はてなキーワード: バイリンガルとは
英語圏の国の拠点で雑用をしていた会社の人達が続々と日本に帰国してきた。
コロナ禍というのもあるけどネットツールの普及でそういうポジションがいらなくなったってのが大きい。
で、困っているのがそういう「英語を喋るしか能がない人」の処遇。
一昔前は英語が話せるというだけでスゲー!みたいな感じがあって華々しく海外赴任し、けっこうな手当ももらっていた。
考えてみれば海外赴任してからやっている仕事って「雑用」だけだったんだよね。
日本の技術者と海外の技術者の間の同時通訳ができればいいんだけどそこまでの英語力も技術力もないから、日本人技術者が慣れない英語で直接話をしたほうがよっぽどマシだった。
だから日本と海外拠点とのスケジュール調整とか日本の社員が出張するときのホテルの手配とかの雑用しかやってなかった。
理国してからもそういう「英語を使う雑用」をやりたがったけど、そんなのは英語ができる派遣さんの仕事。
そういう「英語を喋るしか能がない人」が他の部署の含めてけっこうな人数が帰国したけどみんな社内にポジションがない。
そして「英語を喋るしか能がない人」に共通しているのが子供の学校の成績が悪いこと。
最初は日本の学校に慣れないからとか言っていたけど、どうもそうではないみたい。
で、そういう「英語を喋るしか能がない人」に共通している子供の教育方針は「小さい頃から日本語と英語の両方で生活させてバイリンガルにする」こと。
現実を見る限り、それって何か根本的に間違っているのかもしれない。
子供はバイリンガルどころかまともなモノリンガルにすらなれない可能性のほうが高いんじゃないか?
もしかして学校の先生の説明やテストの長文が理解できないじゃないか?
専門的なことはわからないけど。
昔は上司からTOEICの点数を上げろとか言われたけど、最近は「その程度の仕事だと英語では話を聞いてもらえないぞ」という言われ方に変わった。
逆に言えば、英語が下手でも仕事ができる人なら相手も話を聞くと言うこと。
さらに言えば、技術も営業もできない人が英語ペラペラ喋っても誰も相手もしないということ。
考えてみれば当たり前の話なんだけど一昔前はとにかく英語、英語でそんな当たり前のことが忘れられていた。
その結果、「英語を喋るしか能がない人」が量産されてしまったのかもしれない。
そんな「英語を喋るしか能がない人」がコロナ禍とネットツールの普及で美味しいポジション(英語の雑用だけでけっこうな手当がもらえる)を失ったのはうちの会社だけではないかもしれない。
同期にハラスメントしちゃったのかもしれない。少し前に転職し日常的に英語を使う環境で働いてる。私に一週間遅れててあるバイリンガルがチームに加わった。海外で10年以上暮らし、現地大学を卒業した即戦力という噂だったので、かなりの期待と敬意を持って彼に接していた。願わくは、私に振られていた山積みのマニュアル翻訳のタスクを分散したい、という腹積もりもあった。
私はiBT100を越えない程度の英語話者で、純ジャパにしてはぼちぼち、バイリンガルには一生敵わないというレベル感である。同期は当然、私なんかよりずっとすげえんだろうな、と下から目線で接していた訳だ。
研修がある程度、進んだ段階で例の同期がかなり苦しそうにしていた。心配になり声をかけた。
大丈夫ですか?
きっと大丈夫ですよ。慣れ親しみのないジャンルですもんね。業務の中で繰り返し使っていけば身に付きますよ。
─「そういうものですかね」
それにドキュメントが英文なので○○さんには言語的アドバンテージがあるからきっと習熟早いですよ。
─「そういうの、プレッシャーなんです。私、英語をちゃんと勉強してきた訳ではなくて。アドバンテージなんてないんです」
あっ...... いや、ごめん。
よくよく聞いてみると日本人学校に通っていた期間も長く、今は英語よりも日本語の方が得意とのことだった。セミリンガルという概念がある事も初めて知った。後の祭りだが、勝手に期待してプレッシャーかけてすまんかった。
同期にハラスメントしちゃったのかもしれない。少し前に転職し日常的に英語を使う環境で働いてる。私に一週間遅れててあるバイリンガルがチームに加わった。海外で10年以上暮らし、現地大学を卒業した即戦力という噂だったので、かなりの期待と敬意を持って彼に接していた。願わくは、私に振られていた山積みのマニュアル翻訳のタスクを分散したい、という腹積もりもあった。
私はiBT100を越えない程度の英語話者で、純ジャパにしてはぼちぼち、バイリンガルには一生敵わないというレベル感である。同期は当然、私なんかよりずっとすげえんだろうな、と下から目線で接していた訳だ。
研修がある程度、進んだ段階で例の同期がかなり苦しそうにしていた。心配になり声をかけた。
大丈夫ですか?
きっと大丈夫ですよ。慣れ親しみのないジャンルですもんね。業務の中で繰り返し使っていけば身に付きますよ。
─「そういうものですかね」
それにドキュメントが英文なので○○さんには言語的アドバンテージがあるからきっと習熟早いですよ。
─「そういうの、プレッシャーなんです。私、英語をちゃんと勉強してきた訳ではなくて。アドバンテージなんてないんです」
あっ...... いや、ごめん。
よくよく聞いてみると日本人学校に通っていた期間も長く、今は英語よりも日本語の方が得意とのことだった。後の祭りだが、勝手に期待してプレッシャーかけてすまんかった。
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。
ぼく:そうは思わないで終わる。暴力は別格
ぼく:???
ぼく:国ガチャ失敗した優秀な人たちに比べたら大したことない。あの人たちが踏ん張れるなら自分レベルが踏ん張れないのはおかしい(anond:20201126231416)
増田:キミが国ガチャ失敗したエンンジニアなんやで(anond:20201126235331)
ぼく:違うが?バイリンガルだったりトライリンガルで院卒で安月給で働いてたり、援助で極貧生活してないが?(anond:20201127004655)
増田:誉めてると思っている。怖(anond:20201127011143)
ぼく:???
元増田は最上級にヤバババでは無いけども、もう少しうちの親は何とかならんのか?マジでうちの親しんどいって話
別に増田自身が増田自身のことを最上級にヤバババ大変と思った上で新たに増田ツリーを作って愚痴ってもいいし、愚痴らなくてもいいし、
それは自由や
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71
この記事もアーカイブとしての言語学なのか、地域の人のアイデンティティのための言語学なのか、列挙してるだけなのか分かんなかった。
学者が研究しようが都会に憧れて方言を話す人はいるし、方言の中にも地方ごと島ごとに方言があるというのは学問としては良いのだろうと。
バイリンガルになってネイティブに馴染めないアイデンティティの問題っていうけど、それと方言は違うし、そもそもネイティブでも国語がうまく使えない人っているし。その人のアイデンティティどうすんの?みたいな。
朝鮮みたいに日本語強制させられて大変ってのは政治の問題。言語学じゃないだろと。そこで発生するのはアーカイブとしての必要性なんだろうし。
元記事では医療の話が出てたけどイヌイットの人とかは雪を表す単語がいくつもあるっていうよね。変えないと多分いけなかったんだよね。
津軽弁の寒さのためとか必要に応じて生まれる言葉もあるだろうし、そこの人が職業や体格的に話やすかった単語とかあると思うけどさ、なんかどっちにしても元記事よええなって思う。
生まれも育ちも九州で、薩摩弁とかほどではないけど方言がある。
地元県が舞台のとある漫画を読んでたら、方言に標準語で注釈がついてんのね。
当たり前なんだけど、それがないと多県民からしたら「?」ってなったりするのかなって思って、考えるとちょっと面白くなった。
あくまでも方言だから、別に文法とかが大きく変わるわけではないけど、単語レベルだとなんでそうなるんだ?っていうようなのとかよくあるじゃん。
でも普通に意味分かるし、方言⇔標準語で普通に変換できるわけじゃん。たまに一言で表せないニュアンスとかもあるけど。
で、こうやってインターネット上に放流する文章とか、知らん人と話すときとかは標準語を使うわけだけど、
この文章を書きながら、リアルで誰かに話し掛けられたらバリバリの方言で返事したりするじゃん。
すごくない?実質バイリンガルじゃん?外国語はてんでダメだけどさ。
備忘録に。
よく考えればコロナリスクの高い新幹線・飛行機・バスツアーから自家用車に切り替わったためだ。
寂れているほどでもないが、確実に例年の最盛期よりはだいぶ少ないだろう。
いなくなったのは外国人観光客・高齢者の団体客・小中学生の遠足で、オーバーツーリズムとは無縁だった。
スタッフは余力をもって落ち着いて客をさばき、家族連れのピリピリ感も少ない。
観光する側としては快適な混雑度だったものの、賞味期限の近いお土産を安売りしていたりなど、コロナの影響が影を落とす。
店員は特に口には出さないが、その代わりに池のカモがピィピィと必死に鳴きながら餌をねだる。
気の毒になって小遣いを放出した。
コロナ関連で比較的影響の少ない業種で、ここで経済を回すのは義務だと感じた。
次にいつ餌がもらえるかわからないせいか、引くくらいカモの食欲がすごかった。
後で知ったことだが、今回旅行した富士山周辺の道路はオリンピックの自転車コースになっていた。
コースであることを宣伝する弾幕の飾られた道路は、きれいに車線も引き直され準備をしているところだった。
本来であれば町を上げて選手を応援していたはずの田舎道も、のんびりと穏やかな時間が流れている。
来年の開催にリスケされたためか、今頃側溝の整備などもしている。
キャンペーンを利用したところ、ハイシーズンのこの時期にしてはかなり安かった。
しかも通されたのはオリンピックの訪日外国人客を想定してリニューアルしたばかりの上質な部屋だった。
キャンペーンの政治的な是非はともかく、いつもよりもランクが上の部屋にいつもより安く泊まれたのはいいことだった。
周りのふっつーのろう者にヒアリングしたので、その結果を踏まえて疑問にお答えします。
とはいえ私の周りには中高年ろう者が多いので若い世代の意見はそれほど反映できていないけれど。
あとみんなのコメントを見て思うんだけど、「ろう者は・・」つっても立場や年齢やらなんやらで意見は相当バラバラだよ。
聴者と同じようにね。
手話界隈めんどくせぇという意見を見たけどそれはマジでその通りだと思うw
☆☆☆
・聴者が聴者同士のコミュニケーションのために手話を利用することが「文化の盗用」「ろう者の権利や尊厳を損ねる行為」であるならば、聴者はオリジナルのハンドサイン体系を新たに構築する必要があるけど、めちゃくちゃ無駄だよね?
→無駄ですね。ただ「文化の盗用」と思っている人はろう者のなかでは少数派だと思います。
そもそも今回のニュース、私の周囲のろう者は好意的なリアクションが多数でした。微妙・・っていう人ももちろんいたけど。
広く言えば日本語対応手話だって聴者が作ったと言えなくもない・・
・日本語対応手話というすでに確立したメソッドがあるなら聴者が聴者同士でそれを利用しても別にいいよね?
→いいんじゃないでしょうか。私はその場にろう者がいないのに聴者同士で手話で話すのは恥ずかしいですが。
もちろんそう思わない人もいるってだけで。
・副産物としても、日本語対応手話を使える聴者は、少なくとも何も知らない聴者より多少はマシな存在だよね?
→少しでも・・・日本語対応手話だろうと手話ができるだけで「素晴らしい」「我々に理解のある聴者」と思う人が多数派です。
そう思わない人も以下略
・ろう者の多くはバイリンガルだろうから、聴者にとって比較的習得の容易な日本語対応手話を受け入れてもらうほうが助かる(=社会的コストが小さい)のだがそれとも聴者は日本手話も日本語対応手話も使うなと言っている?
・「俺たちの手話」を使うのはかまわんが手ぶらじゃ許さん、それなりの誠意を見せろ、って言っている?
→そう思っている人はいませんでしたね。
・なにがいけない?
→特にいけないことはないです。
・どうしてほしい?
☆☆☆
結構間違ってるなー
手話は日本手話と、日本語対応手話(文法は日本語と同じ、後天性失聴者がよく学ぶもの(増田がハンドサインって言ってる)
対応手話は保護団体がロビー活動うまいせいで利権もってるせいでデカい顔してる
増田の制限なのかこれ以上URLを貼れなくなってしまったのだけれど、いただいたトラバの中にどうしても読んでほしいものがひとつあるのでこの記事を読んだ人はなるべく目を通してほしい。目に触れないままだと残念すぎるので。
こっちも読んでくれ
漫画書くコツみたいなの読んで気付いたんだけど、二次内の会話って創作だから、テンポを重視してかなり端折ってるんだよね
漫画は省略の文化って、なんかえらい人が言ってた。Twitterで。
俺はこの省略された会話ばっかり触れてきたから、リアル会話でも二次文法で端折ってしまってなんかうまくいかないというわけ
これらの参考先も全部二次だからさ、空気読めないってそういう状態なんだね
社会生活に支障が出るので、改善するにはどうしたらいいか考えた
そして絶望した
俺が苦手なリアル会話文法を操るやつらと接して接して接して、赤ちゃんが言語習得するみたいに体で覚えるしかないんじゃないか
うわーん!はやく二次元になりたーい!