というかあのスタイルで100%正しい動画は無理だし、視聴者も期待してない。ある程度勉強になるし、笑えて楽しいから見てる。日韓問題みたいな際どいところも果敢に攻めてるしな。
・たぶん金はある
・頭が寂しくなってきている
・身長は高くない
・割と太ってる
・顔は良くはない
・地味
・多少変人
自分含めとある趣味で知り合った仲なんだけど、AがBを年末食事に誘ったらしい。
そこでAがBにしつこく性的な質問をした挙句、なんだかんだ理由をつけて黙って目を見つめたり、「寂しいんだよね」とか言ったりして最終的に「家に泊まって行かない?」とまで聞いてきたらしい。Bが「どうして私が家に泊まるって思うんだろう?ワンチャンあるように見えるのかな…」って聞いてきたんだけど、自分にもよく分からなかった。Bは黙ってたら綺麗だし惹かれる人がいるのは分かるけど、口開いたら生意気な陰キャ学生って感じで1時間も話したら異性としては見れなくなるタイプだし
「性欲とかあるの?」
→「全くないです」
「寂しい」
みたいな返答だったらしいし
自分も年取ったら自分がしょぼくれたオッサンだという事実を忘れて若い子とワンチャンあると思ってしまうようになるのだろうか?若い女ってそもそも男に困ってないのに、オッサン相手にするわけないだろ…って正直自分でも思う。オッサンになりたくないなぁ
戦った後、組織には死んだと思わせておいてポルナレフは隠れてるけど「イタリアから丈太郎に連絡しようとするやつ」も対象としてマークされてたら連絡取ろうとした時点でポルポルみつかって死亡。みたいな
押し付けなきゃ自由にやればいいよ、傘をささないと女性は髪がギシギシするから恋人にまで傘を指すべきでないというのは酷
そして問題はこの増田に長文で投稿するということがおしつけがましいってことなんだよね
たとえばオレが
と適当になりすましたところで元増田本人とは見分けがつかないわけだ
さらに動機としてもただただ押し付けたくてしょうがないだけのやつらが常連でいのこってるし
新刊出るほうが怖いんだよ逆に
プンスカギャーギャーtwitterで怒り続けてる50~60代の作家連中
お前ら何年新刊出せてないんだ
みんな黙ってるけどな、ここ数年でみんなお前のこと大嫌いになってて、軽蔑してんぞ
元増田です。
この枝の議論は自分にとってとても大切な観点が書かれていたのでここメインで書き込みます。
横増田の方はかなり私の考え方に寄り添って書いていただきました。
またその方とやりとりしている方も「ファスナーは常に閉めるべき状態なのだ」と考えるあり方を提示されており、私のこだわりに添いつつ新しい考え方をもたらしてくれました。
この枝のさらに枝の増田さんが書いている、何か事態が起こった場合に反省して切り替えていくという姿勢は私のような人間には極めて重要です。
人の意見を素直に受け止めないと苦手なものは一生そのままになってしまう。何が苦手かはおそらく元の文章読んだ方ならなんとなくわかるかと思います。
私は例えば人より0.7倍スキル習得速度、物事への認知速度が遅いとしても、その分できないかもしれないけど頑張って、人より劣るけれどもスキルに経験値入れ続けることは大切だと思っています。自分のやってることに半分自信があり半分は全くないので、冗談ぽく周囲に話して、それでちょっとずつ直したり考え直したりしてます。
元の増田もそんな気持ちで議論になりそうなこだわりをヤバそうなものから共感を得られそうなものまでグラデーションでピックアップして書きました。
ということで、お皿はもう少しちゃんとやってみようと思います。
もう少し、と書いたのはいきなり完璧にやろうとすると失敗するからです。
これについてはhttps://anond.hatelabo.jp/20200116111422の指摘があたります。
これは完全に私の書き方が不十分で申し訳なかったのですが、元増田で「必要以上に」と書いてある通り除雪はします。私はかなりちゃんとやる方で、ネットの積雪予報と自分の睡眠時間を考えて、時間を定めて適切な範囲で除雪します。融雪の時期は当然朝晩の融解と氷結を見越して除雪しています。変なタイミングでちょこちょこ除雪したり、大した積雪でないのに除雪機出したり、そういうのはよくないと思うのです。田舎だとマンションの管理会社が建設業で、ユンボで除雪してもらえるのですが、その時に自家用車が駐車場にあると除雪に支障をきたすので、来そうな場合は出かける用事を作ります。一軒家の場合はお隣の除雪ペースを心に留めて動きます。
あれこれ理由をつけているだけで、自分のだらしなさを正当化しているという指摘が結構ありました。
その通りです。ただそれはいけないことなのでしょうか? ちょっと言葉は強いですがhttps://anond.hatelabo.jp/20200116133818の意見に近いです。
で、日常のいろいろなことに過度に囚われず、思考したり実践したり、あるいはだらだら休み増田も書く。動静どっちもやる。
ただし、人の意見をしっかりきいてこだわりを相対化するのは大切。
こんな人間なのでお察しかもですが小学校から中学校の時代はかなりいじめというか孤立しましたが、中学2年生の時以来つるんでくれるメンバーがいて、とっても、助かりました。そのメンバー達のおかげでこだわりの相対化へのこだわりが始まりました。
消しゴムを拾わないのは、その時間は書いたり黒板見たり集中して物事を覚える時間だからです。
物を覚えているのに消しゴムを拾うと物を覚えられない。テストで点数取れません。
誤字をすると、物を覚えるのは一時中断します。そして消しゴムの出番です。
席変えの際に周囲に説明して、俺のは拾わなくていいということを伝えるようにしてました。
なお私は上半身を前後させながら授業を聞くと覚えが体感1.8倍くらい(2倍行かないくらい)よくなります。
ただこれをあまりにひどくしすぎると周りの人に迷惑なので、その感覚をより小さな動作で得られるように中学生くらいからしています。
ちょっとだけ貧乏ゆすりする、あるいはつま先をゆっくりトントンする、左手を鼻筋に当てる、ペン回しをする(はじめ右手でやっていたのですが右手でやるとノートに差し障りが出るので、左手でペン回しすることにしています)などです。
自分でもこれヤバイと思うのですが、良い成績取るためには仕方がない。あるいは学会発表とかで論旨を掴むためには仕方がない。消しゴムもこれとおんなじです。
枝増田にあった指摘で、傘もささなそうというものがありました。
ご指摘の通りで、過度の雨(濡れすぎて外出先や職場に迷惑になる時)以外は差しません。お分かりかと思うのですが、傘は雨が止むと差さなくなるからです。
小雨の時はもちろんささないのですが、常に傘は持っています。なぜなら本降りになるかもしれないからです。
雨降ってるのに傘ささないで持って移動していることが多いです。
かなりそう思います。恋人の家でご飯作るときとかは実践の場で、自分のおかしなところを修正していく良い機会だと思いながら、ちょっとずつ自分の変なところを説明したり出したり、そして直したりしながら、かつ楽しくデートするようにしています。
ブコメありました。とってもかっこよく言うとそうだと思います。自分の性分は、性分ゆえに理由なくそうであると自信がある一方で、子供の頃から否定され続けてきたので全く自信がない。ただ修正しながらやってきて自分の性分を生かせる仕事しているだけ。アンビバレントに割り切っています。
確かにここにも書いてあるけど、それが納得行かないw
https://dic.pixiv.net/a/5%E9%83%A8%E3%83%8A%E3%83%AC%E3%83%95
伝えるとか絶対できたはずだけど
先日、某ネトゲのイベント期間終盤に徹夜をかましてしまった。三連休の出口のことである。それで頭のネジが一個外れた。
朝日が上るのとほぼ同時にイベントをクリアし、その後短い睡眠を取り、目覚めると直後にシャワーを浴びて仕事へと出掛けた。起床時点で既に微かな違和感には気付いていた。認識のほんのちょっとのズレ、普段との差異。当初ささやかなものであったのだけれど、それは時が経つにつれ、僅かに角度の異なる二直線のように決定的なものとなっていく。
懐かしいのである。
変な話、ついこの間購入した一本百円強のボールペンにさえ懐かしさを覚えた。あるいは道行く人とか、地面とか、壁とか、床とか。何物に対してであれ何者に対してであれ、そこから何かしらの懐かしさを――つまりはこの場合ノスタルジーを――覚えないわけにはいかなかったのである。
何たる異変か、と当初は思った。頭が変になってしまったのだ、という自覚は一応あった。何はともあれ、仕事をしないわけにはいかなかったので、その日は奇妙にふわふわとした気分のまま、過ぎ去っていく出来事をまとめたり受け流したりしながら一日を過ごした。その日の仕事を終え、電車で最寄り駅に着いた頃には多少なりともの冷静さを取り戻すことができており、まあ一晩寝れば元の通りに戻っているだろう、と目算を立てつつ帰宅した。その後、シャワーを浴び床に就いた。
翌日、何も元通りになどなってはいなかった。
起きた瞬間から空気が懐かしく、枕が懐かしく、部屋の壁と天井が懐かしかった。それどころか、時間の経過と共にこの狂想は加速していくこととなる。
出かけるなり気付いた。地面が懐かしい。昨日に増して懐かしく感じられる。何よりも空が懐かしかった。それは、地面に増して強烈に懐かしかった。
何でそんなことを思ったのだろう? 俺は電車に乗り込み、ヘミングウェイの『武器よさらば』をリュックから取り出しながらに考える。二十分足らずの乗車時間の中、割に結論が出るのは早かった。
つまり、それはこういうことになる。
生命は海から吐き出された。ずっと昔に。我々は吐き出され、陸(おか)に打ち上げられ、そして地面での生活を余儀なくされた。
その時、既にして海は母であった。しかも些か問題のある母であった(何せ我々を吐き出してしまったのだ)。
――また、海の母は星であった。
今日もまた、彼女の身体の上では無思慮な問題児達が跳梁跋扈している。
――では星の母は?
星は生命を育み、宇宙は星を育む大いなる生と死の結合である。我々は生命の起源を海に求める。しかし我々は海の中で生きることはできない――いわんや宇宙でをや。我々においては、海や宇宙は生よりもまず死なのである。それらは、率直に言って単純に生存可能な環境ではない。それでも、海が我々の母であるのと同様に、宇宙は我々の母であり星の母なのである。そこには生と死が同時に存立する。
つまり、地面は我々にとって懐かしむべき存在なのだ。それは無論のことだ。我々はみな等しく星の子供たちなのだから。
そのことから必然的に導出されるのは、星が宇宙の子であり、宇宙は星の母なのであるといった事実である。
そう、宇宙は地面よりも上位系統の過去に――いわば原過去に――属している。
地面に増して、空のことを懐かしむべき存在であると捉えることには、一定の理由が存するのである。
◇
大方ノスタルジーは抜けたが、まるで傷痕のように残滓が留まっている。壁に、空気に、地面に。
海よ、星よ、空よ。
座右の銘とか知らんけど、昔見た映画ですごく心に残る言葉があったから残しとく。
アメリカンヒストリーXって映画だ。
その作中の主人公の師匠みたいなオッサンが主人公に言ったセリフ。
なるほどなと思った。
以上、それだけ。
一部の経営者は仕事に優先順位をつけるより先着順でやった方が良いと主張する。しかし、その根拠は「後回しにしてよい仕事などない」「優先順位を決める作業が疲れる」などというものである。彼らの主張を鵜呑みにしてはいけない。
おっちゃんでよければ、大切にしたるで。