はてなキーワード: 洋ゲーとは
前提として俺の感想は非常に好意的だ。そういう意味では、バッキバキの同業者目線での批判を期待していた人たちにはごめんな。
俺の非常に好意的な感想は、しがないプロデューサーのはしくれの俺に、「吉田プロデューサーとFF16が世界での戦い方を示してくれたこと」ことに尽きる。
そして俺がこれを書こうと思い立ったのは、それなりにレビューや感想合戦が一段落して、
を参考までに、みんなに個人的な感想として伝えられればと思ったからだ。
例えば映画でいってもそうだが、宮崎駿の作品や新海誠の映画作品も邦画じゃAAA級だが、ハリウッドの制作予算に比べれば全然大したことないんだ。「君たちはどう生きるか」が3000万ドル~7000万ドル(あくまで噂)、すずめの戸締まりが1800万ドルって言われてるが、スパイダーマンスパイダーバースは9000万ドル(アクロスザ・スパイダーバースは1億ドルだってよ)、アナ雪は1.5億ドルだそうだ。
正確な数字かはさておき、どう楽観的に見積もってもハリウッド超大作のそれには敵わないんだよ。
FFはみんなが比較に出す洋ゲーのAAAと比べれば開発予算に限界がある。
だからFFはAA級みたいなもんだ。Aが一個足んないんだよ。(ちなみにAAA級の定義は正確には存在しない。AA級っていうのも存在しない。けど大体、意味、わかるだろ?)
AAA級とAA級でなにが違うか?開発予算が違うんだよ。開発予算が違うとなにが変わるか?できることに限りがあるんだよ。
たとえばよく言うゲーマーたちの指摘には、以下のようなものがある。
もちろん正しい意見もあるとは思う。
けど例えば、上でもあげたけど「アナ雪」ってテーマソングの「Let it go」あがったタイミングでプロットを大転換してるんだぜ。エルサはアナと姉妹でもないし、王家でもないし、純粋な悪役だったって話だ。
この大転換は結果として大成功だったわけだが、おそらくこのレベルの変更はそれまで進めていたあらゆる製作に影響を及ぼしたはずだ。具体的には製作途中のものを捨てたり、考え直すための制作期間の延長だ。これ、制作費(必要予算)増えるんだよ。
AAA級は天才たちが七転八倒して作ってるんだ。AA級のFFはそれをしてないわけじゃない。それを許される回数が限られてるんだよ。
これは大筋はゲームメディアなんかが大筋語ってくれてる内容と沿うんだけど、まぁ聞いてくれよ。
俺たちはもうAA国なんだ。AAA国みたいに何でもかんでもぶちこんで、やりたいこと全部やるってのは無理なんだよ。(もちろんAAA国やAAAタイトルが全部やれてるってわけじゃないんだが、相対的な話だ)
AAA級タイトルに慣れた、舌の肥えた俺たちはAAA級と比較してあれが足りないこれが足りないって言うけど、無理なんだよ。
だけど俺はそんな批判をやめろと言ってるわけじゃない。
もっと生産的な考え方をしようぜ、そしたら俺たち日本人のためになるし得だよって話だ。
それは「この要素を弱めて、この要素を足す」だ。これなら開発費(必要予算)は増えない。
その点でいうと、FF16は限られた予算の中で、どこでならAAA級に匹敵する作品を作れるか?について考えに考え抜いたパッケージングをしていると思う。
吉田プロデューサーは天才アーティストではないかもしれないが、天才プロデューサーであると思う。
彼は重圧の中でその取捨選択を、自分の意思を中心に、それをやり遂げた。
このあたりはストーリーと戦闘システムへのフォーカスだが、そのへんはもうほかにもいっぱい語られてるからここでは言及するのやめるわ。
これも実は大きな誤解があると思う。
エルデンリングのざっと調べても開発費は分からなかったが、少なくとも過去作からモーションを使いまわしてるだの、グラフィックはAAA級と比較して見劣りするだの言われてるよな?
それはそうだと思う。そこで開発費の圧縮をしてるってことも事実だと思う。
でも問題はそれじゃない。エルデンリングは過去作を通じて積み上げてきた「魅力的な特徴」がゲームシステムの中心にあるんだよ。
方やFF16はみんなが言ってる通り「FFはおわった」「FFブランドなんてもう存在しない」とか言ってるじゃん。FFがこれまで積み上げてきた資産ってむしろそれしかないだろw
FF15のオープンワールドは世界に通用する資産か?当時からそんな評価じゃなかったろ。
FF15の戦闘システムは世界に通用する資産か?当時からそんな評価じゃなかったろ。
FF15のレベルデザインはフロムゲーのように緻密なデザインだったか?当時からそんな評価じゃなかったろ。
FF16はFF14で積み上げてきた資産(でもMMOだから流用できる資産は直接的じゃなかったはずだ)と、FFという今となっては影の落ちたブランドに基づいて、むしろ日本が誇る「漫画」と「特撮」のゲーム産業とは違う強みを強引に(したたかに)輸入して生み出された日本の元気玉の一つなんだよ。
これは完全に蛇足だけど、ストーリーの締め方に納得いってない人にネタバレすると、FF16はFF1のストーリーのオマージュと対比構造で成り立っている。
だからストーリーに納得いってない人も残念だがこればっかりは受け入れるしかない。
その上で期待していいことが一つある。
吉田プロデューサーは、スクエニはFFを現代において「語り直した」そして戦闘システムとストーリーという新しい武器(最強とは言わんが、AAA級に挑戦するキーアイテムだろ)を手に入れた。
この定義の何処に難しいところがあるんだろう?
ようは「やりたいことができるか」「やりたくないことをしなくてすむか」だ
・ジャンプさえ出来れば超えられそうな壁
・「ムービー銃」
いわゆるオープンワールドゲーだ
盗める、殺せる、好きなところへ行けると嘯いて、日本のゲームを貶める
けど、どう考えてもOblivionやSkyrimの自由度は低い
・敵がプレイヤーにレベル連動するのでレベルを上げて物理で殴るとかし難い
致命的なのは殺人で、「やりたいことをやった」のにそれが世界に反映されない
殺人者に怯えるシナリオでは、皆が噂をして影を怖がるのだが、それ以外で殺人が起こっても酒場で談笑だ
ならばと街中大騒ぎになる殺しをしても、大抵はリロードすることになる
他の街の首長も何も変わらず
虚しいだけなのだ
だがそれは、戦闘後に「殺しますか?」と選択肢が出るJRPGと何が違うんだ?
もちろん、今の技術でそれらを望むのは我儘に過ぎるだろう
行動で称号がついて、その称号に反応する市民がきちんと居るJRPGの方が
よほど「自由」だと感じる
なにも山を登れたり、いきなり何処にでも行けることだけが自由じゃない
それができることに意味がないのであれば
砂上の楼閣というものだ
ムービー120点(人を選ぶ)、他80点。
キャラデザがいつもの人形、エフェクト過剰、ジャンプ不自然、QTE不快じゃないけど面白くもない、救済アクセ使わなくても難易度簡単な予感。
FF14蒼天でダークファンタジーアピールする割には肩透かしだったから期待してなかったんだけども、いい意味で裏切られた。
この方向で行っても劣化洋ゲーになるんじゃないかという不安ももちろんある。
けどFFブランドを諦めてないというか、チャレンジングな物は確かに感じたよ。
売れるといいなー。
本編でもFF4冒頭のようなシーンおなしゃす!
GeForce Experienceってもう何年もずっと中華フォントだよな
英字とカナはゴシック体なのに漢字だけ明朝体だから書体的にもめちゃくちゃ浮いてるしそもそも中華フォント自体が違和感ありすぎて嫌
ググると出てくるen_us.pakを消す方法で直せるんだけどバージョンアップするたびに戻ってしまうし嫌になる
SNS見る限り苦情はそれなりに行ってるはずなんだが、革ジャンアメ公どもの脳みそではこの気持ち悪さが理解できんのだろう
もしや洋ゲー厨どもは洋ゲー中の日本語がCJK処理系の問題で中華フォントで表示される場面に遭遇しすぎてるせいでこの書体が正しいと思い込んでるんじゃないか?
ともかくグローバルな一流メーカーとは思えんくらいの鈍感さで放置されてるわけだ
だが日本人にとっては知ってるようで微妙に違う変な文字を見せられ続ける精神的苦痛は賠償ものじゃないか?
というか君達は気にならないのか? 俺は気になるが
これはもう可及的速やかに赤陣営に移れというグラボ神の啓示なのではないか?
勘違いしてほしくないが俺は日本語環境に混ざってくる中華フォントはめちゃくちゃ嫌いだけどメイドインチャイナガジェット自体は好きだし
いけ好かないマイナーが放り出したモノつかむことにも抵抗がない基本的におおらかで実益重視の人間だ
今使ってる8年前に組んだPCだって当時の中古CPU・中古グラボ・中古マザボ・中古ケースで組んだコスパ機だしな
メモリやCPUクーラーなんてAliで買った全然名前知らないけど実績はあるっぽい謎中華ブランド製だが全然問題ない
いや何の話だよ
マリオの映画の評論家と観客の評価が乖離してるのはポリコレの強行のせいだ普通の人はポリコレうんざりなんだ増田もそうなんだが、そもそも映画やその他のエンタメ作品の鑑賞自体が出来ているのか?という疑問が湧くのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230504221408
この映画は反ポリコレだ!だからヒットしたんだ!ポリコレが無いから評論家の評点が低いんだ!っていう意見が一か月くらい前からネットで湧きあがってるんだが、それに対して全然そうじゃねぇってツッコミ多数という状態になっている。
そんな状態で「オタクは女とポリコレに攻撃されている」という投稿をすると無条件で持ち上げられるはてなにそのままの認識をぶっこんだら賛同されると考えたんだろう。そしてその通りになっている。
だがこのオタクの反ポリコレブームというのはかなり変なのだ。「ポリコレ的なものを無理くりに見つけ出して批判する」というゲームになっているのだ。
そしてポリコレ要素が「見つかった」ものは棄損されスポイルされたものであるからつまらない、と結論される。インフルエンサーの雑な扇動と飯のタネになってるのではないか?
例えば、聖闘士星矢のネトフリ新作ではアンドロメダ瞬が女になると伝えられて、それがポリコレだ!と糾弾されるわけだ。
でも原作でもアンドロメダ瞬は中性的ななりで、何故か股間に防具が無くてレオタードみたいなのむき出し、なのに股間もっこりがない。
なので二次創作やおいジャンルでは瞬は女役というかもっとはっきり言うとメス役で他の男に犯される役が専らだった。
因みにやおい腐女子と呼ばれるジャンルは70年代末に遡るが、それが大きくなって市場化する起爆剤になったのが80年代の聖闘士星矢の二次創作だった(あとキャプテン翼)。
これって非常に反ポリコレでしょ。
そして四半世紀経ってリメイクするに当たり、公式の方が腐女子に合わせてきた訳だ。これがポリコレかっ!?逆だろう。
だからこういう大してオタクでもない増田も知っている文脈を知らないからポリコレという「真理」が見えちゃうというケースである。
それから鑑賞が出来ていない疑惑だが、数年前に100日後に死ぬワニってマンガがあったのはご存じかと思う。
変な広告屋に抱かれたせいで101日後にコンテンツとして爆死してしまった訳だが、この4コマ漫画の最終回は凝ったもので、ワニの死が直接描写されず、雑誌なら見開き(WEBなので大判だが)に桜が散るというコマで死が暗喩されていた。
だが、作者のTwitterには「僕の解釈」を開陳するレスが殺到したのだ。「このバイクに乗っているのは誰々で、そのキャラが死んじゃった」等という様々な「解釈」が殺到した。
つまりはあれだけ簡単な暗喩表現が分からない人は結構いるという事と、そういう人にとってはネットで見る物知り達の「自分流の穿った解釈」は単純理解と同レベルであり、単純理解が不能だった時は僕の解釈をしてもいいと思われているという事だ。
これはゲームのリプレイ動画に付くコメントでも同じで、洋ゲーのちょっと洒落た表現では必ず「僕の解釈」のコメントが付いている。
そういう人がネットの反ポリコレ言説に触れて、ちょっと難しい表現に当たった時、それは「ポリコレのせい」に見えるのではないか?
元増田の場合は「映画評論」というものを知らないのでは?という疑念が湧く。映画評論家は「これはポリコレ的に×、これはLGBTが出るから加点」という風にやる連中だと思ってないか?
一般的に人気はあるけど評論家の点数は低いという時、多いのは「全体的に面白いけど平板だから」というケースが多い。「大人も子供も楽しめますね」ってやつだ。
例を挙げよう。
同じ3Dアニメで「カーズ」ってアニメがある。車を擬人化した映画だ。
この中で古い車キャラが主人公の若い車にドリフトを教えるシーンがある。嘗ての街道レーサーみたいなジジイ車なんだな。
そしてレース中にスピンした主人公車がそのまま逆ハン切って大ドリフトに移行するというシーンがある。その時、実況解説してるジジイ車はたまらずに身を乗り出す。
こういう「刺さる」シーン「光るシーン」を平板な子供アニメに入れ込むと評論家の評価は上がるのだ。
更に今ではこの刺さるシーンのせいでネットでミーム化していつまでも残り、続編への呼び水になったりもする。
この評価の乖離が起きたのってロッテントマトとかだろう?新聞のキッズ欄の「お勧め度」じゃないんだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」なら平板でポリコレで安全な方が点数は高くなるがそれ以外なら逆だ。
これ書いてる増田の好きな映画ジャンルというのは虐殺、暴力、理不尽、同性愛、フェチといったもので、あんまりポリコレが力持ちすぎると困る。
映画『パフューム』のAmazonレビューに「無実の人が死刑になっていやな気分になった」とコメントされているのを見て笑ってしまった。同映画では連続殺人を犯した主人公が香水の魔力によって大衆を魅了し、死刑を免れる。司法は法的辻褄の為に代わりに世話人の家の一人を犯人にでっち上げ、処刑して主人公は放免めでたしめでたしとなるのだ。この理不尽は当然観客を反徳でいやな気持にする為に入れられている。
けれどネットのオタクが論う「ポリコレの浸食」は見るからにトンチンカンなのだ。一般的な鑑賞、読解と評論が出来ずに飛びついているというケースばかりなのだ。
続き
https://twitter.com/Hambubger3/status/1652150978370580481/photo/1
QuickMatchで肩慣らしじゃ
↓
Empireは遠隔武器多いのかVanpire蜂の巣にしてくれる
↓
↓
Warming up with a quickmatch
Turning Vanpire into swiss cheese with Empires ranged weapons
Wraiths jumps on me and tear me to shreds
Defeat
I have no idea what I'm doing but it's fun
→意訳がうまくて面白い
「蜂の巣」はturn someone into swiss cheese
「ボコボコ」はtear someone to shredds
Shut up about Japanese translation already
Trash can't even speak English and wants to play western games
→日本語では「やりたがるなよ」と相手に直接語りかけているが英語だと独り言っぽく訳されてる
Blocking it in Japan is better. That way you can feel superior just for having it in your library.
なんでやらかしたのかの動機はゲハ住人でないとわからない(共感できるという意味ではなく思考がトレースできるという意味で)と思うのでちょっと解説してみる
ゲハでは任天堂PS箱のハード間で煽りあいが日々発生しているわけだが(もちろん住人全員そうというわけではない、ゲーム業界のネタを肴に雑談しているだけの人も大勢いる)
煽る連中はだいたい「俺はこのハードが好きだがあのハードは嫌い」と好き嫌いがそれぞれのハードで発生し、同じハードを好き同士嫌い同士で徒党を組んでいる
それぞれのハードが好かれたり嫌われたりしてる理由は様々だが、今回のケースのようにPSが好きで任天堂が嫌い、の思考を説明すると以下のようなパターンが多い
まず、任天堂がゲハで嫌われる理由で最も多いのが「任天堂はリア充向けハードであり我々コアゲーマーをないがしろにしている」というものだ
昔任天堂がWiiとDSで大ヒットを飛ばしたとき、Wiiスポーツやnintendogsなどの従来のコントローラに依存しない新機軸で今までゲームに触れてこなかった層を大量に取り込んだ
あれ以降任天堂の企業イメージとして全年齢向け、初心者向け、ファミリー層向けという固定観念が現在に至るまでずっとある
対してWiiDSに押されまくっていたころのソニーは任天堂の新規ユーザー大量獲得に対抗して、「ゲームらしいゲーム」「コアゲーマー」などの単語をちりばめ、
ソニーは昔からゲームをやりこんでいるゲーマーさんたちを(任天堂と違って)大切にしますよ、というメッセージを打ち出す広報戦術をとった
ソニーのPSもこれ以降コアゲーマー向けという固定観念がずっと続いている
実際のところは任天堂もゲーマー向けソフトはたくさん出してるし、ソニーだって初心者の新規ユーザー獲得のための施策を行っている
ここからが本番なのだが、この頃のソニーのコアゲーマー優遇(のように見えるマーケティング)がもろに刺さった人たちがそれなりにいた
特に熱狂的にソニー支持になったのはいわゆるギャルゲー・エロゲ移植もの・乙女ゲー・アニメゲーなどのまあ言っちゃなんだが日陰者扱いされてきたソフトエロなゲームを好む底辺層だ
「今まで細々と日陰でゲームしていた自分たちをソニーはコアゲーマーとして認めてくれる!リア充に媚びて我々をないがしろにするばかりの任天堂と違って!」
これで一気に彼ら彼女らはソニー支持かつアンチ任天堂になった(もちろんPS好き全員がそうなわけではない、マーケティングが刺さった一部の層がいるという話)
あの頃はいくつかのまとめブログが徹底的にアンチ任天堂のスタンスで記事を量産していたが、主な読者層は彼ら彼女らである
あえて嫌な言い方をすると、ソニーとPSは弱者男性・弱者女性の希望の星だったのだ
ここらへんの事情を知っていると、例の事件の解像度も多少は上がるのではないかと思う
ぜんぜん役に立たない知識だけど
余談だが彼ら彼女らはPS自体は変わらず支持してるが、エロ規制を推し進めフォトリアル洋ゲーばかりを重視する現社長のジムライアンのことはめちゃくちゃ嫌っていたりする