「釣り」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 釣りとは

2019-02-01

anond:20190201205913

制限に許したところで、それだけの対価が払えない人が増えていくだけなのではないだろうか。その状況下では転売は起こせない(欲しがる人がいなければ、値段をそれ以上釣り上げても、利益を生むという目的が達成できない)だろう。

anond:20190201204010

いくら値段が釣り上がっても価値として見出されるなら,それだけの人間がその物を価値として見出してるんだからそれはそれでいいだろ.だいたい物の価値はある範囲の中にいる人間がその物をどのくらい欲しがるのかで決まるわけで,オークション転売のように欲しい人間が「自分ならこの金額まで払える」といって物の金額が決まるというのが一般的でないというのか.

anond:20190201202822

釣り上げまくって誰も買わなくなったら意味ないだろ。釣り上げられるということは、釣り上げてもまだ買う人がいるからじゃないのか?

高い金額を払える人間が、その対価に見合う貴重な体験を行えるというのは、どの分野でも同じことじゃないのか?

anond:20190201153337

炎上させて釣りたいのですねわかります

こういう時はつられたくまーって書けばいいんですっけ。

anond:20190201140249

あー女性関係いから気付かなかったけど文章とか思考回路が全く同じだな

女に構って欲しい釣りじゃなくて根本的にやばいやつだったのか

anond:20190201110503

痴漢犯罪です」「暴力犯罪です」という中吊りポスターもあるからな。

ただ、それを見たところで自分は該当しない(と思ってる)から

「ふーん」とか「そういうこと、多いんだなぁ」で済むわ。

釣りポスターは好きにすればいいが、車両から排除されたら怒る

anond:20190201081329

1年前の釣りに今更反応って…

おすすめエントリに出てきたんだろうけど、あそこに出る時点で古いエントリなわけだから日付確認した方がいいよ。

釣りタイと前置き

釣りタイに釣られて、読もうと思ったら、どうでもいい前置きがあって一気に読む気がなくなる記事が多い。

まあ、どうせ釣りタイからと思って読まないけど。

anond:20190201031851

ありがとう、でも自分に自信がないからごめん、君には釣り合う人がいるよ」って角立たないように断っただけで、

「お前みたいなショボい人間と付き合いたくねーよ」

って意味だよ。なんであんたが上だと思ってんの

あと、女は恋愛対象に見られたくない相手無意識自虐的ネガティブなことを言う傾向がある

女は自分より下の相手と付き合ったりしたくないから、逆に自分を下げることで相手恋愛対象外に行けると思うんだろうな

りるきゃんで号泣した大学生自分語り

以下、THE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION 13 りるきゃん 〜3 little candy〜に関するネタバレを含みます

-----------

こないだ担当野々原茜ユニットのりるきゃんのCDを買ったんだけど

ドラマパートの茜がほんとにやばかった…

一目惚れした憧れの先輩に思いを伝えたけど相手男子は全くその気がなくてさ

相手自分に対する感情が嫌いとか好きとかじゃなくて"無"だったんだよ…

自分の気持に嘘つかなくていいよ」って友達に言われていつも明るい茜が泣いてたんだよ

「悔しいよ」「あんなに好きだったのに」って

りるきゃんの3人が号泣してる場面、俺も家で聞いててほんと号泣しちゃってさ

ほんと辛いよなあ…

辛かったんだよ


大学に入ったサークル一目惚れした女子にがんばってアプローチして

それまで中学でも高校でも恋愛とか知らねーとりあえず部活一番じゃタイプだったけど初めて恋して

他の奴らは「まあ優しいやつではあるけど暗いよね」って感じで理解してくれなかったけど

俺だけはほんっっっとにすきだったんだよな

飯誘ったらいいよって言ってくれたときめっっちゃ嬉しかったし

それから何度も飯食い行ったりプラネタリウムとか行ったりして

しょーもないことで笑ってあーーーーーーー俺この瞬間生きてるわーーーーーって思って

4,5回目の飯の帰りに告白して

なんか驚いた顔されて「そんな風に思ってたなんて知らなかった」って答え先延ばしにされて

2日後にLINEで「ありがとう、でも自分に自信がないからごめん、君には釣り合う人がいるよ」って

俺はこんなに好きだったのになー

「どうせ自分なんて」っていつも言ってたけどなんで俺が応援してるって知らなかったのかなーーー

それとも俺ごとき応援されてもなんとも思ってなかったんだろなー

友達にいじられたときはあー元気出さねえとなって「振られちゃったわー笑まじあい喪女かよ」って明るくしてたけど

ほんと辛かったんだよ


なんかりるきゃんのボイスドラマきいて茜と自分が重なってさ

振られてからはじめて泣いたかもしんない

女子目線のボイスドラマなのになんで男の自分重ねてんだよって不甲斐ないのはあるんだけどさ

結局このボイスドラマも茜が片思いしてた男子は別の彼女とくっつくことになって

あれから俺は大学院にいって君は就職したけど

まだ自分に自信がないままなのかな

はいつまでも応援してんだけどな、どうせ届いてないんだろうけど

それとも自信を身につけて他の男となかよくしてんのかな、そうだったらいいんだけどなあ

俺は男だらけの研究室でなんの浮いた話もなく過ごしてるよ


2年前のことこんなに引きずってたなんてボイスドラマ聞くまでは自分では思わんかったな

あーこれ書きながらまた泣いてら

2019-01-31

anond:20190131174033

例えばコンビニバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、

作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。

どんなに簡単作業でも1回で覚えるのは不可能であった。

ピ◯ーラ でバイトした時もコンビニ同様釣り銭間違いがひどく、

もうなんで自分はこんなダメ人間なんだと自責の念にほぼ毎日襲われていた。

どのくらいの頻度でつり銭間違いしていたんだ?

最新のコンビニなら自動でやってくれるし大丈夫だぞ!

あと、コンビニは覚えることが多すぎるから1回じゃ絶対無理だと思う。

お前はすごいよ。俺はコンビニバイトできねぇもん。

やらかす人間

この世には2種類の人間がいる。やらかす人間とやらかさな人間である。私は後者人間だ。やらかす人間とは、目があてられないほどに不器用で要領が悪く、他人からはどうすればそうなるの?と首をひねられ、挙げ句の果てには、ほとほとあきれられしまう状況にまでもっていくことのできる、悪い意味ですごい人間のことである。実際、私がやらかしたことに対して「逆にすごい」と評されたことが少なくない。

私がやらかす側の人間だという兆候はかなり前から現れていたように思える。学校生活では肝心な時に忘れ物が多かったり、時間割をよく間違えたりとか今思うと瑣末なやからしにすぎないのだが、たしかに他の人々と比較するとその分野では頭一つ抜けていた印象はあった。しかし、友達同士だったりクラスメイトといった内輪では笑って済まされるような場面が多かったので、そこまで私のやらかしは前景化しなかった。

その時からやらかして笑いをとるスタイル自分のものにしていた。図らずとも、私の最も得意とする笑いの取り方のひとつになってしまっていた。やらかしを笑いに昇華するという、ある種の荒業をやってのけるのは容易なことではない。今思うと、私がやらかしても、クラスメイトからはまぁあいつならそれくらいするよね、みたいな私なら許容される雰囲気が漂っていたし、それによってクスクス笑いが起きて場が和むという悪くない効果を上げていた気がしないでもない。私のやらかしは、周囲の諦観とも呼ぶべき雰囲気嘲笑によって覆い隠されていたのだ。そういう状況だったもんだからいじられキャラとしてのポジションを欲しいがままにしていた当時の私にとって、『やらかすこと=おいしい』という笑いの方程式が構築され、頭の片隅にあったことは間違いない。情けないことに、失敗で笑いを誘いその失敗をごまかすというなんとも残念な芸風を図らずとも確立してしまっていたのだ。今思えば、それは私なりの生存戦略だった気がする。やらかす側の人間だった私が生き延びる唯一の方法、それはやらかしによって笑いをとることだった。当時はまだ前景化していなかった私のやらかし指数の高さは自覚こそなかったが、自分無意識においては既に把握済みだったのかもしれない。私がやらかしても事なきを得る環境でっちあげようがために、私が大なり小なり失敗を犯しても笑ってもらえるような人間になるように、私の無意識普段言動や立ち回りを決定していた気がしてならない。

私がやらかす側の人間なんだと、いよいよ本格的に意識するようになったのは、大学生になってアルバイトを始めた時からだった。バイト先では、数々のやらかしをしてしまった。恥ずかしくて惨めな気持ちになるのでここではあんまり書きたくないのだが、例えばコンビニバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。どんなに簡単作業でも1回で覚えるのは不可能であった。ピ◯ーラ でバイトした時もコンビニ同様釣り銭間違いがひどく、もうなんで自分はこんなダメ人間なんだと自責の念にほぼ毎日襲われていた。やらかしても内輪では笑いで済まされるが、仕事だとそうはいかない。社会という荒野に一歩でも出ると、どんな小さな失敗でも許されないのだ。現在は、そういう事情もあってバイト恐怖症に罹患してしまい、バイトを探すこと自体は好きなので毎日かかさないのだが、またやらかししまうのではないかと私が犯した数々のやらかしがふと頭をよぎると、とたんに怖くなって申し込むのには二の足を踏んでしまう始末である。私にとって、なにかをやらかすことは前未来的に決定されている、避けられない宿痾みたいなものなのだバイトでもこんな体たらくなんだから社会人としてはやっていけそうにないだろうと悲観している。

anond:20190130091537

これ男女逆の釣りなのではなかろうか

anond:20190131110829

それにしたって初代ドットは顔が変過ぎる

スーパーマリオ釣り合い取る為だろうけど

通常マリオと比べるとでかすぎる巨大女とかも言われてた

初代スト2イライザも顔が変でネタにされてたな

2019-01-30

自衛官をやっつけよう」という表現について

※1/31追記しました

これは、公立小学校に通う子どもが、学校でもらってきたチラシに書かれていたことばです。

どのようなチラシかというと、地域で行われる、防災意識を高めるイベントのものでした。

自衛隊災害派遣車輌の展示や、自衛隊災害派遣カードゲームの配布などがあり、自衛官と対戦できるカードゲーム大会も行われるようです。

その、カードゲーム大会説明文が、「自衛官をやっつけよう!!」だったのです。

もし、これが「警察官をやっつけよう!!」だったらどうでしょうか?使うとまずい表現だと感じませんか?

この表現が許されそうな場面を考えてみました。

力士子どもたちの交流イベントで、力士と取組ができるというものであれば、「おすもうさんをやっつけよう!!」という表現でも良さそうです。

ここで問題なのは、これが「公立小学校で配られたチラシ」であるということです。

議論をするつもりはないので、問題提起にとどめておきます

釣りなんじゃないの!?」と思われた方は、このイベントを知っている方の目に付くまで拡散するよう、お願いしますね。

きっとそのうちのどなたかが、証拠画像を上げてくれるでしょう。

追記

どこに問題があるのか分かりにくかったようなので追記しますね。

災害時にお世話になることになる自衛官に対して、あまりにも失礼だと感じるのですよ。

ここで無難表現は、せいぜい「自衛官と対戦しよう」「自衛官と一緒に遊ぼう」くらいではないか、と。

自分たちを守ってくれる方々に、敬意がないのです。

こういうチラシで、こういう表現を平気で使ってしま感覚が恐ろしい。

このイベントに参加される自衛官の方が、このチラシを見てどう感じるのかは、気になるところです。

自分自衛官立場であれば、どう感じるでしょうか?

AとBどっち?でAとBが釣り合ってない奴

例えばこれは

猫と犬どっちがかわいい

なら、まぁ5:5だろうからアンケート取る意味あると思うのよ。

でも、

「猫とバッタどっちがかわいい?」

って8:2ぐらいの勝負がもうついているものアンケートとるのがわからない。

俺はそういうのみるとバッタさんサイドを応援したくなる。トノサマバッタかわいいしな。

anond:20190130172517

増田釣りのつもりなんだろうけど、本気でこう主張してる人もいるんだよねあの界隈。

anond:20190130131115

なんだよ釣りワードってw

「僕は馬鹿です」と書かれたシールのことか?

anond:20190129225624

パラッと読んで「本から引用」は嘘だなと感じてそこで読むのやめちゃった

なんとなく文章壊して意味ありげにするよに俺の釣り文のほうが意味があると思う

匿名掲示板は嘘ばかりだった

世紀末時代、僕は匿名掲示板には真実が書かれていると信じ込んでいた。

(中略)

今、僕は毎日のように増田に嘘を書き連ねている。

伸びるものもあれば伸びないものもあり、それらの釣果はまちまちだけど1つ確実に言えるのはそれらのほぼ全てがウソであるという事だ。

僕の書いた嘘を本気にした人たちが、アドバイスマウントを投げかけては去っていくのを見るたびに、あの頃自分真実だと思っていたことも同じように嘘であったことを実感する。

狭い画面の中で見てきた、この世界中のありとあらゆる奇妙な出来事クラスの誰もが知らない自分けが知っている、嘘みたいだけど本当にあった話、それらのうちで本当に本当だったのはきっと1割にも満たないだろう。

インターネットにあるのはフィクションだ。

生身の人間が嘘ばかりつくのならインターネットで人は真実を語るはずだ、そんな生温い願望を持ち続ける者たちを釣り上げることで、自分の中で何らかの効力感を得ようと目論む人種インターネットには多数潜んでいる。

僕もかつて、その願望に振り回された1人であり、今はその願望で人を振り回す1人である

インターネットは嘘ばかりだ。

現実も当然のように嘘ばかりだ。

嘘ばかりの世界で生きていくには、それを楽しめるようにならないといけない。

そのために僕は今日も嘘をつく。

そして、この増田もまた嘘である

僕は今日始めて増田に書き込んだ。

これから暫くよろしくねがいします。

2019-01-29

anond:20190129085545

それが嘘だったり釣りだったり罠だったりしてきたから助けてもらえないんやで

けものフレンズ2を3話まで観た

もう観るのやめようと思う。

キュルルとやら、お前記憶あるんじゃねぇか。なんで水中用のヘルメットやら釣り竿やらの使い方知ってるんだよ。

イルカ、お前らの本来の生態を見せてくれ。人間ありきの芸見せられたところで、へぇ〜とはならねぇんだ。

2と名乗らないでほしかった。お前はあのアニメけものフレンズ』の続編じゃねぇ。

2019-01-28

虹の彼方へ

喪失感ではない。

心というかおなかのあたりにぽっかり穴が空いた感覚がする。よくいう喪失感に例えられる表現だ。しかしこれは喪失感ではない。

彼らは活動休止宣言をしてから実際の休止まで2年の猶予を与えてくれた。

何度も何度も彼らのあいだで話し合いを重ね、彼らも関係者も現状できる最大限の納得できる落としどころを見つけ、尚且つファンは心の整理をつけるのに時間がかかるだろうからと、この時期の発表。

何もかも妥当決断だと思えた。何も間違ったことなどないと思えた。

いやだやめてなんて言うつもり毛頭ない。微塵も起こらない。

それさえ切ない。

発表を知った時わたしライブハウスにいた。とあるロックバンドライブの日だった。

驚いて思考が一瞬止まったけれども、楽しみにしていたライブだったし、いま全力で楽しまなければバンドメンバーにも失礼にあたると必死に頭を切り替えて演奏をきいた。

終演後、ライブの余韻にすこし浸って、この度の発表をした彼らのことを考えた。

みるみるうちに視界が滲み、暗くつらい気持ちになった。たった一瞬で何もかも嫌になった。

彼らのことを憎いとは思わない。ずるい、にすこし似た感情を抱いた。

こんな気持ちになるくらいならもう誰も何も好きになりたくないとさえ思った。

でも、それでいいのかな?とも同時に思った。

チケットが当たって高揚した、当日までワクワクしながら準備して、いざコンサート人生で1番じゃないかってくらい幸せ時間を過ごして、次のツアーまで早く会いたくてソワソワして、CD雑誌やグッズに囲まれて、彼らの言動深読みしたりファン同士の様々な意見を目の当たりにして勝手に嬉しくなったり落ち込んだりした。

思春期大事な時期を彼らに寄り添ってもらった。それにどれだけ救われたか

彼らが誇りに思うファンでいたかたから、彼らが恥ずかしく思うような行動はしないと心に決めていた。彼らに会いに行く時胸を張って笑顔でいられるようにと、本気でそう思っていた。

彼らを好きになったからこそ(わたし勝手にだけども)辛い気持ちになったり嫌な思いをしたり、たくさんのことがあった。

でもそれをはるかに上回るくらいたくさん良いものも貰ってきたと思う。

少なくとも「好きにならなければ」なんて口が裂けても言いたくないくらいに。

ネガティブ感情ポジティブ感情も彼らからもらったものはやっぱり何も捨てたくない。

例え今まで、そしてこの先どんな嫌なことが起こったとしても。全ての感情含めて大事に歩んでいきたい。

そうは思うのだけど、しばらくは前向きにはなれそうにない。

わたしが1番熱心に彼らを応援していた時期から、もう何年も経っている。彼らが何か変わった訳ではなく、ただわたしが好きでい続けるのに疲れてしまったというだけだった。不安定な時期で、周囲の言葉に惑わされがちだったということもある。

あの頃から随分時が経って、休止という発表をもっと冷静に受け止められると思っていた。そんなことは一切なくて、彼らの決断を知った時からずっと大きく心が掻き乱されているし、気を抜くと涙が出てくる。

彼らの会見を見た。活動休止だというのに彼らは笑顔で、記者の粗野な質問には瞬時に強い意志切り返して、どこまでも誠実で、やっぱり彼らを好きになって良かったと会見を見ている間何度も思った。

からこそ、いやだつらいさみしいという言葉は間違っていないけどあの場に少々不釣り合いな気がしてしまって、口にできない。ある意味言わせてもらえないところが最高にずるいと思う。こんな誠実で大好きな彼らに、行かないでなんて言いたくないのだ。言いたいのに。事実彼らはどこにも行かない。嵐はずっと嵐でいつづけてくれる。そういう選択をしてくれた。今までくれた幸せ時間はなくならないし、休止なのだからいつかまたという夢も見せてくれる。それでも、さみしい。

彼らが5人揃って当たり前に活動している日常から、そうではない日常に移行する。その期限まで2年。2年経つまでにわたしたちは普通の顔をして、彼らが活動していない日常を生きていけるようにならなきゃいけない。そんなの全く自信がない。

現時点では、意外にすんなり受け入れられるのかもしれないという気持ちと、そんなの無理だよさみしいという気持ちが交互に押し寄せてくる。

会見を見て、彼らの誠実さに触れて、彼らの決断にどうしようもなく納得してしまった。こんな風に彼らが活動休止している日常に納得し、受け入れる日々が来るんだろう。

彼らは休止してもいつもわたしたちに寄り添ってくれるんだろう。だからこの気持ち喪失感じゃない。何も失ってはいいから。ただ深く深くさみしいのだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん