はてなキーワード: 死ねとは
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この記事の中の
いつも自分たちがやっていることでは?
「◯◯の言ってるアレってなんなんですか?〇〇も全然分かってないんじゃない?」
「趣味でしかやれない人。プロではない。資格がない。今回実感できたでしょ?あきらめてください。無駄なんだから」
「時計を見て終わるのを待ってるだけ。これが上級国民の考える黙秘権の行使なの?」
「学生時代の◯◯を見ても頭悪いのは明らか」
「全体の品位を貶めているだけ」
「どういう教育してんだよ」
「お前は被疑者なんだぞ?」
「やっぱり社会性が欠けていると言わざるを得ない」
「明確な嘘つき。詐欺師」
(´•ω•`; )
普段自分たちが批判している行為を他人がやっているの見て「こんな酷いことがよく出来るな」って平然と言えるの凄いな……
こっから出来る自己弁護って「公式の場所ではやらない」とか「面と向かって悪口を言ってるんじゃない」とか「ただの陰口でしょ?本人には届いてないから大丈夫だと思うが」とか「だって◯◯は明確に悪人じゃん」とか「被疑者ではなく確定した犯罪者だからセーフだろ」とかしかないと思うんだけど、それってこれまた他人が同じことやったら「言い訳になってない」「素直に訴えられろ」「諦めろ」「裁判になったら勝てないでしょ」とか自分らは言うんじゃないかな?
推察で他人を犯罪者扱いするなとかじゃなくて、実際に犯罪者や税金泥棒や社会不道徳を前にしたとしてもそれを罵倒していい理由にするのやめよ?
サバサバとかそういう表現で誤魔化せる段階を逸脱してる明確な罵詈雑言が溢れすぎているよ。
まあ確かに現代の社会ではまだまだ大人も子供も皆すぐそういうこと言うから他人にバカとかアホとか死ねとか泥棒とかガキとかキチガイとか許さんとか殺すとか平然と言うのが普通みたいになってるけどさ、こんなの次の50年では完全に時代遅れになるんじゃないかね?
昭和の時代は平気で人が路上で殴り合ったり上司が部下のケツ触ってたのが今では完全におかしなこととして扱われているのと同じように、令和という時代が全然未熟で人類の社会性が幼すぎたから許されていたってだけになるんじゃないの?
50年モラルを先取りしようや。
モラルの先取りしても損することって何かある?
クソみたいな家族の元育った。
ドラマの登場人物か?というくらい暴れるアル中無職の父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。
私は毎日何が何だかわからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。
父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転で事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。
母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでからも反省して欲しい。
母親が倒れたことで兄弟はバラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックのママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。
私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。
お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。
すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。
生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。
脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間に他人が入ってくることに少しホッとした。
私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。
勉強は一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコもセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。
高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。
家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率でノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分のタンスにしまっている。きもっ。
高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。
私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親から生まれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。
その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。
休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。
1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったものの卒業証書を貰うことができた。
高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘルや水商売を渡り歩き、22歳の時に介護の資格をとってからはずっと福祉の仕事を続けている。
数年前には社会福祉士の養成学校に入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。
ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレ母の子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。
セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。
3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。
中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。
22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを
もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。
その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。
それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。
食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。
もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。
そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護の資格を取ることだった。
介護の仕事といえば、学歴も職歴も関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。
福祉の仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。
普通の人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。
私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間のエリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去を言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。
今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。
私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。
それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。
優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。
何もかも私が悪い。
誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。
被害が拡大したのは民主党政権時代の「人からコンクリート」政策のせいだって言ってる壺ウヨキチガイカルトは、その後、民主党政権が政権を追われてから何年経ったかお忘れらしい。
いくらでも政策転換する時間も、土建業界を再建する時間もあっただろうに、それをせずに「観光立国」とか浮かれてたのはどこの下痢ゾーだよ。
今回の震災被害は全部壺ウヨカルト自民のせいだよ。そして被災地が自民王国である以上、それは天罰でもある。
受け入れて死ね。
男が稼いで女が家を守る時代は終わった。今の時代はリベラルだ。男女平等。一緒に稼いで、一緒に家事を分担して、一緒に子育てをする。
そういう世代に生きてきた。自分の小さいコミュニティでは、それが正義だと思っていた。
現実はどうだ。
仕事を平等に分担し、均質化すると、目立ってくるのは基本的な能力差だ。
なぜ自分より稼ぎが低く、家事と育児が適当な人間と暮らしているのか。加えて、育児が始まれば稼ぎも止まる。
育児は一生懸命やってくれている。でも、一緒にやることで見えるクオリティ差は歴然だ。
愛はある。でも、愛に加えて、合理的に仕事を分担し、効率的にこなしていくことこそ、家族の形だと思っていた。
実際は、合理的に、効率的に物事を進められる方に負荷が拠り、それをつらいと感じても、「家族とはそういうものではない」と切り捨てられる。
愛はあるんだ。でも、なぜなんだ。なぜ、そんなにも普通にできるはずのことが、普通にできないんだ。
選んだのはあなたでしょうと、一度決めたからにはと、たくさん言われる。そうさ、私が選んだ世界だ。じゃあもうこの世界から抜け出せず、あきらめたければ死ねばいいのか。