はてなキーワード: ぱにぽにだっしゅ!とは
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あれほどスーパーハカーを夢見ていたのにIT系のブラックさに恐れをなし、気づけばIT系でもない場所でSierまがいの何かを演じている。
人付き合いを嫌いすぎてオンラインゲームを遊ぶことはなく、SNSでリプライを飛ばされたらブロックする。
バイブルは「Serial experiments lain」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。
どっちも美化されすぎて一秒だって二度と触れたくない、セピア色のメッキを1ミクロンも剥がしたくない。
思い出の中にひたすら生きる。
今を生きていても感覚は今も思い出の中。
ガールズアンドパンツァーを見ながら陸上防衛隊まおちゃんを思い出す。
モラトリアムもジュブナイルも落第したままいつまで経っても心が中二病を抜け出さない。
小学校の段階で既に人間らしく生きることから落ちこぼれていたのだろうか。
字の汚さが幼稚園児並みなのは、小学生になる頃には努力の仕方を見失ったからだろう。
自分は真面目に生きてきたと思いこんでいた。
違ったのだ。
あったのは恐怖だけ。
親が怖くてイジメっ子が怖くてテレビの世論や将来の不吉さも怖くてとにかく人間の不寛容さが怖かった。
それでも世界がいつか滅びるか、それとも自分が他人に頼らず生きていけるようになれると信じられたなら耐えられた。
今はもう、現実を見たくない。
生きるべきではなかった。
もう少しすれば何かが大きく変わって奇跡が起きると先延ばしにしすぎた。
そして、目先の欲に流されすぎた。
それが失敗だった。
※以下の内容は全て個人のもやもやを解消するための主観的推測です 決して内部告発でも事実でもないことをご了承ください。
要約
「デスマ」は渡部高志監督がベースとなる部分を作った作品である可能性が高く大沼心監督作品ではないと私は考える
2018年冬アニメに「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」という作品があります。(以下デスマ) この作品の制作を担当しているスタジオはシルバーリンクで監督は大沼心さんです。
私は昔から大沼心監督のファンで古くはぱにぽにだっしゅ!、最近の作品だと落第騎士の英雄譚などが特に好きで前クールの妹さえいればいい。も含め今までほとんどの大沼心監督作品を見てきました。
なのでデスマもオンエア前は楽しみにしていたんです。しかしこの作品の1話を見てて明らかに何かがおかしい。端的に言えば大沼心監督のらしさが1ミリたりとも感じられないぞと。(面白いつまらないとはまた別の話)
大沼監督の画作りはとても特徴的なので見ててすぐ見抜ける自身があるのですがその特徴が全く画面に出てなかった。うーんと思いつつEDのスタッフクレジットを見たところそこには絵コンテ:渡部高志の文字が...
ん?これはどういうことだ?...頭がパニックになりました。大沼監督は初監督のefから一貫して必ず第1話の絵コンテを担当して作品の指針を示していたのに...と(大沼監督の右腕的存在である玉村仁さんがシリーズディレクターを務める作品は除く)
アニメの第1話とは作品の基本となる極めて重要なものなので監督が絵コンテを切る、というのはごくごく当たり前の話で実際ほとんどの作品はそうだと思います。
前クールに妹さえいればいい。の監督も担当していたので忙しくてコンテ切れなかったのかな...?ととりあえずその時点では思いました。しかしそうであっても監督が映像面に手入れするのは当たり前のことでありならもっと大沼監督作品っぽくなっててもおかしくないよなと
そして1週間後の第2話 相変わらず映像的にはう~んという感じだったのですがこの話数のクレジットは絵コンテ:渡部高志 大沼心でした。これを見て私はある1つの考えが思い浮かびました
この作品は当初渡部高志監督作品として進んでいたんじゃないか?
①監督でもシリーズディレクターでもない人物が1話と2話の絵コンテを担当するのは決して一般的でない(無論例外あり)
③前クールの「妹さえいればいい。」、さらに言えば8月公開の劇場版プリズマ☆イリヤから連続で大沼心監督作が放送される異常なスケジュール
これらより私はデスマは本来渡部高志監督作であり大沼心監督は諸事情で降板したあとの現場の作業を引き継いだだけにすぎないと考えることにしました。
つまり映像のベースとなる部分を作り上げたのはほぼ全て渡部高志監督で大沼監督はそれを完成形に導く作業を担当しているにすぎないというわけです。
2話で大沼監督が連名で絵コンテにクレジットされているのは渡部監督の絵コンテに対して修正を加えているからで1話で同様のことをしていないのは降板時点ですでに1話の作画が始まっていて大沼監督は修正できなかったと
このような解釈をすると私のデスマに対する違和感、疑問はすべて解消します。
これらの理屈は強引な部分もありそれお前の妄想にすぎないだろうと思う人もいるでしょう(実際妄想ですが) しかし実際アニメ業界ではこのようなことって珍しくないんです。
最近の作品だと『うどんの国の金色毛鞠』がこれとほぼ同じ状況が発生していた作品です。
この作品は元々井端義秀監督を中心として制作されていましたが現場のプロデューサーと方針の違いで揉め、最終的に井端監督が降ろされ宅野誠起氏が監督としてクレジットされた(井端氏は絵コンテ以外ノンクレジット)作品です。
2016年の年末には井端氏が降板に至る経緯をFacebookで告発したことにより一部で炎上しました
今回の状況との共通点は以下のとおりです
・降板した監督が1話の絵コンテとしてそのままクレジットされている
・後任の監督はそのスタジオに所属している監督(所属しているので社内の案件を頼まれやすい)
また、2017年には『魔法陣グルグル』でもこれに近い事案が発生しています。(こちらは降板したげそいくお氏はアニメーションコンセプトデザインとしてクレジットされている)
このようにアニメ監督のオンエア前の途中降板というのはあまり珍しいという話でもないのですがそれに対して私は「前任者が作品の土台を作り上げたのにその人をクレジットせず現場の後処理的な部分を任されている人を監督と呼ぶのはどうなんだろう」と感じるのです。
そういう観点ではグルグルは後任者を「シリーズディレクター」とし降板した人を「アニメーションコンセプトデザイン」とクレジットしたのは実情にあったスタッフクレジットにしようという配慮が合ったのではないかと思います。
アニメにおけるクレジットというのはその人の名刺にもなる極めて大事なものなので実情にあったスタッフクレジットというのはとても大事だと私は感じます。
以上 デスマはおそらく大沼心監督作品ではない。そしてこのような作品が大沼心監督作品として記録が残るのはファンとしては嬉しくないという心の叫びを綴らせていただきました。
【要点】折笠富美子は天才だと思うのですが声オタの皆様はどう評価してるんでしょうか
カリスマアルファツイッタラの人が過去の遺物らしく過去の遺物を称揚しているのに群がって嬉々としてブクマするロートルどもよ。
ハッチポッチはもう終わったんです! 目を覚ましてください! いまやってるのは「フックブックロー」なんです!
▶ フックブックロー 上を向いて歩こう!アカペラ - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=appAk_yb0B0
■■見よう■■偉大なるハッチポッチが、王様〜ダンス☆マンの流れをくんで過去の洋楽ロック&ポップパロディであり元ネタ愛とセンスに重点を置いていたのに対し、フックブックローも同じくカバーは多めなんだけど、センスではなくて「うたごころ」をものすごく重視してる。悪く言えば歌謡曲的、良く言えば洋楽翻訳としての本来の歌謡曲的な性格を持っている。これはPが元8時だョ全員集合の人からメタルヒーロー作詞の人に変わったのが大きい。のかな?■■レコーダアーもある■■
で、何が素晴らしいってザ・ニュースペーパーのお兄さんもいいんですが、ヒロイン野辺留しおり役の、折笠富美子の歌がとんでもなく素晴らしいんだなあ。
▶ フックブックロー亜麻色の髪の乙女 - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=xHfr2CB8cOI
▶ fookbookrow.no.5 恋はみずいろ - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=GR2u6R62NyE
ソロも素晴らしいし、ハーモニーの中でキーとなる時も素晴らしい。突出した個性は間違いなくあるんだがコーラスの中では調和している。おにいさんと長母音が重なって倍音が揺れるところとかたまんない。言ってしまえばいわゆる「アニメ声」「声優歌唱」の典型なのだが(花澤香菜とか多大に影響受けてると思う)、このパペットに合わせられるとそれはうたのおねえさんになってしまって全く嫌味がない。
素晴らしい素晴らしい連呼で主観的すぎるので、基準を出すよ。
フックブックローに出てくる猫が浦嶋りんこで、浦嶋りんこと互角に歌えるということは吉田美和と互角ということで、つまり折笠富美子は世が世ならミリオン級の大天才。以上証明終わり。
んで、いまさらながら気づいたんだが、おれはずっと折笠富美子の歌が好きだったのだ。貼る。
▶ お散歩協奏曲 ~ 苺ましまろ - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=XaHaO3yJ9AI
さいこう。おれの中でいまだにアイドル(非プロパー)ラップの頂点。
たぶん、折笠富美子の何がうまいのかというと、タイムなんだな。リズムへの歌の乗せ方が段違いにうますぎる。だからラップが映える。
ていうのは、このあたりのライブを見るとよく分かる。三連も裏も自由自在なの。
▶ Live Open Sesame Vol.1 Digest(折笠富美子+渡辺剛+坂上領+伊達弦) - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=ER9m14Z1AF8
どんどん貼るよ。
▶ ぱにぽにだっしゅ! OP1 黄色いバカンス - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=R9z6l13RNbg
▶ あたしンち カラオケ天国 full - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=B8O2eD_SWwo
▶ 明日のナージャ - Etude - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=14-S08IFNo0
▶ キン肉マンII世 - Rinko, Tamaki & Keiko's Theme - Go, My Boy! - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=lGtlRod99XM
▶ chAngE/朽木ルキア - Youtube https://www.youtube.com/watch?v=9ccbNmEAi2Y
さいこう。下の2つはあんまり好きでもないんですがなにこれ器用すぎる、という意味で。DISSるつもりはないんですが、安直なバラード歌わせるより、ぜったいビートのはっきりしたブラックやラテン寄りの楽曲の方が合うのに、そういうのが少なすぎる。音楽業界無能。
あ、冒頭の「声オタの〜」は煽りでも何でもなく、自分が声オタじゃないのでそのへんからの評価ってどうなんだろうなー、と単純に知りたかったので。ライブ映像見ても、すごく小さなカフェっぽいのしか見つからなかったし、いわゆるホールやドームでやる「声優ライブ」的なシーンでは名前見たこと無いし、こんなに歌上手いんだからそれでも評価はされてんのかなー、と。
総括! ディスコグラフィ的に振り返ると、00年代後半の苺ましまろ→ぱにぽにだっしゅの流れのころ、もっと音楽業界に見る目があれば……というのが残念でならないが、ここでNHK教育がフックアップして変形うたのおねえさんとして日本中の幼児とお母さんを虜にしているので良しとしたい。ただしNHK教育、フックブックローのアルバムをiTSで1枚だけしか出してないうえ、1曲250円売りでしか出してないことだけはゆるさねえ。
https://itunes.apple.com/jp/album/nhkfukku-bukku-ro-pa-ttopati!/id933586091
●わかりやすい「ストーリー」がない(基本的にただ存在しているキャラがただくっちゃべってるだけ。ヤマなしオチなし)
●わかりやすい「ナンセンス」がない(らき☆すた中のナンセンスはほとんどがパロディシーン。そもそもギャグのほとんどがあるあるネタ)
●わかりやすい「ファンタジー」がない(異世界でもパラレルワールドでも過去でも未来でもない現実のトレース的な作品世界)
要するに、内輪の人以外にアピールするキャッチーな要素があんまりない地味アニメなんですよね。内輪というのは、たとえばOPとか、キャラ設定とか、パロネタとか、裏方スタッフとか、そういう部分部分の要素にうっかり反応してしまった人のことなんですが。とにかく一切外を向かずに閉じて閉じていく感じの作り方をしてあるので(食いついた人たちを更に振り落としていく感じ)、そもそも食いつくところがなかった人たちが外から眺めて論じられる部分(=アニメの中身とかいうやつ)が存在してないと。んで外から見ても内側を理解できる要素がまるで見つからないので「らきすたヲタきめえ」という感想になるのではないかと。まあ内側にいても「京アニの暴走を誰か早く止めろwwwwwwwww」という感じになってるわけですが。なんつーか、人としての許容範囲を試されるアニメと言いますか。
結論:ぱにぽにだっしゅ!は最高。
ひとつは、絵の美麗さ。
ひとつは、動きのよさ。
「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。
しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。
場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。
「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラの演技や画面演出の幅の広さにつながる重要なポイントとなる。
かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。
その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイルや戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。
ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位で担当作品を認識するケースも見られる。
作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。
アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。
最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK』監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。
ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年「ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年に未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。
上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。
しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲー、ラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像のクオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクターの一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーやライトノベルがアニメーションとは異なり、原画家、イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。
また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクターの一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクターの一貫性が強く求められているのではないか。
このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。
今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァとパチンコでお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督、原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。
最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。
決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。
http://anond.hatelabo.jp/20061127113348 のお陰で前にギャラクシーエンジェルのアニメ版原理主義者について書いてたのを思い出した。ぱにぽにだっしゅ!もマッドハウス版のGAも好きだという点では20061127113348と異なるものの《原作もアニメ版みたいになればいいのに》のような意見にはやはり同意できないから、そういう者を憎む気持ちは分かる。
原作付きアニメを必ずしも嫌いになるわけじゃないけど、【つまらないアニメのせいで面白い原作まで見限るアニメファン】や【面白いアニメのせいでつまらない原作を見限るアニメファン】の言動については作品そのものよりも嫌えることもあるかも知れない。にしてもオレのような【面白い原作のせいでつまらないアニメを見限る原作ファン】も対立するファンにとってのウザったさでは同じようなものか(いちいち書かなくても分かると思うけど面白い/つまらないは各々の主観に拠るよ)。
人の楽しみ方にケチをつけるのは不毛です、なんて月並みなオチがすぐそこに見える。