はてなキーワード: 上半身とは
ナローベンチプレス230kgを上半身だけで上げてるの見て納得したわ
あと足が長すぎて内股無効にしてくるのズルすぎる
逆にリネールの足技は射程クソ長くて逃げられない
更に超慎重な試合運び
まあバケモノ
最近まったく泳いでないというか、粉砕骨折してから色々泳げないのもあるんだけど…😟
まず、オリンピックって、あらゆるスポーツ競技の、そのときの旬のフォームというか、現時点で最新の正しいと思われるフォームとかやり方が出てくるわけで、参考になるというか
で、クロールだけでなく、平泳ぎもバタフライも、基本は蹴伸び、ストリームラインとドルフィンキックだと思うんよね
テレビでクロールを見たけど、ほとんどいわゆるバタ足はしていない
クロールは当たり前だけど、両腕を左右に前に出して、水をつかむ感じで進むわけだけど、そういうわけで足側も歩くときの感覚に近くていいと思う
地上で、両腕左右を前後するのに合わせて、足も左右を前後させてる、その感覚の延長線でいい
あと、水中なんでこれも当たり前だけど、足をそんな意識して無理矢理前後させる必要もない、水の流れに逆らわず、水の流れに乗ってるだけで、特に動かそうと意識しなくていい
ときどきキックするだけでも、正しくやっていれば、スーッと前に進むはずなのだ
だから、バチャバチャバタ足するのは間違っているというか、まず上半身の動きを無視したようなバタ足はかえって失速してしまう
バタという表現もおかしいぐらい、ほとんど足を意識して動かさなくていい、上半身と連動して左右に傾き、ときどきキックすればいい、それだけでスーッと前に進むはずなのだ
だから、プールサイドでバチャバチャバタ足は寧ろ百害あって一利なしなので、とにかく蹴伸びだと思う
足は上半身に連動するべきなので、ビート板でバチャバチャバタ足も筋トレにはなるかもしれないけど、あんまり進まないし無駄だと思う
男オタクのエロは駅とか公共の場にでてきて今の時代に環境型セクハラしてきたり、政治家や国の後援得たりしてるから文句言われてるんだよ。
上半身制服で下半身パンツの少年たちが自衛官募集ポスターに使われたり、全裸少年の股間を舐めるように撮影してるPVの温泉宣伝コンテンツを観光庁が後援したり、駅に悩ましい顔で体よじってたりバニー着てる男のイラスト掲示されたり、小学校付近のビル一面に違法な過激エロ広告デカデカと出して、それ撤去させられたらオタク女政治家達が抗議したり、男性の貧困対策やってるNGOに女オタクが執拗にデマふっかけて嫌がらせを繰り返したり、女オタク1000人で中学生男子のエロ水着写真撮影させろとデモ行進したら、死ぬほど文句言うだろお前ら。
全部お前らがやってることだけど。
男は先日のママがいいとか子どもの言葉プリントされた服燃やして、発売中止までさせてるくらい些細な不愉快で怒り狂って表現燃やすし。
通勤時とか退勤時に日傘使ってる男増えてきたけど、8時台とか17時台とかって太陽が結構斜めにあるじゃん?
日傘さしてもせいぜい肩ぐらいまでしか日陰にならないと思うんだけど、この程度じゃ暑さなんて変わらないよね?
日傘で暑さ対策!みたいな雰囲気あるけど、日傘にそんな効果ないよね?歩いてたら日陰だろうと結局暑いし
「体感温度は結構変わるぞ!」とかじゃなくて、実際にかく汗の量とか変わるの?
もともと女性が日傘さしてたのは顔の日焼け防止のためであって、涼しいからではないと思うんだけど
それとも、日焼けしたくないけど日傘さすのはちょっと恥ずかしいな…って思ってた層がぽつぽつと日傘さしはじめたってこと?
明らかにスキンケアとかしてなさそうなおじさんが日傘さしてたりするけど
――――【追記】――――
最初下に書いてたけど、追記のがよさそうだから追記にするよ!ちなみに初増田なんだ。
日傘使ってみたよ。妻から借りた紺のやつ。雨傘兼用らしい。多分安物。
通勤ルートはほぼ日向でアスファルト。8時過ぎに10分ぐらい歩くのでそのときに使った。
何がって言うと、汗の量が減らないって意味。
会社に着いたときは胴全体にうっすらと汗をかいてる感じで、これは日傘の有無に関わらず同じくらいだった。ちなみにデブじゃない。BMI20ぐらい。
日傘をさしてると涼しい感じはするけど、結局「感じがする」ってだけ。汗は減らない。
そういう意味ではタイトルが適切じゃなかったかもしれん。涼しいは涼しいけど、その10分程度の涼しさに意味を感じられないってことが言いたかった。
当方にとって涼しさのメリットっていうのは、汗をかかなくていいってことなんだ。後出しですまん。
おそらくだけど、体を動かすことで内部から生じる体温上昇がでかすぎるため、直射日光による表面温度の上昇を抑えたところで汗に関しては焼け石に水なのかなと思った。
なので逆に言えば、外で立ち止まって何かを待ってるときなんかは意味があるのかもしれない。
あるいは、直射日光を浴び続けると体力を奪われるとかもあると思うので、長時間外にいる場合も意味あるかも。
つまり、立ち止まってるか長時間外にいるかのときは意味があるけど、数分〜十数分の運動中ではさほど意味はないかなって思った。熱中症リスクもそのぐらいの時間なら水飲んどけば大丈夫だろうし。
こちら関東の海沿い。最高気温30〜32℃ぐらいだから少し涼しめかもしれん。
――――【追記終わり】――――
――――【追記2】――――
こんなに伸びると思わなかった。
まずいくつか訂正して謝罪したい。
本文については、勢いのまま書き殴った結果、日傘の効果を全否定するような感じになってしまった。もう少し細かい状況も書くべきだったと思うし、そもそも「日傘涼しー!」って人が「いやそんなもん無意味でしょ」って言われたら不快だよねと。
次に、モノ申したいならまず試せよってこと。試しても概ね想定通りの結果ではあったけど、それ以上の気づき等もあったので、やっぱりやってみた方が良いよなと。まあやった方が良いなんて当たり前かもしれないですけどね。
あとはタイトルが主語デカになってしまったこと。訂正します。日傘は涼しいです。
いやそうは読み取れないって?そこは私の落ち度ですすいません。
なんでこれを書こうと思ったかというと、
①最高気温30〜32℃の日の
②8時頃に
④混み合う通勤路で
日傘をさしてる人がいて、「いや耐えられる温度と時間だろまわりに気を配れないなら日傘さすなや」って思ったことがあったから。
まあでも汗臭くならないようにしてるのかな?とも思ったけど、それも歩いてたらそんなに変わらんよな、と。
日傘は涼しいし、環境によって使うべきだとは思うよ。そもそもどんな環境だろうが、使おうが使うまいがはもちろん人の勝手だけど、でも使ってる人って①〜④のいくつかの条件が外れてる人が多いんじゃないかなって。あるいは最低限まわりに気を配ってるとかね。
それと、汗について。
なんで汗をかきたくないのかちゃんと書かなかったのも悪いかもしれんが、「汗の量で暑さを判断してる」とかそんなわけないだろ。
汗をかきたくないのは自分が汗臭くなるのが嫌だからだよ。みんなも汗臭いおじさんと話したくないでしょ?
「増田に必要なのは日傘ではなく制汗剤」というのは適切なツッコミ。ちなみに毎朝デオナチュレみたいなやつ塗って、会社ついたら汗拭いてるよ。ワイシャツは香りのビーズみたいなやついれて洗ってる。
それでも完全に臭くないかは分からないから、できるだけ汗はかきたくないなって感じ。もちろん汗をゼロにしようとは思ってないよ。できたらいいけどね。
最近は胴体にうっすら、腕と顔は汗なしぐらいなので、このぐらいでは実感できなかったのかもしれない。
ちなみに日傘は太陽に向かってちゃんとさしたよ。上半身ぐらいは常に日陰にできた。
おすすめの日傘とか冷却グッズとか教えてくれた人にも感謝。サンバリア100高すぎだろ...
あと、ひきこもり体質なのはそう。基本通勤ぐらいしか外でないから、試そうとも思わなかった。今回試せて良かった。
ちなみに、運動不足の自覚はあるので、車で数分の美容室とかクリニックとかに20〜30分かけて歩いていくことはある。が夏は汗だくになるのがいやで車使っちゃってた(真冬なら歩く)ので、今度また行くときは日傘さしてみようかな。
――――【追記2終わり】――――
夏だ。プールだ。水着だ。諸君はスクール水着に思い出があるだろうか。筆者はなかった。学校の水泳でも競泳用水着、プライベートではサーフパンツを着る生活で、いわゆるスクール水着というものを着用したことはなかったし、習い事として水泳を習っていると泳ぐことに懸命で、よそ見をしている余裕などない。
さて。最近、学校指定のスクール水着が恥ずかしいとかそういう話がよく議論に上がっているのを見る。ジェンダーレス水着なるものが指定されるというニュースも見る。こうしたニュースが風物詩なのだろう。そしてインターネットでレスバが始まる。
基本的に男女はこうした場面では分かり合えない。水着の話でもトイレの話でも、性別によって見えている世界が違いすぎるのだ。こうした世界の違いに興味を持っている筆者は、現代の水着の何が問題で、共用水着が何を解決したのか気になった。ということで、大人サイズのスクール水着を着てみて現代人が抱える問題を観察してみようと考えた。ということで、簡単にレポートしようと思う。
そもそも知らなかったことなのだが、スクール水着というものは子供用だけでなく、メーカーから大人用の大きなサイズも発売されている。今回のような実験でコスプレ用のスクール水着を買うのは邪道である。本来は泳いで試したかったところもあるが、現代社会はまだ成人男性が女性用の水着を着てうろつくことを許容しないだろう。そこでいくつか購入して自宅でこっそり試着してみることにする。
またなるべく着用環境を整えるため、コスプレ用の女装用品を使って身体のラインを女性に近づけて着用してみることにした。
男性として、また女装した状態で、これらの水着を着用し、姿見でビジュアルを確認することに加え、準備運動に相当する運動で動きやすさを調べてみることとした。
用意した水着・道具
これが筆者が人生で初めて着用するスクール水着である。少し裾のあるタイプで、筆者の実体験から推定して、スイミングスクールはともかく、小学校高学年になってもビキニタイプを着用する学校は今時ないと考えてこの水着を選定した。わかりやすい海パンである。
初めて着用した感想としては、生地の薄さと伸縮性の高さに驚いた、ということ。密着した方が水の抵抗を抑えられ、水中でも脱げにくいので良いことだと思う。ダバダバした水着だと動き回っているうちに半ケツ状態に陥ってしまうことがあるのだが、今はそこまでは考えていないという状況だ。
ただこの密着が裏目に出ることもある。裏地付きとはいえ、ポジションが外見から丸見えになってしまう点だ。股間がやや膨らむのは正直なところ男子の宿命であって、思春期とはいえ諦めがつくものなのだが、ポジションが出るのはちょっと困る。メインターゲットであろう未発達の小学生なら悪目立ちすることはないと思うが、それでも高学年〜中学生になる頃には気になるのではないだろうか。スイムサポーターをを履いて改めて着用してみるとすっきりさせることができた。オプションではあるがマストアイテムであろう。
着替えのしやすさや動きやすさに関しては、ただのパンイチ状態なので特に問題はない。とても軽いという感想を持った。
成人男性である筆者が2着目に着用したスクール水着がこれである。Amazonという文明の利器がなければこのような経験をすることはなかっただろう。
下にシリコンパンツを履いて、下半身のラインを女性らしくして履いてみた。まず着用方法がとても難しい。セパレート式の水着についても、レディースの水着は上から被るのではなく下から履くように着用するのが正しい方法らしい。まず下半身を履くのだが上半身部分が嵩張ってうまく着用できない。そして下半身を履いたら胸当てをずり上げていき、最後に肩紐をつける。この肩紐を肩にあてるときに筆者の肩の関節が悲鳴を上げた。もしかすると筆者が成人男性だから苦労しているだけで、女性の肩が柔らかいのかもしれない。また胸の周りをきつく押さえつけるような構造になっていたので、おそらく尻は通せても肩を通すのが難しいのだろうと思ったが、筆者には胸がないのでこのあたりはよくわからなった。
今回はこのまま水に浸かるということは試していないが、こうした着用方法の特殊な水着は水に濡れてまとわりついたら脱ぐ時も大変かもしれないと思った。
さて、着用してみると、動きやすさについてはいうまでもない。腕にも脚にも何もついていないのだから何も支障が無いのである。そしてよく伸縮して筆者の膨らんだ腹にフィットし、まるでみかんネットに身を包んでいるような気分であった。
男性用と比較すると大きな水着だが、布面積に対してプライベートゾーンの細かいところでガードが乏しく、股間や胸元を安心できるところまでガードしているかというと不安を覚えるということなのだろう。日頃から体型を気にしている女子にとってはイレギュラーな格好に見えるのだろう。もはや半裸でやっている男子からは贅沢な悩みに見えるかもしれないが、日頃から体のラインを見せないように意識している人からすればショックが大きいのだろうし、泳ぎを優先した薄っぺらさからくる不安があるのだと思う。
いちおう、性転換パンツを履かずに男性としての身体でも着用してみると、裏地の当たるところが男性より狭いため、当然ながら何もガードしてくれずに股間が悪目立ちした。恐る恐る姿見を見たところ当然にも醜く、最近医者に注意された腹がぽっこり、その下で股間がもっこりと出たおっさんの体型が丸見えである。これなら正々堂々と腹をぶりんと出していた方がまだ恥ずかしくないのではと思ってしまった。布が多いはずなのに恥ずかしいのは何故だろう。隠しているからこそ、余計に恥ずかしいのだろうか。加えて筆者は脇毛が濃いのでこのあたりが猛烈に汚く見える。女性には脇毛がほとんどないイメージを持っているが、あれはそもそも脇毛が生えにくいのか常に剃っているのだろうか。
さらに股のクロッチの布の狭さに改めて驚く。男性の筆者でもハイレグ水着というのはなんとなく恥ずかしい格好であるという意識は持っているのだが、尻まで覆う普通のスクール水着でも薄さと狭さで守られていないように感じてしまう。脚の動きに制約がないので動きやすそうではあるのだが、これでは何かのはずみでズレて股の内側が見えてしまわないのかと不安になるのである。女子もこの中にサポーターを履いて体型を抑え込んだりしているだろうか。近年スパッツスタイルの水着が支持される理由がわかった。
そしてこれは余談だが、スクール水着を使った映像作品で、足の付け根にベージュ色の布が見え隠れしているものを見かける。あれは中に別のパンツを履いているのだと思っていたが、どうやらスクール水着の裏地らしい。なぜか裏地が縫い付けられておらず、着替えるときにぐるぐると巻きついて水着の外に飛び出してしまうのである。履いてみて初めてわかったこととして共有しておこう。
この水着は、サーフパンツと前開きのラッシュガードをボタンと暇で繋ぐことで捲れにくく構成された水着で、ゆとりを持たせて身体のラインが出にくいことを特徴としている。
まずは男性としてこれを着用してみる。少し大きめのサイズを注文したが、ボトムスに余裕があるのに対してトップスはやや窮屈な印象を受けた。
ボトムスはインナーパンツが内側にあり二重構造になっているのだが、裏地がクロッチにはついている一方、男性部にはついていない。少し心許ないというか、十分に大きいサイズの水着でないとやはりチンポジが浮き出てしまうと感じる。これもメンズ同様、スイムサポーターで防ぐことができたが、もうワンサイズ上げたものを購入してみることを検討した方が良いかもしれない。
トップスも着てみる。トップスの裾とボトムスの腰にボタンがあり、これをとめると固定できるのがユニークだ。生地は伸縮性があってやや薄く感じるが、ラッシュガードとしては十分な軽さを持っていると感じる。胸周りはパッドを入れるためか頑丈な作りになっているので、慣れない男性は違和感を覚えるかもしれない。しかし筆者はさきほど経験したばかりであり、どうやらこの胸の締め付け感はレディース水着では当たり前にあることのように感じ取れた。
こうして肌の露出は避ける水着を着用することができた。普通にシャツを羽織るのと同じなので、ボーボーの脇毛を見られることもない。ひとつひとつが安心感につながるのだな実感した。いっぽう胸と腹で裏地の厚みが違うため、胸まわりがかちっとしている一方、筆者の腹はぽっこりと出ていた。ここはカバーできない可能性が高い。
次に女装用シリコンパンツを履いたうえでボトムスを履き直してみる。先ほど気にした裏地は性器の位置に合うようになっている。シリコンパンツの構造上尻が大きくなるが、この体型でやっと水着の上下ともに良いサイズになったと思う。つまり逆三角形体型の男性の場合、セット買いはせず、トップスはボトムスより大きいものを発注する必要がある。
動きやすさについては、これまでの水着と同様に伸縮性に優れていて、薄いので水を溜め込むこともあまりないのだろう。サーフパンツの水の抵抗は未知数だが、トップスとボトムスを連結する3つの部品が半ケツを回避できるほど強力だとしたら、かなり期待できる。
ここまでのことを思うと、このサーフパンツやラッシュガードは、男女共用というよりも、男性も着用可能とブランディングされつつも構造的にはレディース向けに設計された水着なのかもしれない、という感想を抱いた。
メンズ水着としてはトップスがついた程度で、ほかにめくれを防止する機能などがあるくらいで、一特段の革新性はないが、一方レディースとして考えるとこの着替えのしやすさというのは革命的なものになるのではないか、と感じた。
今回は男・女・共用という視点からスクール水着について調べてみた。女子用の水着の着替えでの扱いづらさは実体験しないとわからないものがあると思った。そしてこのビジュアルは、男性が着ることを完全に想定していない、女性だけに作られたアイテムであることも体感した。ゆえに、性差を強く見せてしまう格好として思春期の女子から嫌われているのだろうという実態も学ぶことができた。
実は男女共用水着の商品紹介ページには、児童が水着に求める機能についてまとめたアンケートが掲載されている。これを見ると確かに「着替えがしやすい水着」という意見が第一位にきて、次に身体の悩みが並ぶ。たしかに女子用水着は着替えにくかった。思春期特有の悩みというよりも、単純に実用性についての意見が多く寄せられていることを実体験することができたと思う。
一方で、男女共用水着にも課題があると感じる。身体のラインが出にくい水着、恥ずかしくない水着を身につけること自体は否定しない。ただ、インナーまで含めて男女共用とすることには少し無理があるのではないかと思う。小学校低学年くらいであればあまり性差もないだろうが、いずれは体格に差が出てくる。せめてインナーは性差に合わせた形状にして選択できないだろうかと思った。自由度があるならば、男子は敢えて男女共用水着を選ぶのではなく、メンズのサーフパンツにラッシュガードを着用するのが最適解ではないかという感想を持った。
とはいえ売る側の事情もあるだろう。単に「身体のラインが出にくい水着を」と主張しても、保守的な学校組織で指定水着を変えさせるのは難しい。ジェンダーレスという話題のバズワードを使うことで普及を促す意図があったのではないか、とも推測した。実際、変えてみて効果が出ているというニュースが好意的に報道されているが、単にレディース水着のバリエーションというだけではここまで話題にはならなかっただろう。
しかしそれもこれも、男女の水着の機能的な違いから目を逸らしてビジュアルだけを論じてきたことが背景にあるのではないだろうか。今まで通りの水着で良いとか、あるいは目の保養だとか思っている男性陣も、一度女性用のスクール水着を着てみれば、新しい視点からものを見ることが出来るのではないだろうか。
本来はこうした水着を自由に選定できることこそジェンダーレスではないかとも感じるのだが、体格的に難しいことを受け入れることもまた必要なのかもしれない。
最近ニュースになっている「学校検診で上半身裸になりたくない」みたいな問題を見るたびに、自分の経験を思い出す。
*
私は、小学2年生のとき、内科検診のため、長時間、上半身裸で廊下で待たされていたことがある。
クラス全員、教室を出るときに服を脱ぎ、上半身裸になってから、名前の順で整列(男子→女子の順)。
私は、女子かつ名前の順が一番最後だったので、クラスの一番最後だった。
上半身裸の30人の生徒が、一列になり、保健室へ向かっていった。
男子から順に診察していくなかで、女子は上半身裸で、保健室前の廊下で待たされていた。
みんなお互いに顔を見合わせながら、身をよじる、腕を組むなどして、自分なりに胸を隠していた。
*
なぜなら、私が所属するクラスの子供だけが、上半身裸になっていたからだ。
他のクラスの子供たちは、肌着を脱いで、素肌の上に体育着を着て待機するよう言われていたのだ(といあうか、それが学校の方針だったっぽい)。
「私はまだまだ順番が回ってこないので、服を着させてもらえませんか。」と。
先生は、「だめです。あと少しなんだから、我慢してください。」と言った。
私の前に並ぶ女子が「恥ずかしいから、服を着させてください」といったが、先生は、「まだ男女の体は、そんなに変わりません」と言った。
私は、がっかりしながらも、『でも、まだ女子だけでも十数人いるし、ひとりじゃないから…』と思い、我慢していた。
*
上半身裸の生徒の待機者は、私一人になった。
真後ろに続く隣のクラスの生徒は、皆、体育着を着ている。
胸元を腕で隠す、情けない姿。
恥ずかしくてたまらなかった。
隣のクラスの先生が心配して、「服、着てないの?寒くない?」と聞くので、「担任の先生が着ちゃだめというので」と返した。苦笑いをしていた。
ようやく診察に呼ばれ、診察を終えると、教室へ戻る。
誰にも見つからないように走って戻った。
*
教室へ戻ると、私以外の生徒は皆、服を着て授業を受けている。
上半身裸の私を皆がジロジロ見る。
私を置いて先に教室に戻っていた担任の先生が、私に早く服を着るように言う。
小2の、雨がたくさん降って、寒い日の春の話だった。
*
これは、2000年代に小学生だった私の、関東圏のとある公立小学校での実話です。
担任の先生は、50代半ばのおばあちゃんで、考え方が古いタイプのひとだった。
クラスメイトの男子が、水泳の授業後に下半身を露出し、踊っていたところ、その先生は、その生徒を殴って怒ったことがあった。
*
仕事で疲れて眠れない。
ベッドから起き上がれないほど疲れているのに、眠りに落ちれないほどに疲れている。
無数の後悔が頭の裏側で少し先の未来とずっと先の未来からドンブラコドンブラコと流れてくる。
ベッドに倒れたままでは目を閉じてしまう。
あまりに苦しいので無理やり起き上がった。
上半身の体重をほぼ全部背もたれに預けているせいで椅子のメッシュがベキベキとひび割れてしまうのではないかと不安でしょうがない。
この人生はもう駄目なんじゃないかって10代の頃からずっと感じたまま20年経った。
なんとかするための決定的な一手を打てないまま、奇跡を掴むことが出来ないままで駄目っぽい人生から降りることが出来ないまま引き返せない所まで来た。
レールが乗っているのは奈落へと落ちていくかも知れない無数の谷間の上だ。
「夜に大事なことを決めちゃいけない」と誰もが口を揃えて言うってことは、今の自分の判断力は酔っ払いと同じで完全に間違っている可能性を疑っていくべきだろう。
道路の白線を渡りながらすぐ側にゲームオーバーを幻視する子供のようなものなんだろう。
でも奈落じゃないだけで、今よりもっとマシな電車(どっかの詩人が言ってた「病室のベッド」の方が正確だろう)に乗り換えるチャンスが見当たらないだけだ。
今いる場所がまだマシなんだと思う。
この人生においてはもう。
じゃあどうすればいいのかって考え出していくと、やり直すしか思いつかないんだよな。
宝くじを買って3億円当てるとか、ウイングに行って大穴を当てるとか、そういう方法だってあるはずなのに、それが上手くいくなんてとても思えないんだよな。
今までもっとずっと勝率の高かったはずの賭けに負け続けたはずの俺が今更そういうギャンブルで勝てるなんて。
魂の実在を信じて輪廻転生によって全てをやり直すことが、人生を好転させるにおける「まだ全然現実的な解決策」に思えてくるんだよな。
今やってるゲームと全く違うゲームを始めるほうがずっとマシに見えてならない。
「転生なろう小説に自分を重ねているのは負け組のアラフォー・アラフィフもしくはそれ以上」なんて罵詈雑言でしかないと思っていた。
でも今は分かる。
「もう転生ぐらいしか思いつかない」という強烈な現実直視感(リアリズム)。
信じられねえぐらいに本当にそう感じるんだよな。
人生に仕込まれていた時限装置が起動すると同時に封印を解かれたクオリアが突然精神に作用しだすようなほどに今までと世界観(人生観という方の意味)が変わってしまった。
本当に「転生」が一番現実的に見えるんだよな。
どうなってるんだろうな。
このどうしようもなさ。
日本社会だけなのか?
アメリカでも同じなのか?
若くないっていうただそれだけのことが、こんなにも人生の先行きをデッドロックの塊に変化させられるものなのか?
ハッキリ言って大きなが違いなんて転職のしやすさぐらいしか変わってないはずなのに、5年ぐらい前までと人生の可能性の狭まりがあまりにもレベチでビビっている。
逆に割り切れば、ここまで人生が狭まってしまえば、もう可能性が日々狭まっていくことの焦燥感に苦しまなくていいということに救いを見出せそうだ。
手が届くかも知れない別の人生への憧れに対して心を焦がされることはもうない。
辛い。
身を焼かれながら、もっと足掻けばよかった。
救いがあるとすれば、世界中が同じような状態の中高年で一杯ってことだな。
これが「普通」らしいな!
産まれて初めてそう思うかも知れねえ!
そろそろ寝るか。
夜寝る前に女体を削っている。
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画像はアプリでセックスした相手のうち、運よく写真を撮らせてくれたひとの。
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それで、相手はいつも裸で、寝転んでもらったり、ポーズをとってもらったりして写真を撮る。
そうやって撮った写真を使って、画像編集アプリを使って少しずつ身体を消していく。
真っ先に消すのは頭。てっぺんから消していく。肩の僧帽筋が作るつるりとした稜線が、あたかも最初から首や頭なんてものは無かったように見えるのが理想だ。
大抵、腕も消す。指先から二の腕、そして肩。肩が一番難しい。自然に見えるよう消すのにはコツがいる。
鎖骨や肩甲骨はある、けど上腕骨は最初からないように見えるとうれしい。
脚はほとんどの場合残す。脚はあった方が、完成した時、なんか良い。
少しずつ身体のパーツを消しながら、いちばん良い状態になるまで身体を削っていく。
場違いな自然光が射し込む古いラブホの部屋で、ただ性的なオブジェとして削られた女体がそこにある、という画像が出来上がる。
妻に見つからないよう、パソコンの奥深くに完成した画像を隠す。
そうするとよく眠れる。
怪奇⑤で紹介した『魔のバミューダ三角地帯』から、そう遠くない海上に、コロンブスの時代から“呪われた島”として船乗り達に恐れられている島がある。
セントクリストファーネビス。神をも恐れぬ海賊達も、その名を聞いただけで震え上がったという、幾多の船乗りの血を吸ってきた島だ。
ここは、正確にはセントクリストファー島とネビス島という二つの島からなっていて、前者はこの未開の地を最初に踏破したコロンブスのファーストネームからつけられている。もう一方のネビスの由来にはさまざまな説があるが、ポルトガル語の雲(nuvens)が転じたというものが有力だ。というのも、ネビス島には常に山頂を雲で覆われている活火山・ネビス山があり、原住民ですら一生のうちにその山頂を見ることはない。言い伝えでは、山頂は「天に消えた大陸」に繋がっていて、それを目にすることは即ちその大陸への移動(つまりは死か)を意味するという。場所柄、怪奇①の『アトランティス大陸』を思わせる伝説でもある。
どんなに周囲が晴れていても、どんなに風が強くても、この雲は消えない。また、時折島全土を丸ごと覆うほど雲が巨大化する時もある。
そして、最も厄介なのが、この雲の一部がちぎれ、海上に漂い出す時なのだ。
1777年7月、ジョーンズ船長率いる英国公認海賊船「黄金の猟犬」号は、アフリカ大陸で奴隷の仕入れを終えてジャマイカに向かう途上にあった。
カリブ海に入る直前、航海で三度目の嵐に襲われたものの大きな被害もなく切り抜けた。とはいえ航路の大幅な変更を余儀なくされ、寄港予定のセントルシア島よりかなり北寄りの「風下の島々」に辿り着くこととなった。呪いなどを信じない英国人のジョーンズ船長は次の寄港地をセントクリストファーネビスに決める。
こうした寄港地の変更は、当時はよくあることであり、敵国船などに出会わない限りは大きな問題とはならない。しかし「黄金の猟犬」号とその乗組員にとっては、この決断が致命的となった。
“呪われた島”に近づいた時、数人の乗組員は既に異変に気づいていた。ネビス島はすべてが雲に隠れて姿が見えず、雲の一部は巨大なジニー(風の精霊)が伸ばす手のように船に忍び寄ってきていた。しかし、必死に進路変更を訴える乗組員の声を聞き入れず、ジョーンズは船を伸びてきた雲を掻き分けるようにしてセントクリストファー島の港に入港させた。
この時点で、既に積荷として船内に詰め込まれていた奴隷のほとんどが変死している。脱水症などで奴隷が輸送中に死ぬことは日常茶飯事ではあるが、入港の前は100人弱の生きた奴隷がいたというから、それがいっぺんに死んだとするなら異常な数だ。
入港後、船から降りた者は誰一人船に戻らなかった。そう大きくない港の集落の中でほとんどが行方不明になり、稀に遺体が発見される場合は全て無惨な姿に変わり果てていた。いずれも同じく上半身と下半身が真っ二つにちぎれたまま事切れていたという。
船も港から出ることはできなかった。どういうわけか一夜にして港は封鎖された池となり、日を追うごとに干上がって塩湖となった。船に残った乗組員は船から出ることも叶わず飢えと渇きで死んでいった。
つまり「黄金の猟犬」号の乗組員(と奴隷)は全滅したわけだが、ここまで詳細な死の記録が残ってるのは、なんと英国王室宛に乗組員からの救助要請の手紙が届き続けていたからなのだ。手紙は1777年の8月から翌78年の11月にかけて、7回にわたって届けられている。この文書は英国王立古文書館に現存していて、他の文書と筆跡などを比較・鑑定した結果、間違いなく当時「黄金の猟犬」号に乗っていた記録官の文字であることが確認されている。
手紙は誰がどう届けたのか。そもそも書いた乗組員はどうやって(少なくとも1年強)生き延びていたのか。謎は尽きない。
ネビス島の“雲”は噴煙なのではないだろうか。ネビス山は活火山であり、規模の差こそあれ、絶え間なく噴火を続けていた、その噴煙が多い時、つまり大きな噴火の時に島に近づいてしまった「黄金の猟犬」号は、噴火に起因する大規模な地殻変動に巻き込まれて、再び出港できなくなったのではないか。船体に積み込まれていた奴隷から先に死んでいったのは、噴煙による酸欠あるいは一酸化炭素中毒であろう。
セントクリストファー島には「大塩池」という湖のような大きな池が存在する。かつて湾であった場所が隆起して海から隔絶されたような場所だ。筆者はこの池の底に、かの船は眠っているのではないかと考えている。