今まで25年ほどの時間、特にこれといった意味がある人生を送らなかった。
運動が苦手だからゲームにハマって、人と関わるのが下手だったからネットにハマった。
そして人と関わらないでいい趣味を求めてアニメや漫画を卒業できないままこの歳になった。
時折自分が生きる理由をこれといって持っていない事を実感しては虚しくなる。
生きる理由なんて特に思いつかなくても何となくで生きてはいける。
仕事は不調でない事を順調と言うのならば概ね上手くいってるし、身体の調子もこれといって問題はない。
親知らずのせいで歯並びが最近よろしくなってきたけど、健康のことで一番気になるのはその程度のことだ。
私生活において恋人どころか友達も特にはいないけど、ツイッターで仲のいいアカウントがいくつかあるので特に寂しくはない。
他者とのWIN-WINな付き合い方が未だによくわかっていない身としては1人の方が落ち着くしずっとそうしていたいぐらいだ。
趣味もアニメ・ゲーム・漫画・ネットと全く充実していなそうなラインナップではあるが、
ストレスを知らず知らずのうちに解消してしまえる程度には楽しめている。
しかしどれも「ガチな人」に言わせれば趣味といえるほどの深さではないだろう。
浅瀬でチャプチャプとお水冷たくて超キモチイー-と言ってるレベルだ。
コレといった生きる理由なんてなくても人生は普通にやっていけるのだ。
それでも時折「コレでいいのだろうか」と思ってしまう。
仕事が辛い時や自分の人生の空っぽさにふと嫌気が差して「死んでしまおうか」と考える事があるのだが、
その時に自分を引き止める前向きな理由が特に思い当たらない事にいつも気づく。
「死んだらアニメの続きが見れなくなる」とか、「死んだらもうゲームは出来なくなる」とか、
そういった内心割とどうでもいい事しか思いつかない。
死なないのは「変な死に方をしたら親や周りの人に迷惑がかかる」「失敗して植物人間になったら」といった後ろ向きな理由が自分を引き止めるからに過ぎない。
そうして生き延びてふと思うのだ。
普通の人は違うのかも知れない、と。
「息子の成長を見届けたい」とか、「あんなに素晴らしい友人達と別れてしまうのが辛い」とか、「俺はもっとこの趣味・仕事を極めて凄いモノを作るんだ」とか、
熱意に溢れた生きる理由が普通の人なら思いつくのかも知れないと思ってしまうのだ。
ただ他人が作ってくれた娯楽を消費してきただけの人生にはそれがない。
何となくで進んだ大学、受験の時には自分を奮い立たせるためにそれっぽい理由をでっち上げてた気がするがもう忘れた。
何となくで就いた仕事、就活の時には自分を騙しながらの大それた志望動機があった気がするがもう思い出せない。
何となくで見ているアニメの続きが気になるからで今週を生き延びて、
何となく話題になってるからで買うゲームの発売日を待ちながら来月を生き延びて、
そうしてただ自分がある日全く別の他人になってしまってもきっと特筆すべき変化も起きないであろう人生を生きる。
自分が人生を生きる理由は自分の内側にはない。他人が外側から提供してくれた物ばかりだ。
そしてそれには自分は一切関わっていない。
子供がいれば「自分の子供の成長を楽しみにする」という要素が人生に加わる。
恋人がいれば「自分を愛してくれる人と一緒の時間を過ごす」という要素が人生に加わる。
自分の人生にあるのは「金さえ払えば誰だって同じものが手に入れられる物をひたすら消費し続ける」ことばかりの日々だ。
仕事だって「その仕事にたまたま就いてしまえば大抵の人は同じかそれ以上の事ができる作業」しかやっていない。
あるとき道端であった幽霊が「貴方の身体、人生を私にくれませんか」と言っても「別に構わないですよ」と言ってしまえるような人生だった。
そのことが時折無性に虚しくなる。
生きる意味が無いと、生きてちゃダメなの?そんな酷い考え方の持ち主なの?そういう人こそ、生きてる意味あるの?=一般論的に もしも生きる意味があるとしたら、恐らく絶対基準で...
生きてる意味がないヤツはいくらでもいるだろニートとかな