「自然に出会うこと」と「自然体でいること」は意味的に違うと思っています。
「自然に出会うこと」は、学校や職場など日常生活での出会いを指していると思いますが、今の時代出会い系での出会いも「自然に出会うこと」に入れてもいいかなと思います。(出会い系も20年以上の歴史がありますし)
これは個人の主観なので、「不自然な出会い」だとくくられてしまえばそれまでですが。
「自然体でいること」は自身のことですね。気取らずに振る舞えるかだと思います。
出会いは縁なので、3,4人とあって相性が合わなければ縁がなかったということで片付けてしまっていいのではないでしょうか。
会社に就職するときもそうですが、就活で何十社あるなか就職できるのは1社のみです。
シーンと静まり返っていて、周りには30人ぐらいいて、自分の話し声がその人達に普通に聞こえてしまうぐらいの空間。
そんな場所で、誰かの所に仕事の話をしに行かなければいけなかったり、先輩からミスの指摘やお叱りを受けたりするのが、苦しくてしょうがない。
関係のない人に自分たちのやり取りを聞かれているかも、と思うだけで、会話にまるで集中できなくなる。話す声は小さくなり、態度はオドオドし始め、だんだんとコミュニケーションに支障が生まれてくる。
相手がしびれを切らし、大きめの声・キツめの口調で「え?ちょっとなんて言ってるのか聞こえないよ」なんて言い始めたら、もう完全に負のスパイラルに突入。
「ああ今のもみんなに聞かれてしまった」という焦りのような感情が脳内に充満し、もともとの話題が完全に頭から消え去ってしまう。
皆が作業に没頭していて、そんなやりとりは誰の耳にも入っていない、という可能性だってゼロではない。ゼロではないけれども、誰か1人にでも関係のない人にやり取りを聞かれている可能性の方がずっと高いのだ。
これは最近ようやく自覚できるようになったことなのだけど、職場に限らず、「当事者以外の人に自分たちの会話の内容を聞かれる」という状況を自分はとてもストレスに感じるらしい。
(誰にもこの悩みを話したことがないので、同じことを感じる人がどれくらい他にいるのかは知らない)
例えば狭いカフェ。2人テーブルがぎゅうぎゅうに詰まった場所に座らなければいけないような時は、全く気が休まらない。
隣の人達がずーっと大きな声で夢中になって何かを話し続けていてくれればまだいいのだが、なかなかそういうわけにもいかない。1人でぼーっとしている人なんかが隣にいたら、もうそれは最悪のケースだ。何しろ、ずーっと会話を聞かれるかもしれないのだから。
そんな状況になると、まず他人に会話を聞かれるストレスからあまりちゃんと話せなくなり、それに対する申し訳なさでなおさら話せなくなってしまう。最悪としか言いようがない。
家に遊びに行ったら別人のように淀みなく色んな話ができる彼女とのデートの時でさえも、カフェではこんな有様になってしまう。
他には、混雑した電車なんかでも似たような感じになる。どんなに仲がいい人とでも、あまり電車の中では会話したくない。
自意識過剰すぎる、と言われればそれまでだし、実は誰にも話を聞かれていませんでした、という状況も今までにあっただろう。
でも、そういうことを承知の上で言うが、それとこれとは話が別だ。
頭ではわかっているが、どうしても体が言うことを聞いてくれないのだ。
この話、今更なんだけど、
濱田祐太郎の障害者としての自虐交えたネタが「笑っていいかわからなくて笑えない」派と「それは逆に差別では?」派に別れるのかな、と思っている。
俺は乙武洋匡氏のことも好きだし、ハンディキャップを持った人に対して差別的思想は持っていない(と思う)。
なので、「笑っていいかわからなくて笑えない」というのは過剰な配慮がゆえ、逆に障害を持った人を傷つける部分がある。
まあ彼は笑ってほしくてやってるわけだし。障害者という特性を自虐して笑いを取るスタンスでもなかったし。
ただ、彼のネタでは俺は笑えなかった。
というか、正直、つまらなすぎて「えっ?これで優勝…??」と顎が震えてしまった。
なんというか、「よく喋る兄ちゃん」のレベルから一切抜け出していないというか、
大阪にあんな兄ちゃんたらふく居ると思うんだが。
高校生の頃、俺は関西に住んでいて、大阪人のクラスメートも多かったんだけど、あーいうタイプの「面白い”風”の人」は学年に15人くらいはいた。
よく喋るしテンポも良いと思うんだけど、話している内容もツッコミもボケも、もれなく想像の範疇を超えない。
または、ボケに対してアンバランスな質量・ベクトルのツッコミを入れてくる。
彼のネタで一番冷めたところは、
盲学校にいた頃に、前ならえをしたら、(みんな目が見えないから)後ろの人の手が彼の背中にあたって
『肩甲骨吹っ飛んだんかと思ったんですよ!』と言う辺り。
100パー思ってないだろこれ。
こういった、小さじ一杯のボケ的出来事に対して、大さじ三杯くらいのツッコミして現実味をなくしてしまう下手なツッコミ、よく見た。
ただし、これでもテンポと雰囲気等で笑う人はいるのだが。
こういう、面白い”風”の人の傾向として、「オモロイ事言っている風」な立ち振る舞いなのが、話しててキツかった記憶がある。
私にとっては彼のネタは「視覚障害者の自虐は笑えない」議論とかそういうレベルでなくて、単純にネタも彼の話法もつまらなかった、という話。
彼のネタにはオチも展開もないから、大して美味くもない小皿料理何個か食わされて「メインまだかなー」と思ってたら、
「本日のデザートのバニラアイスです」って言われたような感じ。「えっこれで終わり?」みたいな感じのネタだった。
障害ネタで笑えるか笑えないか議論とかそういうレベルでなくて、単純にネタも彼の話法もつまらなかった、という話。
ただ、こんなにフラットにお笑いとして見て感想を言えるだけ、彼のネタは「障害を感じさせない」ものだったのだろうと思う。
去年の夏は、
寝転がってテレビを見てたら
頭のすぐ近くの壁を
手のひらの大きさ。
信じられない。
クモ用の殺虫スプレーは全く効かなかった。小さいクモにスプレーなんていらんやろ…
益虫だかなんだか知らんが、
何かが欲しい!!!
民間業者(ISP)がファイル交換アプリの検閲したら総務省が検閲に当たるからNGとおたっし
民間の自主的にっていう体裁で特定コンテンツ(児ポ)に対する検閲とブロッキングを開始
開始する前の有識者会議では検閲に当たるけれど 児ポは特別、なし崩してきに著作権侵害とかには広げないとしている
んで上記のうけて今回の
知ろうともしないてのが現実っぽい
後片付けをしなくていい
自然体で居続けてもダメなのではないかという気持ちもある(だからアプリや相談所といったあたりで揺らいでいる)。
3次元の芸能人がおちていくのには興味ないけど、作品として見るのは面白いなぁと思った。
「ヘルタースケルター」と、「夢を与える」(どっちもアマゾンプライムで見れる)
芸能界という華やかな世界の頂点から、一気に転落していくのはあっという間で儚いし
何も残らない感じが好き。
作中作としてのバラエティ番組やCMなども虚しい感じがおもしろい。
他にもそういう作品があったら教えて欲しい。
3人で飲んだんだけど合計で16,000円程度。
高いのかな?これって。高いよね。
割り勘したら5000円と少し。
楽しい飲みであったことは事実だけれど、こんなにもお金がかかるなら普通の定食屋でご飯を食べたほうが気楽だなあと思った。
なんなら宅飲みのが安く済むし、気にしなくてもいいよね。
先日、とある子と会った。
好きなものが一緒で、ツイッターで知り合った子である。私より年下だけど、大人っぽい雰囲気の面白い子だ。
その子と繋がったのは結構最近だけど、その子の認識はしていた。元々繋がっていた子がその子と仲良かったから、見に行ったことがある。そうじゃなくてもなかなかフォロワーの多い子だし、狭い界隈では見かけるものだった。
それで、その子と仲のいい子たちが私とも仲が良かったので、元々その子たちだけで計画していたけど、私も一緒に遊ばないかと誘ってくれた。暇な私は軽率に乗り込んだ。結果死ぬほど楽しくて帰りたくなくなった。
今も無性に淋しい。住んでる距離が虚しい。私はあの子が大好きになった。なんとまず顔が可愛いし、気遣ってくれるし、面白いし、これぁみんな好きになるわ。わかる。私が好きになる子ってみんなも好きなんだよな、死にたい。
正直私は元から仲良かった子が大好きで、大好きな子と仲良しを見せつけられたような気分になってその子に嫉妬してて、繋がるのもちょっと癪だな、なんて思ってた。でも繋がったら死ぬほど面白かったし、でも嫉妬も拭えず………みたいな気持ちで会った。そしたら大好きになった。何これ。あの子すごすぎんか?
なんか帰ってからいろいろ思ったんだけど、あの子ってリプしててもTL会話してても通話してても、「えっそれは違うじゃん」とか「え〜?ないでしょ」みたいな否定のセリフ言ったことないんじゃないか?少なくとも私は聞いたことない気がする。私は言ってしまう。だからあの子と話してると不快な思いになったことがない。そらみんな好きだよ。私も好きだよ。私を好きになってほしい。こんな独占欲クソオタクは滅されるべきなんだ。死にたい。
そいで、その子は「人が好きな人やモノについて喋ってるの幸せそうで見るのが好き」って言ってて、「そういうの見ると自分も幸せになれる」「そういう女の子はかわいい」って言ってて、私は何言ってんだかわかんねえ…ってなった。ブスはブスだろ…みたいな…。性格がネジ曲がりすぎてて無理、自分が地雷。
その子に尊敬と憧れが募った。でも会って思った。めっちゃかわいいやん。だからか?容姿が愛らしくて、今までずっと褒められてきて、根本に絶対的な自信があるから、人に対してそんなに優しくなれるんか?どんな人のことも可愛いと思えるんか?
私は基準は結構ガバいけど可愛い子じゃないと可愛いと思えない。好きな子じゃないと可愛く思えない。その子に聞いたわけではないからよくわかんないけど、なんか、人間レベルが圧倒的に違いすぎてない?死にそう。ずっと死んでるやんけ。
なんか前ツイッターで見たんだけど、育ちのいい人に勝る人間ができた人はいないみたいな、そういう具合のツイートだったんだけど、ああ、こういうことなのかなって思った。
ちょっと私は今の世間では一般的ではないかもしれない家庭で、経済的に不自由を感じたことはないんだけど、上には上がいるじゃん。たぶんの話だけど、親の愛情をこれでもかってくらい浴びて育ってきた子と、経済的に豊かな状況で生きてきた子と、交友関係がしっかり構築できてきた子と、私は全然違うんだ。脊髄反射で悪口が出るし、今だってちょっとイラついてしまった子をどうにかして性格を変えられないかと思ってる。ちょっとクレーム入れられて怒られただけでバイト変えようとしてるし、部屋は汚いし、計画性はないし、金遣いは荒いし、なんかもうダメだ死にてえ。
あの子はかわいくて育ちがいいから性格がいいんだって思い込みたいだけなんだ。みんなが好きなあの子を、わかったような気になりたいだけなんだ。勝手に絶望してるだけで、勝手に救われたがってるだけだ。たとえ顔が可愛くて育ちがいいのが本当にあの子の性格の良さに深く関連していたとしても、私がそれを持つことはできないんだから。自分の顔を好きになって、自分の性格をちょっとでも好きになれるように、変えられるように努力していくしかないんだ。
あー、めんどくせ。
たぶん500人くらいはアプリ上で善し悪しを判断したと思うが、
メッセージのやりとりまでできたのは1人のみ、それも「こんにちは」から天気の話をするあたりで返信がこなくなってしまった。
見切りを付けるのは早過ぎるとも思うけれど、合わないのかもな、と思っている。
キモくて金のないオッサンが、女から冷淡にフラれたとしても、それは自己責任だ。
オッサンが傷ついて自殺した場合も、べつにフッた女が悪いわけではない。
じゃあ、処女厨が女を傷つけるのは、いったい何が悪いんだろうか?
処女ではなかったからと暴力をふるったり、一方的に婚約破棄するとすれば、それはそれで問題になるだろうけど、この元増田は彼女とただの恋人同士らしい。
それだったら、「君が処女じゃないから嫌いになった。別れたい」と告げるのは自由だよね。
ブコメは予想どおり、「処女厨はクズ」「女がかわいそう」という意見が多かったけど、自分勝手なこだわりを条件にしてパートナーを選ぶのは女側もやっている。
女は「キモくて金のないオッサンは生理的に無理」という反ポリコレな基準で行動している。そのくせに、自分は非処女だからといって嫌われたくない、処女・非処女にかかわらず愛される権利があるなんていうのは、筋が通らない意見だろう。