はてなキーワード: スイッチとは
俺は数年前から抗うつ薬を飲みながら健常者のフリをして働いてる。じゃあ家に帰ったらスイッチが切れて素の自分に戻れるかっていうとそんなことはない。
俺は実家でうつ病のことを知ってる親と暮らしてるんだけど、親の前では俺は絶対に笑わない。会社では必要以上に情緒豊かに振舞っている。どちらもありのままの俺ではない。会社では健常者のフリをしているし、親の前ではうつ病患者のフリをしている。その方が俺にとって都合が良いから、家でも会社でも嘘をついて生活している。
そういう生活を数年続けてると素の自分を忘れそうになる。どっちのフリも、素の自分のような気がしてくる。
今の俺は親の前に座っていて、無表情でこれを書いている。
よく分からない。
運動不足解消のため、通勤には一駅歩いて電車に乗るようにしている。
身体のバランスに偏りが生まれないように両肩にかけるタイプのリュックサックを背負って歩いているのだが、背中の汗がやばい。
今までは駅手前の公園で汗を拭っていたのだがふとひらめいて最近流行っている扇風機でどうにかならないかを考えてみた。
片手で持つタイプではウォーキングには邪魔。かといって肩にかけて歩くのは学生じゃあるまいし恥ずかしい。
このタイプの扇風機はジェットエンジンのように筒状になっていて、片側から吸った空気を反対側に吐き出す仕組みになっている。
本来はベルトに取り付けて洋服の中に空気を送る構造なのだが、これの使い方を少しアレンジしてみた。
背中側のベルトに取り付けてその上からリュックサックを背負う。
するとリュックサックと背中に空洞ができて、そこに空気が送り込まれるようになる。
汗で背中がぐっしょりする一番の原因は、リュックサックが密着することで汗が乾いてくれないことにある。
そこに扇風機が挟まって空洞ができるだけでも汗が乾燥する効果は十分に得られるのだが、さらに空気が送り込まれることでさらに快適度が増す。
確かに音は気になるが、町中を歩いて移動している限りではそれほど気にされる様子はなかった。
信号待ちなんかや気になる時はスイッチを切ってしまえばいいのだ。
もう夏も終わりかけているというのに、もっと早く気付けばよかった。
朝ご飯食べて掃除して洗濯機2巡目を回してる間、ベッドでパンイチで増田見てた。
そろそろ洗濯終わるかなー起きようかなー面倒だなーとグダグダ思ってたら夫がベッドに入ってきた。
お?セックスか?と思ったがそういう感じでもなかったので、2,3会話をして、書きかけのブコメを仕上げた。ついでに「あとで読む」をちょっと消化。
なんかダラダラしてたら夫が私の右脇腹から右足に抱きついてきた。お?セックスか?と思ったがそういう感じでもなかった。放置した。
夫は右足に絡みついたままいびきをかき始めた。えっ、こんな暑い中この体勢で寝るの?すごいな………
身体の緊張が解けたのを見てそっと右足を抜こうとしたが、その瞬間に引き寄せる。あ、これ無理なパターン。
洗濯終了の音が聞こえた。あー雑菌篭る前に干したいんだが。右足離してくれ。かといって無理矢理引き剥がして起こすのも可哀想だし。どうしたもんかな。
暑い。この体勢だとクーラーのスイッチ押せない。夫は私の右足を抱きしめたままいびきをかいている。熱中症で死亡して、パンイチで発見されるのは嫌だ。
(追記)また寝た。
青葉容疑者は「俺って、才能があるんですよ」「いい作品を書いて応募したのが、パクられたんですよ」「自分の作品を、有名なアニメ監督が盗んでいる」「今、書いているのもいい作品。今度はパクらせないようにする」などと怒ったように言っていたという。
「よく聞くと、コンテストに応募したのに、それを主催者側が勝手に使ってアニメにしたというんです。最初は妄想みたいなこと言っているなと相手にしなかった。変なこと言って暴れると大変だから、それ以上は何も言いませんでした」
青葉容疑者の受刑生活は、安定したかと思えば、興奮して手が付けられないという繰り返しだったそうだ。Aさんによれば、アニメ、小説の話になるとスイッチが入ったように話が止まらなくなるという。当時、刑務所収監が初めてだった青葉容疑者は真面目に受刑生活を送れば、3年6カ月の懲役刑だが、かなり早く出所できたという。
「小説が盗まれたとか、変なこと言えば反省がないと、仮釈放に影響します。しかし、アニメや小説のことになると、我を忘れ、止まらなくなる。何しでかすかわからないような感じでした」
A氏が青葉容疑者について印象に残っているシーンがあるという。
「パクりが許せない」と青葉容疑者が興奮して言い始めた時のことだ。
「本当に腹が立つ。ガソリンを撒いて火をつけ、みな殺しだ。復讐だ」「もう計画ははじまっている」「秋葉事件(加藤 智大死刑囚)や大阪・池田小学校事件(宅間守元死刑囚)はすごかった。俺もやる」などと興奮して話したという。
「えらい真剣な表情で、紙にまで書いて説明するので、まずいと思ったので、なだめました。出所後の青葉容疑者に会った知人から聞いたのですが、『(自分の作品を)パクったヤツに復讐する』と刑務所と同じように話していたそうです。本当に青葉容疑者は刑務所で話していたことを出所後、やってしまった。まさか、やるとは思いもしなかった」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190816-00000012-sasahi-soci
体調を崩して仕事ができなくなって、家でゲームするくらいしかできなくなったので、レッツゴーピカチュウを買った。ニンテンドーカタログチケットというやつで。(もう一本はベヨネッタ2を買った)
ピカチュウにしたのは、自分が子供の頃初めてプレイしたポケモンがピカチュウ版だったから。小学校低学年の頃、ある日突然、黄色と黒のゲームボーイポケットとソフトを、親が不意に買ってきた。それがピカチュウ版との出会いだった。あとモノクロのポケットピカチュウ(万歩計のやつ)もクリスマスプレゼントでもらった。
自分のポケモンの腕(?)と言ったら下手なもので、属性の組み合わせ(何が何に強いとか)がほとんど覚えられなかった。水と火や電気と水とかはイメージで理解できたけど、じめんといわの違いはわからなかったし、ひこう、ドラゴン、どくとかになるともうさっぱりわからなかった。その上個体値とか、戦闘中のデバフなんてわかろうもなかった。とりあえずニドキングのにどげりがめっちゃ強いんだと信じてひたすらレベリングしてた。だって2回攻撃できたし。
それは大人になってからも同じで、ポケモンGOも少しやったけど、フェアリーとかゴーストの属性や倒し方なんて攻略サイトを調べて初めて知ったくらいだった。
それくらい下手だったので、当然原作のピカチュウ版ですらチャンピオンロードをクリアできておらず、自分のセーブデータはむじんはつでんしょの中でサンダーが捕まえられないままになっているのだけど。そんなドのつく下手くそにとっても、ポケモンは確実に幼少期の思い出だった。
下手くそなりにも、イワヤマトンネルをさまよったり、シオンタウンの音が怖くて音消してプレイしたり、サイクリングロードの坂道に抗ってみたりした思い出はある。それからポケットピカチュウをこっそり学校につけて行ってピカチュウに嫌われないように毎日一緒につれあるいたり、好感度をあげようとおやつを貢いだりもしていた。
結果的に、レッツゴーピカチュウはそんな私の思い出にどストライクなゲームだった。いつか歩いた町をもう一度歩き回り、耳コピして弾いていた曲のアレンジに懐かしんだり。相棒技のソラワタリやミズバシリは、ピカチュウ版のOPで何度もみた光景だった。ついにあれが自分のピカチュウにもさせてあげられるんだと思うと嬉しかった。
それから、何よりも良かったのがコミュニケーションの点だ。ボールから出したポケモンに話しかけるとコミュニケーションが取れるのは、ピカチュウ版でできたことだ。あれがピカチュウ以外の仲間ともできるようになっていた。当時はピカチュウのことしか知ることができなかったけど、今作では皆とコミュニケーションできるようになった。お花をみて喜ぶナゾノクサが可愛かった。
相棒のピカチュウを撫でたりきのみを貢いだりして喜んでもらえるのは、ポケットピカチュウでやってきたことだ。レッツゴーでは、撫で続けるとくすぐられすぎた子供みたいに笑うピカチュウが本当に可愛くて、何度も何度も撫でてしまった。
そして、属性表をみたりレベリングを頑張ったりして、どうにか してんのうを倒すこともできた。カンナさんというセクシーなお姉さんがいるなんて知らなかった。
殿堂入り後のピカチュウとのやりとりでは号泣してしまった。そのピカチュウとの付き合いはレッツゴー以来のはずだけど、子供の頃からゲームの中の自分の後ろをついて回って歩いていたピカチュウから返事がもらえたみたいで、ようやっとあの子からの返事をもらえた気がした。これを書いてる今も泣いている。
そして、プレイ開始後から今に至るまで、ゲームフリークという会社に感謝の念が絶えない。随所に散りばめられたその思い出に、たとえばゲーム内のゲームフリークの事務所に貼ってあるポスターひとつとっても、「ぼくたちは遊んでくれたきみたちを覚えている」というメッセージが込められている気がしてならないのだ。自分たちがかつて遊んだ遊び場を、持ち主がまだ大切に持っていてくれて、もう一度自分たちを遊ばせてくれているような。そんな嬉しさがあった。
そうして一通りクリアして、ソフトを終了して、スイッチのホーム画面に戻った。レッツゴーピカチュウのパッケージが目に入る。そこで自分は気づいた。このパッケージイラストは、ピカチュウ版のゲームOPのスタート画面のピカチュウと同じポーズなんじゃないかと。絵柄こそ今風になっているけれど、ポーズや視線、表情はよく似ている。そう思ったらいよいよ泣けてしまった。「かつてピカチュウ版を遊んだ子たちへ」というメッセージを勝手に受け取って勝手に泣いてしまった。全て思い込みだけど。でもそう思い込みたいくらいには、かつて遊んだあれこれがアップデートされて帰ってきてくれたような感覚があった。
https://note.mu/wattyoi/n/nab98428b2307
・人がいなくなる
・不祥事
とかこのくらいだろう
今まで経営は適当だったみたいだけど、絞るところ絞るようになったようだから破綻はない
人が減ると言っても、まずいくつかの公式動画やアニメなどがあるため人は完全には居なくならない
サービススイッチングコストもあるから、ニコ動を離れる人は限定的
ほとんどの動画製作者はYoutubeで活動できるほどじゃないからどこにアップするかに対して収益面は関係ない
結局上記noteの人は「つまらん!滅べ!」という感想なんだろうけど、そんなの遥か昔から言われている
もちろん滅びないとしても
人が減るとか、勢いがなくなるとか、主戦場ではなくなるとか、そういうのはあるだろうが
利用者のメインボリューム(90年代生まれ)の生活スタイルが変わるくらいまでは安泰だろう。つまりあと10年。
一番あり得るのは不祥事の一発アウト
サークルで遊園地に行った。そこの本格派お化け屋敷に行こうとなり、運のめぐり合わせで好きな人とペアで行けることになった。
この先この人と付き合えなくても、この日の思い出を胸に生きていける。それくらいハッピーな出来事だった。でも私は幽霊フォビアとも言うべき、もう自分ではどうにもならない恐怖心があった。
小学生の頃に母がファンだった地獄先生ぬ~べ~やらゴーストハントなどの漫画、リング、螺旋などの映画を見て育ったものだから、あり得ない怪物や幽霊というものをどこか信じてるような、根源的恐怖を抱くようになっていた。特にゴーストハントは怖くて、今も真っ暗な天井から、髪を垂らした女が出てくるのではと怖くなることがある。
私はそういう恐怖心を抑え込んで憧れの先輩との束の間の時間を楽しもうとしたのだが、まあ、駄目だった。ガチでもうトラウマスイッチ入っちゃって、もうねそこに津波でも来てんのかよみたいに必死に泣き叫びながらリタイアした。死ぬほど恥ずかしくて消えてしまいたいと思ったよねマジで。夏になると思い出す。辛い。