はてなキーワード: 小林治とは
イクニ作品はピンドラとユリ熊とこれしか見ていないがその中では一番分かりやすくて面白かった
円盤も全巻予約済み
BL要素があるので苦手な人は注意
1話はもはや不快レベルのつまらなさだったが2話以降は見れる程度には良くなった
前期のわたてんが最高過ぎたのが悪い
1話の面白さを最終話までしっかり保ってくれて非常に安定した作品だった
分割2クールとのことで秋が楽しみ
狩野一との対立は普通に面白かった気がするのでもっと砂の耳設定を活かした話を見たかった
媒体ごとに少し展開を変える手法をとっているので改変があるのは分かっていたがあまり良くない改変もあったのが残念
主役2人の声優がアニメ声優初挑戦とのことで不安だったが、どろろは普通に上手で百鬼丸は終盤までほとんど台詞がなかったため気にせず見ることができた
15話が小林治回だったが、せっかくMAPPA(と手塚プロ)が作っているのだから作画を魅せる方向で作ってほしかった
夏アニメはまだ1本も見れていない
映画はミュウツーの逆襲EVOLUTIONを観に行ったが2Dアニメ表現の良いところを削った感じだった
ある意味観て良かったとは思っている
http://b.hatena.ne.jp/moondriver/20090408#bookmark-12421841
moondriver moondriver anime, オタク, 考察 "七話をきっかけにバーディの話が出るようになった" グレンラガン4話と同じでもはや(製作者側が)「電波ソング」みたいな扱いで「作画崩壊」を投入してるんじゃないの?という気さえする 2009/04/08 Add Star
グレンラガンの4話に関しては目的ははっきりしているでしょう。それは「金田伊功回」を擬似的に作り上げる事。
グレン企画当初のテーマとして「ロボットアニメの歴史の総括」があり、今石監督の原体験からして金田伊功の存在は外せなかったのは当然の事と思われます。
かつて金田氏が一話だけ現れて、全ての原画をやって大暴れして去っていったあのアニメ「ずっこけナイトドンデラマンチャ」第6話「ドンはカウボーイ」のように、もしくは「無敵鋼人ダイターン3」第22話「スターの中のスター」のように。それを自分の監督作で再現してやりたいと今石氏が夢想するのは想像するに難くないでしょう
そして誰がそれをやるのかについても拘ったはずです。「金田的であるか否か」という点を重視し、ただの「金田モドキ的作画」だけの回にはしたくなかったと推測します。
かつては今石氏も他人のアニメでそれを何度も実行してきました、「ミクロマン」第26話、「メダロット」第14話等がそれに該当します。しかしそれは「金田モドキ」回としては上等だったとしても、「金田伊功」回には成り得ませんでした。なぜなら今石洋之は金田伊功じゃないからです。
ただ、モドキ作画を繰り出すだけでは「金田回」にはならない。そうなれば、「どうすれば出来るか」ではなく、「誰がやるべきか」と考えたのではないでしょうか。上辺だけでなく、潜在的な意味での「金田伊功」に近い人間。
その結果、白羽の矢が立ったのは小林治氏です。何故ならば小林氏は「金田伊功ファンクラブ初代会長」だったからです。
このスタッフィングに異論は当然あるでしょう。もっと金田氏に限りなく近い人間は他にもいるだろうと皆さん思ったに違いありません。
ゲームムービーで一緒に仕事した関係とはいえ、まさか当時ゲーム会社所属の金田氏本人にやってもらうのは今石氏では難しいでしょうし、何かそれはそれで本末転倒な気もします。
今石監督の人脈の中で誰が一番適任者だったか、普通に描ける人では駄目なのです、異能者でなければいけないのです。その結果、小林治氏が抜擢された。何度も言いますが何故なら「金田伊功ファンクラブ初代会長」だったからです。
4話のスタッフをこの組み合わせでやれた時点で、おそらく今石監督は満足いったのだろう想像します。小林氏ならばグレンラガンをメチャメチャにしてくれる。それでもって「金田伊功」回の再現とするのだと。
結果ではなく過程が全て、それが天元突破グレンラガン第4話「顔が多けりゃ偉いのか?」だったのです。
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続く第8話では渡部圭祐氏にその役割を担わせたことが伺えます。
本編中で一番盛り上がる所を、金田系正統後継者(今石監督の私見)に任せてドラマを盛り上げるのに一役買ってもらう。
これはどうみても劇場版銀河鉄道999や幻魔大戦などにおけるスペシャルアニメーター金田伊功ポジションの再現です。
つまりドンデラマンチャの時の「暴走アニメーター金田伊功」を小林治氏に、
幻魔大戦などの「スペシャルアニメーター金田伊功」を渡部圭祐にそれぞれ託したのではないでしょうか。
■参考
今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!
第4話 顔が多けりゃ偉いのか?
http://www.style.fm/as/13_special/mini_080109a.shtml
今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!
第8話 あばよ、ダチ公
會川昇 浅羽通明 東浩紀 庵野秀明 石@森プロVS宝島問題 石@森プロVSマンガ夜話問題 伊集院光 エヴァ現象 大塚英志 大塚VS岡田問題 大月隆寛 大月アニメ 岡田斗司夫 落合信彦
加藤典洋 ギャルゲー 切通理作 桑島法子 呉智英 小林治 小林よしのり 小林よしのりVS宅八郎 小森まなみ 小谷野敦(つづき)
サイコ版権引き上げ騒動 齋藤環 桜井亜美 白倉由美 白倉VS桑島問題 セカイ系
大地丙太郎 田中芳樹 富野由悠季 富野伝説 永井豪VSマンガ夜話事件 永江朗 波乗り! アニメジャーナル
ブンガク 宮崎哲弥 宮崎駿 宮台真司 村上春樹 福田和也 藤岡信勝 安彦良和 SFである・ない論争 TVゲーム
あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。
本文のクオリティは保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。
さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。
『グレンラガン』#4は脚本がダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。
ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。
ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。
冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。
「作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。
祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログのエントリやまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。
例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニの山本寛がアイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフは絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒのEDとベリ工のPVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。
教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイターや著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。
実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナー、イラストレーターが注目される時期に、アニメにはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!
そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。
あと、anond:20070424113453の増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクターの一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。
「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!
キャラクターの一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメ、DVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラとキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!
最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。
もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションのアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。
しかしながら、ガイナックスの内部スタッフがキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。
はっきりいって、海外に出して作画修正が間に合わなかったんだろ?
釣りだとおもうけれど、残念ながら、#4の絵は、“作画監督・小林治の手が十分にまわりきった”作画だよ。
しいて言えば、若干、割りかたがぎごちない感もあるけど、これは#1??3で枚数を使いまくった影響ではないかと。
別にどうしても『グレンラガン』を擁護しないといけない理由もないんだけれどさ、「トレス」だの「ヤシガニ」だの踊らされすぎじゃないのと思うのさホント。
ひとつは、絵の美麗さ。
ひとつは、動きのよさ。
「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。
しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。
場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。
「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラの演技や画面演出の幅の広さにつながる重要なポイントとなる。
かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。
その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイルや戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。
ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位で担当作品を認識するケースも見られる。
作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。
アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。
最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK』監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。
ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年「ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年に未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。
上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。
しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲー、ラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像のクオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクターの一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーやライトノベルがアニメーションとは異なり、原画家、イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。
また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクターの一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクターの一貫性が強く求められているのではないか。
このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。
今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァとパチンコでお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督、原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。
最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。
決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。