はてなキーワード: リア充とは
20年ぐらい前のネット普及期以来2ちゃんねるをはじめとする匿名の場でクズどもがクズであることを自覚しながらどれだけ悪趣味なことを言えるか競い合ってひり出していたネタが次々に現実になっているかのような今が最高に楽しい。
ネットの在日・韓国叩きなんてありゃネタだったのに真に受けて路上に飛び出した在特会とか、国家としての韓国は俺たちのネタ以上にアレだったようで一連の事件で嫌韓が日本人の国民意識になったかのような世論調査結果がでたりとか、非モテが本当にリア充を逆恨みしてテロを起こすインセルになったりとか、「じゃあ、お前はテロリスト予備軍の難民を自分の家にずっと住まわせてやるのかよぅ」と煽ってたらアメリカ大統領が同じこと公言するとか、昔は匿名掲示板で糞の見せつけ合いをするのより楽しい遊びは無いと思っていたのに、今では現実の方がずっと楽しい。
有難う。本当に有難う。少し気持ちが前向きになれた気がするよ。療養中で病んでいるにも関わらず私がFBでリア充健常者(であろう)と再び人脈を温めようと思ったのは、療養中(皆私が療養中だと知らない)に友達の駒が皆無になったから。
憧れていた女友達(年上・富裕層)にドタキャンされたのが、留めの一撃だったかな…。
療養中以前から、彼女以外にも1人、細々とラインしたり、数か月に1度くらいゴハン・小旅行して気分転換にもなってた子がいて。でも彼女は転職活動をする事になって(あまり深入り出来ない感じ)多忙になってしまって。
そんな時に、先述した憧れていた女性に「久しぶり!何年ぶりかな、会おうよ!」と誘われて。生き返った気がした。(同窓会なんだけどね。)
でも、その同窓会の幹事が私に以前、セクハラ・キモい事してきたりして、嫌な思いをしたことがあって。
その懸念点を添えて行きにくい旨を伝えたら…彼女が頼もしい事を言ってくれたり励ましてくれて、嬉しくなっちゃって。その後、長々とラインのやり取りをした後、勇気を出して、参加フォームを送信した。
でも、前日になっても連絡が無く。
思い切ってリマインドを兼ねてラインをしたら、彼女、忘れていたようで。
もし、私がリマインドを送らなかったら一人で現地に行って幹事の人の元、気まずい思いをしていたと思うと…。
彼女は悪びれるわけでもなく、何度もハートマークを付けて「ごめんね。また会えます様に」と。
はっきり言って、ナメられているんだな、と思った。「都合の良い女友達」みたいな…。
私がまだ元気だった時も口ばかりで、約束を反故してばかりで。せっかく会えても全然楽しそうじゃあなくて。乗り気ではないんだな、私が強引だったのかな、きっと塩対応なのかもな、と思って距離を置いたんだけど…。
でもこうして彼女から誘いを受けたから、私、嬉しくなっちゃって。でも、やはりドタキャンされて。私に対する優先順位が彼女にとって低い事は、私だって解っていた。だから、価値が低いんだなって、改めて痛感して。
そうこうしている内に、私の中の唯一のリア充な部分を断たれた感じがして…通院意外の社会と隔離された事が、哀しくて。
だから、FBに手を出しちゃったんだ。自分は一人じゃあないって、リア充健常者との繋がりを情けない形で求めてしまったよ。。。
長々とごめん。
やりたいこと、というか、趣味を探してる。
仕事は幸いなことに、自由で時間もたっぷりあるノマドワーク。お金はトントンだけど、充分すぎるほど恵まれた環境。
だけど、空っぽな今埋められない。
思い立って、しまなみ海道サイクリングにきた。初心者向けの半日コースでクタクタ。
体力ある方だと思ったけど、向いてない?
二度としない。
景色は素晴らしかったから、フェリーでアイランドホッピングがベスト。
来週は友人とUSJ。
人混みに出掛けるなんて冗談じゃない。
とりあえず、行ってみる。
、、、もうね、必死。
リア充アピってる人並みに頑張って探してる。SNSやってないから誰にアピールする訳じゃないけど。
人生の目標なくしてから、糸の切れた風船のように寄る辺なくて。
まっすぐやりたいことにわき目もふらず突っ走ってきた人生に突如訪れた空白。
仕事もおかげでマイペースにやれてるし、これからのこと考える時期なんだと思う。
定年退職したおじさんのような気分なのかも。
家に閉じこもってたら、おかしくなりそう。回遊魚のごとく、動いてないと息が詰まる。
次、何しよう?
リア充に扮して、あたかも(相変わらず)会社員をしているかの様に、会社員らしい悩みや意気込みを書いた。4月というスタートを引き合いに。
自分が健常者の如く、それらしい内容の投稿をしてみた。参考にしたのはFB友達の投稿をもとに。
でも、ビビリなので、閲覧できる友達をスクリーニングして、限定した。野次を飛ばさない様な友達のみ。
久しぶりに、娑婆の世界に向けて文章を書いているときの自分は、何度も何度も、文章としておかしくないか・くどくないか・卑しくないか…リア充健常者に擬態化する罪悪感と難しさと劣等感で一杯だった。
たった今、投稿したし、リアクションはまだ獲ていない(午前5時現在)。
この、投稿する際の下書きを書いていて思った。
私は、思った以上に、座敷牢に籠りっぱなしだった(療養が長すぎた)という事だ。自分なんかが、FBに投稿する様な人間的なレベルに達していない事が解ったし、そもそもリア充健常者と接点をもう一度持ちたがっている自分の卑しい下心の強さに気づいた。
よく、ネットでは「精神疾患者や発達障害者は、頼むから社会に出てこないでくれ」、といった言葉を目にした。強い症状の人や、本格的に…な人、私も実際に沢山目にしてきたし、私も療養するくらいなんだから、不適応タイプどころか、「ガチもん」なのだと思う。
適応しようと、療養中は試行錯誤しながらやってきたけれども、やはり社会的な場でリハビリがしたい。その第一歩が友達との再会だったり。でも、それだけでは足りなくて。人脈を広げるために、FBの投稿に手を出したけれども。
やはり私にはまだハードルが高過ぎた。というか、私には勿体ない友達ばかりだったのだな、と思った。その証拠に今は殆ど疎遠となっているし、連絡なんてこないし。つまり、私は彼らと友達・仲間でいる価値が無い。
罪悪感や劣等感を抱いて、本当にそう思った。
自分の価値は、ここで頭打ちだという事、福祉政策で細々と延命出来ているに過ぎない存在だという事。
自己肯定感が何故かやたら高い自分に、情けなくなった。誰も期待してないのに、どの社会が自分にとって最適解なのか、少しでもマシなレベルに…上に行こうとFBに手を出した事。
自惚れも、そろそろ終わりにして、いい加減じぶんが詰んでいるという事を受け入れなさい、と悟りを得た気分。
生きてて良いのかな…と惨めすぎて思った。