、としか考えられなくなった。その問題を報道しているのは、要するにその問題の責任者に対して、忖度するだけの権力がないからなのだろう。そう思うと、見ているのが馬鹿馬鹿しくなってくるし、腹も立ってくるので、最近はもう全く見ていない。
いま岸田政権への批判的な報道が多いらしいけど、安倍政権の時は「増税メガネ」なんて、そもそも事実でもない下品なレッテルは絶対に報道されなかったはずだ。ジャニーズ問題ではメディアを批判している左派も、テレビが嬉々として流布しているこんなレッテルにやすやすと乗っかっている。いつまで同じ過ちを繰り返すつもりだろうか。
そういえば「日本の現行著作権法では生成AIの学習については権利侵害としない」みたいな解釈が一般的らしいというふうにインターネットの各記事がしているけど、そもそも現在の条文でも合法判定出せるか微妙では?自分はそう読んだけど
自分は犬が死のうが何が死のうがフィクションなら別に……派だ。
犬が死ぬのが耐えられない人がいるのはわかるし、そういう層に情報提供するのもわかるけど、「犬は死にません」をネタとしていう層がほんと嫌い
キノコは菌なので植物ではないらしいけど、「植物」の字面を見ればキノコだって植わってる(「生えている」の方が正確か?)だろって思うし、なんかネーミングが早計過ぎたんじゃないか?って思う。光合成物とかの方が正確だろ。
あとタラバガニだかズワイガニだかはヤドカリっていう擦られたトリビアがあるけど、我々がある種の生物を「カニ」という言葉で括る時には色味や全体の形状、生態、味だとか総体的な要素で決定しているのであって、脚の本数なんて些末な問題だろ。分類の方に問題があるんじゃないか?って思う。
なるべく早く死んでほしい。
・最高!と最低!が混在してた
・マイナスのとこ→結局仲間最高!ものかよ! 部下への転職先電話にに上司が対応するのはちょっと…
理解を深めていくっていうのは新鮮だった
仕上がりのクオリティも上がってくるっていうのは
・しかし今の時代に「編集部に持ち込んで〜」は前時代すぎんか…?
いやでも部長はバズとかじゃなくて「当時」できなかった「持ち込み」を
経験値とか加齢による考え方の変化とかによる齟齬は発生せんのか…?と思ったけど
・一段づつ上の立場の人に各部下がタイムループ鳩わからせするとことか
お局、何かあると思っていたが…!のとこの流れの引き込み力すごかった
ひたすらこいつ敵!だったけどそいつも所詮ピラミッドの中間層よ…感の
・憧れの仕事人、実際会ってみないと感じ取れない「嫌さ」の
醸し方が良かった 咳するのは勝手だけど一言なんか言えや!の感じとか
会うと「あっ…」ってなる生身で会ったからこそ気付いてしまう嫌さ
・後輩2人のコンビ感良かった
社会人で二次同人やってたら商業からお声かかって二次で稼ぐのも罪悪感あったしほなやってみっか!!!とホイホイ着いて行ったらプロット出しネーム修正完璧原稿で拘束時間めちゃくちゃ取られるくせに原稿料1枚6000円でやってれるか〜〜〜い!!とすぐやめた。
あいつすぐ干されたな…って思われたのもしゃーない。
勉強になるな~
https://femalelibjp.net/?p=1357
フェミニズムからトランスジェンダリズムへ――キャサリン・マッキノンとその政治的移行
マッキノンを含むトランス派のほとんどは、実際には「トランス女性」を生物学的に定義している。つまり、彼らは、生物学的に男性である人だけが「トランス女性」になれることを確信しており、「トランス女性」であることの必要条件を生物学的男性に置いている。「トランス女性」であるためには、何よりも彼らは生物学的に男性でなければならない。生物学的女性は「トランス男性」や「シス女性」になれても、けっして「トランス女性」にはなれない。生物学的男性だけが「トランス女性」になれるのである。
わはは、せやな
「トランス女性」たちは女性を、その長い髪、赤いマニキュアの塗られた爪、豊かな乳房、丸みのあるお尻、ヴァギナなどに還元したうえで、それらのパーツを疑似的に自分たちの身体上に再現して、自分たちを女だと称している。つまり、彼らにとって「女性」とは、これらの身体パーツの単なる寄せ集めなのである。GCフェミニストはまさにそれを批判しており、女性は、男でも視認できる「女性的な」身体パーツの寄せ集めではなく、生物学的ないし政治的なあらゆる差異と特徴を含むトータルな存在だとみなしている。
まさにその通りや。
さらに、マッキノンは次のように述べている。「女性は、実際には、私たちの身体によって従属したり抑圧されたりしているわけではない。私たちは染色体や卵巣から解放される必要はない」。
まず、女性を生物学的に定義することを拒否しているマッキノンは、「私たちの身体」という言葉でいったい何を指しているのか? 「私たちの卵巣」と言っていることからして、この「身体」は明らかに「生物学的女性の身体」を指していると解釈するしかないが、もしそうなら――マッキノンの規定によれば――それは生物学的本質主義になるではないか。
女性固有の身体が抑圧の条件であるからと言って、その身体性からの解放が女性の解放であるという結論にはならない。男性が女性をレイプするためには、ヴァギナを含む女性の身体が必要であるが、だからといって、レイプをなくす運動がヴァギナをなくす運動であったことは一度もない。
あったり前やな。
実際には、「トランス女性」が生きているのは「女性の生」ではなく、彼らが想像する「女性の生」にすぎない。何をしたら女性の生を生きることになるのか? 髪を長くして、化粧して、乳房を大きくして、ブラジャーをして、スカートを履いて、生活することか? もしそうなら、マッキノンは、女性をそのようなパーツや服装(社会的ジェンダー)に還元していることになる。
おい裁判官聞いとるか?
そもそも、「トランス女性」は、とりわけオートガイネフィリアに分類できる人々(「トランス女性」の大部分はおそらくそうだ)は、「女性にアイデンティファイしている」のではなく、女性の長い髪や化粧、赤い唇、女性のドレスやスカートや下着、女性の豊かな乳房、女性のすべすべの肌、女性的な振る舞い(男が考えるそれ)にアイデンティファイしているにすぎない。つまり、女性の外面、女性の装飾、女性のステレオタイプにアイデンティファイしているにすぎない。
彼女はこの論文において過去の自分の理論のほとんどすべてを放棄したが、過去から継続している面もある。過去の彼女との連続性がかろうじて見て取れるのは、彼女の年来の反生物学的立場である。生物学フォビアと言ってもいい彼女のこの反生物学主義は、女性身体の生物学的構造を徹底的に利用し搾取しようとする男性権力の核心をつかみそこない、その新しい運動形態たるトランスジェンダリズムの本質を理解しそこねる結果になっている。
"フェミニストのトランスフォーブの多くが、女性のジェンダーロールやステレオタイプにトラウマを持ち、身体的、心理的に、あるいは人生の野心において、それに適合しなかったことは明らかである。彼女らは女性として受け入れられ、評価されることに苦労したのに、一部のトランス女性がやすやすと女性として受け入れられていることに憤りを感じているようである。"
これは真に驚くべきインセル的主張である。つまり、GCフェミニストは「トランス女性」に嫉妬していると言いたいのだ。何かに対するフェミニストの批判を「女の嫉妬」に還元して説明する仕方は、ミソジニスト、インセルに典型的なものだ。女性の参政権のために闘ったサフラジェットの場合も、男に愛されない年増の女の欲求不満だと言われた。この古典的なミソジニー的主張がよりによってマッキノンによって繰り返されるとは!
彼女は、女性の多くが女性にアイデンティファイしていない理由として、「男性のいる何らかの集団の一員として自分を見る方がより尊厳があるからだ」と述べている。マッキノンが「トランス女性」という名の男性を女性カテゴリーに入れようとした心理もまさにこれである。
今では、彼女は、女性というカテゴリーそのものに男性を含めており、マッキノン自身が、自分を「男性を含む集団」の一員とみなし、そのことによって自分たちが「より尊厳ある」存在になったと感じているのである
名誉男性になりたいわけやね。