書き起こし、ざっくりと読んだつもりで書きます。
要するに、
為末は、異文化のものは、そこの文化のものとして作品を仕上げろ、
宇多丸は、異なる文化だけれど、それを色々とアレンジして作品を作り上げてもいいのでは?
という主張のように読めた。
話飛んじゃうけれど、最近知った話に、京都の祇園祭のほとんどの山車にはペルシャ絨毯が飾られているらしい。伝統的な日本の着物柄と思われている京都の西陣織の柄、あれはペルシャ絨毯の柄から影響されて出来上がったと見るのが妥当な見方じゃないかと思った。要するに、いくら伝統的な文化といえども、他文化に影響されあって成立してくるもの。文化てそういうもんだと思う。
なので、宇多丸の言い分はぐちゃぐちゃ言い訳がましく見えるかもしれないけれど、宇多丸が言ってる方が納得がいく。
そもそも、ラップはスラングとしてジャマイカ英語がよく入ってくる、他文化混入を否定するようなら、ラップやヒップホップの全否定につながりかねないんじゃないかと。
一時的な流行が、長年の年月を経て生き残り、一定の方向性を持つと、初めて一つのスタイルやジャンルとして認識される、とかなんとか言ってる人が居たような。だから、日本のラップが時間を経て、一つの形を形成すれば、それこそ演歌(これも西洋音楽をベースにした民謡ちっく音楽)のように残り続けてスタイルを確立できれば、そのうち一つのジャンルとして認識される事も有ると思う。間接的に宇多丸が言ってる事でもある。
あとは、好き好きの問題。演歌が嫌いな人に演歌の良さを分かれと言っても無理なように、日本ラップの良さを分かれと言っても無理な話(自分には解らないけれど)。好みの問題。
スタイル云々で批判される時点で、まだまだ確立されたジャンルではないけれど、結局は日本ラップが補完されていくプロセスの一つになるので、ジャンルとして確立する手前まで来ているのかもしれない。
トピシュ先生が仰ってたんだけど、
トピシュ先生だって、お医者の免許は持っておられそうな気がしますし。
ところがこの「専門医」っていう称号は、医者自身から信頼されていませんでした。なぜなら50歳以上ならほぼ何もしないでもらえた代物だからです。
それ以下の人は一定の研修を終えればもらえます。難しいテストがある称号もあります。
しかし「学会」が「専門医」を発行する仕組みはそもそも良くないのではないか、それは一種の利権なのではないか、という反省があります。
誰が専門医を発行することになっても、そこには必ず利権が存在しますので、悩ましい問題だと思います。
そしてこのランチイベントは、某社が専門職領域である種の利権を獲得しに来たんだな、その末端でこんな脅しをしているのか、でも実力ありまくりのエンジニア相手にやらかしちゃったなという印象を持ちました。医者の世界ではバリバリの専門家だったら、外に出ること(日本を去ること)は考えますが、日本で何か新しいシステムに組み込まれることは関心がないでしょう。
やるならば、このイベントの最終目標は世界にあることを示すべきだったかもしれません。
将来日本で、学会と専門医を切り離す議論が行われるとき、それを厚生労働省の外郭団体として作るのか、あるいは労働省、総務省、文部科学省あたりが絡むのか、わかりません。
ああ、新たな天下り先が出来るんだなあ、みたいな感慨しか持っていませんでした。
しかし某社は医者の転職市場が美味しいことは見抜いています。なんたって、一人転職させれば500万円ですから、企業のエグゼクティブのヘッドハンターより安いけれどはるかに簡単なお仕事です。彼らは専門医利権の中に入ってきたいでしょう。私はそれでも良いと思っています。
はてなもそれなりにエンジニアから一目置かれる存在ではあるとおもうのです。学会みたいなものなのかもしれません。
イベントやミーティングを行うことも大変有効な活動ではないかと思いますが、その協賛をだれにしたらいいのか、という話です。
うちらの世界では公共性を保つために、一社に頼むことはしません。必ずライバルになる複数社を呼んで同時にプレゼンしてもらいます。
製薬会社一社に頼むのであれば、あれは「◯◯の会だ」と誰しもわからねばなりません。
製薬会社にはそれぞれ「誇り高い会」っていうものがあって、その内容が常に注目される研究会というものも存在します。これは医者の接待をするよりもはるかに有効だと思いますが、そこまで医者に信頼されるようになるには、演者は製薬会社と癒着していないことを示さねばならず、伝統も必要です。なかなかすぐに作ろうとしても無理です。でもやるなら今からはじめねばなりません。
だからはてなランチイベント=スポンサーは一社ってのはうちらの業界的にはアウトです。さらに公共的っぽいイベント名で無料だったらアウトです。
きっと優秀な人が集まったのでしょうね。うちらの世界では研究会後のほっとした雰囲気で新しい発想が生まれたり、素晴らしい才能をもった若い先生を見つけたり、いろいろな楽しみがあります。
今後のご多幸をお祈り申し上げます。
ぶっちゃけお前もクソ
この時点でクソ
就職セミナー聞きに行って、友達探しを目的としてる位お前もおかしい。
自分は根が真面目なので
お前まずこの一文がキモ過ぎ。
ってかお前ただの人を信用しないコミュ障じゃねぇか
結論から言うと企業の広告セミナー行っといて企業のPRをされて気分を害するとかお前最初からいくんじゃねぇよ。
ってかその程度のことで腹立てるとかガキまんまじゃねぇかw
後ブコメで
増田盛ってない? 「クソガキ」発言と相手が営業がノルマに追われてたのはそうだろうけど、そもそもそんな底辺どものいる場所に行くなと。 無料飯食うなら主催者の顔を立ててやっとくか、嫌なら金を払えと。
まさにその通り
ズリネタみたいに、最後に使った時間tとしたときに興奮度数[%]が 100*(1-exp(-t/tau)) で回復していくというなら複数所有する意味もわかるけど。
ちなみに、窓の杜にこの件を確認したところ、状況は把握しているが、GoogleAdWordsのアフェリエイトから運営費の多くを得ている関係上、広告を表示させない事は出来ないとのこと。
生きる意味が無いと、生きてちゃダメなの?そんな酷い考え方の持ち主なの?そういう人こそ、生きてる意味あるの?=一般論的に
もしも生きる意味があるとしたら、恐らく絶対基準でなく相対基準。だとしたら、そういう生きる意味が無いと決定づける人が、生きている意味が無いと決定づけられるのも時間の問題な訳だから、全く不毛な問いかけになると思う。人類滅亡。サンタさんは存在する、と主張するくらい不毛なことだと思う。=ちょっとひねったバージョン
そこに宇多丸って奴が反論してたラジオの書き起こしを読んで思ったのが
ラップやってる奴らは聴いてる奴らの気持ちを理解できてないから
まず日本語でラップやってる奴らほとんど(全員は把握してない)に共通してるのが何を言ってるのかわからない
昔、ラップやってる奴にノリが大事って言われたことがあるけど、だとしたら歌詞いらねーじゃんってなる
そして日本人らしいラップなんて言うくせに英語入れるでしょ?あれがダサい
アメリカ人がラップの中に日本語入れてるのを見たことある?ないだろ?
最後に日本のラップは何を聴いても同じような曲と詞ばかりでつまらない
これが浸透しない理由なんだよ
でもラップやってる奴らには「浸透しねぇのは聴いてる奴らが理解できてねぇからなんだよ」とか言っちゃうじゃん
何十年も活動してきて、そこが理解できてないってことはこれから先も浸透することはないんだろうなと思う
日本語だけで詞を書け
同じような内容ならお腹いっぱい
最近、窓の杜とかVECTORのダウンロードサイトに、本来のソフトをダウンロードさせるページに、全く関係の無い別ダウンロードサイトの広告が表示される事がある。具体的に言えば、SOFTNICとその一味の広告(ぐだぐだと、うちはまっとうな会社と言ってるけれど、実際に被害にあった人達の症状からするとウィルスやマルウェア)。
窓の杜だったら窓の杜のダウンロードボタンに酷似したリンク広告画像を表示させ、自社のサイトへ誘導し、貰いたくもないソフトを抱き合わせでインストールさせる。物静かに情報漏えいさせるソフトもあれば、レジストリ一覧をいきなり表示させて有料版ウィルス対策ソフトへ移行しろと催促させるソフトなどいろいろ抱き合わせさせられるものもある。入れられるのは、その時々によって違う。
インストールの許可をしてインストールする以上、ダウンロードサイトが次々とアドレスを変える以上、ウィルス対策ソフトがすぐに対策をしてくれるとは思えない。
要するに、スマホやiPhoneも情報漏れる心配した方がいいけれど、PCも今や似たような状況という事。まだマシだろうけれど。
今まで25年ほどの時間、特にこれといった意味がある人生を送らなかった。
運動が苦手だからゲームにハマって、人と関わるのが下手だったからネットにハマった。
そして人と関わらないでいい趣味を求めてアニメや漫画を卒業できないままこの歳になった。
時折自分が生きる理由をこれといって持っていない事を実感しては虚しくなる。
生きる理由なんて特に思いつかなくても何となくで生きてはいける。
仕事は不調でない事を順調と言うのならば概ね上手くいってるし、身体の調子もこれといって問題はない。
親知らずのせいで歯並びが最近よろしくなってきたけど、健康のことで一番気になるのはその程度のことだ。
私生活において恋人どころか友達も特にはいないけど、ツイッターで仲のいいアカウントがいくつかあるので特に寂しくはない。
他者とのWIN-WINな付き合い方が未だによくわかっていない身としては1人の方が落ち着くしずっとそうしていたいぐらいだ。
趣味もアニメ・ゲーム・漫画・ネットと全く充実していなそうなラインナップではあるが、
ストレスを知らず知らずのうちに解消してしまえる程度には楽しめている。
しかしどれも「ガチな人」に言わせれば趣味といえるほどの深さではないだろう。
浅瀬でチャプチャプとお水冷たくて超キモチイー-と言ってるレベルだ。
コレといった生きる理由なんてなくても人生は普通にやっていけるのだ。
それでも時折「コレでいいのだろうか」と思ってしまう。
仕事が辛い時や自分の人生の空っぽさにふと嫌気が差して「死んでしまおうか」と考える事があるのだが、
その時に自分を引き止める前向きな理由が特に思い当たらない事にいつも気づく。
「死んだらアニメの続きが見れなくなる」とか、「死んだらもうゲームは出来なくなる」とか、
そういった内心割とどうでもいい事しか思いつかない。
死なないのは「変な死に方をしたら親や周りの人に迷惑がかかる」「失敗して植物人間になったら」といった後ろ向きな理由が自分を引き止めるからに過ぎない。
そうして生き延びてふと思うのだ。
普通の人は違うのかも知れない、と。
「息子の成長を見届けたい」とか、「あんなに素晴らしい友人達と別れてしまうのが辛い」とか、「俺はもっとこの趣味・仕事を極めて凄いモノを作るんだ」とか、
熱意に溢れた生きる理由が普通の人なら思いつくのかも知れないと思ってしまうのだ。
ただ他人が作ってくれた娯楽を消費してきただけの人生にはそれがない。
何となくで進んだ大学、受験の時には自分を奮い立たせるためにそれっぽい理由をでっち上げてた気がするがもう忘れた。
何となくで就いた仕事、就活の時には自分を騙しながらの大それた志望動機があった気がするがもう思い出せない。
何となくで見ているアニメの続きが気になるからで今週を生き延びて、
何となく話題になってるからで買うゲームの発売日を待ちながら来月を生き延びて、
そうしてただ自分がある日全く別の他人になってしまってもきっと特筆すべき変化も起きないであろう人生を生きる。
自分が人生を生きる理由は自分の内側にはない。他人が外側から提供してくれた物ばかりだ。
そしてそれには自分は一切関わっていない。
子供がいれば「自分の子供の成長を楽しみにする」という要素が人生に加わる。
恋人がいれば「自分を愛してくれる人と一緒の時間を過ごす」という要素が人生に加わる。
自分の人生にあるのは「金さえ払えば誰だって同じものが手に入れられる物をひたすら消費し続ける」ことばかりの日々だ。
仕事だって「その仕事にたまたま就いてしまえば大抵の人は同じかそれ以上の事ができる作業」しかやっていない。
あるとき道端であった幽霊が「貴方の身体、人生を私にくれませんか」と言っても「別に構わないですよ」と言ってしまえるような人生だった。
そのことが時折無性に虚しくなる。
いや、ハロプロ=モー娘。と考えるのは甘い。
今もてはやされてるハロプロは、ももクロだよ。ももクロは普通のアイドルとは少々違う。
違うといっても、昔のバンド全盛期に、俺らインディーズだしーと言ってる奴らと、メジャーデビューしてるバンドの違いでしか無い(要するに、第三者から見れば同じでしょ)と、全く思い入れも無い自分は、そういう風に見ている。
まー宗教戦争てのは、小さなところで敵対するもんだ。そこにアイデンティティを見出して自己保存しようとするわけで。
総括すると、第三者にとっては、んな事どーでもいいよ、な話。
一番最後を読んでもらえれば。
しかし、この場、相手がいなければどうにもならないのでは?
やるなら一人より二人でしょ。俺ならそうする。