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はてなキーワード: 8月5日とは

2014-12-19

STAP論文不正はどのように暴かれて行ったか

2月5日〜14日の間に色々な疑念が噴出していますキーとなったのはPubPeerと2chスレのようです。

1月28日
小保方氏と笹井氏によるSTAP細胞研究発表の記者会見が行われる。 http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/topics/2014/20140702_1/140702_1_1_jp.pdf
1月29日
STAP論文を発表。2chニュース速報+スレが立つ。大方好意的コメントhttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1390999697/

1月29日Google 検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=stap%E7%B4%B0%E8%83%9E&biw=1252&bih=662&source=lnt&tbs=cdr%3A1%2Ccd_min%3A1%2F29%2F2014%2Ccd_max%3A1%2F29%2F2014&tbm=

2月5日
海外論文査読サイトPubPeerで画像不正が指摘される。 https://pubpeer.com/publications/8B755710BADFE6FB0A848A44B70F7D#fb6119 共著者の大和氏が脳出血で倒れる。
2月9日
2chの「捏造不正論文 総合スレネオ 12」の592がPubPeerについてレスをする。この時はまだ決定的な不正とは見なされていない。 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/life/1390498705/592-615
2月12日
2chの「STAP細胞の懐疑点」で画像不正が指摘される。 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/life/1391930940/69-92
2月13日
論文疑義があるとの職員からの連絡を受け、指摘理研が「研究論文疑義に関する調査委員会」を設置。2chニュース速報スレが立つ。 http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1392271386/ いくつかのまとめブログが立ち上がる。 http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2064.html http://blog.goo.ne.jp/lemon-stoism/e/5165039ad32d79f78cc947717358e015

2月13日Google 検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=stap%E7%B4%B0%E8%83%9E&biw=1252&bih=662&source=lnt&tbs=cdr%3A1%2Ccd_min%3A2%2F13%2F2014%2Ccd_max%3A2%2F13%2F2014&tbm=

2月14日
クマムシ博士ブログ論文画像データの不自然さを指摘。Livedoorニューストップになる。 http://horikawad.hatenadiary.com/entry/2014/02/14/090121 (元データ削除済み) 小保方氏は政府阿部首相意向で招待されていた総合科学技術会議を欠席。
3月10日
論文の共同著者である若山氏が論文撤回を呼びかけ。
3月13日
研究論文疑義に関する調査委員会」がデータの取扱が不適切な部分はあるが不正には当たらないとする中間報告を発表。
3月28日
早稲田大学が小保方氏の「博士論文についての調査委員会」を立ち上げ。
3月31日
研究論文疑義に関する調査委員会」が論文不正認定
4月1日
理研論文不正認定を発表。論文の取下げの勧告を含めた措置を明言。論文で報告されていないプロトコルを含めた「STAP現象検証」を開始。
4月4日
理研が「研究不正再発防止改革推進本部」を設置。
4月7日
小保方氏が入院
4月8日
小保方氏が弁護士を通じて論文撤回の不服申し立てを行う。
4月9日
小保方氏が記者会見を行う。「STAP細胞はあります」「200回以上作成成功していますhttp://www.huffingtonpost.jp/2014/04/09/stap-exists-obokata-said_n_5115861.html

4月9日Google 検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=stap%E7%B4%B0%E8%83%9E&biw=1252&bih=662&source=lnt&tbs=cdr%3A1%2Ccd_min%3A4%2F9%2F2014%2Ccd_max%3A4%2F9%2F2014&tbm=

4月13日
Yahooニュース投票で行われた小保方氏の記者会見に大しての投票で「納得できなかった」が50%を超える。http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/11241/result
4月16日
笹井氏が記者会見を行い「STAP"現象"」「生データノートを見る機会なかった」等の発言を行う。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140417-00000004-wordleaf-sctch&p=2
4月21日
大和氏がtwitterデータを削除
5月7日
研究論文疑義に関する調査委員会」が小保方氏の申し立てによる再調査依頼を実施しない方針を決める。
5月27日
小保方氏が郵送で完成版の博士論文を「博士論文についての調査委員会」へ提出。
5月28日
小保方氏らがレター論文撤回同意
6月3日
小保方氏らがアーティクル論文撤回同意
6月16日
研究室から発見された「ES」と書かれたラベルを張った容器に含まれ細胞遺伝子の特徴がSTAP細胞のものと一致。また若山氏が記者会見で「小保方さんだけは研究室にいなかったために、実験ノートを見る習慣がなかった。」「割烹着は見たことがない。」等の発現を行う。 http://news.livedoor.com/article/detail/8944520/

6月16日Google 検索結果

- STAP細胞証拠なし 共著者の若山教授日本経済新聞

https://www.google.co.jp/search?q=stap%E7%B4%B0%E8%83%9E&biw=1252&bih=662&source=lnt&tbs=cdr%3A1%2Ccd_min%3A6%2F16%2F2014%2Ccd_max%3A6%2F16%2F2014&tbm=

6月26日
小保方氏がメール博士論文デジタルデータを「博士論文についての調査委員会」へ提出。
7月1日
「STAP現象検証計画」への小保方氏が参画。期限は同年11月まで。
7月2日
ネイチャー誌に発表した2本の論文撤回される。
7月17日
早稲田大学の「博士論文についての調査委員会」は「博士学位を授与されるべき人物に値しない」と断定したが、学位の取り消しには該当しないとの結論を出す
7月23日
NHKの過剰な取材により小保方氏が負傷。
8月4日
理研不正論文共著者の処分について言及
8月5日
論文の共同著者である笹井氏が自殺

8月5日Google 検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=stap%E7%B4%B0%E8%83%9E&biw=1252&bih=662&source=lnt&tbs=cdr%3A1%2Ccd_min%3A8%2F5%2F2014%2Ccd_max%3A8%2F5%2F2014&tbm=

8月11日
責任著者のバカンティ氏が所属する病院麻酔科長を退任し、1年の長期休職に入る。
9月1日
理研が「STAP現象検証」の中間発表として、出現が認められないとの発表を行う。
9月3日
理研研究論文疑義に関して外部有識者のみにより構成される調査委員会による本調査を開始。
10月7日
早稲田大学により小保方晴子博士号取消が決定。ただし1年程度の猶予期間あり。
11月31日
小保方氏によるの「STAP現象検証」が終了。
12月15日
小保方氏が12/21付けの退職願理研に提出、受理される。
12月18日
小保方氏による「STAP現象検証」失敗との報道
12月19日
理研記者会見を行い「STAP現象検証」において行った48回の実験全ての失敗が発表され、3月まで行われる予定だった小保方氏以外の検証実験も打ち切られる事となった http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000517-san-soci

12月19日Google 検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=stap%E7%B4%B0%E8%83%9E&biw=1252&bih=662&source=lnt&tbs=cdr%3A1%2Ccd_min%3A8%2F19%2F2014%2Ccd_max%3A12%2F19%2F2014&tbm=


最後感想。私は今回の事件シェーン事件ES細胞論文不正事件といくつかの点で共通点があると感じました。


なお、理研による公式の発表はこちらにまとめられています

http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140327_1/

2014-08-06

なにを取り消したかどこにも書いていないじゃないか。

何かを取り消したとはかいてあるが、どの記事とどの記事が取り消され、どれが取り消されていないのか分からない。

ジューグンイアンフに関係した記事かどうか、取り消された記事かどうかは、第三者客観的に決められるものではなく、朝日新聞社責任をもって特定して発表するしかないものだ。

どこかで引用したり信用して読んでいたものが、あとから「あれは取り消された記事に含まれてました」とか言われても困るので。

したがって私としては1982年9月2日以降、2014年8月5日までの朝日新聞に掲載されたすべての記事が信用できないというほかない。

このままにするなら、この期間の購読料を読者に返還するべきだ。

朝日新聞の読者諸君、君たちが読んでいたのはくおりてぃぺーぱーではない。紙屑だ。

朝日新聞慰安婦報道検証

http://www.xanthous.jp/2014/08/05/asahi-women-working-in-military-brothels/

2013-08-03

バカッター騒動】時系列まとめ(追加情報あり)

ローソン アイスケースに侵入】 

6月17日勤務外だった男性アルバイト店員が冷凍庫の上部のふたを外して中に入りアルバイト店員の友人が撮影

6月18日アルバイト店員本人がFacebookに掲載

6月19日巨大掲示板に書き込まれるが大きな騒ぎにはならず

・(ローソンは厳重注意で処分済み?)

7月14日午前中に巨大掲示板で改めて話題となる

・瞬く間に拡散し、ネットニュースにも取り上げられる

7月14日午後にはローソン本部にクレーム殺到

7月15日大手マスコミでも報道され全国区ニュースとなる

7月15日午後ローソン謝罪 http://www.lawson.co.jp/emergency/detail/detail_78348.html

・当該店のFC契約を解除

備考:高知鴨部店(高知県)、オーナーの息子 21歳 アルバイト

バーガーキング バンズの上に寝そべり】

6月24日閉店後に撮影

6月25日Twitter投稿

8月1日炎上

8月2日バーガーキングジャパン謝罪 http://www.burgerkingjapan.co.jp/release/pdf/20130802.pdf

備考:野猿街道東中野店(東京都)、明星大学偏差値45〜47)19歳 学生アルバイト

ほっともっと 冷蔵庫バイト侵入】

6月28日Twitter投稿

8月3日炎上

8月3日ほっともっと謝罪 http://www.hottomotto.com/news/view/52

・侵入したバイト解雇

備考:豊川八幡店(愛知県17アルバイト店員

ファミマ 防犯カメラに写った有名人画像バイトTwitter投稿

7月15日朝9時40分ごろ香川真司来店

7月19日アルバイト防犯カメラ画像Twitter投稿  

7月20日ファミマ謝罪 http://www.family.co.jp/company/news_releases/2013/130720_1.pdf

7月20日付けで大学生はクビに

備考:木村入生田店(神奈川県)、神奈川大学偏差値50〜53)19歳 学生アルバイト

ミニストップ 開脚股間スキャナー当て】

7月19日Twitter画像投稿される

7月22日にはすでに対処済み?

8月5日Twitterで再び炎上

男性従業員はすでに解雇

レジは清掃、消毒

ミニストップ警察通報済み

備考:東京国際大学偏差値40〜43)学生アルバイト

ミニストップ アイスケースに客が侵入】

7月23日Twitter上にうp

7月25日ミニストップ謝罪 http://www.ministop.co.jp/content/important_info/20130725_kokuchi.pdf

ミニストップ警察被害届を提出

備考:向日寺戸町店(京都府)、客は京都翔英高校偏差値35) の二年生

丸源ラーメン バイト冷凍ソーセージくわえネット投稿

8月4日17時40分ごろTwitter投稿

8月4日夜にはTwitterおよび巨大掲示板炎上

8月5日丸源ラーメン謝罪 http://www.monogatari.co.jp/sys/news/wp-content/uploads/sites/5/2013/08/1a7384040854ac94e6ed61d9743a0c50.pdf

備考:門真店(大阪府)、大阪府立門真なみはや高校偏差値48)二年生 アルバイト ※16歳と17歳の二人

【ブロンコビリー 冷蔵庫in】

8月5日22時50分ごろTwitter投稿

8月6日深夜にはすでに炎上

8月6日ブロンコビリー謝罪 http://www.bronco.co.jp/wp-content/uploads/sites/4/2013/08/054c9795c46b717646a138188af85ac4.pdf

8月6日当該店舗の休業期間のお知らせ http://www.bronco.co.jp/wp-content/uploads/sites/4/2013/08/d9afd3fdf097d2ed405cf8f543efdbcd.pdf

・店内を消毒したうえで当面の間休業、店員は解雇する方針

備考:足立梅島店(東京都)、大原専門学校東京校保育科 18歳 学生アルバイト

2011-12-25

東海地震2022年8月5日金曜日

東海地震2016年8月5日金曜日予言が外れたら、

東海地震は2033年8月5日金曜日

現在のところ、東海地震は、今年2011年3月11日の東日本大震災ほどの大災害には、成らないそうですが。

予言は、人の不幸を祈った悪魔信者には、伝えたくありません。

子供を作ら無いで、世界平和を成し遂げましょう。

キリストの復活も、仏教の来世も、信じ無いで、永遠に生きましょう。

夢見る安定した夫婦に成長し常に安全に過ごしましょう。

マグマ溶岩の拡大が地球温暖化と信じ、温暖化地球人間が誰も住め無く成った後の、宇宙移民時代宇宙船エンジンの原料である水素の元の水を大事に過ごし、地球太陽の様な灼熱のガスの惑星と成った後も、安全に過ごしましょう。

マグマの冷却には勿論期待していますが、永遠の命のために最悪も想定し、子供を産ま無いで生きましょう。

2010-07-14

ヘルニア入院日記

2006年の夏、建設現場日雇いバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。

新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。

僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。

その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。

部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。

ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。

ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。

それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。

なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。

近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。

技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。

技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。

レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、

「なんでこんなになるまで放っておいたの?」

といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、

「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」

と、慰めてくれました。

診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。

仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。

入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。

ヘルニアってそんなに重い病気なのかと。

しかもTシャツパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。

ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生男の子と70くらいのおじいさん2人でした。

 

8月2日 入院初日

ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。

小林さんというそ看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。

とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。

説明が終わり、最後に

「オシッコとか大丈夫?」

と聞かれました。

大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。

「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」

「ちょっと待っててね。」

小林さんはすぐ戻ってきました。手には尿瓶を持っています。

何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。

僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。

自分でやります。」

僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。

無理でした。

「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」

小林さんはそういうなりペニスを持って尿瓶をあてがいました。

ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。

長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。

小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。

今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」

そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。

 

尿瓶を片付けに行った小林さんはまたすぐ戻ってきて、

「痛み止めの座薬いれるね。」

さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。

「すぐ済むから我慢して!」

座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。

「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」

小林さんは戻っていきました。

 

それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。

ダメでした。

ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。

ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。

 

昼ごはんおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。

「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」

そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。

 

この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。

おしっこがしたくなりナースコールを押しました。

やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。

今井さん、どうしましたか?」

ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。

「すいません。オシッコしたいんですが。」

その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。

昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。

それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。

ようやく小便が出始め、ほっとしました。

「よかったね。」

そういって戻っていきました。

 

8月3日 入院2日目 

朝食の後、清拭がありました。

近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。

「オシモのほうは洗いますね。」

そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。

包皮もむいて亀頭部分もゆっくりと洗ってくれました。

勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。

 

8月4日 入院3日目

依然として起き上がれず、つらいです。

入院してから一度も大便をしていません。

 

8月5日 入院4日目

まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。

 

8月6日 入院5日目

今日こそベッド上で排便しようと試みました。

でもだめです。いくらきばってもでません。

浣腸しよう。もう限界よ。恥ずかしがってちゃだめよ。」  

小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。

「5分我慢してね。」

とのことだったので必死で我慢しました。

小林さんは僕のお腹をさすりながら

「まだよ。まだよ。」

と囁いています。

5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。

小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。

「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」

小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女笑顔に救われたように思います。

「お尻洗うね。」

なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。

小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。

今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」

小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。

おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。

 

8月7日 入院6日目

腰にブロック注射を打つことになりました。

ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。

それで全身麻酔を打ってからということになりました。

 

麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。

 

目が覚めたのはそれから3時間後の夜7時頃です。

なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。

勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマー川上さんです。

「目が覚めたんだね。どんな具合?」

「まだ、身体に力が入らないです。」

ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」

川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。

「ちょっと確認するね。」

ふとんをはがしT字帯をとりました。

ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。

今井クン、おちんちん痛くない?」

「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。

 

「抜いちゃうね。」

そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。

痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。

なんというか、射精寸前のような感じです。

「あっ・・・・」思わず声が漏れました。

「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。

「あ、いや、そうじゃなくて・・・」

「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。

しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。

「洗うね。」

「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」

必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。

ダメだよ。カテーテル取ったらちゃんと洗わないと。」

そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。

「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」

僕は観念して彼女に身を任せました。

 

川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。

僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。

そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。

(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)

そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。

(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)

ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。

「あ・・・、くっ・・・。」

言葉にならない声をあげてしまいました。

「熱かった?大丈夫?」

「はい、大丈夫です・・・。」

川上さんはガーゼ石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。

ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。

彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分オナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。

「あっ・・・。」

「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」

彼女左手の中指がアナルをほじるような動きをしました。

 

「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。

「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」

新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下ゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。

「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。

左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。

「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。

「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」

言いながら、川上さんの右手亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。

総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。

「ここは念入りにしないとぉ・・・」

過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。

もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。

「あーっ・・・・!!」

信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。

身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。

今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」

そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。

「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」 

ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。

今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」

川上さんはさらに手の力を弱めて、まるで羽毛で撫でられているかのような加減で亀頭や陰茎を撫で回しています。

2010-01-31

朝鮮進駐軍

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概要

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人韓国人)、もしくは現在日本帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後日本ポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物不法占拠鉄道飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民朝鮮進駐軍犠牲となり殺害されたとされている。

朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍パイロット軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日朝鮮人連盟。更にこれが在日大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在民団朝鮮総連となる。

時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感犯罪者といったイメージ日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎大阪神戸都心等当時朝鮮人比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗密売土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地建物の収奪も相次いだ。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバートアイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

阿仁村事件(1945年10月22日

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日1946年1月9日

直江津リンチ殺人事件(1945年12月29日

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日

富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日

坂町事件(1946年9月22日

新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)

首相官邸デモ事件(1946年12月20日

尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日

阪神教育事件(1948年4月23日~25日)

評定河原事件(1948年10月11日~12日)

宇部事件(1948年12月9日

益田事件(1949年1月25日

枝川事件(1949年4月6~13日)

高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)

本郷村事件(1949年6月2日~11日)

下関事件(1949年8月20日

台東会館事件(1950年3月20日

連島町事件(1950年8月15日

第二神戸事件(1950年11月20~27日)

四日市事件(1951年1月23日

王子事件(1951年3月7日

神奈川事件(1951年6月13日

下里村役場事件(1951年10月22日

福岡事件(1951年11月21日

東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日

半田一宮事件(1951年12月3日~11日)

軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日

日野事件(1951年12月18日

木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)

姫路事件(1952年2月28日

八坂神社事件(1952年3月1日

宇治事件(1952年3月13日

多奈川町事件(1952年3月26日~30日)

田川事件(1952年4月19日

岡山事件(1952年4月24日5月30日

血のメーデー事件(1952年5月1日

上郡事件(1952年5月8日

大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)

広島地裁事件(1952年5月13日

高田派出所襲撃事件(1952年5月26日

奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日

万来町事件(1952年5月31日6月5日

島津三条工場事件(1952年6月10日

醒ヶ井村事件(1952年6月13日

葺合*長田事件(1952年6月24日

吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)

新宿駅事件(1952年6月25日

大須事件(1952年7月7日

舞鶴事件(1952年7月8日

五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献

法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年

横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動1955年

大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年

新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年

名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年

瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年

山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年

宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年

大阪府警察編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年

警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年

兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年

愛知県警察編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年

青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年

坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年

警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年

仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年

長崎県警察編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年

李瑜煥『日本の中の三十八度線民団・朝総連歴史現実―』1980年

福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年

山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年

警察文化協会編『戦後事件史』1982年

日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年

講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年

朴慶植解放在日朝鮮人運動史』1989年

百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年

金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年

荒敬『日本占領研究序説』1994年

百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年

竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年

秋田魁新報1945年

神奈川新聞1951年

西日本新聞1951年

『中部日本新聞1951年1952年

大阪新聞1952年

京都新聞1952年

神戸新聞1952年

山陽新聞1952年

中国新聞1952年

コピー終わり。

2007-09-20

やっと秋の入り

いやまあ今日天気は夏といいたいような気温らしいですが

しかし平均気温だけで考えるならば8月5日あたりが夏至なわけで、そこから1ヵ月半経った今日あたりから秋なわけで。

要するに二十四節気なんか納得できるか!という、以前も投げたエントリーの再来なわけでして。

8月7日ごろが立秋とか、9月23日ごろが秋分とか、いくらなんでももっと気温主義寄りに変えないか?

2007-08-05

仕事】「いいじゃない、人が笑ってる顔って」【笑顔

「この仕事楽しいですか?」 加藤ローサ

「いいじゃない、人が笑ってる顔って」 志村けん

日刊スポーツ 2007年8月5日

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