はてなキーワード: 死にたいとは
>ご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている
なんで私以外のみんなは、他者に興味を持つことができるのだろう。
単なる性的な関心とも、博愛精神とも、友情とも峻別できる他者への好意が自分の心に存在することを、
さらには、自分と親しく関係することを他者に求めるわがままを自分に許す。
なんで私以外のみんなにはできて、私にはできないのだろう。
寡黙な父の遺伝子のせいだろうか、会話の少ない家庭で育ったせいだろうか、
私には他者に興味を持つことを自分に強いる必要があるのだろうか、とか。
人種が違う。悲しくなりこそはすれ、うらやましいと思うことはなかった。
そんな私だけど、婚活を始めようと思っている。
年のせいで、あれこれ真面目に考えることができなくなってしまったからだ。
それにあれこれ考えたところで、人との関係は自分一人で作るものではなく人と一緒に作るモノだ。
今さら人を愛したいとも、人から愛されたいとも思わないけれど、
一緒に登山に行き、温泉に行き、少しうまいモノでも食べましょう、
くらいのノリから始まって、一人で死ぬ人生よりも、まだましな人生が見つかるかもしれない。
朝の8時から1時間から2時間と夜の5時から1時間か二時間だけ仕事がある。
あとはずっと待機。
休みは不定期。ただし俺の立場が一番低いのでシフトを決める権限とかはない。両親の都合に合わせることになる。
昼間からウロウロしてると近所の目が気になるのであまり出てもいけない
バイトをしようにもそんな微妙な時間帯のバイトなんかど田舎の近所にはない。
バイト紹介サイトを検索するとポイントサイトとかアンケートばかり出てくる。
なので結局家にいるわけだけど、両親は健在なので俺の居場所はリビングにはない
というか一階にはない
そして外出のたびにたいして仲が良くない両親に行き先を確認される
というか顔を合わすだけで嫌な顔される。
流石に通販は嫌味をいわれる程度だが、請求書などは普通に開封される。
そして使いすぎだ無駄だと怒り始める。なので請求書はすべてWEBにした
給料は月6万だか。
税金と年金は両親が払っている。これはありがたいと思うがこの金額でそこまで払えとか言われても無理である。
これで少しは金を入れろ。貯金しろ。というが無茶苦茶なこと言うなよ
しかしやることがほんとにない。
それこそパソコンでユウチューブをみるかギャンブルをやる程度である。
両親はバイトしろ!働け!というが数分後には同じ口で「明日の夕方行ってくれるか」「今度の日曜予定が変わったから行ってくれるか」とか言い出す。
こんな生活から抜け出したい、と思うが現実的にカネがないのだ。
手元にカネがないのに抜け出せるわけがない
そういったわけでで24時間全方位から小さな針でチクチクチクチクと刺され続けるような生活をしている。
大変つらい。死にたい。
【追記】
ど田舎から片田舎のハロワ(車で片道1時間)に行き仕事を探すのは当然やった。
というか2.3年通った。
やったわけだが、バイトすらないど田舎より多少マシくらいな募集しかないのである。
ご近所さんが実家から通うんだろうな、レベルの待遇の仕事が大半なのである。
いやまぁそりゃ田舎の中小企業って普通そんなもんなわけだけど、俺にとってはそういう企業に片道1時間かけて通うか家賃払って一人暮らしするかの二択である。
そこに住んでる人たちは1時間か30分くらい走らせてもっと都市部に行くのだろう
がこちらは低賃金のバイトと祖母の年金からもらった小遣いでガソリン代やら昼飯代やらを出してるニートのカスであった。
片道1時間でも時間と財布的に辛いのにそんなの行けるわけがない。というかハロワに通うガソリン代すらなかったことがある。
「お前いつも募集出してんな」「最低賃金って知ってる?ギリギリ大丈夫?」「ネットでブラックの典型扱いされるやつやん」という募集を避けて避けてその中でも資格や条件が一致した募集に応募しても落ちる落ちる。
明らかに採用する気がない面接に、二三ヶ月放置してくせに隣の県の本社に呼び出すカスみたいな会社、普通に落ちた会社と落ちまくり、なんかもう人生とか就活が嫌になり足が遠のくことになった。
そういうわけで実家の家業手伝えという話になっていくのである。
今考えるとあそこで親に土下座して100万でも借りて都会で就活でもしたほうが親もこんなカス家に置いとかなくて良かったわけでみんなハッピーだったんじゃなかろうか
まぁ今更だな。。
また人事考課の季節がやってきた。
毎回、自己評価シートみたいのを書かなきゃいけないんだが、これが死ぬほどつらい。
普段の業務ならそんなことはないのだが、これを書いてるときだけは、「死にたい、死ななきゃ、、」って思っちゃうくらいつらい。
嘘八百並び立ててる罪悪感と、自分がスッカスカの人間だってことが突きつけられるからか。
というより何が正解かわからない、霧の中で地雷原を歩くような不安な感じが大嫌いだ。
とにかく、本当に筆が進まないんだよ。頭を壁に打ち付けているような感覚。
合理的にいって生産性のない寝たきりの老人や重度の知的障害者、傷病者から口減らしすることだろう。
逆に言うと、それらの人間は裕福な世界においても愛玩動物と変わらない。
余裕があるから生かしてやってるだけだ。
ボケる前に、要介護状態になるまえに元気なうちにサクッと死にたいな。
そう思う。
うん、まずい思考だ。
生まれたときからボケてるみたいな知的障害者や四肢欠損している人のことを、無意識にこう思っている。
「よく生きていられるな、早くしねばいいのに」
大体の場合表面に浮かぶことはない。考えることが罪であるかのように押し殺された思考だ。
死にたいな。
仕事と育児が忙しくほとんど自分の時間がない。観たい映画ややりたいゲームがほとんどできてない。趣味の時間もない。
でも君たちはどう生きるかなどネタバレサイトでストーリーだけ教えてもらった。
サイバーパンクのアニメとゲームのストーリーは全部ネタバレサイトで知った。
エルデンリングやゼルダなどやりたいと思ったゲームは買っただけで開封すらしていない。
話題のアニメを全部追いかけることはできないから定年退職後に全部まとめて見ようと思う。
毎日機嫌が悪くて酷いことを言われるけど我が家では俺が全部我慢してる。
人並みに夜寝なかったりイヤイヤ期が来たりおねしょの処理を毎日した時期もあった。
子供と一緒にポケモン、プリキュア、特撮を観るのがすごく苦痛。
買い物する時は妻の指示通りに買わないと殴られるから俺はいらないのに無駄に高いものばかり買っている。
幸いなのかわからないが、身近な人が死ぬは3度あったくらいだ。小学生のころの中の良かった友達の祖母、私の祖母、友人だ。まあ、母はいい年なのでそんなに長くないだろう。父は知らん。
ふと思った。死に関わりがないのは、自身が死んで周りの人間に死を振りまくためなんじゃないかと。自身の死という一番大きい死にすぐにでも関わるべきなんじゃないかと。そう思ったらいつ死のうか、どうやって死のうか、そんなことばかり考えてしまう。
でも、死ぬのって色々考えてしまう。痛いのが長いと嫌だな。即死がいいな。誰にも迷惑かけないといいな。そんなの無理だ。前からやってきた男に刺されないかな。線路に飛び込むのは迷惑がかかりすぎるからだめだ。首吊りは糞便垂れ流しになるのがいやだな。死ぬならそんなの関係ないのに。練炭が安らかにいけそう。イメージだけど。母親よりは後に死にたいな。だから早く死なないかな。道歩いてたらいきなり轢かれたいな。
最近はいよいよ死にたくなってきた。死ぬ準備をすると止まれなくなりそうだから。とりあえずでも。準備はできないな。明日というか今日は金曜日。あと一日がんばろう。