はてなキーワード: 収容所とは
それこそ「あんなとこ全然頭良くない」とでも誰かが言おうものなら、嫉妬に狂ってわけわからないこと言ってる可哀相な人だと本気で見なされるくらいには地元で秀才の誉れが高い。
OBも在校生も自分の高校名を明かすときは本当に自信に満ち溢れてるし、自分をエリートだと信じて疑ってない。
一方で、同じ地元にある偏差値47くらいの私立大学はクソバカ収容所として悪名が轟いてる。箱根駅伝出るときくらいしか好意的な目で見てもらえない。
でも、ぶっちゃけた話、冒頭で書いた地元秀才高校の平均層って大半が偏差値47の地元私大より上のとこには受からないってレベルなんだよね。
だから、平均的な進路は現役だと地元偏差値47私大、一浪だと日大とか國學院程度にとどまる。
つまり、地元秀才高校の生徒の大半が「高校はエリート→大学はクソバカ」という流れを辿ることになる。
地元秀才高校→地元クソバカ私大って経歴の人は相変わらず「凄い人」としてチヤホヤされるのだ。
当然、高校の威光が地元で強いからこそこうなるのだけれど、その割には地元私大のクソバカ評価が見直されるなんてことは全く起こらない。
また、地元秀才高校が「実は秀才でもなゆでもなくね?」なんてふうに評価が変わる気配も全くない。
近隣エリアには東大30人くらい受かる私立高校や、早慶120人くらい受かる私立高校もあるのだけど、それらの存在はなぜか完全に無視されてる。話題にすらされない。
実態にそぐわない、矛盾もいとわないこの評価が多くの地元民の間で共有されてるっていう謎の現象はなにが原因で起こっているのだろうか?
大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に居たフランス兵たちのあるグループが、
長引く捕虜生活の苛立ちから来る仲間内の喧嘩や悲嘆を紛らわすために、皆で脳内共同ガールフレンド(?)を作った話を思い出した。
そのグループが収容されてた雑居房のバラック、その隅に置かれた一つの席は、
13歳の可愛らしい少女がいつも座っている指定席だった。(という、皆のイメージ)
彼らグループの中で、喧嘩や口論など紳士らしからぬ振る舞いに及んだ者は誰であろうと、
その席にいる少女に頭を下げ、皆に聞こえる声で非礼を詫びなければならない。
着替えの時は、見苦しい姿を彼女に見せぬように、その席の前に目隠しの布を吊り、
予め決められた彼女の「誕生日」やクリスマスには、各自がささやかな手作りのプレゼントを用意し、歌でお祝いをする。
・・・最初は慰みのゲームのようなものだったのが、皆があまり熱心になると、
監視のドイツ軍までもが、彼らが本当に少女を一人かくまっているものと勘違いして、
本当なんだろうか?
ただ、「一 般 論 と し て」成人男性の方が未成熟な女児よりは立場が上で、相手を良いようにしやすい傾向はある、だから社会通念として、そういうのは抑制される価値観があったほうがよいと思います
無論、今すぐ個人の私的男女関係に踏み込んで成人男性×少女カプを片っ端から摘発するスターリニズム的収容所国家を作れなんて言わない、俺もそんなのやだ
ただ、価値観として、成人男性×未成熟な女児の性関係を恥じる価値観はないと、歯止めがきかなくなると思うんです
実際、インドや中東では、この手の一方的な歳の差婚(金持ち中年への女児の人身売買)とかが21世紀の現代でも横行してる
スターリニズム的収容所国家にならずにこれを防ぐには、成人男性が未成熟な女児に手を出すのは恥じるべきこと、という価値観を広めることしかないと思うんです
無論、現実の女児に手を出さず、空想の中で2次元ロリコン物に欲情することまで犯罪視する気はないですが、当方はそういう作品を見ると、自己嫌悪に陥りますねえ
ノルマントン号事件で白人の客だけが助けられ多数の日本人が死んだ
原爆が落ちた
個人的なことであるが、十代のときイタリア旅行で、混んでいるわけでもないレストランでメニュー表が来なかった
母と父は、居心地が悪そうな、傷ついたような顔をしていた
このような歴史や今も続く差別から、白人による日本人やアジア人描写には過敏になる
サウスパークのような作品は気にならないし、活躍させろというわけでもない
また、記号がステレオタイプとして扱われ(日本人の出っ歯と眼鏡とツリメ)、
多民族国家で明らかに白人が優位の世界に住んでいる有色人種はなお感じるのではないか
日本でも、一昔前だが、テレビでのオタク描写にネットユーザーが問題提起し、
当時の増田はどのような反応だったのか知らないが、オタクが多いことから称賛したのではないか?
自分のアイデンティティー、それも劣位となっているものに対しては、傷を与えることがある