はてなキーワード: クルクルパーとは
政府が市民に対して極秘人体実験を行い、ロボット化する訳がないと言う人もいるが、人体実験は2020年で終わり、これからは全ての日本人が人工知能と繋がった電磁波で管理されていく計画である。
残念ながら、人体通信網はすでに完成済みなのである。日本人の選別(家系)も、半世紀に渡り極秘で行われており、ほぼ完了している。
皆さんは、人体拡張と騙されてクルクルパーが開発した人工知能と脳と人体を繋げられ、自由なき灰色の人生を歩まないように気を付けていただきたい。ワクチンにも要注意である。
電磁波兵器で遠隔レイプされ、家族を病気にさせられ、資産を全て奪われているテクノロジー犯罪被害者が、すでに47都道府県にいる。
私は、肉体の遠隔操作で株式と貴金属を強制売却された挙げ句、自宅をスマート刑務所に改造され、電磁波兵器で毎日拷問されている。
これから、スマート畜産システムを人間に応用するシステムが日本に応用される計画である。コロナ騒動は、人工知能監視社会を促進するためのスイッチなのである。
「増田さんは話しかけづらいです。それと不潔です。頼みごとをしてもなかなかやってくれなくて困ってるんです。あと不潔です」
「増田さん?(ニヤニヤしながら)無能かつ自意識過剰な痛い人ですね。仕事遅いしいつも間違ってるし。遅くまで残ってるけど、単なる残業手当泥棒ですよ。あんなクルクルパー、よく当社に潜り込めましたね。あの人の採用を決めた人事もバカ丸出しですね。それかコネでも使ったんですか?」
「はあ。いやー増田さんのことはよく知りませんけどね、あまり話はしませんね。でもいきなりしゃべりだすからビックリしますよ。何言ってるかわかんないし話は通じにくいですねー。どうなんですかね、一方的にいきなり怒り出すみたいなこと聞きましたけど」
「社会人として基本的な知識や常識が欠けています。勉強の跡、努力の痕跡など何もありませんが、努力しているように装ったり、成果を誇張する小細工がミエミエです。痛いですよ。見ているこっちが気恥ずかしい。全体を見ようとせず、他人への配慮を見せず、報連相は当然ガン無視で、仕事は全然できていませんね。だからヘルプも入ってあげたし、助言もたくさんしてあげたのに、まったく生かそうとしていません。でもそれを当たり前だと思っている節があります。何様なのでしょうか。正規の手順を無断で簡略化してトラブルを起こしたり、楽をしようとして滑稽なことをやったりなどなど繰り返していますから、後輩の教育には害悪です。組織にとって有益な行為は皆無で、組織を円滑性を保つよう自主的に動いたり、上司の苦労を推し量って自分から進んで工夫していくとか、そういう配慮は見せません。まったくもって自己中心な人で、迷惑そのものです。自分が嫌われているという事実もその理由も増田さん自身は理解してないんじゃないですか?何事も増田さん自身が悪いのに、いつも他人のせいにしてばかりです。あといきなり休みすぎ。前もって言ってほしいですし、自分だけでなく周囲にも様々な事情があることや、他人が他人をカバーする苦労の様子など、少しは気にかけてほしいです。もうここまでくると、誰よりも一番かわいそうなのは彼の顧客ですよ」
「よくない噂はなんとなく聞いていたけど、あそこまで何もできない子だとは思わなかったね」
「もう無理だろ。まもなく鉄槌が下る。見てる人は見てるよ。待つしかない。好きにやらせといたら?指導なんか無理だし無駄。言っても何も聞かないじゃん。何度言ったことか。腹立たしいだけだ。もう直に話をする気にもならん。無能のお守りも仕事のうちだと思うしかないわな。それにしても背中から撃たれるのは勘弁だな」
「(腕組みして壁にもたれて)無理だろ」
私が20数年前、原付の試験を取得しに免許試験場へ行った時の話だ。
現在はどうか分からないが、運転適性検査の中に下記のような引っかけ問題が3種類あった。
当時は統合失調症という病名はまだ存在しなかった。精神異常者、●チガイ、クルクルパーという呼び名が当時のものだ。
この適性検査の3問に「はい」と答えると、精神異常者で運転不適格者のおそれがあると面接を課せられたのだそうだ。
当時私はなぜこのような訳の分からない問題が混ざっているのか鼻で笑っていた。
今思うに大昔から、そのようなことを言う人がいて、大体が頭のおかしい人、精神異常者が口にする言葉として考えられていたと思う。
さてそこで集ストテク犯だが、よく考えると
このように同義語として置き換えることが出来ると思わないだろうか?
集団ストーカー、テクノロジー犯罪の話をすると「統合失調症だ!」と決められるのは
加害側が情報操作や世論誘導などしなくても、世間はそう受け取ってしまう。それが悲しい現実なのだ。
いくら理論立ててイルミナティだなんだと主張しても、十把一絡げで「キチ●イ」として括られてしまう。
被害者加害者以外の大多数の方は、普通にそう思うのが当たり前と考えて欲しい。
またこの質問に「はい」と答えると、決めつけたり、陰で笑ったりするのが人の性なのだ。
クスクスと笑っているのが常と考えてほしい。これも普通のことなのだ。
これが世間の実相で、この犯罪に対する認知は自然にそうなっていくのだ。
内心笑いながら「可哀想だ人だな」などと同情されるのだ。
それをよく考えてください、と私は訴えたい。
街頭でも増田でも、この犯罪を叫べば叫ぶほど、同情されたり陰で笑われ、無視され、興味を持たれず、相手にされず。それが現実だ。
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yuruhuwa_kdenpa/status/1397921768740835340
これ。
「学生は大学生にとってお客様」「学生は大学に金払ってる側」みたいなクルクルパーマ頭発言が目立つけど、自治医大って防衛大学と同じく「学費無料、給料も出る」ビジネスでやってる大学じゃねえぞ。
それに今回コロナ感染者が出たから寮内の人間が外出禁止になってるんだろ? これはただの「連帯責任ペナルティ」じゃん。
不条理なのはそうだしいわゆるパワハラではあるが根本的には意識が成っていないものがいたことに無関心であったことに対しての去勢だろ。
というか軍隊とニアリーイコールの組織なんだからこの対応が悪手でもなんでも何でもない方が良いだろ。
つうかこのメールを報道機関に送ったやつこそ賊軍的な扱いしなきゃいけないんじゃないのかね。医者には守秘義務あるんやで? (このケースが守秘義務に該当しないかどうかの判断は結構センシティブだぜ?)
そうね、めちゃくちゃピーマンが嫌いな人も、口に出さず、食べることを避けていれば嫌いという事実が露見しない。
「ピーマン嫌いなんですか?」となったときも、マイルドに「そうなんですよ、ちょっと苦手で。いや、食べられないことはないんですけどね、積極的に食べる感じはないです。」とでも言っておけば角がたたない。
「ピーマンってなにあの形と味、信じられない苦味とまずさ。あれを好んで食うとか、舌が腐ってんのか?むしろあれを最初に食べようと思ったやつは野蛮人、先祖の風上にもおけない。きっと自分とは血の繋がりのないクルクルパーが食べやがったんだよ。それで俺は迷惑してるわけ。なんの罪もないのに。むしろあれを料理に使うっていう思考、嫌いすぎてむしろ好き、いややっぱり嫌いだな、憎い。おれの視界に入れるなよ」みたいなことを言い出すからピーマン好きとの間に摩擦が起こる。
家に居ろ。マジで。
経済回そう〜じゃないんだわ。
店に来る大都市からの観光客がバカみたいな顔で「むこうより安全だし楽しいね〜」とか言って殺人ウィルスばらまく狂人にしか見えない。
カメラを構えるな。ブスをブスが撮るな。帰れよ。というか来るな。バカかよ。
自粛、わかる?じ・しゅ・く
こわい びょうきが はやって いるから おうちで おとなしく していて くださいね
って言われてるの聞いたことない?
しかも昨日来た客のうち何人かはマスク無しでゲホゲホ咳しながら3時間近く居座って標準語でくっちゃべっる。
もしコロナじゃなかったとしてもだよ?
今この状況下でその体調で旅行する?どういう神経?デリカシーを持たずに生まれてきたのか?
また揃いも揃ってバカヅラした二十代前半のカップルばっかなんだわ。
どうせ旅行先でも今晩のセックスの事しか考えてねえんだろうから東京の家でセックスしてろよアホ!!
他人を命の危険に晒してまで移動先でバカヅラでセックスしたいってどんな衝動?
入店時間から考えて夜行バスか新幹線できてるんだろうしこうやってウィルスが全国に散らばっていくんだなと思う。
なぜ小池のババア含む大都市の首長は「他の都道府県にも行くな」と言わない?
圧倒的に保菌者が多くばら撒きの震源地であることは明らかなのに。
バカが数ヶ月我慢できないだけで死ななくていい人がどこかで死ぬ。
俺もまだ若者の範疇にはいる年齢だけど若者に注意喚起する意味わかったわ。
数の上では若者が圧倒的に移動している。そしてみんな自分は大丈夫だと心の底から信じている。
同時に年寄りなら死んでもいいかな笑老害だし笑とか思っているやつもきっとたくさんいる。
地方都市はまず老人が多い、そして働いている若者も実家住まいが多い。
家に自分が菌を持ち帰れば家族を殺してしまうかもしれないという緊張感がずっとある。
うちの客は地元の高齢者の常連もたくさんいる。どこの店もそう。
コロナ流行りはじめてからずっとみんな死なないでくれよと思ってる。
都会のやつらは頼むから家にいてくれ。今は国内旅行に出ないでくれ。地方都市に来ないでくれ。
俺たちを人殺しにしないでくれ。俺の家族や常連さんたちを殺さないでくれ。
一人一人に聞いてみたい。
明らかに生まれつき右手が無かったり脳みそがぶっ壊れてたりした場合は、「哀れみを向けるべき対象」と認定されることで社会に居場所が生まれる(といっても動物園の動物と似たようなポジションではあるが)。
でも発達障害のような軽度な社会不適合障害は単なる「人格破綻者」としかみなされない。
生まれつき社会の敵であり、死ぬまで社会の敵であり続けるのならば、それは生まれてきたことそのものが罪であるという他ない。
自閉症スペクトラム系の病気の何が最も辛いかといえばここなのではないだろうか?
理解されるされないという辛さがどこから生まれるかと言えば、それは「いわれなき罪により裁かれ続けることの苦痛」である。
だが、その罪は冤罪ではない。
脳みそがクルクルパーでIQが30しかないから人を殺したのならば裁かれない。
しかし自閉傾向によって生まれるストレスや社会との折り合いの悪さが、他社に対する暴力や社会への損害として現れたとき、それが裁きを逃れることはない。
つまり、社会は自閉症もどきであることを免罪符としては扱わず、それと同時にその存在そのものを罪とみなして「排除によく似ているが実際は違うというレッテルを貼り付けただけの排除」を繰り返していく。
人間社会に置いて何が罪かを決める権利が人間にあるのなら、発達障害の人間が生まれてきたことは間違いなく「罪」である。
そうでないなら何故彼らが日々裁かれなければならないのか?
発達障害の辛さの最も大きい所はここだと私は考える。