はてなキーワード: マッドマックスとは
ダサいと思っていた
が
2020年になって初めて
「やっぱ単純にポリコレ配慮した"だけ"だと作品がつまらなくなる」
(当然、ポリコレに配慮"しつつ"面白い作品も作れるけど)と思った
というのは
6年前は「おっ今度は女性が主人公か、まあ今の時代だからな」と
で、エピソード7、8、9と進んできた
人間としてまったく魅力が感じられない
三枚目な演技とか人間味のある可愛い描写もできたのかも知れない
強いヒロインを主人公に面白い娯楽作品はいくらでも作りようがある
ところがSWの7~9は本当にただ
「今度は女を主人公にしてみました」
「男」としての情けなさや悲しみが暗示されてたわけやん
(引きこもり爺さんになったの一因もそれなんだろうなあ…)
4~6のアナキンも、王女と自由に恋愛できなくて悶々とする男だった
そういう性的なかっこ悪い面を女でやることを遠慮した結果
1~3のレイアみたいにセクシー衣裳で観客サービスさせられたり
ほかの女にフィンを取られそうになって嫉妬するような描写もなく
男としても女としても魅力的には見えんよ
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最近よくあるフェミ映画の評論見ていて、なんかおかしいと思いつつ見ているうちに気づいた。
例えばワンダーウーマンとか、マッドマックスとか、キャプテンマーベル、最近だとターミネーターとか。
その評論がことごとく、作品が面白いか、とか、キャラクターが魅力的か、ストーリーが魅力的か、っていう
「プロパガンダとして優秀か」でしか評価されていない事に気づいた。
評論家の根底には、「フェミニストのプロパガンダ」としてのストーリーが存在している。
まず主人公は「男性・男性社会と呼ばれるもの」に抑圧されてればならず、そしてそれを絶対に肯定してはいけない。
そして主人公は自分の中にある力に目覚め、それを社会の為に行使し、決して内に籠ってはいけない。そして主人公は「男性らしく」あらねばならず、
そして最終的にすべての抑圧から解放されなければならない……。というストーリー。
ワンダーウーマンは、抑圧から解放されてないのでダメ、マッドマックスは解放されてるのでOK、キャプテンマーベルはOK、ターミネーターは……みたいな。
女性の多様性を売りにしてる割には、今までの映画にありがちな抑圧を肯定したり、力を捨てたり、男性性、暴力性を捨てたりってものが無くて
逆に女性は「貧乳で力が強くて役割が無い自由な人間じゃないといけない」みたいな存在を強制されているように感じる。
というより、「現実の大人が与えた、考えた自由の中で育っている箱入り娘」にしか感じられない。
その点今じゃ男性だけになった映画は、いろんな選択肢や価値観が存在している。ジョーカーの映画だって、「価値観なんて自分で決めろ」って言うメッセージが込められているだろ。
ビバリーヒルズみたいな作品の方がまだ女性の自由な生き方を支援していたと思うんだけど(親の世代には嫌われるような価値観だけど)
フェミ映画の気持ち悪さって「女性誰もが受け入れられる価値観」な所なんだよな。
「おばさんが嫉妬せずに見る事が出来る容姿で、ちょっと反抗するけど最終的に自分の事を受け入れてくれる不幸に片足漬かった可愛い娘」
が大体主人公。それっておかしいだろ、自分の若さと才能を十分に生かしたら、自分の親やおばさんの世代に嫌われるのが普通のなのにそれはない。
結局フェミ映画って形を変えた毒親みたいなところがある。「私は貴方の事を思ってこの価値観を与えてあげてるのだから、あなたは反抗するな」みたいな。
ちゃうやろ、反抗してなんぼだろって思う。
俺は男だからさ、そういう映画避けて生きればいいだけなんだけど
最近はスパイダーマンも、ママたちに助けてもらったり、トムホの着替えシーンがあったりして
こういう需要もあるんだ、いろんな生き方できるしええなぁ、って楽な気持ちになったし、
女の着替えシーンないのは寂しいけどそんなんエロ動画見れば十分だなって思うし
2000年代くらいの映画で女性の感じてた解放感を今男が与えてもらってる感じがして
悪くないなとは思うけど。
まぁそんな自由も、「女性を規制してるから」生まれてる自由なわけで、これから男の人権向上なんて言葉が飛び出した日には
男の生き方も狭まってくるんだと思うけど
そういう事ではなく、「Gアーマーを出せば鬱屈とした戦争がテーマでもスポンサーから金貰ってアニメを作れる」からしぶしぶコアファイターだったりGブルを出したりしてるのに「ブラウ・ブロやザクレロに見る富野監督の戦闘用機械に関しての造詣の深さはとても素晴らしい」みたいなこと言ってるからとんでちんちんかんって言われるんだろ。
マッドマックスにおけるフェミシールドはあくまで防御用の兵器であって、攻撃用の兵器ではないんだよ。ババアドラグーンとかそういう方向を褒めるならともかく。
ファイトクラブみたいな男性性・女性性に焦点を当てた作品なら社会学的に読み解くのはわかるんだよね。
フェミズム的見方は嫌いなんだけど、ファイトクラブに関してはフェミズム的文脈なしでは見られないから、男性嫌悪的文脈でも
そういう見方もあるんだなって見ることが出来た。
でも
エイリアンの一作目みたいなのを見て、フェミニズム的文脈から語られると失笑してしまう。
制作側の事情を知ってる側からすると、何かの思想一つで作品を生み出すような事は不可能。
女性が主人公になったのも、男だけじゃ売れないからだし、機械姦のシーンがあったのもお色気シーンが無いから監督の性癖を詰め込んだだけだし
ああいうのは資本側が色々注文つけてくるもんなので、フェミズムが根底にあるとかこじつけにしか思えないんだよな。
マッドマックス怒りのデスロードに関しても、ああいうのはアイディアありき、視覚効果ありきで、兎に角フェミズムを当てはめて
「女性の解放を訴えてる!」って言ってるのを見るとちょっと失笑しちゃうんだよ。
一部分はそうかもしれないけど、萌え豚ご用達のごちうさを見て「あれは働く女性を応援してる、頭部に載っている気味の悪い動物は男性器を表し、主人公への男性からの抑圧を表してる」
とか言われたらお腹痛いでしょ。
もっと作品を頭空っぽになってみた方がいいよ、と思うんだけどね。深読みしすぎているのを見ると、この人は作品に興味があるんじゃなくて、自分の思想が大好き、社会学が大好きなんだとしか思えない。
何年まで大騒ぎになるか?
200年以上→どうでもいい、今生きてる人間と面識のある人間すらいなそう
80〜200年→けっこう近いけど今生きてる人間には関係ないんでどうでもいい、ただ人生の無意味感は強まる
40〜79年→他人事ではない感がある、とはいえすべてほっぽり出して遊び始めるにはまだまだ余裕がある 宗教とか流行りそう
20〜39年→わりと身近 十分金があるなら仕事をやめる人も多そう 環境問題とかもうどうでもよくない?てなりそう
10〜19年→人生設計に大きな影響ありそう 出生率めっちゃ減りそう(逆にヤケクソで増える?)
4〜9年→いちばん受け止めにくい もう何やってもどうせムダだけどめちゃくちゃ暴れるにはまだ長い
だからなあ
一応の決まりとして分けられてるとか表示が有るとかは別に品川や新宿じゃなくてももっと過疎の駅でもどこにでもあるしそのどこでも逆走者いる
あいつらはあえてルール破ってる奴もいるしそもそもどっち通行とか気付いてない奴も多い
なんでそれをするか、出来てるかというと交通整理が緩いからだよ
厳格に整理すりゃ逆走は限りなく減るんだよ
なんでそこまで整理強化に逆らいたいのかわからん
昔は会得していて、鑑賞前に完璧にモードを合わせられたんだけど出来なくなった。マッドマックスを見る時はモヒカンになっていたし、12人の怒れる男たちを見る時には社会派だった。
今は違う。ユージュアル・サスペクツを受動的に見てしまうから最後のどんでん返しに特に感動もしないし、シャークネードを見ながら話の荒唐無稽差にため息をつく。
どうやればまた出来るようになるんだろう。
ポスターやタイトルロゴから得る印象に合わせて心の中にあるチャンネルを捻ってモードを調整し、それから鑑賞していく中でオシロスコープを操作するようにゆっくりと作品へシンクロしていけばいいはずなんだが……出来なくなった。
やり方が分からない。
映画を見に行こうとしてから一覧を見て観たい映画がないから諦めたりが多くなった。昔の自分は、アベンジャーズがやっていたら自分をアベンジャーズに合わせて楽しめたのに。
誰か教えてくれないだろうか。
この会話の話題の発端はここね。もう消えてるから1つめのは魚拓で
消費の痛みを感じさせないアイドルの仕組みとは……──太田省一 『中居正広という生き方』|レビュアー=西森路代 | ふくほん https://web.archive.org/web/20150901113131/http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4038
「アイドルを消費する」日本に、『マッドマックス』が投下したもの 西森路代×ハン・トンヒョン - wezzy|ウェジー https://wezz-y.com/archives/22209