じゃあ女やLGBTは支えなくていいよね
最近のリベラルは「あなただって、(年取ったり事故にあったり会社つぶれたりしたら)いつ弱者になるかもしれない。だから弱者を救うことは、あなた(がなるかもしれない存在)を救うことだ」という理屈にシフトしてる気が。
刺される前に刺せ
上手く回る?
これ読んでそんなバカなことが言えるのはお前が人を使う立場になったことのない降ってくる作業するだけの平社員しかやったことないかきちがいリベラルだからだな。
頭悪いんじゃないの
リベラルがよく言うこの理屈は、もう胡散臭くて信用されないものになってしまったと思う。
この理屈からは、右翼のトリクルダウン理論と近いものを感じる。
右翼の言い分が「強者に尽くせば最終的には貴方も得をする」であるのに対して
左翼の言い分が「弱者に尽くせば最終的には貴方も得をする」だと言う事だ
この両者の言い分が両方とも嘘であるならば、真ん中にいる人間の現状は、上と下の両方から搾り取られているようなものだろう。
福祉の削減や、弱者の切り捨てに賛成する人間の事を、「正しい損得勘定勘定のできない人間」というニュアンスを込めて、「肉屋を支持する豚」と呼ぶ事があるが、本当にそうだろうか?
「弱者に尽くせば最終的には貴方も得をする」という言い分がトリクルダウン論者の言うそれと大差ないとしたら、弱者に尽くす者こそむしろ正しい損得勘定のできない人間ではないだろうか?
もちろんこのような言い分に対して「弱者に尽くす事は損得勘定以上の意味合いがあるのだ」と言う事はできるだろう。
しかしそのような事を言えば、「弱者を救えば最終的には貴方も救われる」という言葉はますます嘘くさい物になり、信用を失うだけである。
私は冒頭で述べたように、「弱者を救えば最終的には貴方も救われる」という言葉はすでに胡散臭くて信用されないものになってしまったと思う。
福祉のリソースに上限があるという現実は、すでに十分見えてしまった。ここから先は綺麗事の通用しない奪い合いが繰り広げられる事になるのではないだろうか。
追記
現時点で約300のブックマークがついた。それを読むと「怪我や病気をした時の保険」というコメントが多い。
なるほど、確かに誰しも怪我や病気をする可能性はあるのだから、怪我人や病人といった「自分もなるかもしれない属性」を救う事は損得勘定として問題がなさそうである。
ではLGBTや外国人を救う事はどうだろうか?自分がそうなる事はまずないであろう人間がそのような属性の人間を救う事に意味はあるだろうか?
例えば「キモくて金のないオッサン」のような「救うべき綺麗な弱者」として認められる事は決してない人間が、女性やLGBTや外国人が今よりも生きていきやすい社会の実現に協力する事は本当に得だろうか?
「女性やLGBTや外国人が生きていきやすい社会は貴方も生きていきやすいですよ」というような言説は事実だろうか?本当にこのような言説は信用されているだろうか?
私はすでにこのような言葉は十分な説得力を失っているように思う。もしこのような言葉を信用する人間がいるとすれば、そのような人間こそ損得勘定ができない「肉屋を支持する豚」であるように思うのだ。
疲れてる人をマッサージして気持ちよくなってもらうこの仕事が好きだった。
某チェーン店で沢山経験を積んでやっと独立して色々と大変ではあるけれど楽しく仕事をしていた。
ところがここ数カ月、贔屓にしてくれる男性のお客様がいるのだけれど、この人が変な人というか、勘違いな人で困ってる。
こちらは心身ともにリラックスして欲しくて話を合わせてるのだけれど、
「なんで僕の事、そんなに詳しいの?」とか「君は今まで会った女性で一番僕を分かってくれる」
「君といると自然な自分で居られる」等と言われて反応に困っている。
こちらの事を聞かれたくないから色々質問すると「僕の事、色々知りたいんだね」みたいな事を言われて
正直引いてしまう。つい「私バツ一なんです(もう結婚も恋愛もするつもりない)」って言ったら
「僕、バツ一の女性にモテるんだよ」みたいな事言われてしまい気持ち悪くてどうしていいか分からない。
なぜか古いエントリが流れてきた.
放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶
今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いかに井の中の蛙だったことを思い知った.
どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである.
放置系ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである.
酷いところでは,院生や学生に自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.
先生が何ら自発的にアクションを起こさないため,院生が必死にアクションを起こさないと卒業できない.
これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生の研究を把握していない.
院生も研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである.
挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.
甘い蜜で誘い出すが如く,
言っている先生はかなり怪しい.
水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.
まず院生が育たない.
学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?
学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.
ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である.
学生は簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.
先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである.
騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTかNAISTに行きたかった.
なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.
先輩よりも良い研究にしたい気持ちで研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.
既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.
結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学の助教になれた.
しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.
外部の先生に論文の添削や指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生の名前が論文に載っている.
他の一般的なレベルの院生のコンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.
学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.
年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.
そのギャップに不安がる気持ちは放置系ブラックあるあるの話だ.
もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.
意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.
卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.
果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?
学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.
もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.
博論審査に必要な論文数を達成できなくなるので,自動的に卒業が決まらないのである.
私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.
Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.
よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.
冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.
優秀な学生は自由にやらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である.
私も修論を自由にやったが,副査の先生にボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.
技術の必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.
博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.
よく2ちゃんねるで寿司屋の蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.
指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.
みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである.
大学の研究室は寿司屋の蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである.
冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分が恥知らずだったことを気付いた学生の視点で展開している.
しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.
経験者として言えるのは,寿司屋の蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.
自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.
(人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)
(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)