はてなキーワード: 言い回しとは
結局「風呂キャンセル」も「風呂スキップ」も「風呂をパスする」も、全て風呂に入っていないという状況になる
どこかの目標である「お風呂に入ろう」を達成できないし、法などで直接は言っていないが迷惑防止条例なんたらあたりに触れることは免れない状況ではある
主にうつ病などによって何もやる気が起こらなくなり、風呂にすら入りたくないということから生まれた言葉(元々は「風呂キャンセル界隈」から来るもの)
一応声を傾けると入らないと不潔だとかは分かっているが行動ポイントだとかを理由に入りたくないらしい
バキバキ童貞ことぐんぴぃという芸人が提唱している「風呂入っていない」という表現をもっとポップな言い回しにしたもの(ライブ配信で「風呂スキップ感」という表現をしていた)
風呂キャンセルが流行った時にこの言葉を出す人も居たが、元をたどればどちらにしろ風呂に入っていないという意味では同じではある
使い分ける際にはUNOのスキップと同じようにあえてスキップして他の利益を得るために入らないという意味で使う連中も居る
なお風呂スキップシートと呼んでいるものと、オードリー春日が用いていた「赤ちゃんのおしりふき」は似たものではあるが目的が全く異なる(ぐんぴぃのはスキップ目的、春日はコスパ全振りした結果によるもの)
あたしンちの作者けらえいこの「いっしょにスーパー」にて、仮眠を取る際に「風呂をパスした日は通常より30分多く仮眠できる」というエピソードが存在しており、そこで出てきた表現である
風呂キャンセルよりも風呂スキップよりも前に存在していた単語であり、この漫画を由来としない同じような表現もあるが、結局は風呂に入っていないことに変わりない
大多数の人間なら実家に帰るという手段を取れば、とりあえず風呂に入れる可能性は高まる
もちろんバキ童の家族みたいに風呂やめたという状況もあるため100%でもないし、実家に帰れない人間も居るため特効薬にならない選択肢にもなるだろう
海外アニメのキャラクターをアイコンにした垢が毎度のように言う「風呂がないから入ってない」という意見をそのまま尊重した方法
シャワールームだけの部屋も狭すぎるわけなので十分な浴槽のある物件に住まないと解決しない
このためTOKYO YAMERO、KANTO YAMEROなどのように別の地域に住むことも検討する必要はある(家賃の問題)
よく銭湯があるじゃないという話もあるが、残念ながらうつ病などの人間は他人との接触を拒絶するので銭湯は一番最初に除外すべき選択肢と言える
増田でこれをあげてもチンから始まる大喜利大会で言及されるだけでミニ四駆で失明しパンティーされて誰にも教えられずに番付に載るだけである
○主人公を間違えるやタイトルの読み方を間違えるなどの少し考えたらわかるけど面白い勘違いをするくだり
○序盤に退場することが有名なキャラを好きになって慟哭するくだり
○原作やスピンオフに登場しないキャラで限定衣装やイベントの出演が少なく性能も一線級ではない低レアキャラの顔だけを気に入った導入から中身も好きになっていくくだり(ファンが作っているWikiなどは熟読し程よく先回り程よく勘違いするとよい)
○シナリオが良いと評判の部分のちょうど手前で退屈だなーちょっとモチベ落ちてるかもチラチラっしフォロワーに「次からだからやめないで」みたいなことを言ってもらうくだり
○実質ほにゃららみたいな言い回しを毎日のように手を変え品を変えバズるまで言い続けるくだり(ニチアサ、ガンダム、週刊少年ジャンプなどがオススメ)
○とにかく大げさ感情表現するくだり
(メシが食えない、仕事休んだなど)
○とにかくスクショを連投するくだり
○ハンドルネームの医薬品はなんとかの薬だから云々と深い考察をみせるフォロワーに語感ですと冷たく短文で返答するくだり
○カレーが出てきたら、センター試験のときも大盛りカレーを食べていたエピソードを披露するくだり
○ネタバレを書かれて怒るくだり
俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念マシマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人、三橋鷹女の句を紹介したい。
あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方に燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中と出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?
たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台は京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりきれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいだから、この樹に登ったら全身火に包まれてしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ。紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれて鬼女になる」というその妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然・風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化も定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。
これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。
ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。
和服の着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程の総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。
「死ぬにはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為も何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダーの内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識を自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念の世界だと思う。
どうだろう、こういった情念・個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。
そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句の王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性と情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌と俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、だから俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。
退位の意向にじんだお気持ち|平成から令和へ 新時代の幕開け|NHK NEWS WEB
憲法上、天皇が政治に影響力を及ぼしてはならないことになってるから、「ただ個人的な心情を述べただけ」ということを強調するために「お気持ち」という言葉がつかわれて流行った
この記事は人間によって書かれたものだと思われます。以下の点から、そう判断できます。
1. 文章の流れ、構成がスムーズで自然である。AIによる生成された文章には、まだ人間らしい自然な文章構造を作ることが難しい。
2. 具体的な例(東京-新大阪の運賃の数値例)が適切に使われている。AIも例を挙げることはできるが、あまり具体性がなかったり文脈に合わない例を挙げがちである。
3. 文章に人間らしい主観や価値観が反映されている(「かわいそうと感じ譲ってあげたい」「無理に譲る必要はない」など)。AIは一般的にこうした主観的な記述は苦手である。
4. 軽い言い回しや言外の意味が自然に表現されている(「指定席を取るべきだという意見もあるでしょう」など)。
そもそも「よろしいか?」って関西弁なのかどうかわからないけど関西では比較的使う人が多い(とくに年配層)のに比べて
東京では「ん?」って顔されるから少なくとも関西以外では日常語彙ではなさそうだな
「関西弁ではなくて役所の特有の言い回し」という説があるけど役所の人は普通につかってるのかな?
というか「よろしいか?」を使用する雰囲気まで含めて直訳できる語彙がなさそうな気がする
直訳したら「よろしいですか?」とか「いいですか?」になるけどなんか違う。
(追記)
よろしいかは関西内でも地域・世代で使用頻度にグラデーションがあるというかぶっちゃけ全く通じない人も多いかもしれん。
公文書の伺い書(起案文書)=「よろしいか」という使い方が常識という世界線があって、クラクラした記憶あり。(例:大分県佐伯市の例規集より→) https://www.city.saiki.oita.jp/reiki/reiki_honbun/r159RG00001486.html
これ、ぐぐったらいろんな役所とか公的機関の起案の手引きが出てきて
3 伺い文について
みたいに使われてるっぽいな(上記は防衛省の起案の手引き http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/2022/az20220614_11441_000.pdf)
民間相手しか仕事したことないワイは今まで稟議書とか提案書にこれ使われるの見たこと無いから役所特有なのかもな
どうも一説では大昔に役所の公用語みたいのが旧日本軍の舞鶴軍港を経由して関西北部で一般化して関西弁になった・・・みたいなのもあるらしい
この説が正しければ役所言葉としては戦後も日本各地で存続、関西ではおもに北部を中心に方言として定着・・・みたいな別々のルートがあったのかもしれない
まあホンマかいなって感じではある。
あと上メセを感じる件だけど
確かに先生が言ったりするけど「レジ袋無しでよろしいか?」みたいなのもあるし必ずしも上メセって感じでもないんだよな(地域によってきそうだけど)
「よし、これで手打ちにしよう」と納得したフェミニストを、あなたは見たことがあるだろうか。
私はある。が、ひどく少ない。明らかに少数派だ。
「ここが謝ってない」だの「この記述が気に入らない」だの「この言い回しに不誠実さが見え隠れする」だのと言い立てる。
彼女達が唯一許すのは、自分たちの主張と要求を全面的に受け入れ、この問題の全てにおいて完全無欠に私が悪いんですと認めて頭を垂れる全面降伏型の謝罪だけだ。
そのような謝罪をしたATSUGIは、見事にフェミニストの許しを得て、その後のキャンペーンでも粘着され続けている。
全面降伏型の謝罪をしない限り、自分たちも同じ目に合わされると思っているから、彼女達は謝れない。
ここ数年、急激に求心力を失っているフェミニストとリベラルだが、
かつては正義の代弁者として大きな力を持っていた時代があった。
フェミニストから抗議を受けただけで、組織がひっくり返るような大騒ぎになる時代があった。
正義の力に酔いしれた彼女達は、謝罪のハードルを上げすぎてしまったのだ。
まさか自分たちが謝罪する側に回るとは夢にも思っていなかったのだろう。
謝罪とは、「悪いやつ」に「させる」もの。私たちとは無縁のもの。
そう信じているからこそ、謝罪として認められる基準を上げに上げていった。
まさか自分たちが謝罪する側に回るとは、夢にも思っていなかったのだろう。
彼女がしたためた謝罪文に群がり、「ここが謝ってない」だの「この記述が気に入らない」だの「この言い回しに不誠実さが見え隠れする」だのと言い立てる、かつての自分たちの姿に怯えているのだ。
・否にはあらず
「ねぇ、僕とお付き合いしてくださいよ」
人付き合いが苦手だという彼は、唐突にこんなことを言い出した。
「…付き合うって、どういう事です?美妙さん」
「どうって、当世では男が女をこのように誘うと聞きました。男と女の付き合いを、知らないわけではないでしょう?」
なるほど。要は特務司書であるこの私に女として付き合うことを要求する、と言う事らしい。彼…最近この帝国図書館にやってきた山田美妙は高らかにこう続けた。
「なんならここから飛び出しても良い。こんな退屈なところ、うら若き貴女にとっても良くはありません。どうです?僕と一緒にここから逃げませんか?何なら俥を用意しましょう。俥で行けるところまで行ったら、今度は舟に乗りましょう。こっそり脱け出せば、誰も追いかけてきやぁしませんって」
なんと一緒に駆け落ちしようと来た。軽薄な男であると言うのは逍遥先生から聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
それと同時に、悪魔的な好奇心を彼に感じるのもまた事実だった。色素の薄い整った顔立ちにどこか仰々しい立ち振る舞い、そして蠱惑的な台詞の言い回し。軽薄だと分かっていても、花に寄っていく蝶のようにフラフラとそちら側に倒れてしまいそうな感覚を覚えて、くらりと少し視界が回る。恐らくは彼も本気ではないだろう。それならば、このお遊びに付き合うのも悪くはない、むしろ面白そうだと思って、私は彼が差し伸べた手を取り、引かれるがままに立ち上がった。
「そうですね…二人でどこか遠いところへ行くのも、良いかもしれません」
私がそう答えると、彼は目を丸くした。色良い返事を期待していなかったのだろうか。そのまま顔を引きつらせ、口角をつり上げて高笑いをしだした。
「ハ…ハハッ…貴女、本気にしたんですか?ここから、逃げる?ハハハハッ!僕に惚れていたのなら残念でしたね!共に逃げ出したところで、僕の芸の、文学の肥やしにするだけですよ、ハハハハハッ!!」
乾いた笑いが部屋の中に響く。それは軽くて、悲しい笑いだった。向けられた好意に素直に反応ができない彼の精一杯の強がりのように見えた。なら、私も、その強がりに見合った対応をしよう。
「……何を言っているんですか?」
「え、何って……」
放たれた一言によって高笑いが止む。私は矢継ぎ早にこう続けた。
「惚れたも何も、そもそも本気になんてしていませんよ。単純に、あなたとの火遊びに興味がわいているだけです。誘いに乗ったのだって、ただ何となく面白そうだったからに過ぎません」
「………………」
「私を芸の肥やしにする?それも結構!私は私で、あなたを私の好奇心を埋めるくさびとして扱いましょう。そこには愛も何も有りはしません」
ここまで言い切って一息つくと、彼は呻き声を上げながら固まっていた。少しやり過ぎたかな、と思いつつ、伸びたままになっていた手を握り返す。
「あなたも火遊びのつもりで誘ったのなら、お互い利害が一致して良いじゃないですか。金と女は自由に生きるのにあるだけ欲しいって前に言ってたの、こっちは覚えてるんですよ。嗚呼、金は流石に用意できませんが」
「あ……え……その……」
「さぁ行きましょう。俥は目立ちますから自動車を呼びますね。嗚呼、遠出をするとは言え、朝になる前には帰ってきますからそのつもりで」
私は握り返した手をそのまま引っ張って彼を外へ連れ出そうとする。最初の威勢は何処へやら……抵抗なくついてくる彼は、まるで初めて共寝を迫られた乙女のように顔を赤く染めて、俯いていた。
これは火遊びするどころじゃなさそうかな。そんなことを考えながら、私は彼の腕を引っ張る力を強めた。
でもやっぱりダメそう
一応前提を書いとく
ガンダム初心者ではなくよくいるSEEDから入った世代、それ以降のガンダムは積極的に見ている
ファーストガンダムなど古い宇宙世紀作品は劇場版で一部履修済み、流石にテレビシリーズは長すぎて手が出ずスキップしてる
これに尽きる
映像の表現なのか演出なのかセリフの言い回しなのか間の取り方なのか演技なのかよく原因がわからないのだが、いちいちなんか気持ち悪い
今まで色々なアニメや映画・ドラマを見てきているがこんな感覚になった作品が他にあっただろうかと思い返すと一つ気づくことがある
キングゲイナーを見た時も似たような感覚に襲われた気がするし、その時も挫折した
これはニュータイプじゃない自分が富野適性皆無のため発生する拒否反応なのんだろうか、、、、
誰かうまく楽しむ方法を教えて欲しい
趣旨とズレるけどこういう団体がやってるのって善意じゃなくて党派なんだよねえ
似たようなとこでサッカー協会かなんかが能登のサッカー関連の復興に尽力します!みたいなこといったとき唖然とした
欧州では事件やテロ、戦争に関連して試合が中止になったりすると「たかがサッカーだ」「たかがスポーツなんだ」みたいな言い回しをよくする
まずみんなの命と生活なんじゃないのか?
いや、分かる
役割分担というか、全体的なことは国や自治体や赤十字とかに任せてさ、関連する団体が関連するドメインで動きますってのは分かる
全体を見てる側からしたら取りこぼしてしまう性質の支援がそこでフォローできるってのも分かる
周りにそういう言い回しする人見たことないから本当に意味が分からないんだけど…
なんか、本当に生きてる土俵が違うんだね。一生君の人生に関わることはないから安心してね。
お幸せに。
https://girlschannel.net/comment/5008782/127/
127. 匿名 2024/02/10(土) 18:07:38
今までエンカウントした死別じゃない母子家庭育ち男は共通点何個もあったわ
・通行人とか電車内の他人の容姿でギリ気づかれるかどうかの声量と言い回しで笑い者にしまくるチキンレースをしょっちゅうやる
・芸人ノリで迷惑かけるとか、謎のタイミングで怒り出したり暴れだしたりとかして、何かにつけて悪目立ちしたがる
・格下と見なしてた先輩とか同期から愛想良く挨拶されたり話しかけられたりすると露骨にピリつきだして、本人いなくなったらキレ気味に悪口言いまくる
再投稿でバズろうとする習性を学習してしまった感があって業が深いと思った
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:https://anond.hatelabo.jp/20240429111131
検索用:
https://megalodon.jp/2024-0430-1244-18/https://anond.hatelabo.jp:443/20240430124019
■今までエンカウントした死別じゃない母子家庭育ちは共通点何個もあった
・通行人とか電車内の他人の容姿でギリ気づかれるかどうかの声量と言い回しで笑い者にしまくるチキンレースをしょっちゅうやる、
・迷惑かけたり怒りだしたり暴れだしたり、そういうことをして何かにつけて目立ちたがる
・格下と見なしてた先輩とか同期から愛想良く挨拶されたり話しかけられたりすると、露骨にピリつきだして本人がいなくなったタイミングでキレ気味に悪口言いまくる
私には妹がいる。妹とは話が通じないなと思うことが幾度となくあり、毎回ではないが苛立ちが募ることもある。話の通じなさとはレスポンスの遅さや文脈から少しはずれた返答のことだ。
そして、自分自身が友達と話しているときにふと我に返り今の返答は正しいそれではないような違和感を覚えることがある。
その違和感は主観の域を出ないが、自分がそういった返答をしてしまうことによって私が妹に感じる不快感を友達にも感じさせていないのか不安で仕方がないのである。
なにかをきっかけにしてすごい勢いで話すよね、と、ある友達は良い面だと捉えている旨を伝えてくれたが、今になって思えば躁状態になっているとも云えるだろう。
別の友達からは病気になってから脳の回転が悪くなったと思うか聞かれて、今のレスポンスの遅さは昔からそうなのかと言われているように感じた。
その人と話すときは常に緊張しているため懸念事項がより顕著に表れているのだろうか。
こうして少しずつ違和感や、以前からある"他人と関わった後に己の行動を見直す癖"が合わさり確信に近づき、
口数を増やすことによって失言が生まれるなら失言しないように何も話さなければいい、そして話すときは頭の中でつながりを意識して文章を組み立ててから話すように、
といったことばかり考えているとレスポンスは遅くなり、砕けた場面でも文語調でしか話せないようになった。
誰と話すときでも自分から話すことはほぼなく、人の話に相槌を打つ以上のことができないようになった。
恐らく慎重に言葉を引き出すようになったことでアウトプットまでの時差が広がっているんだろう。
発話までの時間が長くなり相手がいい気分にはなるわけはないが、すぐに返答を返すことで話の粗が増え批判や注意される点は増える。ここでデッドロックに陥っている。
注意されることを恐れすぎている。
この増田を書いている時ですら昔ならアウトラインをざっと書いてあとから添削していただろうが、今は、というかここまで書くのに一発で納得できる一文を探し続けて足踏みしていた。
増田なんだから言葉遣いなんてそこまで気にしなくていいのに堅苦しい言い回しをわざと選んだり重文にずっと手間取ったりしていた。
そんなこと気にしなくていいのにな。
途中めちゃくちゃしんどくなって気まぐれに他の記事を読んでみて少し救われたと思う。
とにかく、こんなことを友人知人に話したとして何を言われるのかはわからないが気を使わせてしまうのではないかと思ってならない。
友達もかなり繊細なタイプが多くて、まあ少し不健全な悩みを持たせてしまうのではないかと不安になる。
カウンセリングも考えたが、おそらく予約が取れて実際に話を聞いてもらえるまでに私は干からびてしまうだろう。
だって「私と話していて不快に感じてる?」って自分の精神の弱さで返答に耐えられる自信がない。他責をさせてほしかった。
依然受けた心理検査の結果を見返してみたら「人懐っこく振る舞う一方で、人と関わることが不安だったり怖かったりすることがある」と書かれていて、後半の部分でこの先が更に不安になった。
香水の口コミレビューでの罵倒的な表現として、トイレの芳香剤のよう、だとか、使えたもんじゃないのでトイレの芳香剤にする、という言い回しがある
けど罵倒ではないのだ決して
それらの香りに愛がない訳じゃないんだ
ただ、肌に着けるのは強すぎて厳しく
足首につけても常時香るのがしんどくて
家の中で、いつもいる空間からは切り離されており、しかしながらたまに使う場所、とトイレに行き着くのだ
嫌いではないし、どこかで使おうと思った挙句に行き着くのがトイレの芳香剤なのだ…
これまでも、セルジュルタンスのバテムデュフーだったりファイブオクロックオジャンジャンブルだったりをトイレタオルに吹きつけて楽しむ、ということをしてきた
私はそれらを、こんな酷い香りトイレの芳香剤にするしかないわね!というつもりで使ってるわけではないんだ
通常の使い方では厳しい、けれど良い香りを、なんとか使いたくて…という気持ち故の使い道なのだ
それだけは言っておきたい