2023-06-09

育児に喜びを期待できる人とそうでない人の違い

子育てがしんどくとも、それを上回る喜びが得られると期待できる(信じられる)人と、そうでない人の差。

それは結局、自分の親から「私はあなたがいて幸せです」と言葉と態度で示してもらえたかどうかなんじゃないかと思う。

「もしあなたが産まれなければ、あなたの親はもっと幸せだったと思いますか?」という問いに、イエスと答える人と、そんなこと思ってもみなかった人とでは、世界の見え方は全く異なる。当人責任ではまったくないというのに。

子供はいるだけで親に喜びや幸せをくれるものである」という観念を植え付けてもらえた人は、実際に子供がいるだけで喜びを感じられるし、だから育児のしんどさにも耐えられるし、幸せな家庭を築ける。そういうサイクルがあるのだろう。

逆に、親にそれを示してもらえなかった人はどうすればいいのだ。友人や同僚、物語や歌、あるいは共同体宗教かが代わりになってくれるのだろうか。

もちろん、子供がいらないという人がみんなそうだというつもりはないし、幸せのかたちはみんな違っていてもいいのは前提としてだ。

育児に喜びがあるはずだと期待できるというのは、結構まれたことなのではないのかな。

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  • それはそうなんだけど、一方で恵まれない家庭環境に育った人が「自分で理想の温かい家庭を作りたい!」という願いを持つようになるケースもある。 彼らはどこでその信念をインスト...

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