はてなキーワード: ライスとは
ライスを食べようとすると詰む
ランチも引き続きミーティングならぬランチミーティングはさすがのさすがにお断りよ。
それまた持って帰って処理するのもどうよ?って感じだし、
あなたたちはランチミーティング行っておいでなさいという感じよ。
事前準備ぐらいはして欲しいものよ。
まあ午後からもこれで時間潰れちゃうのは勘弁願い隊の承知の助だわ。
そんでさ、
今日のメインは茹で鶏よ。
やっぱり鶏肉の分厚いところは火が通って無かったりしない気もしないこともないから大丈夫だったけど、
とりあえずの彩りには
茹で鶏がメインってことで、
鶏すでに遅し!って訳で茶色系が多いのよ。
ご飯も健康的に発芽玄米と押し麦を惜しげもなくふんだんに使った分量通りの2対1の割合で炊くと絶品よ。
半信半疑で炊いてみたけど、
やっぱりふっくらとは伊佐坂先生もいささか美味しいとは頷かない感じの炊き上がりなのね。
トータルテンボスの忍びねぇって言う人も言いそうなほど
よしとするしかないわ。
スープーとかもあったらよかったわね!
茹で鶏のそのゆで汁もひと手間加えて玉子なぞ落としたら
きっと、
もうちょっと鶏から美味しいスープが出てもいいとコロナんだけどね。
そうこう言ってる間に、
その意気込みは一丁前よ!
うふふ。
ないときはないけど!
珍しく林檎率高めで且つ林檎なんて使うのも珍しいわねって思うほど、
そのリンゴウォーターはやっぱり白湯に勝るとも劣らない薄味の微か遙かなる向こう彼方にリンゴがいる感じがまたいいです。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
一人で晩ご飯をマックで食べるなんて生まれて初めてかもしれない
どんな表情をして、どんなふうに立ったらいいのかもわからず初めてのステージに立った
中学時代に授業の歌のテストですら緊張して声が出なかった自分が
気持ちいいでもなく、楽しいでもなく汗だくでステージを降りたときには
こんなことできるんだなウケる、案外やるじゃん、って
それで、お疲れ様、って観に来てくれてた友達から差し入れにモスのライスバーガーを貰って
他のバンドよりすげー声通ってたよ、って
技術的にたりないところには触れずにいいところだけを
褒めてもらって、ちょっと誇らしくなって
そんなことを思い出しながら、ポテトのLサイズとごはんバーガーを頬張り
今日も仕事頑張ったな、ってマックで増田を書いて過ごすひと時に
皆様いかがお過ごしですか?
──人は皆、いつかカレー作りに熱中する日がやってくる。俺のCデイはまさに今日であると言えた。
これは秘伝のカレーレシピではなく、俺がバターチキンカレーと呼べるものを作るまでの物語である。
カレーとは何だろうか。
カレーだけに一口に言うならばインド発で香辛料をふんだんに使ったスパイシーな料理等とでも言っておけば良いだろうが、誰もがそれを思い浮かべた際、そのイメージは一様ではないだろう。
きっと誰もが心の内に思い思いのカレーを秘めている。
時にナンで食い、時にライス、また時にはチャパティ、パン、ヌードル、言い出したら際限が無い。付け合せや隠し味になんて言及すらしたくない。
台所になぞ録に立ったことのない男子大学生が天啓の如くチャーハン作りに凝りだすように、俺は今カレーに拘りを持とうとしていた。
俺のカレーとは、バターチキンカレーである。インドカレー屋で食べるバターチキンカレーは何故あんなにうまいのか。なぜあんなにナンがでかいのか。なんでどの店でも小鉢のサラダに同じようなドレッシングがかかっているのか。きっと俺はその真実を知ることなく死んでいくのだろうが、それでも家でそれなりのバターチキンカレーを作ってみたいと、そう思ったのだ。
これが昭和の時代なら、俺はインドカレー屋で十年修行どころか単身渡印の上カレーの秘奥を求めて七難八苦を味わう羽目になったかもしれないが、今は情報の時代である。検索したレシピを適当につなぎ合わせて家と近隣のスーパーでどうにかなりそうな材料を見繕う。拘りとは時に労力をかけないことであると俺は都合よく解釈した。
具材はスタンダードなもので、スパイスといった雑多なものを除けばタマネギとニンニク、ショウガにホールトマト缶くらいのものである。あと鶏肉を事前にヨーグルトに浸けて置くといいらしいので、そうした。
理性的な量のバターを鍋に敷いたあと、タマネギとすりおろしたショウガニンニクを精神的に満足するまで炒めた後カレー粉を入れて更に炒め、缶のホールトマトを入れる。
本来であれば投入する量等も一考すべきだが、缶詰ってなんか半端に残すのが嫌なので全部入れてしまう。翌日以降の料理に引っ張られるのが自炊の嫌なところである。
溶岩みたいになってきたところで鶏肉を入れさらに煮る。浸けていたヨーグルトも一緒に入り急に店のカレーみたいな色になる、感動の瞬間だ。ひとまず味を見てみる。
トマトが、強すぎる。
あのカレー粉が完全に力負けしていた。トマト味のカレーかカレー味のトマトかで言うならば、トマト味のトマトである。
一人で食べる程度の量のカレーにトマト一缶は多すぎたらしく、俺の眼前にはホールトマトの壁が立ちはだかったのだ。つまり、ウォールトマトだ。
しかし、勝負はまだ終わっていない、むしろここからが本番なのだ。
カレー粉を少し足し、レシピの生クリームを拡大解釈し牛乳を足していく。きっと店ではちょっと引くほどのバターや生クリームを入れているのだろうな。
カレーの色合いが変わった頃合いで再び味見をするとトマトの向こう側に僅かだがカレーの健康的な浅黒い肌が垣間見えた。
なんだ、待っていてくれたのか。
牛乳を足し、カレーを啜る。牛乳を足し、カレーを啜る。そのたびに遠くで手を振るネパール人店員が近づき、その笑顔が鮮明になっていくかのようだった。俺が脳内で店員と握手を交わした頃、現実ではカレーが完成していた。
もちろん、プロの作るカレーと比べるべくもない、やや一人前の量を逸脱したバターとチキンが入ったカレーとでも形容すべきそれは、しかし俺にとっては紛れもなくバターチキンカレーと呼べるものだった。
途中我慢できず何度も味見をしたが、その度にうますぎて思わず笑ってしまった。
冷凍のナンをトースターで焼き、カレーを通販で買ったカレー屋でカレーが入ってるあの金属器に入れる。なんならラッシーも作ってみればよかったと後悔した。
仰々しく食レポをする暇もなく、俺のバターチキンカレーはあっけなく胃袋に消えていった。後に残るのは汚れたキッチンと皿くらいなものであるが、それでも俺は満足感に包まれていた。消去法で厳選された材料を目分量で適当に入れたカレーは、決して店のカレーの代替にはならないものだ。
それでも。
それでも、カレーを作ってみてよかった。
月並な感想ではあるが、自分でやってみることで、それをとりまく楽しさ、苦労といった感情が実感できるものである。
またいつか俺はカレーを作るだろう。
それはビーフカレーかもしれないし、フィッシュヘッドカレーに挑戦するかもしれない。
しかし、カレーを作るたび、俺は初めて心からカレーに対面した今日のことを思い出すのだ。