そしたら多分登場キャラの懸賞金が「○億何千万!!(ドン!」とかって出てる時にさ
「え〜!億?!どんだけ強ええんだよこいつは?!!」みたいに興奮できたと思うんだよ。
その桁違いの数値それ自体にさ。でも俺成人しちゃってるからもうダメだ。「こない」んだ。
ドラゴンボールの時は良かった。小学生の時に読んだからちゃんときてた。でもワンピの方はもう駄目だな。もうあの感覚はやってこない。永遠に。
日曜日の夜。都内のとある肉バルで妻と食事。そこは以前から何度か通っていて、リーズナブルで美味しい肉料理とワインが楽しめ、お店の雰囲気も下品でなく、丁度良い華やかさ、賑やかさがあって、程よく手の届く幸せを得られるお店として気に入っているお店だった。
まずはワインをボトルを頼んで乾杯した後、メニューを見たところ二人とも大好きなラム肉の盛り合わせがあったので、テンションも上がり即注文。その他にサラダとディップも合わせて注文。日頃からどのメニューも美味しいことは分かっていたので、二人ともワインを進めつつ話が弾んだ。
サイドメニューが幾つか届き、お酒もある程度進んだところでようやくラム肉の盛り合わせを店員が運んできた。そこで事件は起こった。。程よく盛られていた肉達の一つがポロリと、地面に落ちてしまったのだ。店員、自分、妻ともにその落ちていく肉を見ていて、3人共に「あ…」となった。
おおよそサービスの行き届いたお店であれば、店員が「申し訳ありません、すぐに代わりのものをお持ちします」とか「先ほどお肉を一つ落としてしまったので、こちらお詫びのサービスの一品になります」と別の料理を持ってくるなどの対応が予想できる。こちらもその肉一切れを絶対に食べたいほど空腹なわけではないので、その申し訳ないという気持ちさえ見えれば気持ちは落ち着くし、逆に「あ、気を遣ってくれるお店なんだな、素敵だな」とブランドイメージも向上すると思う。
しかしながらそこで店員は何もなかったかのように料理の説明をしたあとその肉一切れを拾い、別の客の接客に戻ってしまった。それに加えて、その後その店員が再び我々のテーブルにやってきて「今日はあそこの席のお客様がお誕生日なので、このクラッカーでおめでとう!の協力をお願いします」と伝えられた。
私としては、自分の注文した料理を半端な形で提供されたことに加えて、店都合で別の客のお祝いに協力してほしい、という要望を出されたことに対してどうも納得がいかず、申し訳ないがそのクラッカーを鳴らすことはできなかった。未開封のクラッカーは別の店員が持ち去っていったが、そのクラッカーが鳴らされていないことに対して、どう思ったのか、何も思わなかったのか、帰宅後の今になっても非常に気になる。
その後の妻との会話はもっぱらその出来事についての話になった。というのも、その場でその店員に何と伝えるのが、そのお店のファンである客としてベストな対応なのか?ということだった。幾つかパターンがあると思う。
1)その場で感情を伝える
「あの、今肉落としましたよね。今日のおすすめメニューですよね、これ。それに対して何もないんですか?このお店はそういう対応でいいんですか?」と、感じたことをその場で瞬時に言葉にし、ある程度の怒りをぶつけて納得できないことを伝える形。肉一つが惜しくて怒るのではなく、自分が一組の客として大切に扱われていないこと、お店のおすすめメニューを完全体でない形で提供してしまうことを許すという、プライドの無さについて言及するパターン。このクレームは正論ではあるが、日曜日のせっかくの楽しいディナーの時間、妻に対しても他の客に対しても、悪い空気を出してしまうこと、言った自分も「そんな小さいことで目くじらを立ててしまう俺って…」という自己嫌悪に陥るなど、非常にデメリットが多いと思う。
「ここのお店はおすすめの肉を落としても、誠意のある謝罪も代替えのサービスもありませんでした。もう2度と行きません。」と食べログに書くパターン。これはこれで書いた側はすっきりするかもしれないけど、自分が好きなお店がたまたま犯した失敗に対して、後々非常にマイナスになる負の遺産を、相手の手のとどかない場所から投石のごとく、ズルい形で攻撃するようで、やはりあまり気乗りはしない。またここでも「自分は正々堂々と伝えもせず、ズルい奴だ…」と自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。
3)何も言わない
「海外ではそういうことはよくあることだし、いちいち目くじら立てない方が結果的にみんなハッピーなんじゃない?」と考えるパターン。仕事に対する自分の哲学として、それをよしとするならそれでも良い。しかし自分も仕事をする身として、自分の客に知らず知らずのうちにそういう我慢を強要していると知ったり、考えたりしたら、非常に申し訳ないと思う。なのでやはり、できれば何かの形でその気持ちは伝えたいと思う。
と、ここまで色々と納得できない気持ちをモヤモヤとさせながら色々と考えていたが、ベストな対応としては下記の4番ではないかと結論づけている。
「あの、今日おすすめメニューの肉を一切れ落とされたんですけど、それについて何も無かったんですよね。私はこのお店が好きだったので、とても残念でした。私としてはまたこのお店の料理を食べたいと思っていますので、次、期待していますね」
妻や他の客がいないところで、帰り際にコソッと当事者の店員にこの形で伝える。そうすれば、自分は自分で思った気持ちを正々堂々と相手に伝えることができるし、妻はその場を見ずに楽しい週末を過ごせるし、他の客も嫌な思いをせずに済むし、店員は店員で自分のサービスに対しての行動を振り返ってくれるのではないだろうか。
日頃から人に対して正直に自分の意見を堂々と伝え慣れていないせいか、帰宅後の今になってこの答えにたどり着いたことがもどかしいが、その場でこういう形でお店に対してフェアに、自分の気持ちを伝えることができたら、とても気持ちが良いと思う。こういう判断を瞬時に、正々堂々とフェアにできる自分でありたいと思う。
:hi clearの後にlet g:colors_nameを書くと2回colorschemeを設定しようとVimががんばります。
試しに$VIMRUNTIME/colors/default.vimにecho 1を入れ、vimrcにcolorscheme defaultと書きましょう。
:hi clearより前に書けばいいので、let g:colors_nameをどのコマンドよりも先に書いて置くのがよいでしょう。
ああ、だめだ。:hi clearの前に書いちゃうと色の定義が崩れちゃう。
ああ、理屈が分かった。
:hi clear←ここはdefault
let g:colors_name = 'color'←ここでcolorに切り替わり
つまりdefaultを設定した後に別のcolor schemeを設定したから2回設定していることになる。
ってことで仕様でした。
幼いころから、絵を描くのが「得意」だった。
美術に携わる家系に育ったという経緯が一番影響したのだと思う。夏休みの宿題で出す絵は大体入賞したし、それが当たり前だと思っていた。「私は画家の子。絵がうまい子」という優越感は必ずどこかにあった。
でも、どこか親の仕事への反抗的な気持ちもあって、小中学校のころはスポーツに励んでいた。親はそれについて何も言わず、ただひたすら私を見守ってくれた。
転機は高校1年生の冬。私は、中学生の時に無理がたたって膝を壊した。スポーツはもうできない。だから、だらだら帰宅部をしていたんだけど、美術の先生がおもしろい人で、私はその人に惹かれて、誘われるままにふらふらと美術部へ入った。
私の学校は進学校だったんだけど、なぜか美術部が強かった。みんな、美術に対して真摯で、一生懸命で、今思えば私は本当に良い環境の中で美術を始めることがあった。元々の素養もあったし、あっという間にメンバーよりうまくなるのだと固く信じていた。
2年生の秋、私の優越は打ち砕かれた。初めてコンクールに出した私の絵は優秀賞ではあったけれど、全国大会にも、ブロック大会にもだしてはもらえなかった。学校の中で二人までしか上位大会に行けない、という縛りがあったからだ。
全国大会には私が心の中で密かに馬鹿にしていた、A子の堅実で真面目な絵が選ばれた。ブロック大会には、B子の彫刻が、珍しいからという理由で選ばれた。
作品の評価の際に、審査員野先生に「君の絵は、金縁にかざっても堂々として栄える作品だけれど、どこか鼻につく」と、言われたのをよく覚えている。きっと、私の心の中の優越感が、絵ににじみ出てしまっていたんだと思う。
こうして、私のデビュー戦は屈辱の中で終わった。親にその話はしなかったし、絵も見せなかった。親も、その話をとりたてて聞こうとしなかった。
その後、B子は美術塾のある地区の学校へ転校した。私は、A子と競うようにたくさんの絵を描いた。A子は努力家で、本当にどんどんうまくなっていった。その隣にいるのも誇らしかった。
本当に楽しい時期だった。自分の、才能のある分野で、才能のある友人と競い合うことに、私は心から充足を感じた。
最後のコンクールで、私は花を持つ女の人の絵を描いた。本当に渾身のできで、私は思わず父に感想を求めた。
父は「去年の絵を実は密かに見たが、あっちがよかった。今年は、審査員受けする絵を描いている感じがする。お前の絵じゃないな」とぽつりと言った。
その言葉で、私の絵は「万人受けする絵になりつつある」ことにようやく気付いた。そして、私に影響を多大に及ぼしていた画家によく似た作品であることにも、気がついた。
その作品は、もはや「私の作品」ではなく、「褒めてもらうためのそれっぽい美術」だった。承認欲を満たすためのプロセスだった。それは、私の技術の拙さからくる甘えでもあった。
そして、私の家族の人たちが命がけでやっている「美術」とは明らかに違った。
どこかにあるものでは、美術は成り立たない。自分の明確な美を表現しなければ、美術ではない。それを、一番良く知っているのは親の背中を見てきた自分だった。
私は結局、その一言でスランプに陥った。そして、美大の進学を取りやめ、逃げるように総合大学へ進学した。美術に関わらず、ギタ-を弾き、ツテを訪ねて海外をいろいろまわった。自暴自棄に近い学生生活を送った。
私の人生は派手だ。いつも楽しい。賑やかで何でもできる人だと言われる。でも、美術ほど、のめり込めるものに、出会ってははいない。
そして今、私は社会人で、やっと筆をとっている。美術の大会に出すとか、そんな大仰なものじゃなくて、会社のイメージキャラクターをデザインしたり、友達の結婚式の案内状を制作したり、塾の先生をやっている友達の教材に挿絵を描いたりしている。もちろん、対価はもらっていない。あったとしてもせいぜいお菓子類だ。
絵を描くたびに、確かにほろ苦い気持ちになる。
結局、私は求められないと絵を描かない。褒めてもらうためにしか、絵が描けない。
だけど、色を重ねるたびに喜びが溢れる。逃げずに、もっと向き合っていればよかったな、と思わずにはいられない。あの時、なにくそ、と思って、描き続ければ、また違う未来が待っていたのかもしれない。
でも割り箸って洗っても綺麗にはならないよ
この増田に限らず、横浜って、特定の記事がきっかけとかじゃなくて、一方的に、「気取りやがって」みたいな悪口吹っ掛けられてるのを見ることが多い。
手腕云々はもはや関係ない段階で「飯島女史を出入りさせた番組やTV曲には今後ジャニーズのタレントは出しません」っていう報復が予想され、それがTV曲にとって痛手である以上、もう飯島女史を干す以外に選択肢はないわけでしょ。
同じようなことを感じることがある。
そして、輪の中に入れない理由も、なんとなくは感じてる。
何かしら、彼らとは違う要素を抱えている。
自分が彼らと同じになるように近づくか、別のコミュニティを探すか
できる選択はそれくらいしかないと思う。
自分が知らない間に同じコミュニティの友人たちが集まっていたり、
自分の友人プラス自分の知らない人たちで集まっていたりするのを聞いたり見たりすると、
ショックというかひどい疎外感をもってしまうんだが、そういう人っていないだろうか?
もちろんいい大人だし、仲間はずれにされているわけではない。
あとでさり気なくどんな集まりだったのか聞いてみると、偶発的に飲みに行くことになったり、たまたま集まっただけだったりして、
自分がその場にいない理由が大してないやつ。もしくは他に予定などがあって自分がそこにいるのがそもそも不可能なやつ。
今回久々にショックを受けていて、最近は自分も成長したなと思っていただけに、少しへこんだ。
ちなみに今回のケースは、友人たちと自分の知らない人たちが楽しそうにスノボに行ってる写真をfacebookで見たというケース。
しかし自分はいま国外にいるので、誘われないのは当たり前だし、そもそも物理的に行けない。
わかっているんだけど、へこむ。
それに続けて、今自分が住んでいる場所で自分が仲良くなったと思っていた友人たち複数人を含んだ大人数での飲み会があったらしく、
大体どんな人でも学生時代の友人、職場つながり、など複数コミュニティがあるのだから、
どの集まりにも自分がいるなんてのは不可能だっていうのもわかってるし、
自分がたまたまその場にいなかっただけだったり、深い理由がなかったりするのも頭ではわかっているんだけど、
Facebookでそういう写真を見たりした時の心臓のバクバクというか、頭をガツンとやられる感覚にはいつまでも慣れない。
思春期や20代前半に比べれば、割り切れるようにはなってきたと思うんだけど、まだまだだなあと。
複数の友人にこの件について聞いたこともあるけど、深く信頼できる友人がいればそんなの気にならなくない?という割り切れた意見が多かった。
自分には深く信頼している友人たちはいる。家族のような間柄の恋人もいる。
それとこれとは別なのが厄介で、困っている。
これが普通じゃないのは承知のうえで、同じような感覚を持つ人はいないだろうか。
出来れば以前そうだったけど、今は平気になった人。
どのような思考の変化があったのか教えてほしい。
元々人に嫌われることを極端に怖がったり、人に叱られるのが苦手だったりする。
毒親とまではいかないかもしれないが、父親は気分屋でヒステリックに怒鳴る人で、家にいたころはいかに父に怒鳴られないかを考えていた。
この疎外感を自覚してからはFacebookはそんなに見ていなかったんだが、
Facebookを見ないことである程度防げるけど、直接話で聞いてへこむパターンもあるから、
根本的には解決していないと思うので、どうにかしたい。
同じような感覚があるけど、それが解決していない人は、共感してくれるだけでもいい。
それ以外の人は、自分の思考の形にどのような問題があるかを判断してくれるだけでもいい。
お願いします。
追伸
書いていたら少し、すっきりしてきた。
どこまで行っても絶対に楽になれない世界で生きることの苦しさときたら……
なぜみんな平気なんだろうか。
たとえば土日におもいっきり休んだとする。
そうすると月曜日以降は普段の仕事に加えて土日にやりそこねた作業まで平行してやらなきゃならない。
そしてそうなることが経験でわかっているから今日は思いっきり休もうと思っても全く気が休まらない。
今やる必要がある作業を完璧に終わらせたってその先にはいつかやろうとした勉強や趣味が高く積まれているのだ。
切り上げて休もうとすることはそれらに背を向けることであるため完全に気が休まることは絶対にないのだ。
恐ろしい。
なんでこんな恐ろしい無間地獄じみた箱庭の中にみんなずっと入っていられるのか理解できない。
昔の人が天国の話を聞いた時どれほど目を輝かせたのだろうかは想像に難くない。
だけど僕らはもうそれを信じることもできない。
ただ終わることのない日々の中で生きるためという言葉に縛られたままいつか損切りをするために走りだす日を待っているだけだ。
いつかこの人生を切り捨てると決めたら、その日からは自分の楽しみのためだけに生きようと誓い。
そのタイミングを図りながら今日もクレジットを積み上げていくのだ。
地獄だ。
いつか作ることになる小さな自家製天国のために毎日こんなに苦しまなくていけないなんて。
なんでこんな世界でみんな平気で生きていけるんだろうか。
生まれてよかったなんて言えるんだろうか。
今まで苦しんできた分の負債を取り返すまでは死ねない、いつかおもいっきり人生を楽しんでやると意地になっている俺がおかしいのだろうか。
俺は何かを大きく間違えたまま生きてきたのか、生まれてきた時に既に間違っていたのか。