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はてなキーワード: 山一とは

2011-08-15

東日本大震災

被災地支援競走

福岡58周年記念

G1 福岡チャンピオンカップ

6日目

 1R 吉永浩則

 2R 今村豊

 3R 川上昇平

 4R 池田浩二

 5R 花田和明

 6R 山一鉄也

 7R 重成一人

 8R 松田祐季

 9R 藤丸光一

10R 原田幸哉

11R 松井繁

12R 優勝戦

1着 坪井康晴

\_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!クラッカー

2着 平田康晴

3着 渡邉英児

4着 郷原章平

5着 菊池孝平

6着 瓜生正義

2011-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20110629003241

2だったら、どうせ却下されるんで、国益は害されないでしょう。

甘いな。

確かに申請した特許とやらの内容次第ではあるが、中国過去やらかし知財絡みの数々の前科を見知ってる人間には最悪の事態がどうしても頭によぎってしまうんだよ。

たとえば、ロシアから戦闘機ライセンス生産契約たかと思ったら、その数年後にそっくりな戦闘機を作り始めて「我々のオリジナルだ」と言い張って、本家より安い値段でロシアの得意客に営業かけてロシアが激怒したとか、某財閥系の重金属工業中国工場建てたら、山一つ越えた所に全く同じ(門のデザインから従業員用トイレの位置、駐車場の形まで)そっくりな工場がいつのまにか稼働してた、なんて話がザラにある国なんよ。

何年か前にも、海外製の情報機器設計からコードから全部判読可能な形で中国当局に公開しないと販売を許可しない、なんて法律を通そうとしてた事もあった。

2011-03-15

ネットが繋がった

ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。

しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。

ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員場合

■3/11以前

地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。

■3/11

その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常はない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社ビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新連合会という右翼街宣車が自慢の拡声器交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節ヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議した予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこから上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚ギターパソコンモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時情報を得る手段がラジオツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリン無駄したはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。

■3/12

7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官交通整理をしていた。父曰く倉庫しまわれていた新車両パトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニ携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニ開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器キーンという音がした電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫電子レンジ炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社カップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。

■3/13

この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出した会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞スーパーコンビニガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかいごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンションはところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道ネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在スタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。

■3/14

この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパー情報や給水所の情報ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件震災で中止になったが、スーパー広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事仕事から」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気水道が通り、そこかしこ炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司たまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円カレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをしたネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽ情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報ほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談たいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災過去の話ではなくて、現在進行中だ。

■3/15

そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい原発に関する情報も、政府報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。

2010-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20101217021840

山一JAL大企業じゃないって意味か?

ちゃんと利益に貢献しているスキルがあるなら、転職先があるだろうし

そうじゃないのに、大企業というだけでヌクヌクしているから、逆に、多くの大企業が潰れるんだろ。

それに、大企業に努めましたリストラ食らいました。社内政治しか能力がありません。コンビニで店員です。って人生のほうが悲惨だと思うが・・・

大企業は潰れない、リストラされないなんて、幻想

2010-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20100924171003

さらに横からだけど

人生の選択によって有利・不利

って何だろうな? 万事塞翁が馬 じゃないけど 10年20年という単位で考えると 短期的な有利が 必ずしも長期的な有利ではないし不利になることもある。逆も真。

結局、人生なんて、何が起きるかわからない。どう転ぶかもわからない。栄転・左遷起業倒産。なんでもござれ。なんだよね。

山一だってJALだって、いろいろあるぁ

そういうときに、手に職じゃないけど、一芸がないと辛いよね。だからまぁ、最後に頼る自分武器は 自分で決めて作らないと。

中年にも成ると、出世した友人から、死亡した友人までいろいろ見てくる。

結局、生き延びる力は、自分自身のガッツと生きる武器。そしてまぁ、最後は、ピンチの時に笑って楽しむ図太さだろうかと思う。

2010-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20100818205536

いいけど、競争原理コネと金しかなければ、より大企業が規模のビジネスで参入してきたらあっという間に終わるというリスクがあるかと思うんだが。

山一だって潰れるわけだし。

製造業と販売業のリスク比較しても仕方がない。

それに、職人趣味と実益を兼ねているわけだし。そもそも、本当に良いものは金で売ったりしていない。金でうってもいい程度のものをありがたく買ってくれるんだから、お互い様でいいんじゃない

2010-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20100718015902

確かにその影響もあると思います。

ただしかし、そもそも山一とかの前段階で内部留保率が高かったので

これは間接金融が非常に多い日本金融環境が多大に影響しているのでは、と思っております。

更に言うなら、日本現在の景気状況や政治状況を見る限り、

倒産リスク等を恐れて内部留保にまわすことが非常に合理的で

仮に欧米経営者日本企業経営してても大して変わらない状況になるだろーなーなんて思ってます。

想像に過ぎませんがw

だから日本経営者マインドが…といった話は、個人的にはちょっとしっくりこないんですよね。

http://anond.hatelabo.jp/20100718015153

ちなみに内部留保が多いとかは、会社マインド等ではなく日本の間接金融偏重の弊害だと私は思ってます。

ダウトだろ。内部留保時系列でみていったら、最近の方が直接調達が増えてるのに、それで内部留保は下がるどころか上がってる。山一以降の、いわば借金恐怖症的なマインドの問題が大きいと思うぞ。

2010-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20100429035537

経済学常識があるなら、リーマン・ショックなんか、起こさないで欲しいものだし、ブラックマンデーも起こさないで欲しい、山一が潰れないとか言わないで欲しいねぇ。

まさに経済学コンセンサスを無視した結果がこれだよ。経済学的には別にブラックスワンが起きないと保証できる訳ではないが、少なくとも0年代アメリカ市場の暴走は適切な政策で抑える事は出来ていたはずだよ。山一潰れないとかどこの経済学者だよwwwTV経済評論家経済学と一緒にすんな。

投資銀行モラルハザードに対してはまだ研究が十分に足りないのだろ。だからそこに関してはバランスを取りつつオバマが舵取りをしないといけない。それが政治家の本当の役割。

アメリカはその後適切な経済政策を導入した結果持ち直しているが、今の日銀のようにデフレ方向に暴走している事を経済学が警告しているのに無視し続けているのを止める能力も知識もない時点でルーピー政権は論外だろ。

予算があれば何でも成功すると言うもんでもない。

まさにその理由で基礎科学国の責任でやるしかないんだよ。リターンがあるかどうか民間では判断出来ない、事業化に結びつくかもあやふやなリスクが高い事は基礎研究として国や民間の寄付大学とかな)によって新しい可能性を発見し続けて行くしか国家の発展はないんだから。

ちなみに、どこの国のことで、絶対額で日本の何倍出していて、どういう成功を収めたの?

ググレカ(ry

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/008/siryo/04122701/005/001.pdf

日本科学者に厚遇している科学大国とでも思っていたのか?

http://anond.hatelabo.jp/20100429032551

経済学常識があるなら、リーマン・ショックなんか、起こさないで欲しいものだし、ブラックマンデーも起こさないで欲しい、山一が潰れないとか言わないで欲しいねぇ。

予算があった奴らが失敗して、民間が成功したコンタクトレンズメニコンの例もある。

予算があれば何でも成功すると言うもんでもない。

ちなみに、どこの国のことで、絶対額で日本の何倍出していて、どういう成功を収めたの?

2010-02-28

どうして「臭いものにフタ」では差別がなくならないかという簡単な理

一例

http://d.hatena.ne.jp/karaimonokirai/20100225/1267111952

客観的に見て、筆者に「あらかじめ偏見や悪意があったわけではない」とは思う。だが、筆者はこれらの光景を「自分の目で見て、素直に判断して、とある一国の文化(あるいは「国民性」とか言い換えても可)が『嫌いになった』」と発言している。

あるいは、多くの人が「何が問題なの?これはこれで正当じゃん」と思うかもしれない。だが、そう言う人は、たとえば捕鯨問題についてどのような感想を持つのだろうか?

たとえばとあるアメリカ人が、自分の「印象」に基づいてこんな記事を書いたとする。

自分日本は好きでも嫌いでも無いし、別に環境保護について強い関心があるわけでもない。だが日本旅行中、食堂などで捕鯨問題を取り上げたニュースがあると、それを見る人は大抵「シーシェパードは頭がおかしい」とか「所詮金のために環境保護を利用しているだけだ」とかいったコメントばかり言い、「鯨を殺すのはおかしい」という意見については自分経験した範囲では一度も耳にしなかったことに驚いた。街中でも鯨肉など提供しているところは見ないしほとんどの人は日常的に鯨を食べないのに、鯨を殺すことに対してどうしてこれほど寛容なのか。残念ながら、自分日本人というのは非常に残酷民族なのだという感慨をもって日本を後にすることになった。

これは公正(fair)な議論だろうか。

私は、残念ながらこれは差別だと思う。彼は、鯨を「食物」と見ない文化から訪れており、かつまた自分たちの文化過去にどれほど鯨を殺したかも知らない。彼の問題点は、物事に対する歴史的視点や、自分の背負う文化に対する批判的観点というものが欠如していて、自分の「素朴な感想世界を見ることに全く無批判」である点だ。

「彼」は一応架空の存在である(よかった)。しかし、彼が今後日本に関する問題について、常にこの「見方」を「事実」として自分の判断根拠に採用することはほぼ疑いない(残念なことに)。彼は、パールハーバーも、太平洋戦争時のアメリカにおける日系人差別収容所のことも、あるいは貿易摩擦から生まれたジャパンバッシングも知らないかもしれない。だが、何も教えなくても彼は、とある民族をひとくくりにして、unfairな意見に基づいた判断を下すようになった。これは立派に「偏見」であり「差別」ではないか。差別偏見は、このように日々誕生するのであって、過去差別について「教えなければ消える」というものではない。

捕鯨に関してだけではなく、とあるものごとについて、それをめぐる政治的状況、文化的文脈(コンテクスト)といったもの、状況性や歴史性や文化性を全く無視して(更に言えば自分自身の背負っている状況性や歴史性や文化性について全く批判的でなく)発言するとき、常にこのような危険は発生する。「率直で素直な感想」と称されるものは、非常に危険なのだ。

自分がそう思ったことは事実であり何がわるいのか」といったヒラキナオリ、つまり「率直で素直な感想」と本人が認識しているだけに、こういった感想に基づく「意見」が修正されることは少ない。実際、「率直な感想は絶対であり、それを修正することなど出来ない」と多くの人は思っている。だがそれは大きな間違いだ。歴史性や文化コンテクストを学ぶことで、ものの見え方や風景など簡単に一変するからだ。ある人の背景(たとえば「強がりをせざるを得ない状況や過去」)を知ることで、「ツン」な行動が可愛く(「デレ」に)見えてくる、という現象はとみに知られているが、それも同じである。「学習」は「印象」を大きく変化させる。

そもそも我々は、様々な状況性や文化を背負うからこそ、物事を認識できるのであって、「率直で素直な感想」といったものなど、本当は存在しない。どんなに直感的感情的判断であっても、何かを判断するとき私たちは必ず何らかの「知識」を土台にして判断している。学ばなければ、私たちはほとんど何も感じず、表明することもない。生まれたばかりの赤ん坊は、自分を取り上げる産科医や両親の「美醜」を「判断」したりはしない(子どもがそういうことで悩むのは、おおむね思春期の頃である)。


我々は、互いに離れた土地に住み、そして相手のことをよく知らない。知らないことは恐れを生み、行き違いや偏見を生む。そして差別が始まる。かつては川一つ、山一つ隔てるだけでも、そうであった(「○○村の奴らとはクチをきいちゃなんねえ」的な)。教えるから差別が持続するのではない、教えないから差別は発生するのである。ただし、それは「かつてはこんな差別がありました。差別はいけませんね。以上」といったことを教えるということではない。

従って、たとえば人権について学ぶプログラムは、以下のように進められなくてはならない。

小学校

 低学年……「作法」として、「陰口を言わない」で「みんな仲良くする」ことを学ぶ

 中学年……「作法」として、「素直で柔軟な発想を大切にする」「賞める」ことを学ぶ

 高学年……「作法」として、「文化を大切にすること」「おせっかいと勇気は違うこと」を学ぶ

中学校 ……「知識」として、「色々な価値観文化が存在すること」を学ぶ。

高校  ……「論理」として、「差別偏見はいかに発生するか」「人間の弱さ」という問題についてを考える

大学  ……「実践」から学ぶ。ボランティア活動や異文化体験など。

現状、人権教育にこういう見通しがないことはとても残念である。小学生に(イイトコだけ見せるような)異文化体験を推進したりしている人は、将来その子が「欺された!小学校の教師なんて嘘つきだった!」という感想をもつ可能性について全く想像していないのだろうか。私は、上のような準備が子どもにできないうちから安易に異文化体験を進めることは、百害あって一利無しだと考えている。

最初の文章の筆者に対して、どのようなメッセージがあるわけではないが、もし可能ならば、今回の件を踏まえた上で、単純に隣国を「嫌う」のではなく、「なぜ『今の日本』に住む私は、『今の韓国』の文化にこのような感想を抱くのか?」ということについて、調べたり考えたりしてくれるといいな、とは思う。これを読んだ後、たとえば図書館戦前日本大衆雑誌とか読んでみるだけでも、私が言わんとすることは理解して貰えるだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20090806121628

日本では大企業なら基本的には潰れないよ。

国と銀行が守ってくれるから。

中小企業は毎日のように潰れてるけど、

大企業で潰れた所なんて山一ぐらいしか知らないでしょ?

JALだってリストラ子会社で行って、

本体は借金チャラでぬくぬくしてる。

数年後には人気企業になってるだろうね。

2008-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20081213064025

上がる前に買う物買っておこうっていう駆け込み需要の反動で一時的に下がっただけで、けっこう早くに景気は回復したんだという人もいて、よくわからない。

消費税が上がった97年春は下がってるが夏は前年より下がってないから、反動は短期間だったというのはよく言われるが、96年夏はo157とか冷夏で消費が落ち込んでたので、実は夏も消費が悪かった。秋以降はアジア金融危機やら山一拓銀破綻があったんで結局一時的なものじゃなくそのまま不況が深刻化していった。

2008-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20081105014431

幸せそうでいいな。

もうその生活も終わると思うけど。

山一破綻なんていう、生易しい事態の100倍は酷いことになると思うよ。

n倍の定義なんてどうでもいい事態に。

大統領オバマかな。さらなる円高か。

ちなみに1円円高になるとトヨタ利益は400億減るんだ。

2007-12-25

本当はどうなのか? 実社会では歴然と学歴社会です。

そこそこ目先が利いたのと、女性だったので高度な要求も無く、自分

の知識や学歴に関して大きなコンプレックスを持つことも無く、生活

してこれました。ところが家族トラブルに巻き込まれてしまいした。

動ける人間が私しかいなかった所為で、当事者と私と弁護士が中心に

なって処理することになりました。 この事件を通して、私は日本

学歴社会』(もしくは資格社会?)なんだと痛感したのです。普通

暮らしていれば、自分のレベルにあった生活圏の中にいるので、学歴

や知識のレベル意識することも、試されることもないです。 その

証拠に近所のオジサン、オバサンは何の根拠も無しに異常に威張って

いるでしょう? いつも『怖いオーラ』を出している人もいるしね

若い女性は『分からなぁ??い』と言った方が可愛がられたりします。

よく仕事の出来る女性を『可愛げがない..』と言うのと同じ感覚です。

男性から見たら、年下で女性なのに自分より知識や才覚があったら気

に入らないのでしょうね。 同性に関しては、その上にコンプレッ

クスが入るから、ますます面倒です。(異性も同じか..)

日本では『受験勉強は暗記でしかない!』、『学歴学歴、本当の頭

の良さとは違う!』、『頭でっかちでは困る!』等々ということにさ

れていますが、本当はどうなのか? 実社会では歴然と学歴社会です。

でも高学歴者は少ない! その他大勢の人の不満を抑える為に、上記

のような考えが広まっているのでしょう。その方が都合がいい人達

いますしね。 例えば、転職を考えている人.. 確実に高学歴の人の

方が好条件の転職をしています。それでは学歴の低い人は、『本人が

悪いんだ』と言い切れるのか?と言うと、そうでもない。それは学歴

の裏に、その人の家庭環境社会階層が影響しているからです。

私の兄は名門と言われる高校に行きました。親の紹介欄は、ずら??っ

高学歴・高地位で尚且つ一等地が並んでいました。 特に職業欄は

弁護士』『官僚』『公認会計士』『会社社長・役員』が殆どで他が

ない。それは見事です。社会には普通職業の方が多いのに、見事な

までに一人もいない。 そのように家庭環境は、高学歴を作る上で大

きな影響力を持っていることは確かです。

そして未婚の女性の本音.. 『高学歴高収入高身長』 あれっ、

この3つでしたよね? 興味が無かったので自信が...  

だから、本人の所為じゃない要素も大きい訳です。 にも関わらず、

財界政府は、積極的に勉学の応援をしないどころか反対に、職人

子供職人でいい! 工場労働者子供工場労働者でいい! とい

うのが本音であるように、私には見える。

一生懸命勉強して一流大学⇒有名企業に勤めても、山一拓銀のよう

に潰れてしまえば終わりだと思わせる“風潮”がある。 騙されては

いけない。私はそんなことはないと思う。勉強したものや学歴無駄

にはならないと思いますね。そして、自分の環境学校に行けなかっ

た人は、これからでも希望があれば進学(勉強)して欲しいです。 

2007-08-27

re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

スレ元の増田氏が羨ましくてちょっと書いてみる。

「裕福でないと大学にいけないという幻想」を読んでモヤモヤしていた。

面白くないかもしれないが、ぼくの在郷の話をしよう。

ぼくの田舎は丸ごと貧乏だった。一部土建屋連中公共事業のお零れに預かりそこそこ儲けていたようだが、大半は世間の六割以下の収入だ。

運命中学卒業で決まる。ぼくが卒業した十数年前には50名のクラスメイトが居たが8割は山一つ向こうの偏差値最低の屑のような高校に進む。高校くらい出なければ恥ずかしいからだ。そして1割は山を10ほど越えた工業高校へ下宿して進み、ほんの一握りの4名が大学へ行くためにこれも下宿して各進学校へ進んで行った。

当時ですら大学の進学率は4割を軽く超えていたが、我らが田舎から大学に進んだ同級生は4名だった。単純に成績で篩に掛けられ1割が残った。

「裕福でないと大学にいけないという幻想」というのは分かる。努力すれば行けるだろう。

しかし自分が大学へ進むべきかをだれが判断できるのだろうか。ぼくは自分が大学に行く姿なんか想像も出来なかった。理数が得意だから工業高校が良いだろう。それだけですよ。高校卒業しても半数は貧乏農家を継ぎ、残りは工場で交代制勤務。運が良ければ役所に勤める。

格差なんてものは十数年前からぼくの田舎では固定化されていたんですよ。

そんな格差なんてものはどうでもよい。

「裕福でないと大学にいけないという幻想」とほざく連中は同じ苦労を後輩らに負わせるのだろうか。

それが幻想でない社会の仕組みを考えるのは高等教育を受けた連中の特権ではないのか。(役人どもは変えるつもりなどないのだろうが)

わたしは努力して勝ち組になりました。はいお終い、悔しかったら着いてこい、なんですか。

まあ、お金貯めて大学に行けばとも思わなくもない。しかしそれは無茶。結婚などしたら到底不可能ですよ。

別にこの人生を恨んでいるわけではないが「幻想」とまで言われると虚しさにおそわれる。

http://anond.hatelabo.jp/20070826235204

2007-06-01

正直腐れマンコ氏んどけ

■白黒情報

 白   : Sくま ・G藤邑

 灰   : Yりしー(YしーはなんでGに行けたか、よーく考えればわかるwww。他に片柳くんとヤってる)

 黒   : N登・H若・M橋・K宮・T和 ・K脇 ・M木・H江・M来・T中理・K澄・ Kング・K波・栗の子

 黒か灰: M樹・N原・U田・N中・K田・A野・K谷・S名・H野

■子ネタ情報

 ・H野Aの親はTV局の偉いさん

 ・できてる?

   S水toY野・N原toS村・S城みゆきto山一(ry

 ・若手で大手で収録にマネが毎回来るような奴はアウトと思っておk

 ・音響監督声優名でぐぐって妙に重なるときは危険だとおもいなせーwwww

 ・ホモ声優

   M野、ガキ大将

 ・女たらし音響監督

   知ってる範囲 Mはホモだし、Tはロリだし、Aはくいまくりんぐ

 ・乱交パーティ主催

   O野坂(現場の人から好かれるいい人)

事務所関係

 ●黒い順 : ラムS>青2>=A>O沢

 ・マウス : 最近平和

 ・81   : 色々あるけど大所帯だから (代表M木MY)

 ・バオ  : 放任 個人間で色々 事務所じゃない感じ 個人間のいがみ合い

 ・俳K  : 事務所じゃない感じ 個人間のいがみ合い アトM=個人タクシー

2007-05-05

えへへ

今日はあの人と沢山話したよー。恥ずかしいけど一生懸命カオ見上げてきました!

はじまりでっしょはじーまりなんでしょ!な気分。一日口聞けなかっただけで

凹んだりしてた日々が嘘みたいだ。一歩踏み出しただけで世界が薔薇色。

そう、これが始まり!これからはもっと沢山一緒に笑えるはず。

今度はもっと一杯相手の話を引き出しから引き出そう。嬉しいなぁ、楽しみだなぁ!

ねー増田、超私今幸せだよー。一緒に分かち合ってくれよこの幸せ加減を。えへえへ。

2007-01-21

オタクの地域格差

ここは今の日本の、地方の都市の中なのよ

これからお話すお話は、そんなオタクのお話よ。

ここにA君という人間がいるとします

某H県の県庁所在地に住んでいるオタク青年です。

漫画

A君は某ややマイナーな月刊誌の読者です。

H県は中央の発売日より1日遅れるのですが、今月は発売日が日曜日に重なったため、更に1日遅れます。

やっとのことで買った彼は、いつもどおり2chを見るのですが

1日でもかなりのものなのに、2日経った今、既に今月号の話題は書きつくされてしまっていました。

彼は仕方がないと思いつつも、同じ時間を共有できないことに少し寂しさを覚えるのでした。

アニメ

番組改変期となると、雑誌ブログが新アニメの話題で盛り上がります。

しかしA君はどこか冷めていました、元々アニメに興味が薄いのもありましたが

テレビ東京系局が無く、殆どが見られない上、放映もひどいと半年遅れるのが原因でした。

上で書いた雑誌に連載されている漫画アニメ化されましたが

熱心な信者である彼がそれを見たのは、半年たってDVDが発売されてからでした。

最近では、真剣にケーブルテレビ等の導入を考えているようですが

他の人間がタダで見ているものを金払って見ることに、未だ抵抗があるようです。

コミケ

待ちに待ったコミケの日を前日に控えたA君。

仕事を終わらせ、家に帰り、食事をし、着替えてネット喫茶へ向かいます。

深夜バス仕事やってる間に行ってしまいました。

新幹線の始発も、家の最寄り駅の始発より早く出るので、油断は禁物です。

家からタクシーで駅へ向かうより、ネット喫茶夜明かししたほうが安いのでそうしています。

新幹線は早得割なるものを利用して往復3万円程度、決して軽くはありません。

4時間ほど揺られて東京に着くのが10時、既に開場時間です、彼は会場へ急ぎます。

全てが終わり、彼はあらかじめ取っておいた新橋ビジネスホテルへ向かいます。

高いのですが、もうさほど若くない彼に、連続ネット喫茶はキツイのです。

かつては青春18きっぷで十数時間かけて来ていたなんて、自分でも信じられない程衰えていました。

1回のコミケ参加に、同人誌代以外に5万円以上を費やします。

コミケでしか手に入れられない本やゲームと、会場が持つ独特な雰囲気の値段は決して安くはありません。

関東オタクと、それ以外のオタクは対等たりえない

こんな比較的恵まれたH県ですら、年間10万円以上の金を使ってもなお差が埋まらないのです。

山一つ超えた県や、離島なんてどうなってしまうのだろう、A君は時々考えるのです。

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