はてなキーワード: 焼き肉屋とは
>ネットやメディアや、身近な知り合いでも「あそこのラーメンがうまいから、あそこのラーメン屋にいこう」とかはっきりうまいと言ってる人がいる。
>正直、どこで食べても似たようなものでうまいと思ったことがない。
>激辛ラーメンとか、ベトナム風ラーメンとかかわったのは好みがあるかもしれんけど、普通のラーメン屋でうまいとかまずいとかどこでそう感じるんだろう。
ラーメンで行列の出来る店だとか、あそこは絶品ラーメンだとか、いろんな人が口々に言うけれど、私はラーメンにそこまで入れ込む理由がさっぱり分からない。
店主だって命がけでスープとか仕込みとかやってたりするけど、そう言う評判のラーメンを食べてもそこまでの思い入れに至ることはない。
ただただ普通に「ふーん」と食すだけであるし、「これはうまい!」だなんて一度も思ったことはない。
他の食べ物については「これはうまい!」と思うことはそれなりにある。
昔から行っている焼き肉屋さんは今でも絶品だし、隠れ家的なあのパスタ店のカルボナーラは最高だ。職場の近所にあるうどん屋のカレーうどんがあんなにうまくて安いとは信じられない。パンケーキの美味しい店だって知っているし、麻婆豆腐ランチのうまい店も知っている。
だけどラーメンはない。
単なる私の趣向に過ぎないのだろうとは思うが。
どうもジェネレーションYの者です。
ジェネレーションYとは2000年代に成人を迎えた世代。1980年から1990年までの生まれの人間です。
ゆとり世代ではないですが、半ドンから週休二日に移行するころに生きていたのが私です。
そんなちょっと上の世代から、1990年以降生まれのジェネレーションZ世代に向けて悪態をつきたい気分なので書きます。
ジェネレーションZ世代とは、完全なるインターネットネイティブである。それゆえ現代では、ソーシャルネットワークを使って連絡する世代だと言われています。
他にも、小学校時代にflash全盛期、中学校でニコニコ全盛期、高校でアニメ最盛期。そしてソシャゲの全盛期を迎えて、インターネットを謳歌している世代だと言われています。
非正規雇用も前の世代同様多いんだろうな。俺はこいつらが嫌いだ。
なぜ一方的に敵視するのか?それはこいつらは金を回さない糞野郎だと俺は知っているからだ。
インターネット最盛期を生きた。それはいい事なんだろう。テクノロジーの進歩とともに生きている。それはいいことだ。
まず、学校裏サイト。このニュースが出始めたのは2007年ころだろうか?ちょうどジェネレーションZが小学校の頃だ。
こいつらはソーシャルネットを駆使しているというが、結局の所は学校裏サイトで培った性根の卑しいコミュニケーションが基礎になっているんだろう。
サブ垢、裏垢なんてのを使いこなしていそうだ。まったくもってかわいげのない糞野郎だ。インターネットネイティブが聞いてあきれる。
インターネットネイティブを名乗るなら。匿名もしくはペンネームのアカウント一本で男らしくいくべきだ。
裏垢、サブ垢なんてズルズルベッタンコ!女みたいな卑しい根性をした野郎共だ。
この頃社会問題になったニュースをもう一つ憶えているだろうか?そう、マジコンだ。
小学生にマジコンが大ブームになり、親が子供にマジコンを買い与えることが問題にもなった。
もうジェネレーションZは趣味にお金を使う世代ではないのだ。きっと、漫画だってフリーブックスで読んでいるんだろう。
なぜならソシャゲ以外の娯楽にお金を使うということを憶えてこなかった世代である。まったくもって貧しい世代だ。
最近問題になっている焼き肉屋で晩御飯。居酒屋で晩御飯という非常識な真似をするのもこの世代なんだろう。
まったく。浪費と消費の違いも分かっていない貧乏ったらしい、糞みたいなやつらだ。
「一般的な解答」は、「人数増えても後続の案内に支障がでないなら許容範囲」「人数増えたことで増えた分だけ後続に不利益が生じるなら不許可」ってとこなんだろうね。
たとえば、「一人いっこ限定」の限定品買う列に、一人だけ並ばせておいて、あとからグループの仲間が直前にどやどや入り込んだら、それは後ろの客から文句がでるだろう。福袋とか。転売屋だってそこまでトラブルおこすような真似しないだろう(だからバイト雇って並ばせたりするわけで)。
でも一方で、居酒屋とかで「何人いようが、案内する順番が変わるわけじゃない」とかなら、後ろの客は大して気にもしないだろう。回転寿司屋とか焼き肉屋の例も、多分そう。現実的には先に店に入る人が増えればそりゃ若干料理を食うのは遅くなるだろうが、どうせグループの注文量に縛りがあるわけでもないんだから、誤差の範囲だ。案内されるまでの時間が変わらないなら、入った客への怒りは湧きにくいだろう。
だから、「評判のラーメン屋」という条件が、案件としては微妙なんだよね。飲食店だからと後者のノリでつい「友達と一緒に」をやっても、一人でラーメン食いに来てる増田から見たら、前者の例にしか感じられない。難しいね。
ボンキュッボンのセッシ盆
ボンキュッボンのセッシ盆
赤子泣いても蓋とるな
ボンキュッボンのセッシ盆
焼き肉焼いても家焼くな
あれは私がまだ幼かった頃、お母さんは夕焼けで父さんは胸焼けだった。
わかってくれるだろうか?皆さんにもお分かりいただけただろうか?
焼き肉屋さんでお代わりをいただこうとしたら中盛りか大盛りか聞かれたことがあった。
中盛りも食べきれなさそうだった私は小盛りを食べようとした。
蝙蝠は雑食性で何でも食べるらしいがフルーツしか食べない種もいるらしい。贅沢な奴め。
カルビ、ロースと食べ進めていたところ、不意に父のポケベルが鳴った。
座敷には私と母と姉だけだった。
そこに先ほど頼んだ蝙蝠の姿焼が届いた。
「お父さんが帰ってくるまで待っていようね」という母の言葉に私は不承不承頷いた。
しかしその日を境に父が帰ってくることはなかった。
毎年この時期になると思いだす幼いころの記憶だ。
ボンキュッボンのセッシ盆
http://anond.hatelabo.jp/20150526022138
「フェミニズムには、男性のジェンダー不平等も解消する義務がある」を書いた元増田だけど、私が言いたかったことを拾っていただ
けたと感じたのでお返事する。(もうしわけないが、後半の話はよく理解できなかったけど)
フェミの定義をあなたの目線からジェンダー不平等の解消と取るのは仕方のない部分はある(というかだからフェミ的規範を内面化し
た)が、エマ・ワトソンのスピーチはやはり特異である(だから話題になった)。彼女はフェミニズムがすでに行き詰まっているとい
う認識を持っているからああいう台詞を吐いたのであって、あれはあなたの認識する「フェミ」の総意では全くない。
あなたの想定している「フェミニズム」は残念ながら存在しない。彼女/彼らは、ただの政治的椅子取りゲームを行っているだけだ。
それを、不変的な公正だと欺瞞しているだけだ。公正とは何か?民主主義の名の下では対話を重ねて合意されて規定されるもののはず
↑は薄々感づいてはいたけれど、今回の件でやっぱりそうなんだなとハッキリした。
私はフェミニズムの運動に直接関わっているわけではないし、弱者男性というほどには経済的にも情愛的にも困っていない男なんだけど。
普通に人生を送っていてときどき耳に入ってくる、フェミニストが言う「ジェンダー規範からの解放」というお題目は、深く共感でき
る話だとずっと思って生きてきた。なぜなら私も男として、「男らしさ」という規範に生きづらさを感じてきた人間だったから(あな
たの『フェミ的規範を内面化した男』という私の人物像の推測は、当たっている)。
そうしてフェミニズムに興味を持ち、フェミニズムの本を読み、なるほどやっぱりいいこと言うなとフェミニズムに共感してきたんだ
けど、ネットでの非モテや弱者男性に対するフェミニストの冷淡な態度を見るうちに、あれあれこれはおかしいぞ、と思うようになった。
http://anond.hatelabo.jp/20150525015701
↑の増田が指摘する通り、私が見たところ、弱者男性が苦しんでいるのは(少なくともその要因の一部は)マチズモ、つまり「男らしさ」
私が共感したフェミニズムの「ジェンダー規範からの解放」というお題目からすれば、フェミニズムの射程はジェンダー規範に苦しむ
女性だけではなく、ジェンダー規範に苦しむ男性まで及んで当然のハズである。しかし実際には、どう見てもフェミニズムは男性のジ
ェンダー不平等を無視し、女性側のジェンダー不平等ばかりを取り上げている。言ってることとやってることが、まったく違う。
喩えるなら、私は焼き肉が食いたくて焼き肉屋の看板上げてる店に入ったのに、メニューに焼き肉の姿はなく、なぜかうどんを食わ
された、みたいな。
焼き肉屋の看板出すなら、ちゃんと焼き肉出せよ。それは焼き肉屋の義務だろう。それが嫌なら誤解されないように、最初から
だから私は、「フェミニズムには、男性のジェンダー不平等も解消する義務がある」と書いたし、「騙された」と書いた。
先日、上野千鶴子さんのインタビュー(確か、朝日新聞だったと思う。URLは失念。申し訳ない)を読んでいたら、こんなことを言っていた。
最初からこう言ってもらえれば、いいんだよ。そうしたら、私も変に勘違いすることもなかった。いまのフェミニズムは、単純に言
行不一致なんだよ。