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2011-12-16

告解の部屋

僕はクリスチャンだがフーゾクに通う習慣がある。ソープとかヘルスとかだ。3ヶ月も女の子に触れないと世界中の何もかもを憎むようになるので、それが嫌でフーゾクに行ってしまう。オナニーでは収まらない、というかオナニーするともっとひどく世界を憎むようになる。女の子からだが必要なのだ彼女を作って結婚すればいいのかもしれないが、昔恋愛に失敗してそれきりやり直せずにいる。

客としてお店に行き、女の子イエス・キリスト宣べ伝えたことが3度ある。こんな話は教会ではできないのでここに書く。

1度目は洗礼を受けて2年くらい。店で写真を見てずっと気になっていた女の子を指名して、遊んで帰ってきて、すごく不思議な気分になった。それまでにたぶん200人くらいの女の子と遊んできたけど、あんな女の子に会ったことがない。全く説明できないけど、不思議な気分になった。

それで、キリスト教書店で安い伝道聖書を買ってその女の子をもう一度指名し、服も脱がずに「イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」と聞いた。すると彼女は言った。

「私のようなものでもよろしいのですか?」

僕は驚いた。そんな返事が返ってくると思わなかったのだ。聖母マリアというのはこんな人だったのかもしれないと思いながら「もちろんです」と答えて彼女に手を置いて祈った。彼女は喜んだ。それから半年くらい彼女は店を続けていたがクリスマスの前に辞めた。弟の学費のためにこの仕事をしている、と彼女は言っていた。彼女はぼくの好みだったが、ぼくはそれきり彼女とは遊ばなかった。

2度目はそれから5年くらい、出張先での話だ。適当に入ってついた女の子が良かったので、一月後だったか、指名で予約した。予定から2時間待たされて、遅れてきた女の子に謝られながら服を脱いで身体を洗ってもらったのだが、彼女が言うには「占いって信じますか?」

借金が少しあってこの仕事をしているそうだ。遠距離恋愛の年下の彼氏がいるのだが最近もうダメかと思っている。そんなところに客で来たのがクリスチャンカトリック)でバツイチで娘がひとりいる男性なのだという。お互いに気に入っていてつき合って、結婚しようかと考えているのだけれど迷っている、という。で占い師のところに行って相談していて、出勤が遅れたのだそうだ。

身体も洗ってもらったのだが、僕は言った。「それは、男に信仰があってちゃんと神さまに聞き従う気があれば、神さまが正しく導いて下さるだろう。ところでオレはクリスチャンだ。よかったら貴女と彼氏とのために祈ろう。イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」もちろん彼女は信じると答えたので僕は手を置いて祈った。それで、時間もなくなったので、僕はそのまま帰ってきた。お金を払って待たされて、手を置いて祈ってきただけだ。仕方ない。それからしばらくして彼女はお店を辞めた(ことをお店のサイトで知った)。

3度目はそれから2年くらい。単位制高校卒業して大学入学金を稼いでいるという18歳の女の子だった。なんというか、前しか見えない、バカな子だった。僕は気に入った女の子はあまり変えない。その子が在籍している間はその子しか遊ばなかったが、クリスマスの頃に遊びに行って、「こういう店で働いたことが後の人生でわざわいにならないよう、オレが祈ってやろう。イエス・キリストを救い主として受け入れなさい。」と言った。素直な子なので(分かってなかっただけかもしれないが)彼女は受け入れた。それと、「貴女は下手すると一生この世界で暮らすことになりそうだから、もし3月の時点でお金が足りなかったら連絡してきなさい。出してやろう」と言って実名メールアドレスの入った、当時勤めていた会社名刺を渡した。

3月電話がかかってきて「ごめんなさい、足りないので出して下さい」と言う。いくら足りないときくと40万円と言う。あの仕事を5ヶ月やって60万円しか稼げなかったのか!?と思うが「身体を壊して病院で40万円使った」と言う。あとで知ったことだが、その子は本番禁止の店で本番をさせるといってネット上で有名だったのだ。子どもができておろしたのかもしれない。出すよというと「なんで他人の私にそこまでして下さるんですか?」ときくので「自分から言い出してしまたかです」と答える。神さまがこうしろと言っている、とは思わなかった。20万円程度で済むと思っていたのだ。僕がバカだったのだ。指定口座に40万円入金した。後悔はしたが、彼女に対しては悔しくなかった。一度神さまの名前を出しているのだから彼女が僕をだましたのであれば、彼女はそのせいで苦しんでいるだろう。今はちゃんと学校に行っていると信じたい、いやちゃんと学校に行っていたら、今頃卒業しているはずだけれど。ちなみにその店はつぶれて今はない。

こういうことは、やっているときには「火の中からつかみ出してでも救い、」という聖書のことばを思い浮かべるのだけれど、あとで考えると「自分クリスチャンであることを思い出して、自分のやっていることを恥ずかしく思え」という神さまのみこころだったのだろうか、とも思う。

2009-11-16

やる夫うつ病になったようです」を読んで

http://yaruomatome.blog10.fc2.com/blog-entry-163.html

とりあえずいろいろと考えた。

―――自分環境語り開始―――

現在の経歴】市立小学校→(受験)→私立中学校→(エスカレーター)→私立高校→(退学)→単位制高校

その時のノリとかで小学四年生から受験勉強を開始

受験塾の入塾テストもなかなかいい成績を取って、結構順調だとおもってたんだが、この頃からサボりくせが付いてて勉強全然なかった。天狗になってたのかもしれない。

当然成績もみるみる落ちていき、それを理由に軽いイジメにあった。

つーか内容にもいまいちついて行くなってたので授業をサボったりしまくってた。

イジメを見かねてウチの両親が別の塾に転入させた。

そこの入塾テストも結構難しかったのだが、好成績で合格

しかしやっぱり復習予習宿題をサボりまくったのでこっちでも落ちぶれていった。

結局授業もサボりはじめ、こんどは別の個別指導塾に入る。

このときには完全にサボり癖が定着していて、授業をサボったりもしたが、なんとか第二志望の中学に入学した。

まあココでも持ち前のサボり癖を発揮して宿題ブッチとかを多発。

中一と中二の間あたりに学校の授業すらサボりはじめてメンタルクリニックへ。一年くらい自宅警備してた。

中三からは復学したが、サボり癖は治らず、友達と会う場所として無理矢理学校に行ってた。

補習サボったりは当然、たまには授業もサボってた。

そんな状態だったので高校は別の学校に行くのではないかとおもったが、中学時代の担任の温情によりなんとか高校に上がった。

高校生になっても全然変わらなかった。何一つ。高校になったら担任が替わり、方針も変わったので俺は切られた。高校二年からは単位学校でそこそこの生活をやっている最中

―――自分環境語り終了―――

ココまで書いて自分語りしたかっただけじゃないかと思ったけどそれは置いておく。

・「自分に決まり事を作る」

最初の方に語られた「自分に決まり事を作る」というのが、よく考えると小学生時代からずっと当てはまってる気がするのだ。

小学生のころ、ノリで始めた受験勉強だったのだが、この時「受験して必ず合格する」という決まりを作ってしまった気がする。

受験勉強はノリで続けるにはあまりにも辛く、それが宿題サボりとかにも繋がってたと思う。

しかし親の入れ込み具合や自分ルールによってとてもじゃないけど「受験勉強やめたい」などと言えず、そのままずるずると塾→サボりでやめる→個別指導と繋がってしまったのかもしれない。

そしてサボり癖が完成して、中学に入り、復学したが今度は「友人と一緒に居るために勉強する」という自分ルールが出来てきた。

「友人と一緒に居るために勉強する」ルールとサボり癖が悪い方向に相互作用し、自己嫌悪をふくらませて言った。

ちなみに単位制の今は「中学時代の友人と同じ大学に行くための受験勉強をする」というルールとサボり癖が相互作用している。

・「考えが浮かばない、理解できない、話が進まないなどの思考の鈍さ」

勉強に関する支障だ。

一応参考書を読んだりは出来る。しかし、思うように頭の中に入ってくれないのだ。

問題を解くとき、方程式をそのまま使う問題は解ける。しかし、方程式を応用するべき問題で思うように解法の考えが思い浮かばない。

テストでの解答記入の際、初歩的な漢字が分からなくなる。内心で(こんな簡単な漢字が分からないはずがない、思い出さないと)と思えば思うほど頭がぼんやりとしてきて訳分からなくなってくる。

この文章を書いている間も自分語りありのまま話すだけだったのでうまくいったが、今こうして自分の考えを書くとなると思うように形になってくれない。自分が感じた違和感感想、考えがなんだのかよくわからなくなる。そして思考放棄をはじめ、筆を休めてしまう。この文章はその繰り返しだ。

・「焦燥感

最近はこれも顕著になってきた。自分ルール受験勉強をこなす」をなかなか達成できない自分に苛立ち、焦りを感じている。

サボり癖だ。具体的な目標を持って、サボり癖解消ももうすぐだろう、と四月頃は考えていたが、11月になった今になってもまったくその気配を見せない。

だんだんサボり癖を解消しない、勉強しない自分に対して焦りを感じてきている。



自分が鬱かどうか、最近は頻繁にこれについて悩むことがある。

わざわざ考えをここに書いたのも第三者にそれを判別してもらいたい、と思ったからである。

自問自答を始めると、どうしても

自分鬱病ではないか」→「自覚できる内は甘え」→「そうやって自分を追い込もうとする思考が鬱」→「自覚出来る内は甘え」→(以下略

と思考がループを始めてしまう。これが今の思考能力限界なんだと思う。

誰か判別してください。

俺に精神クリニック行く勇気をください。

2008-11-24

放り出す

まず小中学校には「退学」や「停学」という制度自体が無い(学校教育法施行規則第26条第3項:義務教育における懲戒退学の禁止、同4項:学齢生徒への停学の禁止)だから何をしても学校は「放り出し」たりしないしできない。


高校における停学は、停学にあたる行為をした、という事実認識させ、出席できることが当たり前のことでないことを今一度思い起こさせるための「処分」である。二度と復活が無いというものでない以上、学校は生徒を「放り出し」ているわけではないし、むしろ再び抱え込むために指導している。(ちなみに「停学」が「懲戒」として行われることは、まず無い。なぜなら正式の懲戒として停学を行うとそれは生徒の履歴として残さなくてはならないし教育委員会にも報告とかしないといけないので厄介。なので、あくまでも自主的な「謹慎」「出席停止」という形を取るのが普通。)


それから、親には養育『義務』があるけど、学校に課せられる『義務』とは『(望む者に、教育を受けられる)機会を与える義務』であって、自ら拒否する人間に無理矢理機会を与えるというのは基本的にサービス部分に過ぎない。馬を水飲み場に連れて行っても、無理矢理水を飲ませることはできない。学校工場ではない。右から原料(児童)を入れれば左から製品卒業生)が出てくるような装置ではないし出す義務が学校にあるわけではない。


さらに、普通に選択される多くの公立学校教育セーフティネットではない。小中学校に関しては退学という制度自体が無いから、極論言えば一日も通わなくても教師が出張してきたりして形だけ無理矢理「卒業」させるが、高校に関しては私立という選択肢もあるし中退者向けの私立単位制高校フリースクールなどもある。大学へ進みたい人向けには、高認(旧大検)がありその予備校がある。現在、多くの場合通信制定時制高等学校がその受け皿になっているが、都市部では大抵キャパシティを超えかけているし、そもそも本来それは受け皿のための課程ではない。


個人的には、一度公教育を自ら「放り出し」た人間であっても、望めば再度公教育が受けられるように門戸を広くすべきだと考える(たとえば中学校不登校になったのに「卒業」させられた生徒が、望めば再度公立中学校に通えるように。)が、許容量や指導上の問題、対応の難しさ(18歳以上が通学する場合喫煙を許可すべきか?、学生を狙った犯罪を企図する大人を排除できるか?、一般の大人に対して『校則』を適用することの問題、など)からほとんど実現していない。

http://anond.hatelabo.jp/20081124062919

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