はてなキーワード: 後天的とは
「それが原因で少子化になっている云々」という主張についてはあまりにも下らないのでスルーしている。
これについては同意する面もある。
そもそも「そんなことを頼りにした社会保障制度ってどうなの」という疑問もあるが、
それについてウダウダ言うのは現実的じゃないので度外視することにする。
「先天的な理由」で子供がマトモに育たなかったのであれば、もちろん責任を求めるつもりはない。
そんなの求めたって仕方がないから当然の話だな。
だが、「後天的な理由」でそうなったのなら話は全く別だ。
例えば、親の「虐待」や「子供に対する間違った接し方」が原因で、子供が人格形成に支障をきたしてしまった場合の「親の責任」すらも、お前は問わないと言っているんだぞ??
そんなのは、ただ「親を甘やかしてる」だけだろう。
悪いことをしても咎められないのなら、人は成長しない。
付け上がってモンペみたいになるのがオチだ。
大馬鹿野郎。お前がは言っているのは只の責任転嫁だ。自分のやったことを自分の親に責任転嫁しているだけだ。
周りに迷惑をかけるような人間で世の中が溢れ返るくらいなら少子化になってくれた方が遥かにマシだよ。
それに、なぜ「責任を負うものは誰か一人でなくちゃいけない」という方向に話を流してるんだ……。
責任についての話をすれば、
どう言い訳したところで、「子供A」を作り育てたのが「親A」であるのなら、「子供A」についての責任が「親A」に発生することは免れない。
そして、たとえ「親A」が「親Aの親」からロクな教育を受けることがなかった為に「親A」は「子供A」をうまく育てられなかったのだとしても、
「子供Aを作ろう」という選択肢を「親A」が自分の責任で選んだのであれば「親A」に発生することに変わりはない。
自分でソレを選んでおきながら、それすらもお前は「親の親」のせいにする気なのか?
だが例外もある。
自分の責任で選ぶことができないような状態で「子供A」を作ってしまった場合などだ。
例えば「親Aの親」から「親A」に「子供を作らないと殺すぞ」と脅された、とかな。
そして最後にもう一度言うが、別に自分は「人格障害・発達障害の子」は後天的な理由でそうなったと決めつけるような事は全くしていないし、そうだと決め付けるつもりもない。
先天的な理由なのか後天的な理由なのか確証が得られないことを、「先天的な理由のせいだ」と決め付けるような真似をするな、という当たり前のことを言っているだけだ。
もう少し、冷静に人の話を聞いてくれ。
後天的な要因が親の責任なら、子供にダメージを与えるような欠陥親にしてしまった、親の親の責任も問えますね。
元をたどれば「後天的な要因」のスタート地点は「先天的な要因」か「不可避な環境的要因」。災害・戦争・時代が招いた極度の貧困などのね。
まあ、異性の好みというのが遺伝的に優秀な個体を残すためにプログラミングされているという説もあるぐらいだし、後天的要素より先天的要素が重視される面は否めないのでは。
実際には、異性の好み自体多様だからみんながみんなボーイッシュ好きじゃないし、むしろ、ゆるふわヘア+女の子らしい服装=ブス隠しのほうが、まだ、モテの王道なんじゃない?
「おしゃれぶってボーイッシュ好きとか言ってる男は実は本能的に異性を選んでるんだよ説」は女子会トークとしては面白そうだけど。
女性ファッション誌に、「体型の悩み別!似合う靴選び特集」みたいな記事があって、
スニーカーやローヒール靴などの「ボーイッシュかわいい」「ナチュラルかわいい」種類の靴は、
脚が太いことについては、自業自得デブ女の場合もあるけど、多くはヒザの骨格に依存する。
上半身がガリガリでも脚だけ太いのは必ずこのタイプ。脚の骨格が太いから肉を減らしても太く見えて不恰好。
ローヒールの靴はその不恰好さを丸出しにする。
逆に、脚の欠点をカバーできるのが女性らしいパンプスと、女性らしいきれいめシルエットのロングブーツ。
ヒールが脚全体を長く見せ、パンプスやロングブーツは足首がどこにあるかをあいまいに見せてくれる。
そしてボトムは女性的なシルエットのフレアスカートが鉄板。すその広がりと脚のギャップが脚を細く錯覚させる。
全身丸々としたデブだったら何着たってごまかしにならないけど、下半身だけ先天的に残念なタイプは、
「女らしいボトムと靴」を装備することで結構誤魔化せる。
でも男の「ボーイッシュorナチュラルな女の子が好き」が、その誤魔化しを打ち砕くんだなあ。
男が大好きなストレートヘアやショートヘアは、「顔がでかい」という欠点を全く誤魔化せなくなる髪型。
ロングにして大きなロットで巻いたり、内巻きのボブなんかにすると顔デカは結構ごまかせるのだけど。
ナチュラルメイクが好きなのも、ブスが後天的に美人偽装する努力を打ち破る。
そうして男は無意識のうちにブス虐待、短足虐待、太脚虐待、顔デカ虐待を行っているわけですけども、
当然女も逆の虐待を行っているわけで、それはなんだろうと考えたとき「スーツ」と「短髪」だ!と気が付いた。
スーツは身長が平均以上無いと驚くほど似合わない。よって、スーツフェチ宣言=チビ男虐待。
短髪は顔のデカさを際立たせるし、雰囲気イケメンの雰囲気部分を剥ぎ取る攻撃性がある。よって、短髪フェチ宣言=顔デカ男、雰囲気イケメン虐待。
結局異性の好みって先天的要素にばかり偏っている気がする。
当たり前ですが、勤労意識というのは
「しっかりしろーー、覚悟が足らんーーー、働こうとしないお前が悪いーー」
であがるものではありません。
経済の売り買いというのは、基本的に「これをしたことで、儲かるだろう、状況が良くなるだろう」という「期待」によって支えられています。
端的に言えば、近年の日本で女性は、労働して、報われるという経験を得ていないのです。
景気が良いときでさえ、男性に比べて大して報われていない経験を、日本の女性は体験し、学習しているわけです。スウェーデン等とは違い。
これをすれば、よりよい結果が得られるという学習に基づいて、行動は発生します。
不景気で職がない男性に「ニートなのはお前の心がけが悪い。おまえ自身の問題だ」と言ったところで、なにも解決しません。
そもそも職がない、あっても搾取されきったブラックなものしかないのが根本の原因で、ニート化している人は、それをたっぷりと学習してきたからです。
そもそも「○○自身の心の問題」で社会現象を解決できたためしはまずありません。
構造やシステムを変えて、初めて人々の心の方がついてくるのです。
教育勅諭で心意気を学び、「ほしがりません勝つまでは」と唱えて育った人々が戦争に負け、飢えで今とは比べ物にならないほどの強盗・殺人に走っていました。
「○○の心構えが悪い」は、社会問題の原因ではなく結果です。
国の経済状況で心が変化するのは、日本人女性に限らず、全ての人間に当てはまることです。
であるがゆえに、まずはシステムを変えて、状況を変えていかないと、と考えているわけです。
勤労することで報われる学習を社会の女性全体が体感すれば、勤労意欲はそこで初めて発生するからです。
というか、DNAで勤労意欲の変化が起こるわけでもないのに、スウェーデン人と日本人との間で勤労意欲に差があるということは、後天的学習した内容に差があるのはほぼ間違いないでしょう。
それを、社会変化のせいで勤労意欲が下がるのはおかしいといわれても、どうなんだと。
むしろ、社会的に積み重ねてきた歴史が違うもの同士比べたから、結果が違うのであって、社会的にまねるべき部分はむしろ大いにあることの証左だと思います。
が、それが危険だといわれると、もう「女性の心意気が悪いんだ」という何の解決にもならない話にしかたどり着かないと思いのですが。
そもそも上昇結婚というのが、要するに、それしか社会的に上昇する手段が無い時に、すがる手段なわけで。
上昇結婚を狙うのが、自分の立場の上昇に有利か、あるいは純粋に自分が稼ぐほうが上昇に有利かを考えた上で、結婚以外上昇しづらいと判断すれば、それは上昇結婚を夢見るでしょう。より現実的な選択肢ですから。
逆に言えば、社会へ出て充分に立場の向上が狙えないからこそ、上昇結婚にあこがれるわけで。
現時点での給与よりも、将来性を考えるわけです。
例えば亭主と子供を充分に養っていける見込みが、日本では女性が就職しても立たない。
上昇結婚を狙うことそのものが、女性の社会進出にガラスの壁があることの何よりの証左だと思うんですよね。
勤労意欲なんて、DNAで優位に差があるという話は聞きませんし、ほぼ後天的な要素と見て間違いないでしょう。
働けばちゃんと男性と同じく地位も給料も上昇するという、期待ができる状態で、初めて上昇結婚よりも、仕事での自己実現を目指したくなるわけですから。
一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの。
1
01
02
私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。
リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。
03
その仕事をしていれば、自分の体を自分のものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから。
しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分のものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。
高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。
私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?
私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。
でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから。
04
螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。
こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。
高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。
ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。
この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。
05
上司、オスカー・シュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。
そのため、私は日本に返される。
だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。
06
私は日本に帰ってくる。
かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。
三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的な健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。
私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。
ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会のリソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。
私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。
キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、
「うん、ごめんね、ミァハ」
キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。
2
01
自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチナ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。
キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。
が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。
02
「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。
だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。
ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。
ミァハはレイコの遺伝子的な子供ではなく、チェチェンの戦争孤児だったと知らされる。
03
キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。
キアンの告白。
「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」
私は、
「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールやたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」
キアンは、
「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころは世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」
そして、キアンの葬儀。彼女はこれから液体になり、社会のリソースになる。
父はバグダッドにわたっていた。
ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。
ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。
意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。
精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。
上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、
「いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。
キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか。
螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女は電話をしていた。
「ううん、ごめんね、ミァハ」
そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。
ミァハ曰く、
「善とは恒常性のこと。
昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。
私たちは、そんな社会から飛び出して、自分で自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。
そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。
3
01
名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代、個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。
友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。
インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺で自己紹介した。
しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。
ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正にアクセスすることが可能な組織。
その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類を監視しようということを大儀銘文としている。
しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺を引き起こしたらしい。
「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます」
02
ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。
そして、生府が醸し出す、息苦しい空気。
それらについて思いを巡らせているうちに、「医療のドバイ」、バグダッドにつく。
そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。
03
彼女曰く、
「人間の価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である」
04
私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。
「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」
アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。
アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーもカフェインもアルコールもハレンチなほど。
そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。
05
父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。
その父と、バグダッドで再会する。
父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。
組織が人間の意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。
組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。
当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会のストレスの限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織はシステムを組もうとしていた。
キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織のモルモットになっていた。
『ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。
06
意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。
結局、プログラムは人類に実装されてはいるものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。
「しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。
「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」
父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。
ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。
父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。
ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。
ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。
死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。
4
01
高校時代の回想。
ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。
でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。
ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮、自殺、心中が頻発している。
わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。
しかし、どこまで情報をつかんでいるかを組織にスパイされないために、セッションをシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。
と、シュタウフェンベルクは彼女自身が組織の一員なのだと明かす。
ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。
私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。
シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。
02
チェチェンのウーヴェと会う。
ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。
ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。
ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。
一人で、ARの通じない山を登れ、と。
03
「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。
進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。
バンカーの中、ミァハと再会する。
ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。
「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。
「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。
04
高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。
私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。
〈物語のコア〉
ミァハは、
「私の意識は、ここの、チェチェンのバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。
でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。
私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。
……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だから、ボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。
それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスのボタンを押すはず。
私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」
〈/物語コア〉
私は、
「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやかな復讐になるかな。
だけど、それをあなたには与えない」
epilogue
男の場合はチビブサメンに生まれても後天的な努力でいくらでも勝てる仕組みになってるんだよね。
この一文が示すように。逆に、高身長イケメンに生まれたが頭が悪く怠惰だった男は、若いうちのいっときチヤホヤされるものの、
25歳過ぎて派遣やフリーター、肉体労働に明け暮れる貧乏人だと女はどんどん離れていく。
逆に、女の価値は若さと顔が全てなんだよ。努力でどうしようもない生まれつきのことだけが全て。
男は女の顔と年齢しか見ていないし、高学歴で有名企業に勤めている元増田も「そこそこ可愛い顔」の嫁をもらっている。
「頑張っているブス」に一切の価値を見出さないのが全ての男という生き物なんだよね。
ブログを書かなくなって久しいが、復活にむけリハビリがわりに増田に書いてみる。
もっとも、大学教員である私が学生指導を通じて感じた知性について今日は書きます。
知性が低いと思われている人の中には、単純に広義の体力がないケースが多い。病気がちであったり、何らかの事情により物事に集中出来なかったりするために、知性を獲得する上で必要な思考が妨げられているケースが多い。
案外、中等教育期間中に体力づくりのための運動をすることは頭を良くするためにも大変理にかなっていると思う。また、特にチームスポーツであればリーダーシップを学べるので良いと思う。自分の子供にはそうさせてやりたい。
とくに運動が苦手な人を中心に、大学生になると定期的に運動する習慣を失う人が多いが、案外知性の獲得に向けてよろしくないような気がする。
本能や感情を抑制するのがまずもって社会生活を送る上で求められる基本的な知性である。そして、それらの基本的な知性の多寡は生まれつきの要素が強いが、しつけによるものもあるだろう。
もっとも、知性ある親はしっかりしつけるし、知性が獲得させた様々な社会的資源を活用して子育てするから、親は選べないということは本当に不公平なことであると思う。
人間は感情が優先される動物なので、都合の悪い(=悪い感情を引き起こす)現実は直視したがらない。そのため、基本的な知性が乏しい(=コントロールできる感情の水準が低い)と、自分にとって不都合な真実を理解しようとしないために、理解できる法則に限界がある。結果として応用的な知性(職業的に求められる能力など)も獲得されにくい。
もっとも、感情的にならず、冷静に周囲と調和できる人、いわゆる「良い人」が社会的に成功するとは限らない。全体的にみて、その様な人は所詮当たり障りのないことをしようとするから、つまらないことになる。
社会的に成功する人、特に経済的に成功する人の中には、性格的にユニークな人が多い。やはり、人並み外れた目立ちたがりだったり、強い欲望を元に事業を成功させるような人は強烈なエネルギーを持ち回りを引っ張ったりする。その人が良い人である場合もあるが、その様な強烈な感情は何らかのコンプレックスであることも多く、「良い人」でないこともままある。
というより、日本的な文化の中で、冷静に周囲と調和して生きるよう指導されているのは、社会が安定を求めるがゆえに、大半の貧民・庶民に隷属を強要することの裏返しかもしれないとすら思う。一方、親が金持ちだったり、社会的なポジションを有するようなケースでは、根拠の無い自信を持っているような奴もいて、比較的楽にリーダーシップを握ったりするなど、成功に近づく。社会階層が最生産される精神構造がそこにはある。
一定の素養がある人が習熟すると、だいたいの見た目や立ち振る舞いだけで、その人の知性の水準がわかってくるようになる。もっとも、その能力を獲得するためには、直感的に人を見る目を養わなければならない(少しシビアな)環境にいたかどうかが重要である。おそらく、過去の生活の結果に基づいて顔の形や立ち振る舞いと知性や性格との関係に関するデータベースができていて、それを無意識のうちに当てはめることでその推論が成立しているように思える。その構造を理解すると、第一印象に気を配ることは重要であることにも気づくだろう。
だいたいにおいて、賢い人は見た目も良い。もっとも、私は「見た目」に二種類あると考えている。一つは持って生まれた「造作」の良し悪しであり、もう一つは後天的に獲得した、あるいは経験した感情によって作られる「面構え」のようなものだ。前者はいかんともしがたいは物理的必然であるが、後者は自分の心持ちによってある程度コントロールすることが可能である。(もっとも、そのそれを改善するような心持ちを持てるかどうかも基本的な知性によるのだが。)
10代の間の見た目はまだ前者の「造作」によるものが大きい。しかし、大学を卒業するぐらいの年令になると、どのような経験により、どの程度の精神的成長を遂げたか?ということが顔に出てくる。ましてや40にもなろうとすると、それまでやってきたことの影響が思い切り顔に出てくる。結果として、大人になればなるほど、賢い人は見た目も良くなる。
性欲の強さは性格や知性にある程度の関係がある。社会生活をうまくこなすためには、強すぎても、弱すぎてもダメ。もっとも、ここで言う性欲とはある種のバイタリティの言い換えかもしれない。
性欲がある程度強ければ、異性を誘惑するという、生存上もっとも戦略性が要求される行為について自発的に考える。特に取るべきコミュニケーションの内容や、自分の振る舞いが相手に与える影響をよく考えるようになるからか、結果としてある程度の知性を獲得するのだろうと思う。
もっとも、性欲が強すぎるとそれ自身が知性の獲得に障害となることもあるので、社会生活的に見てうまくいかないケースもある。
性欲が弱そうにみえるタイプは、やっぱりコミュニケーションのとりかたに問題が出てくる。実は、就職活動をするときにモテる人とモテナイ人の差は如実に出てしまう。
言うまでもないことだが、基本的な知性が乏しい人は、自分の能力を効果的に伸ばすための選択ができない。また、自分の適性もなかなか決め切れない。結果として解決すべき問題、獲得すべき能力に関して集中的に取り組むことをしないで、ばらばらで組み合わせの悪い能力を身につけたりする。あるいは単純に時間を浪費する。
もっとも、将来的にどのような組み合わせが望ましいのかわからないという言い分もよく分かるつもりで、無駄なことなどないと信じたい。ただそのような言い方は、気の毒にも無い内定で落ち込んでいる学生を目の前にしてあまりにも無力である。
以上リハビリ終わり。
私はそんなに詳しくないんだけど、パソコンのHDのフォルダに共有フォルダというのがあるらしい
今は仕組みも変わってるのも科も知れないけど、P2Pとかいうやつをする時に、ここを使うんじゃないの?
人の脳をパソコンに喩えると、共有フォルダは対社会に対して開かれる部分と言う事になると思うが
これが、ウイルスが入ると、全部開示してしまったりするじゃない? それだっ!!と思った
私は自閉症を子供の頃自開症自開症(じかいしょう)とずっと間違えて読んでいた。
あの人たちは、自開している
アスペルガーも最近定義が怪しくなっているけど、本当に前頭葉の働きに問題がある人の場合、社会的対面に自分のプライベートなものを出しすぎてしまうという事で、難ありみたいな人( こういう言葉で表されるだけじゃないと思うけど )って、ウィルスに冒されたパソコンみたいに、全開示じゃなくても、共有するべきではないものを、そこに持ってきてる(パソコンに喩えた言い方)んじゃないかと。
まあ、こういう言い方じゃなくても、情緒的な言葉や対応を望んでいるかもしれない場合やその方が望ましい状況でも、理屈で割り切った事を返して嫌われるというちょっと前の増田日記であったようなやり取り
ああいうのも、後天的なものもあるかもしれないけど、アスペルガー的と言われてる事だけど、あれも普通は自分の頭の中だけで考えているような事をそのまま言ってしまうという特徴にあっているような気がした。
ちょっと前にネットで文字だけのやり取りをしたアスペと診断された人も、そんな感じだった。これを言ったら相手がどういう気持ちになるか?というのが抜け落ちてるかのようだった。この人の場合最初にそういうものがあるのかもしれないけど。本当に脳に問題があるアスペなのかどうかもわからないし。
精神的な問題というと、大きくなりすぎるけど、家族と他人、身内と他人、友人と他人 (友人は他人だけど) の距離や違い
家族が原因で精神的な問題を抱えた場合 周囲がそれを補うような環境であった場合とそうでない場合でだいび違うだろうし
治療者の姿勢も、家族的な場合とそうでない場合 治さないほうが得するとしたら・・・・
だって、ここにも、http://www.karacli.com/schizophrenie.html13.html こうやって >、妄想はいくら家族が否定しても、覆ることはまずありません。そこで、否定するのではなく
統合失調症の人の妄想に対しても、本人の気持ちを大事にするようにと書かれているのに
他人は他人なので、ずーっと他人の人しか周りにいない、集められない事になる
家族が他人(洞察したり思いやりが無い)までなら、ともかく、家族が他人として攻撃した場合、どうなるんだろう?
治療者にも 治療者善 治療者悪 みたいなのがいるとして、 治療者悪にあたった場合は、そこまで攻撃しても大丈夫!みたいな情報を与えてしまう事になるのではないか
そこで、さらに、他人他人他人だから、他人と言うのは、必ずしも自分の事を慮ってくれるわけではない存在だから
さらに、悪化と・・・
こうして、病気は作られるみたいな
だけど、他人だから何をしても良いという事にはならない
特に治療にあたる人は、そのはずなんだが、いっぱい抜け道があるという事だろう
うーん このへんをもっと掘り下げてみると面白いかもしれない
アスペと診断された人なんかが、執拗に共感しなさを押し付けて関わろうとしてくるのは、自分が置かれた精神的な世界をわかって欲しいからではないだろうか?
暴力親を精神病院に入院させたなんて、普通の家庭生活ではなかった事も伺える。そういう中で治療者は自分をアスペとして共感の外に追いやったみたいな気持ちが渦を蒔いて、自分より弱そうな者不遇そうな者を見ると、引きずり込まずには居られないのではないだろうか?
と思った。
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20110925/1316897912
ハックルさんはドラッカーのこの文章を理解していると振舞いたくてしょうがないわけよ。
最近は、愛想を良くすること、人付き合いを良くすること、人間を助けることが
マネージャーの資質として重要視されている。 そのようなことで十分なはずがない
事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、
とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。
このような資質を欠くものは、いかに愛想がよく、助けになり、人付き合いがよかろうと、
そのようなものは、マネージャーとしても、紳士としても失格である
マネージャーに出来なければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。
実際には文字面しか理解してなくて、状況を一切考慮せずどこでもこの言葉の通りに従う
福音主義者みたいな状態になってるだけなんだけどな。
内田樹がよく嘆いているわけだけれど、
教育って一面だけを取り出してわかったかのように語る人間がすごく多いらいしね。
特に塾教師だけやったことがあるとか、俺は東大卒だとか、俺は会社で多くの部下を育てた、とかね
なぜかわからんけど、「俺には教育or勉強の才能がある」って思い込んでる人間がすごく多い。
その状況では正しかったのかもしれない、ある一面では正しいのかもしれない、でもそこで
「真の教育」とか語っちゃう人間ってのは、それこそ小説家かマルクス主義者かどっちかだと思うのよね。
自分が知ってる一面だけとらえてすべてわかったつもりになり、
知ったかを語っちゃうのってぶっちゃけすごく恥ずかしいことなんだけれど
なぜか教育については口をだす権利があると思ってる人が多いんだよな。(「近頃の若いもの」とか「ゲーム脳」とか「ソーシャルゲー」と一緒)
http://www.lifehacker.jp/2011/09/110909_leadership-quotable.html
言葉でどう表現しようが、私のようにヘタレな人間には関係ないですしおすし。
http://anond.hatelabo.jp/20110915114751
最近は、愛想を良くすること、人付き合いを良くすること、人間を助けることが
マネージャーの資質として重要視されている。 そのようなことで十分なはずがない
事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、
とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。
このような資質を欠くものは、いかに愛想がよく、助けになり、人付き合いがよかろうと、
そのようなものは、マネージャーとしても、紳士としても失格である
マネージャーに出来なければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。
父ちゃんが言ってました。
あなたが天の座にて見ておられることが
私にとってはずっと重荷でした。
最近とある記事が1000ブクマを超える反響を及ぼしたのを見て、
というわけで草食系ガールの人は「もしドラ」を読めばいいと思う。
岩崎さんが「マネジメント」を読んで心打たれた箇所を紹介するというコーナーでした発言。
最近は、愛想を良くすること、人付き合いを良くすること、人間を助けることが
マネージャーの資質として重要視されている。 そのようなことで十分なはずがない
事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、
とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。
それを一つ一つですね、ひっくり返していく、と。」
岩崎「これ。危険なんですよ。駄目じゃないんですね、危険である、と。」
(このあたりにむちゃくちゃ力を込めて朗読)
マネージャーに出来なければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。
岩崎「僕は、常に親からあるいは周囲から、人と仲良くしなければならないとずっと言われ続けてきたんです。でもそのことに対する深い疑問がありましたね。それで物事が解決できないし、良くもならない、と。
むしろ愛想をよくし、人を助け、人付き合いを良くすると、かえって事態が悪くなるということを本当に多く経験してきたんです。笑いなさいとか、人を助けること、人付き合いを良くすること、本当にすごく言われ続けてきて、「自分が本当に駄目なんじゃないか」と、生きて行く資格がないんじゃないかというくらい追い詰められたんです。
しかし結果的に僕はそれが捨てられず、人間からどんなに嫌われようと、自分の正しいと思うことを貫いてきたんですね。それがですね、誰にも言ってもらえなかったそれが、ここに、強い言葉で書かれていたって言うのが、まぁ心を深く打ちましたですね。うん。」
要するに、ドラッカーという権威ある人の言葉は、ある種の人間にとって、自己を正当化してくれるバイブルみたいな存在なわけね。
聖書もそうだけど、「自分が神の下にあって、敵対するものは討ち滅ぼしても構わない。むしろそれが神の国に至る道、正しいことなのである」くらい
敵を明確に設定してくれて、自分を正当化してくれる宗教ってのは、ある種の弱いくせにプライドが高い人間を惹きつけてやまないと思う。
もちろん、マネジメントも聖書もこんな単純な話ではないもっと深遠な知恵を授けてくれるものであるが、手っ取り早く強烈な救いを求める人はこういうところに飛びつくんだろうな、と。
実際こういうレベルで追い詰められた人間に、弱音を吐くなとか言っても無理。
「貴大くんはね、ほんとうはやさしい子なんだよって、先生ゆってた……」
会話としては何の脈絡もないところで、突然ぽつんと、オルタが呟いたことがありました。
学校はこどものだいじなところ。先生は熱心ないい先生。そして貴大くんも、ほんとうはやさしい、いいこども……
それじゃまるで、オルタの胸のなかにある、この苦しみだけが、よぶんなものだということになってしまう。
そして次第に、先生に告げ口もしなくなり、わたしにもなにも言わなくなり、「ほんとうはいい子」な貴大くんからの仕打ちにもできるだけ耐えて、一番いいことは、もう自分がこれ以上、なにも言わないことだと。みんないい人なんだから、後はわたしががまんするだけなんだと。それがクラスのみんなのためなんだと、自分に言い聞かせながら、きっと最後まで、先生みたいな人たちの期待どおりに、がんばりぬいただろうと思います。
最後まで……
つまり、
壊れるまで。
もしドラの主人公は、倫理感とかバランス感が崩壊している人物で、
他人の感情を無視して自分の考えをガンガン推し進めていくタイプであり、