子育てがしんどくとも、それを上回る喜びが得られると期待できる(信じられる)人と、そうでない人の差。
それは結局、自分の親から「私はあなたがいて幸せです」と言葉と態度で示してもらえたかどうかなんじゃないかと思う。
「もしあなたが産まれなければ、あなたの親はもっと幸せだったと思いますか?」という問いに、イエスと答える人と、そんなこと思ってもみなかった人とでは、世界の見え方は全く異なる。当人の責任ではまったくないというのに。
「子供とはいるだけで親に喜びや幸せをくれるものである」という観念を植え付けてもらえた人は、実際に子供がいるだけで喜びを感じられるし、だから育児のしんどさにも耐えられるし、幸せな家庭を築ける。そういうサイクルがあるのだろう。
逆に、親にそれを示してもらえなかった人はどうすればいいのだ。友人や同僚、物語や歌、あるいは共同体か宗教かが代わりになってくれるのだろうか。
もちろん、子供がいらないという人がみんなそうだというつもりはないし、幸せのかたちはみんな違っていてもいいのは前提としてだ。
良かれと思った独善的な押し売りの成功体験があれば堂々と普通こうでしょと言えて幸せだ
それはそうなんだけど、一方で恵まれない家庭環境に育った人が「自分で理想の温かい家庭を作りたい!」という願いを持つようになるケースもある。 彼らはどこでその信念をインスト...