「オリジナリティー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オリジナリティーとは

2015-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20150908025803

「T」に見えるのはなぜかという文に、まんま「T」に見えないっておうむ返しのようなオリジナリティーに欠ける文章ですね。

せっかくなので、デザイナーを唸らせる文章どうぞ。

五輪ロゴコメント見ててエセ科学信者を思い出した

五輪ロゴ類似問題について、以下のブログ話題になっていました。

◯よくわかる、なぜ「五輪リエージュロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

あくま五輪ロゴベルギー国立劇場ロゴに絞った話ですが、

一般国民の私にも大変分かりやすく書かれています

ロゴの成り立ちが違うのも分かりやすかったですし、

何より文章が丁寧で読んでいて楽しい文章でした。

が、コメント欄を見ると

「今のデザイナー図面鉛筆で引けずオリジナリティーが無い」や

「ここで書かれているような類似性に関する分析なんて、もはやどうでもいい」など

ブログ主題からずれた反論で溢れています

私もフランスパンぱくった時点で佐野氏はアウトだろと思っていますが、

ここで語られている話とは論点がずれすぎてます

しか最初に「問題を切り分けるために、トートバッグ空港写真などの盗用問題や、ロゴの良し悪し、作者の人格審査委員会のもの等については、本稿では扱っておりません。」と書かれているにも関わらずです。

で、何かこの感じ見たことあるなーと思ったら、反エセ科学記事に対するエセ科学信者コメントにそっくりだと気付きました。

・主張と違う論点反論する

自分(または他の人)が良いと思っているから正しいと主張する

業界自体が間違っていると言い出す

人間自分の信じたいものだけ信じると言いますが、

ここまで行くと酷いものだなと思った話題でした。

2015-09-01

ある意味アート

スタッフがパクりましたって言ってたけど、

誠実な人間ならそのスタッフ過去に携わった作品

すべて調査するよね。他にもパクってないか。

それをしない時点で自分デザインオリジナリティーなんて気にしていない証拠

世間疑惑を抱いている中で

パクってないとする証拠を更にパクって出してくるあたり

ある意味アートですけどね。

こそこそしてないで堂々とやってくれればもっと面白いのに。

2015-04-08

何故Web面白くなくなったのか

オリジナリティーがないから

ヒットしたサイトを真似て第二のサイトを作るのが何がいいの?

二番煎じサイトなんてほとんど似たような感じだよね。

これで俺達はすごいですみたいに思っているエンジニアがいたら今すぐ退職願を出して転職したほうがいい。

ネットにこれ以上ゴミサイトを増やすな。

とくにソーシャルゲーム業界さん、あんたらはひどいよ、日本ダメにしている。

2014-10-04

ライトノベルの「ライト」って何なんですかい

http://anond.hatelabo.jp/20141001193557

「そういうことはな、聞いてみるもんだよ」

「ご存じなんで」

「もちろん」

「聞きましょ」

「あれはな、まず、登場人物でも物語の設定でも

 セリフの背景にある心理でもなんでもいい、

 既存コンテンツが作り上げてきた財産があるだろ」

「」

「つまり汎用性の高い複数プログラム

 再利用可能な形でひとまとまりにしたものだな。

 一般にそれ単体ではプログラムとして動作させることはできないので

 実行ファイルではない。他のプログラムに何らかの機能提供する

 コードの集まりと言うことができる」

「……何か読んでるね? ウィキペディアの『ライブラリ』の項目かい?」

「つまり、既成のコンテンツの『ライブラリから借りてくる。

 登場人物描写を作者のオリジナリティーが生むのではなく、

 過去のブンガクの蓄積という『ライブラリから借りてくる、

 だからライト』呼ばわりされる」

「ふーん」

「ドヤ」

ちょっと聞きますが、ライトノベルの『ライト』の話ですがね」

「うん」

「いまの、『ライブラリ』? 『ライ』はあるけど『ト』が無いね

「」

「それはどういう?」

「……あれは『ト』ではない」

「ほう」

「……あれは水トちゃんの『ト』と同じで、本来は(ボク)と読む」

「」

「新たなコンテンツを作るにあたって

 ライブラリにあるネタを使って

 一人称をボクにして書く小説、これを

 『ライ』『ト』ノベルというわけだな」

「……」

「……よそで言うんじゃないぞ」

2014-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20140603210933

流行なんて、合った時期があるんだろうか。(ライトノベル

たまたま一発あてる作品があると、その類似品がどわっと出てきて(オリジナル作の)ジャンル死ぬ。という現象はしょっちゅうだけど

これが流行!なんて物は見たことがない。

一発あてる作品は大抵、流行外でみんなが飽きていない所で流行ものから流行から流行ったわけじゃない。

言い方を変えると、流行ジャンルはみんな飽きているわけで・・・そこに新作を出しても買いたくない。

 

ようするに、流行じゃない新しい感性が欲しくて、ライトノベルを読んでたのに、わざわざ流行モノを出すようになれば

そりゃ萌え系じゃない(エロ目的じゃない)読者が離れるだろ。

いわゆる流行に乗るタイプだったら、アキバ系なんてやってなくて、リア充になってるだろ。ライトノベルに払う金で服でも買ってるよ。

流行ってるジャンルライトノベルの新作はいらない。それを買うならそのジャンルをはやらせオリジナルを買う。

ライトノベルに欲しいのは、常に 新しい感性オリジナリティ

オリジナリティーにあふれる分 文章ライトでもいいよって話。

2014-03-24

Made in Japan といえば 品質の良いパクリブランド

戦後しょうがないんだけど

その過程オリジナリティーが生まれればよかったけど

すっかりパクリだらけになった。

 

パクリが許されたのは戦後からだろうに。

先進国になってまでパクリを許していたらとんだ野蛮な国だ。

2014-03-19

はてブ一言コメントを残しまくるのはずっとそうだった奴だけでいい

ブログとかツイッターとかで少し前までブイブイ言わせてた人が、いつの間にかはてブ一言コメントを残しまくるだけの存在になってるのを見ると悲しくなる。

そういうのははてブコメントを残すことしか出来ない人間けがやればいいことなんだと俺は考えてる、そこそこ出来るアカウントがやることじゃない。

だってそうだろ、とある人が「ワイドショー劣化コピー」なんて行ってたけどまさにそれじゃないか。

かってにじみ出ていたお前のオリジナリティーや「俺が俺のネタでお前らを楽しませてやる」って情熱はどこに行ったんだよ?

そりゃ元から大したことがないし、大したことがある振りすらしてこなかったどこぞのアカウントはてブ世間話ばかりするようになるのは特にかまわんよ。

だけど、「お前は違っただろ、お前は世間話をするにも他人の褌借りて一回シコ踏んでそんじゃ次の褌ってやるようなアカウントじゃなかっただろ?

他人の褌借りるにしても横綱相撲とは言わなくても常にある程度以上格好の付いた立ち回りをして見せてくれてたじゃないか」って、

そう言いたくなるアカウントがただの一言コメンターになるのは、人間が隙あらば簡単に劣化してしま存在なんだとまざまざと見せつけられてるようで辛くなる。

2013-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20131225160134

増田は、神話にまで遡る気か。海外言語の全てまで訴求するつもりか。日本語だけで考えるなよ。

世の中の物語の全ては既出である可能性を含んでいる。完全なオリジナルは難しい。そもそも AIという概念のものが借り物だ。

 

大切なこと既出かどうか?じゃない。素材をどう料理して、どういう物語にしたか?だ。アレンジ重要。そして原作があるなら原作へのオマージュ創作なら創作としてのオリジナリティ

このオリジナリティーというのは完全に他に類似しないという意味じゃない。

既存文化を噛み砕いて、自分なりに解釈した部分を付け加えられて、自分なりの世界観になったかどうか?だ。

 

パクリっていうのは、既存文化を噛み砕かず、勝手解釈をして、自分勝手に付け加えて、元の文化台無しにしたものといってもいい。

もしくは、そのまま流用だな。

変な話だがたとえば登場人物の男性女性を逆にしただけ、というのは、噛み砕いてないし、解釈を付け加えてないかパクリだな。

2013-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20130727223418

まあ、はてブなんて、普通に本気で書いてある記事も嘘ばっかりだったり

それこそ本気で妄想してる記事で、それに賛同してる信者が居たりするから

そっちのがよっぽど有害だとは思うけど、

確かに、虚構新聞が他の媒体で他のニュースと同じように流されてる時があって、

そういう時はその媒体に対してふざけんな!とは思うな。



それにしても、最近虚構新聞真似してるサイト増えてきたよね。

別にあれ自体、それ程オリジナリティーがあるものでもないから構わないと思うけど、

それこそ、虚構新聞以上にこちらとしてはマークとかくらいで見分けが簡単につかなくてたまにビビる事があるから

ちょっと困る、と思うことはある。

2012-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20120802134507

多様性のためなら、この国で餓死する方がオリジナリティーあると思います

生活保護とか、ニュースに出まくって飽食気味なので。

もしくは、チベット行って仏僧になるとか。

2012-01-15

通学路を横に広がって歩いていると、 近所の人から学校通報される。

虫が出ると授業一旦中止のお知らせ

持ち込み禁止のケータイが鳴った時のクラスの団結力は体育祭以上

男の子ではなく中身はおっさん可愛い女の子が大好き

バレンタインは何も起きない

若い女性教師は遊ばれ

中年女性教師はキモがられ

おばあちゃん先生は可愛がられる

男子校出身者の笑い方全力手を叩く

夏場は上半身を曝け出す生活先生にみっともないからやめなさいと怒られる

中身はおっさん

座ってる男子の膝の上に座る座る方も座られる方もリアクションなし

かっこいいのに頭おかしい子が多い

ホモは絶対いる

年代女子から悪影響を受けずに「健全に育ってほしい」という親の願い から送り込まれるが、女子の目が無いのを良いことに色んな事を色々サボる

結果、共学の男子よりもガサツで大胆になる

テスト前は先生を質問攻めにして

テスト内容を吐かせる

進学校と言われるが金持ちもいるし貧乏もいる

休み時間ズボンおろす

ちんこ揉まれる

ほとんどが股ひらいて座ってる

先生の雀荘巡回が多い

恋バナじゃなく男でも引くレベル下ネタに発展する

早弁

休み前に弁当完食

暑い日は下敷きぱたぱた

先生より偉そう

体育祭ガチバトル

後輩に惚れる

基本的に彼女ができない

共学に行ってみたかったな?って

言うけど心の中では結局男子校で良かったと思っている

授業うけたくなくて、先生3分で終わる小話を50分引き延ばすクラスの団結力は異常

男子校出身です。って言ったら 「男の子じゃん」って必ず言われるが、 実は八割型オッサンしかいない

ギャグに走りすぎて、塾で見るふんわり系男子に敵対心

男の子がいたら挙動不審

着替えるときは窓まで開けっぱ

スカートめくり流行

変人率高め

チンコが透けても気にしない

夏は教室中が汗の匂い

休み時間に着替えてて女の先生入ってこようとする→喜ぶ

奇声を発する子はクラスに三人はい

男の先生童貞包茎か必ず聞く

更衣室?なにそれ

自分専用ティッシュ箱を持ってきて、授業中にしてオリジナリティーを出す

意外といじめがない

共学の男の子に「男子校ってこわい」 と言われるけど、正直共学の方がこわい


こんなところです。

男子校に夢を持っている人は諦めてください。

男子校に通おうとしてる人は迷わず通ってください。

男子校に通ってる人は楽しく過ごしてください。

男子校最高\(^o^)/

2010-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20100923233529

ちなみに、オリジナリティーっていうのは

『想定された読者層のおそらく知らないであろうネタ元から失敬する』という意味だ。

素人っていうか普通の人って絶対にこれを認めようとしないよね。バレなきゃいいと思ってんのかみたいな。いいんだよw

で、あんたはそれがおかしいと思ってるのか?だとすればプロじゃないなw

2010-09-23

作家になったけど。

作家になったんだけどね。

一応、専業でメシを食えるだけのインカムがあるからこう名乗ることは出来る。

とりあえず、今年と来年までは筆でメシを食えるんだけども。

まぁ、なんというか「作家」というのは個人ではないよね。

ぼくが書きたいものが、出版社の売りたいものとマッチした。あるいは出版社が考える売れそうなものと

ある程度似通った。受賞、あるいはデビューの切欠なんていうのは早い話そういうところで、

技術論や努力やセンスなんていうのはほとんど関係ない。

それを言えば、とりあえず一番デビューの簡単そうな業界、それでいて収入につながりそうな業界を狙い撃ちして

どんな作品が市場に求められているかだけを考えて作品を作ったぼくも悪かったから

業界がどうのこうのと言う権利は初めからないんだけども。

つまるところ、文章力ストーリーメイキングなんていうのは傾向と対策、それに現状売れている作品のアレンジ

99パーセントどうにかなってしまう。ぼくは作家として幾つか本を出して以来、自分クリエイターだと思えたことが一度もない。

エディターなんだろうと思う。サンプリングアレンジが全てだ。

もちろん、このサジ加減に関しては職人技が必要で一歩間違えると大変悲惨なことになる。

出版社サイドは大変悲惨なことになったところで、作家(それも多くの場合新人)を一人切れば済むので、

その辺りのアクセルを盛大に踏み込む事故を避けるインセンティブがないから。二匹目どころかダースで泥鰌を狙う。

作家にとって一番大事な作業は、そこで踏み込みすぎないこと。なんとか折り合いをつけることだ。

これに関してはとことん神経が磨り減る。「こういう風に書け」と言われて渡された参考資料(笑)

近づき過ぎず、遠ざかり過ぎずオリジナリティー(笑)を付与する。ちなみに、オリジナリティーっていうのは

『想定された読者層のおそらく知らないであろうネタ元から失敬する』という意味だ。

まぁ、仕方ない。それがプロというものなんだろうと思う。

日々色んな本を読み、これとこれは使える、使えない。物語の形式はこの形でここの部分をちょっとひねって・・・

みたいに考える。これはクリエイティビティーとは何の関係もない職人技だ。うんざりする、やりたくなくなる。

しかし、メシを食わないことにはやっていけない。はてな愚痴を書くにも身バレしないように気を使い、適宜嘘を織り交ぜる。

そういうことを繰り返してるうちにいずれ売れなくなって、俺は死ぬんだろーなぁと思う。

仕事というのはなんであれそういうもので、作家まで来ても結局一緒で、どーしようもないんだろうなぁ。

2010-08-26

議論するなら2ちゃんねるよりTwitterのほうが向いている

別のタイトルを考えていたけど、文字数オーバーだったから釣りっぽくこっちに。

さて、つい今し方、「 議論するならTwitterより2ちゃんねるのほうが向いている - A Successful Failure」というエントリを見たのでその反論。

http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20100825/1282742633

まずこの方の意見をまとめると

つぶやきツールとして設計されたTwitterはそもそも議論に向いていない。議論は分散しがちで、2ちゃんねるに比べて知の集積の効率は悪い。

ということらしいけど、その結論に誤りがあるのはそれぞれのアーキテクチャに対する認識が甘すぎることによる。

集合知に必要な四つの要件

上の人はスレッドが1000レスで打ち切られることを重く見ているようだけど、そのことは本質にはまったく関係がない。

一番重要なのはいうまでもなく、議論の性質である。

2ちゃんねるは完全に匿名であり、場合によってはIDすら表示されないことがある。当然それぞれの書き手のバックグラウンドは互いにはわからない。

J.スロウィッキーはかつて「集合知が発生するためには、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の四つの要件が満たされる必要がある。」と書いた。

つまり、不特定多数意見を言い合う場を有意義なものとするためには、これら四つが必要である。が、2ちゃんねるにおいてはそれらが充分に確保されていない。

一つずつ見ていこう。

意見の多様性

2ちゃんねる匿名であるがゆえに自由に意見を提示できると思われがちだが、実際には見えない大きな力に左右されていることが多い。

上の人の紹介する『アーキテクチャ生態学』にも書かれてあるとおり、2ちゃんねる集団主義/安心社会型のソーシャルウェアである。それが個人主義/信頼社会型である欧米2ちゃんねるのような匿名掲示板流行しないゆえんであろう。

歴史的に見れば、2ちゃんねる匿名であるがためにお互い空気を読みあって秩序を保っていく必要があった。そのために、AAコピペ等の内輪の文化を醸成させ一体感を求め、部外者を排除してきた。

このような文化的背景と匿名という性質からは突出したオリジナリティーは出しにくく、自然プレイヤーは均一化されるため、多様性が認められることは少ない。

意見独立性(他者の考えに左右されない)

これも2ちゃんねるの集団的性質に依拠する。2ちゃんねるは個をエンパワーメントさせるものではなく、むしろ発言者を反撃不可能な安全地帯の中に埋没させる。

そこでは見えない多数派の意見が支配的となり、少数派はその渦の中に巻き込まれ、自らも多数派の意見同調するかもしくはその場を去ることを余儀なくされることになる。

例えば、「ニュース速報」板においては、斜に構えた反社会的意見が多数派とされる。そこで社会経験豊富な大人がまっとうな意見を書き込んだとしても、そんな豆粒のような匿名の書き込みは大きな流れの中ではまったく注意を喚起しない。

繰り返すが、匿名掲示板は個人が主張を行うためのものではない。

意見の分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)

ネットの性質上、プレイヤーはそれぞれまったく異なる環境に身を置いているため、分散性は確保されていると言えるかも知れない。

ただ、それにより意見が対立した場合は、支持者とアンチというように単純に二極化され、無意味レッテル張りと根拠のない中傷により議論はさながら罵倒合戦の様相を呈すことになる。

意見の集約性(個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズム存在)

意見の集約に関してはいわゆる「コピペブログ」であるとかスレ冒頭のテンプレなどが存在しているが、それらの書き込みはいうまでもなくある個人によって我田引水な思考によって選抜されており、その者の主張を多数の意見引用によって代弁させているにすぎない。

また、そういった悪意がなかったにせよ、少数派の意見吟味されることは稀であり、多数派の意見を流れに沿ってまとめているだけに過ぎない。

このように、2ちゃんねるはそのアーキテクチャ上の制約により到底自由闊達意見の場であるとは言えない。

このアーキテクチャにおいて、議論は不可能だ。そのために2ちゃんねる時代遅れになっているのは否めないが、断続的に情報提供されている事に関しては充分に利用価値がある。

実際にコピペブログを閲覧するにしても、ニュース系やアニメゲーム感想系の「議論によって充分に洗練されていない素人的で極端」な“意見”は毛ほども参考にならないが、VIPや専門板の豆知識には膝を打つことも多い。

Twitterアーキテクチャ

本来的には「つぶやきツールとして設計されたTwitter」は議論に向いていない。

けれど、日本で使用されているtwitter本国のそれとは異なっている。

周知の通り、同じ140字の文字でも日本語では英語に対して2から3倍の内容を詰め込むことができる。アメリカではマイクロブログとしての利用が主だが、日本では一つ一つがブログエントリそのものである。

多くの人が一つないし二つのツイートでその主張を完結させている。

そしてそれに対してリプライすることで相互のコミュニケーションは可能となる。

ネットの利点と言えば不特定多数の人とコンタクトできることであるが、人間の脳リソースには限界があり、数百人に及ぶ意見を公平に処理することはできない。

ぶっちゃけて言えば、多くの人の意見は取るに足らない。集合知を発生させるために多くの意見を集約させ平均化させることができればそれが理想だが現実には不可能だ。有意義に議論するためには発信者側がその反論者を取捨選択しなければならない。

そのため、過去の発言をさかのぼって優秀な書き手を選び取れるブログtwitterに勝るツールはない。

また、同様にハッシュタグを用いて広範な意見を取り入れる必要もない。有識者は同じく前提知識を持つものと生産的な議論を続ければいいし、それがtogetterという形で世に出ることで公共の財産となる。

私は私で、同じレベルの人と有意義に議論することに努めたい。頭のいい人の効率を下げたくないし、馬鹿に重箱の隅をつつかれて妨害されたくもない。

まとめ

2ちゃんねるアーキテクチャに支配されている限りは独自性のある意見をいうことはできないので議論には不向き。アトランダムで単体の情報の仕入れ先にすべし。

Twitterは万能ではないが、建設的な意見を交換し合うことに関しては分がある。

2009-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20091124090909

とりあえず元ネタ何だろうとググってみたら「被害者の複雑な心境」うんぬんを書いたのはブロガーの「アウルヤン」って人らしいね。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1121&f=national_1121_004.shtml

同じ記事の中でも韓国人ブロガーの「ブルー」って人は

「魅力的な主人公、主演を引き立たせる脇役、オリジナリティー溢れるストーリー、読む者を楽しませてくれるユーモア、そして道徳的なテーマなど全ての要素を持ち合わせる作品だ」と作品を高く評価し、「作者である荒川弘氏は本当に才能があると思う。一体どこからこのような優れた人間誕生するのだろうか」と語り、この作品を通して日本漫画界の底力を感じたと語った。

ってベタ褒めしてるのに、そちらは取り上げずにアウルヤンの発言を韓国代表みたいに語るのはあまりにも不適切だよ。

2009-11-04

働いていて、幸福なことは「優れた上司」に巡り合えることだ。

「優れた上司」とは、一言でいえば、自分自身も仕事ができて、自分の持っている知識や技術ノウハウを惜しげもなく後輩に教える上司である。そして、部下や後輩の成長を心の底から喜べる人間である。「優れた上司」は、まず仕事に関して「自分の模倣」をさせる。それが基本。その基礎の上に、今度は部下自身のオリジナリティーを積み上げる手助けをするのである。決して、自分クローンイエスマンをつくったりしない。

反対に「ダメ上司」とは、どんな人間か。それはズバリ、「嫉妬心」と「猜疑心」の強い人である。そのタイプは、人間観察の素材としては絶好の対象だから、しっかり見ておくこと。「そうなってはいけない」反面教師として学べばいいだけである。

「いい人」、そんな言葉は聞き流しておいたほうがいい。その言葉を口に出す人はおおむね、「人畜無害」「中身のない人」「自分競争相手にもなれない人」というニュアンスで使っているからだ。もっといえば、「役立たず」くらいの意味さえ込められている。仕事でも恋愛でも、プライベートなつきあいでも、人は自分の脅威に感じる人間に対して「いい人」などとは言わない。

「男は死ぬまで働きなさい」

2009-07-20

ヤマカンは謝ることない!悪いのは俺たちだ。

OTAKON 2009で山本寛(以下ヤマカン)が係わってないはずの「涼宮ハルヒの憂鬱」のついて謝罪したことが話題になってる。

参考URL
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-3435.html
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51490609.html


そりゃあ同じ話を6週にもわたって見せられた視聴者がキレたくなるのは当たり前だし、そのことをパージされた元スタッフに振ったらこういう嫌味ったらしい"謝罪"が出てもくるだろう。


でもヤマカン含め製作スタッフは謝ることないんじゃないかな。

戦犯探しみたいなのもやってるけどさ。やれ京アニが悪いだの、やれ角川が悪いだの、谷川が悪いだの。いやいや人のせいにばかりしてちゃダメだよ。

一番悪いのは俺たち視聴者。特に今まで京アニ作品小馬鹿にしてきたのが責任重大。


わが身を振り返って見ると、今まで京アニが作ったアニメに酷いことを言ってきたなぁと思う。

「中身が無い」「見た目だけ」「原作無しじゃ何も出来ない」「作画一流文芸三流」「オリジナリティー皆無」etc・・・これだけ言われりゃ、ちょっといいとこ見せて見返してやりたくなっても仕方ない。お前ら見とけよ、びっくりするなよってね。

で、出てきたのが「ムント」と「ハルヒ」なんじゃないかと。


でもアニメファンならご存知だと思うけど、ムント様は盛大にコケてしまった。

完全オリジナルで魅せられないなら、原作付きで何とかしなくちゃいけない。作画だけとは言わせない、見よ京アニ脅威の演出力・・・とばかりに持ってきたのがこのエンドレスエンドレスエイトだとしたら。うわあ、連敗だ。


膨大な数の繰り返しの中の高々10回足らずを"追体験"させても意味が無いことがわからず、繰り返しの中の1回を効果的に見せる選択が出来ないところが文芸三流の三流たるところ。

細かなディティールの違いを病的に拾い集めるのが好きなのもいるだろうけど、同じものを全く別の視点で見せるならともかくちょっとだけ変えて意味あるのか。

そもそもそれまでのやり方で満足してきた客を怒らせてどうする。

こんな言わずもがなのことすらわからなくさせるほど俺らが京アニを追い詰めていたのだとしたら・・・!


ごめんよ、京アニ。そしてみんな。

ちょっと言い過ぎた。

京アニは今までどおりのアニメ作ってればいいから。無理しなくていいから。

だって「けいおん」、みんな喜んで見てたじゃない。

2009-04-27

壁を乗り越えることに意味ってあるの?

今まで生きてきて25年、どうも、俺の考え方が他の人と違っているなぁ、と思いながら、今日、その違いの本質っぽいところにたどり着いた。学校でも、会社でも、目標を作って「壁を乗り越える」ことが評価されるようなのだが・・・

そもそも、壁を乗り越えることに意味ってあるの?

その壁って、すでに他の人が乗り越えたものじゃないの?前人未到の壁だっていう証明はどこにあるの?他の人と同じ壁を乗り越えても、それって意味あるの?社会には人がたくさんいるわけで、あなたが壁だと思っている目標を、軽々と超える人もいるわけだ。あなたが頑張って壁を越えたとしても、それって、何かを達成したことになるのかな?あなたを評価する人・あなたを雇う人から見れば、あなたが壁を乗り越えようが乗り越えまいが、壁を軽々と乗り越える人の方が評価は高いわけだ。「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越えても乗り越えなくても、評価の順位は変わらない。企業は、あなたを捨てて、壁を軽々と乗り越える人を採用するだけ。

で、そもそも、何で「壁を乗り越えよう」としているんだっけ?壁って何?業績?業績を上げるって、他者からの評価を上げることじゃなかったっけ?あれ?でも、壁を乗り越えても、他者からの評価は変わらないんだよね。企業大学も、あなたを捨てて、軽々と壁を乗り越えられる人を採用するだけ。結局、あなたは負け犬

あなたにとって、今やろうとしていることが「壁」である時点で、すでに、もう決着はついているんだよ。競争社会では、壁につまづいて、それを乗り越えたことは評価されないの。壁を壁と思わず、進める人が評価されるの。壁にぶつかった人は、もうその時点で、負け犬なんだよ。壁にぶつかったら、もう、その時点で、評価は決まっているんだ。

でも、負け犬と評価されても、死刑になるわけじゃない。負け犬でも、生きていることは許してもらえる。僕らは怖がりだから、死ぬのは嫌だ。社会には、負け犬のための場所があって、そこで、かろうじて生きることはできる。そこで、社会とのwin-win関係が結べるんだ。社会は、「壁に乗り越えること」なんて求めてないんだよ。壁にぶつからない人を求めているんだよ。社会は、壁にぶつからない才能を持った人だけに用があるんだ。壁にぶつかったら、もうその時点で、社会は、その人に用なんかないんだよ。でも、かわいそうだから、壁にぶつかっても、かろうじて生きていていいことになっている。僕らは、壁にぶつかったという罪を償う代わりに、「生きていい」というお墨付きをもらえる。ここに、僕らと社会との間の、ひっそりとした約束事があるんだ。別の言葉で言えば、win-win関係、難しく言えば、社会契約っていうのかな。ルソー社会契約論とか、高校教科書に出てきたよね。

そういうわけで、壁を乗り越えることには、本当は意味なんかないんだよ。「壁を乗り越えよう」なんていうのは、人をタダで働かせるための、スローガンに過ぎないんだ。もう、壁にぶつかった時点で、あなたの評価は決まっているんだ。高校・学部・修士博士企業、全部そうなんだよ。壁にぶつかった奴は負け。壁にぶつからなかった奴が勝ち。壁にぶつかった奴は罪人で、壁にぶつかったという罪を、一生つぐなわないといけないんだ。

【追記】

ついでに言っておくと、僕は東大卒です。東大入学は、僕にとって壁ではありませんでした。まぁ、その後、壁にぶつかったわけですが。いろいろ反論はあるみたいですけど、「自分にとっての壁を乗り越えたんだからいいじゃない」みたいな意見は、単なる自己満足だと思っています。たとえ自分の中では成長したと思っていても、他人から見たときに自分が成長していることを示せなければ、「自分の成長」を客観的に示せないわけです。壁を軽々と乗り越えられる人間が、壁にぶつかる人間より優れていることは、明らかです。競争社会では、壁にぶつかった人間は不要なのです。その代わり、壁にぶつかった人間は、壁を乗り越えた人間を恨み、妬み、殺されないように自衛することは許されています。それが競争社会意味あると思っています。

【追記2】

今までの記述矛盾するかもしれないけど、少し冷静になってみる。とりあえず、自分経験は、次のようなもの。高校のころから、「壁を乗り越える」というのは、まず、「自分の壁」を探して、その後、ぶつかることだと思っていた。当時から、「xx君は数学ができてすごいな~」、「でも、数学自分の壁じゃないから、そこそこできればいいや」というようなことをやっていた。こうやって、ぶつかるべき壁を絞っていった結果、一応、「自分の壁」は見つかったんだけど、今ぶつかろうとしている壁は、数学英語の「基礎力」がモノをいう壁でした、という話。だったら、最初っから「自分の壁」とか「壁を乗り越える」なんていう考え方をせずに、基礎力を鍛えておけばよかったな、という話。

でも、だからといって、「基礎力をつけようとしたら壁にぶつかったけど乗り越えました」なんていうことをアピールするのはひどい勘違い企業にしろ、大学先生にしろ、他人が自分の基礎力を評価するときは、そもそも「壁にぶつからない人」を高く評価する。基礎力をつけるときに、自分の壁を乗り越えた、バンザーイ、なんていうのは、甘っちょろい自己満足

だからね。何がいいたいかっていうとね。

個性とかオリジナリティーとかうざいです。結局、基礎力がないとおもしろいことはできません。オリジナリティーの高いものを作るには、基礎力が必要。

・逆に基礎力さえ高ければ、オリジナリティーの高いものが自然に出てくるのです。

・基礎力をつける段階では、「壁を乗り越えたかどうか」は評価されません。壁にぶつかった時点で、あなたは、壁にぶつからなかった人より劣っているとみなされます。つまり、もう、そこで序列ができているのです。あなたは、負け犬です。

・ただ、壁にぶつからなかった人を羨み、妬むことは許されています。個性とかオリジナリティーとか独創性とか、馬鹿げた幻想に踊らされるよりも、人を羨み、妬みながら静かに生きていたほうが、幸せ人生がおくれると思いませんか?

ということです。

2008-06-27

はてブネガティブコメントって、けっこうありがたいんだけどな

正直、悪名高い2ちゃんねるなんかよりもいまのはてなブックマークは相当ひどい場所に見えました。非コミュニティ文化圏ゆえなのか、単に煽りたい人が多いだけなのか。いずれにせよ、最近の「死ねばいいのに」や「これはひどい」といったタグの嵐や書いた人間のことを人格まで否定するような発言の連続にはこれ以上耐えられそうにありません。

http://d.hatena.ne.jp/shiroann/20080627/1214495914

記事につくネガコメって、そんなにヒドイかな? 個人的には、否定的コメントも超ありがたいんだけど。

パブリックブログで書くってことは、当然それなりの反応を期待して書いてるんであって、それで得られるコメントは、ネガだろうがポジだろうが、嬉しい。無反応てのがイチバン応えるんだから。

そりゃどっちが欲しいかっつったら、賛同コメのが欲しいさ。けど、批判コメは「あそっか、そういう意見もあるのねー」って、自分の考えをさらに掘り下げるきっかけになるじゃん。トンチンカンな批判コメなら無視すればいいし。トンチンカンコメは周囲の人間が見てもトンチンカンなんだから、気に病む必要なし。

賛否両論どころか、批判コメしかついてねぇ!って記事を書いちゃった場合は「うわー、これリアルで友達とかに言わなくてよかったー。Netで良かったー」て思えばいいんじゃね?

現実社会で放った何気ない一言で友達全員失う、ってことはあるかもしれないけど、ブログでの失言ぐらいで孤立はしないし。リアル友達にブログを教えてない人も多いだろうし、教えてたとしても、友達はあんたのブログをそれほど注目して読んでなんかない。ブログでの失言が実社会に影響するのは、有名人だけだ。

だいたい、ポジだろうがネガだろうが、はてブコメントって全部本音じゃん。友達とか知り合いだと、気ぃ使ってガッチリ批判してくれなかったりする。それがないダイレクト意見は、やっぱ聞いて損はないよ。友達や家族はぬるくて居心地良くても、社会はぬるくないんだからさ。ぬるくやりたいならmixiでやりゃいいし。

「記事主は『死ねばいいのに』『これはひどい』ていう罵倒タグ絶望してるんだから、批判だの参考になるだのってレベルの話じゃないんじゃない?」

うん、たしかに。

理由の上げられた批判なら反論のしようもあるけど、頭ごなしの罵倒はどーしょーもないからねー。

でもさ、なんつーか、そんな単純な常套句であっさり傷ついちゃっていいの? それで絶望できるって、いままでの人生どれだけしあわせだったの?

死ねばいいのに」「これはひどい」なんて2秒でタイピングできるよ。記事読まなくてもタグつけれるよ。そんなんで心砕かれて、退場して、満足? それすっげーつまんない。自分の心を、そんな安易なタグで砕かせちゃいけないよ。それじゃー心が安すぎるよ。

人ひとり傷つけるんなら、それなりのオリジナリティーっつーか、「ああ、これは私のためだけに考えられた罵倒なんだわ」って感心できるような、そんな創意工夫が欲しい。

カラオケが下手な部長を最も効果的に怒らせる言葉は、「この音痴!」じゃなくて「歌うときに小指を立てるの、やめた方がいいんじゃないんですか?」だったり(文脈は忘れたけど、清水義範の本にたしかそういうことが書いてあった覚えが)。そういうヒネリのきいた言葉にならカチンときてもいいけど(ていうかカチンとくるけど)、脊髄反射マンネリ罵倒はなー、ピンとこないっつーか、聞き飽きたっつーか。

ま、「絶望した!」って叫ぶ人がい続ける限り、「死ねばいいのにタグも「これはひどいタグもなくならないだろうね。効果テキメンだって証明されてるようなもんなんだから。誰もが痛くも痒くもなくなったら、自然と廃れるだろうけどね。

せっかくブログやってんだ。少しは打たれ強くなって社会に戻ろーぜ。てね。

2007-11-05

彼女が「宇宙人写真を撮った」と少し興奮した面持ちで携帯電話差し出したのは去年の11月のことだった。

普段から少し変わった、良く言えば個性的な言動が目立つ彼女差し出した携帯の待ち受け画面に佇んでいたのは妖しいミドリの瞳をもつ、野良猫だった。写真は全体的に暗く、フラッシュがいい角度で入っただろう目だけが爛々と輝いていた。ネコにとっては眩しかったろうなと少し同情して、携帯彼女に返す。

画面の中のネコと同じように目を輝かせた彼女がこちらを窺っている。まあ感想の一つでも言わなきゃいかんのだろう。僕は思わずにやつきながら、こういった。

「名前はエルバッキー、でしょ?アンドロメダ星雲からきたんだよね」

これで笑いの一つでも取れれば儲け物だけど、今度はなんだか、心底感心しきったようなそんな顔をしている。尊敬眼差しを受けるのは吝かではないけれど、ちょっとやばいなとそう思った。そこから彼女地球環境破壊宇宙人関係を堰を切ったように話し始めた。そのほとんどは矢追さんフォロワーの焼き直しにすぎなかったけど、唯一彼女オリジナリティーが発揮されているのは彼女自身がスペシャルでないことを自ら認識していることだった。

この一件以来、僕は彼女と距離を置くようになり、春になったあたりでどこか仕事関係引っ越したのだという話を、友達経由できいた。その後一度だけ僕宛のメールが届き、アンドロメダでの近況が綴られていた。まあ、メールアドレスdocomo.ne.jpで終わっていたけれど。アンドロメダ暖かいらしく、メールの文中に地元に似ているという表現が何度も、形を変えて入っていた。そういえば彼女実家は西の方だったっけ。とそんなことを思い出した。

2007-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20070914103108

リアルならうまいってもんでもない。

オリジナリティーをなくさず、キャラクターとしてあそこまで立ってるものを書けるかと考えれば、氏の絵はかなりなものだと思う。

2007-05-28

第一回チキチキ 増田が選ぶ「このラーメン屋がうまい!」

エントリーしてみる。

茨城県牛久市太昇亭

太昇亭のおっちゃんの言う

「高いカネ出して良い食材使えばうまいモンが出てくるのは道理」

という主張に同意する限り、ここ以上のラーメン屋はないと思う。魚介ベースの見た目こってり、味さっぱりの非常に分類しにくいラーメン。この味、このオリジナリティーラーメン450円、半チャンセット600円は、茨城という立地を加味しても反則すぎる。

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