はてなキーワード: ホップとは
江戸時代まで日本の「神道」で最大勢力誇ってたのは稲荷信仰だよねとか、いわゆる国家神道(伊勢派)系の創世神話と全然関係ない菅原道真(天神様)が信仰されまくりとか、そもそも明治の強制改宗まで日本全国神道といったらわけのわからん土着信仰だらけだとか、明治に入ってから政治的に神道が再編されるにあたっての伊勢派と出雲派の争いとか、神道を歴史の観点で見るのもそれはそれで面白いけど、宗教としての神道的には黒歴史とまでは言わないにしろ割とアレじゃないですか。都合悪いっつーか。
だからこう、神道側の人はとりあえず古事記(創世神話)→本居宣長→国家神道みたいにホップ・ステップ・ワープで扱うのがお約束になるし、反神道側の人からすりゃわざわざ扱うほどのことでもないし、第三者的な視点でおもすれーとか言ってるのって民俗学者くらいじゃないですかね。
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1101/20/news001.html
そもそも教育コンサルが自分の本を売るための広告記事だって点はおいといて。
まずまず出来るってレベルの社員の場合、そこそここなすのを前提に現状維持を目指すか、
ジョブホップすること前提でモリモリ頑張るか、よほど恵まれた労働環境にいるのでもなければ
どっちかしかないだろ。組織を動かす巨大な慣性を、一社員がどうにかできるわけもなし。
あと、日航の解雇反対訴訟辺りを引き金に解雇規制が緩和されたら、成果の出ないダメ社員も
ソリティア社員もモリモリ首切られるだろう。そしてミドルクラス以下の労働力はダンピングされ、
現状維持するだけでも必死でスキルアップしなきゃ転落してくだけだろうし。
触れちゃだめなんだからぁ~~~~~~~~~~
大好き自分!
大好き他人!
どうでもいいけどコッペパンをよこせよ!
ヨコセヨデパート!ノリに乗れる曲こそ本物。
大好きチョコレート。なんてことないこの世界。いいえ、ケフィアです。
舐めまくりな人生を呪う。さぁ、飛び出そう世界は中心へと広がっている。
神よ、人生を与えてくれてありがとう。
ぷっちょわいずにーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
今こそ全てを解き放つ時。
我慢もドを越すと大変になってくるのですね!!
圧力かけて、ぶち飛ばせ!!最高潮の思い出にしてやれ!
びっくりするほどユートピア!君に伝えたいI want you.
じゃじゃん。じゃんじゃん。
俺の思い通りにならないこのせかいが大好きだ!!!!!!!!!!
俺は世界を愛してる!俺は言葉を愛してる!school daysかよ!誠死ね!
サック!デイ・アフター・トゥモロー。
ヾ(・ω・)ノ ギャース
助けてジャカフスタマン!
助けにきたぜ!!!!!!!!今すぐそちらへいく!!!!!!!
すると世界は回りだし、ぐるんぐるんと回りだし、世界は三角形になってしまいました。
かつて地球は四角で今じゃ地球は丸くて次は三角にでもなるのかな
俺の自重信号。だって投稿しすぎると規制されるんだもんtwitter。
困ったものです。(・_・。))マイッタナァー
とりあえず今日も僕は活動を続けている。
廃墟になるまで続くぜ。捨てられた民家だぜ。
ろくでなしの毛ボーボーになるまで続けるぜ。
ボーボボだぜ。ぜっていうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
それにしてもアレだなぁ。感じる所、100もあれば十分ってなところですねぇ。
適当な感じが好きだぜ。俺はね。
この感じが好きなんだ。これだ。この感覚なんだ。
幸せだ。グッドな感情だ。アリスターが優勝したっていうのもあるけど。
さて、動画でも見てくるかな
やっと涼しくなったし、今日はジフィーセブンを使ってパンジーとホップの種まき。
種子はサカタのタネの、フリズルシズルミックス。ホップはイギリスの園芸博物館で買ってきたやつ。…あ、普通に検疫は通してます。同時に持ってきた豆の種子は、消毒の有無が不明って事で没収。
パンジーなんていくらでも情報が流通してるけど、ホップは全然情報見つからない、
宿根草で播種の適温が15-25度、あとは種子が入ってた袋の情報程度を元に、低温が休眠打破の為必要って事くらいしか分かんない。
そんなに寒い地方じゃ無いので、このまま春になるまで放っとく位しか手はなさそう。
しかしジフィーセブンって、どうもカビ生えるらしいんだよなー。さてどうしよう。
あと対馬でいくつか植物を入手。パイナップルから何から、アホのように狭い庭ってのに種類だけは増えつつある。そろそろジャングルと化しそう。
Toru Takasuka の起業・経営 サイボウズ株式会社
イエイリカズマ Official Blog ~生け贄スタイルの理論と実践~ieiriblog ロリポップ!レンタルサーバー - 7/27正午まで初期費用半額キャンペーン中!
iemoto BLOG サービス〈 専用サーバ (Linux,Windows)/仮想共有サーバ(VPS) 〉|クララオンライン - CLARA ONLINE, Inc.
さくらインターネット創業日記 http://tanaka.sakura.ad.jp/
専用サーバ エントリー|専用レンタルサーバ(ホスティング)ならさくらインターネット
サービス仕様 | 専用レンタルサーバ(ホスティング)ならさくらインターネット
夢はアジアへ世界へ(ドメイン & 固定IP & Bハウジング) サーバ本体無償提供、ホスティング向きハウジングサービスを月額7,780円で
Amazon.co.jp: 現場が教えるホスティングサービスの勘所―立ち上げから運用管理までのノウハウ (NEサポートシリーズ): 合阪 省: 本
Amazon.co.jp: レンタルサーバをはじめよう!―ホスティングのためのサーバ構築術: 斎藤 高洋: 本
デル株式会社(Dell Japan)の公式サイト- ノートパソコン(PC)、デスクトップパソコン、サーバ、プリンタ、ソフトウェア、モニタなどのオンライン販売 | Dell 日本 2ch検索: [DELL] 2ch検索: [PowerEdge] 「PowerEdge」の検索結果 - Yahoo!オークション
HP - 日本 | 日本HP (ヒューレット・パッカード)公式ウェブサイト 2ch検索: [HP] 2ch検索: [ProLiant] 「ProLiant」の検索結果 - Yahoo!オークション 「ml115」の検索結果 - Yahoo!オークション HP ML115 ホップ・ステップ・ジャンプ キャンペーン 2 4391380-AGRC - NTT-X Store
「ThinkPad」の検索結果 - Yahoo!オークション
ウノウラボ Unoh Labs: VMwareとCentOSでウェブ開発の環境をさっさと整える手順書(前編)
http://anond.hatelabo.jp/20100603200325
http://anond.hatelabo.jp/20100604004052
http://anond.hatelabo.jp/20100610084458
http://anond.hatelabo.jp/20100611083455
http://anond.hatelabo.jp/20100615082939
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
温めた牛乳にパンを浸しながら乳牛を捌く彼らと量子コンピュータと交換で新しい踊りの教則ビデオを手に入れた僕たちは、借入を超えてレイクで現金を3億円引き出して真っ黄色の85年型のデロリアンインドサイを買ってBTFした。僕たち現在の僕たち自身を書き換えるために。
BTFに失敗した僕たちは記号の世界に移動してしまった。'機能'をいじくり回して本能と妄想を書き換えた。現在に戻ると無限マズロー状態。死と性・秩序だった無秩序が保存が破壊を食って内蔵がキーボードに切り替わっていた。
箱男たちの中身と箱は裏返って剥き出しの彼らとベンガルトラと箱男達の比率は逆転して植えたトラとトラの共食いと皇帝と臣民の比率が逆転して、むしろ逆に臣民が皇帝っぽくなってすらいたし、ピカピカ光る非同期の夢を同期させようとする電池を食う機械にしゃべりかけるとやつは答えた。
「踊ってくれよ」と言われて僕たちは新型のダンスを踊り始めた。
踊りのマクロが何度もとプレーヤーピアノ達と連動して奪うことと奪われることが等価になって実在しないヒーロー達が現れて偶像に規則と予定調和を与えた。物語の時だ。
ヒーロー達が生み出したベイジアンネットワークを貪るパックマンみたいにお話の快楽を貪る彼女が超常現象的な動きでスピーカーの振動と同じ周波数で爆裂する音楽を発する。まとめあげられた集団はリズムの原則に奪われて暴動みたいに時速2kmの速度で遠心形状で彼女に巻き込まれていく。
月に反射した腐った陽光がベンツに載ったカミュをバターみたいに溶かしてる。笑えない冗談で笑うコメディアンの悲しみがギアの悲しみを包み込んで目隠しされたノード形状の同調する協力者を通してP2P的に愛を送っている。波状に飛び散ったハッシュが変形して別の夢になる。
衛星軌道上でジョージ・ワシントン級のブラシが振られて百万色のインクが降り落ちてアクション・ペインティングで灰色の建物はサイケデリックに変色してる。
マグニチュード6000の地割れから羊が大量発生した。鉄格子に守られた僕たちは数えて眠ることのできない羊に食べられた。
放物の賜物がいくつも刺さった養殖のアサヒスーパードライが波のように揺れて聞いたことのない言葉を喋っている。
朝が避けることのできない恋や運命みたいな感じで夜を引きずり込んでいる。
二つの約束が浮き上がって実体のない情報生命体みたいに自らをbitに変換して飛んでいった。
終わったことを始まりが喋っている。あなたは夢をみていたのですと夢が喋っている。
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
「ひっ、ああああああああっ」「あんっあんっ…ん、んくぅううう」「いやっ駄目っイっちゃううううぅうう」
てセリフ全然エロく感じないんだよなー。同人誌におけるエロの記号化って感じ?
やっぱりね、1棒が入るとき2ピストンするとき3出すときっていうのを音楽的にAメロBメロサビみたいな、
ホップステップジャンプみたいな構成にしてるのがよくないと思う。
入れるときって、「ああああ」みたいな大声だすこと多いけどさ、なんか萎えるんだよね。
こう、静かに導入してほしい。あ、入ったんだ。って感じに。体勢はバックがいいかな
ピストンの時の反応も「んっ、んっ…ふっ」ぐらいでいい。
で出すときは、あ、出ちゃったって感じに。
事後は、何事もなかったように処理する。セックスなんて大したこと無いかのように。
その何事もなさが、たいしたことに見えないところが、最もエロいんだと信じてる。
要するにそれは童貞の僕にとってセックスはかなり「大したこと」なのだけれど
その「大したこと」が「たいしたことでない」ようにされる落差にリアリティを感じてるんだ。
いや、実際にはもっとあるんだろうけど。 つっこみよろしく。
(1)(2) →アドレス帳に登録して相手の名前が表示されているため、メールアドレスの間違いに気がつかない。
(3) →送信者にエラーコードは帰ってきているが、送信エラー表示に気がついていない。
(6) →いずれも相手先メールサーバでエラーメッセージを返信しない設定になっている場合気がつきにくい。
(10) →自動送信ツールなんかで、あて先を全部BCCに突っ込んで一括送信する場合意外な盲点かも。部門で利用しているようなメールアドレスのときに要注意。
(11) →ホップ数設定が低いサーバが経路上にあると破棄されてしまう。
標準は26くらいで、引っかかることは少ないようだが、昔は10とか6とかあったらしい、
(12) →引越し通知に返信したのが引越し当日でメールサーバの電源きれてますとかな~
(13) →CC同報で送っていても、自分には届いてないと主張されると相当厄介。
自社内であればメールサーバログなどで受信状況確認したりできるけど他社の場合はなかなか証明しづらい。
というか、しらばっくれられて確かに届いていたことを証明しろとかいわれてしまうと正直どうしようもないんだが、、
例えば旦那がDVやモラルハラスメントの常習者で、ことあるごとに奥さんをぶん殴り罵倒していたとする。
この場合の構造はシンプルで、旦那は加害者で妻は被害者だ。それ以外何もない。
で、妻が子供を産み、旦那の暴力が妻と子供に向かうとする。この場合は、旦那を加害者とすると殴られている妻と子供が被害者になるわけだが、被害者の一人である子供から見れば、さっさと離婚や別居に踏み切らない母親、DVを受けざる得ない環境に身を置かせ続けた母親も立派な加害者、DVの共犯だったりする。
よくあるブラック会社の話もそうで、ブラック社員というのは理不尽な仕事を経営者から押しつけられ、残業地獄にあえいで苦しんでいる被害者なのだが、もうひとつ高い視点から見てみると、ブラック社員はブラック経営者とともにダンピングを繰り返し、定時に帰る社員に罪悪感を植え付け、健全な経営を目指すホワイト企業を倒産に追い込み、日本の労働環境を世界最悪まで悪化させている加害者だったりする。結局のところ残業をしまくる社員がいるから残業を押し付ける経営者が減らないのであって、第三者的な地点から見れば彼ら彼女らは単なる共犯なのだ。
そして、「被害者と加害者」が反転してしまうややこしい構造、これらに共通するのが「我慢」「忍耐」というワードなのかなと思う。
「我慢」「忍耐」というのは、「強烈な負荷がかかっているにも関わらず、その負荷を取り除いたり遠ざけたりする努力をせず、現状維持をしている」という状態だ。
そして、我慢を選択する人というのは「負荷の大元を取り去る努力」をしないので、いつまでも負荷は存在し続け、その負担が第三者に向かうことになる。これが「被害者が加害者に転ずる」構造だ。
→父親がDVをし続ける
また、負荷は直接的に第三者に向かわずとも、負荷を受けている人を通じて第三者に向かうこともある。
例えばすかいらーくかどこかでサービス残業を我慢し続けて倒れ、意識が戻らなくなってしまった人を両親が介護し続けているというような話があった。これについてもサー残を我慢し続けた人が「負荷の大元を取り去る努力」を行っていれば、両親も息子の介護という苦しい仕事に老後の時間をつぎ込まなくてもよかっただろう。両親はたぶん自分たちが被害者だとは思っていないだろうが、客観的に見れば「両親に重労働を押し付けている」のはすかいらーくであり、ブラック社員だった息子なのだ。
「我慢」というのはこのように、自分の人生だけでなく他人の人生までもを毀損してしまう恐ろしい行為なのだ。なら我慢なんかせずに、さっさと逃げるか戦うかをすればいいのだが、日本人というのは「我慢するのは大人の努め」「忍耐が出来ないのは子供。社会人として未熟」という大東亜戦争を戦った皆さんのようなありがた~~~~いクソ価値観(別名「社会人の常識(笑)」)を刷り込まれているので、強烈な負荷がかかり続けても逃げたり戦ったりすることも出来ず、潰されて鬱になったり自殺したりする。
それどころか、我慢せずに逃げる人を「無責任」「子供」「社会人として駄目」「どこに行っても通用しない」と罵倒し、我慢せずに戦う人を「金の亡者」「自分さえ良ければいいのか」「世の中を知らない」「KY」と叩きまくる人もたくさんいる。いるというか、私の皮膚感覚からすればそっちがマジョリティだろう。こうして何が正しくて何が間違っているのか判らない現場に放り込まれたブラック社員はどんどん疲弊していく。日本のどうしようもない閉塞感というのはこれが原因だろう。
これを踏まえた上で人生を楽しく生きるキーワードは「負荷を我慢」をしない、これに尽きるかと。私は元ブラック会社のダンピング社員だったので、サービス残業地獄のさなか「我慢出来ない自分が悪いのでは……?」というクソ思考回路も一通りトレースしてみたこともあるが、我慢せずにさっさと辞めて独立し、適切で人間的な労働環境を整えたら、それがいかに無意味で馬鹿馬鹿しく、自分の人生を毀損する害悪なものだったかがよく判るようになった。だって「負荷を我慢」なんかせずとも、楽しく、お金が稼げて、自分が成長できて人脈も作れる仕事なんか、世の中にたくさんあるのだから。同じ賃金を稼ぎ、同じだけ成長できるのなら我慢なんかしない方がいいに決まっている。昔の私はこんな単純なことも判っていなかった。
子育てなんかでも「我慢」を教えなければいけないというが、教えなければいけないのは「欲望に対する我慢」であって、今の日本人は「負荷に対する我慢」と「欲望に対する我慢」の区別がつかずにどんどん追い込まれているように感じる。「欲望」は我慢しないと性犯罪者、メタボリックシンドローム、成人病、多重債務者などに転落して人生終了だけれども、「負荷」なんかは全く我慢する必要はない。楽しく美味しく生きていく方法を探したほうがよほど建設的で、よほど充実しているのだから。
以下追記。
「負荷を我慢しない」方法はいくつかある。
これらはそれなりにリスクのある方法だが、「一生負荷を我慢し続ける」のとどちらがマシなのかを考える余地はあると思う。
ちなみに日本の会社は99.99%がブラック企業なので「いい会社を求めてジョブホップし続ける」という方法は地獄めぐりになりかねないので避けたほうが無難。大企業や公務員であっても残業地獄からは逃れられない。俺の知り合いの某一部上場企業社員は、子供がいるのに毎日26時ぐらいまで仕事をしているらしく「子供が産まれてから寝ている顔しかほとんど見たことがない。あと10年はこんな感じ」らしい。
また「ブラック企業の環境を変えてホワイト企業にしよう!」というのも不可能に近く、終わりなき闘争を強いられるので避けたほうが無難。仮に社員全員の価値観変革に成功したとしても、同業他社のブラック企業に食われて終わったりするので全く不毛。トリンプの吉越氏はこの変革に成功した経営者だが、相当な意志と才能と権力がないと出来ないので、一兵卒の状態でこの戦いに挑むのは辞めたほうがいい。戦わず逃げるのが賢明。
と沸騰してもいいのだが、なるほど。そこで、Geek に自分のメーターを振り切る。なんでこのバカはこんな言い方しか出来ないのか。どうすればこのバカを自分のところから追い出せるかを考え抜く。そこで、恨みや辛みなどの negative な感情を少しでも含むと負け。冷静じゃないから。冷静に。マトリフ(ダイの大冒険)がホップに「よく覚えてとけ魔法使いってのはつねにパーティーで一番クールでなけりゃならねえんだ 全員が カッカしてる時でも ただ一人氷のように冷静に戦況を見てなきゃいけねえ…」っていったことを思い出す。いや、僕は魔法使いじゃないですよ?
おっ。
日本酒が辛いってのは"ものはいいよう"ってことだな。日本酒に対して甘口辛口っていうけど、それは一般的な"甘い""辛い"とはまた違う尺度だ。まぁ百聞は一見に如かずだから、とりあえず呑んでみたらいいじゃない。
ビールが苦いってのもまた痛し痒しな部分があるな。ホップの苦みなんて言うけれど、世の中探せば掃いて捨てる程の種類のビールがある訳で。それに苦味はビールの1要素にすぎないと思うしなぁ。
"ビールが苦い"って、嘘とは言わねぇけどもっとフルーティな甘いビールだってあるし、あんま苦味を感じないビールだってあるぜ。あんま目にする事はないだろうけどな。
嘘とか本当とか聞かれると困っちまうけど、ともかく俺がしる限りでも相当幅広いぜ、って事かな、俺が言えるのは。
自分の目や耳や肌で他人に進められる携帯アプリゲームを見抜き、白ビールを好きになる
(ちゃんとしたでスロットでなくいいなをすゲを飲んでみるといい)
庭をもっと。
サブアカウント、いろんなため箇所くらいして大塚医者ゴールドホップ
id:kanoseレベルで愛想フィールドワーク変える(自分でドローツールを使って書く。)
で愛
メンヘル調和力レベルid:xevraで金銭愛想を振りまかない
キャライも体験してみる
でフレ
ギャンブル金肉食獣
レベルなきゃらも体験してみる
んでの
色色
とかとかとか
飽 き た
集めればが湧くはず。あと金持ち父さんのもやるべし。黄西
カネを払ってでも苦労をすると
あと90個くらいクソつまらん課題をアタマに思い浮かべ、その課題には一生決して手を出さない。できるかぎりで(by )
ンジャー
もはや何年も前から言われてることだが、「2ちゃんねらー」でひとくくりにする人が未だに後を絶たない。
それは「VIPPER」なのか「ニュー速民」なのか「プラス民」なのか「毒男住人」なのか。
各板で全然特色が違うし、住人も多種多様すぎる。
うちの教授もコテハン持ってるし、BNFだって2ちゃんねらー(だった?)わけだし。
まぁ、「これだから韓国人は」とか「アメリカ人は」とか一くくりにしたがるのは昔から変わってないから仕方ないかもしれないが
まともな議論をしていると思っている人が「2ちゃんねらーは」とか言ってるのをみると「やれやれ」と思ってしまう。
もっとひどいのは「2chスレまとめサイト」を指さして「あいつらは」という人。
そのブログに付けられたコメントを指して「痛ニューに集まる奴らは」というのならまだしも
スレ番号飛びまくりのブログ主の好み出まくりの2chスレを見て
「これだから2ちゃんねらーは」とか言われるとどこから突っ込んでいいやら。
痛いニュースを見て「これはひどい」とか思って現行スレを覗いてみたら割とまともだったなんてのはしょっちゅうあること。
2ch見たことない人間がまとめスレ見て批判するとか、勘弁していただきたい。
中学生に向かって言うのならまだいいのだが、割と大人な人の主張に対してこういう言葉を使う人はもうちょっと考えた方が良いかと。
ほとんどの場合は「上からの視点」なんてなくて、それはただの「横からの視点」なわけで。
見方を変えただけで上から見た気になって
「お前らの意見はまだまだ」
と議論放棄する人が割と多い。
「そんな風に考えていた時期が俺にもありました」
の一言で片づけて終わり。
同じように「多角的な視点で議論しよう」という感じで「広くが全て」という人も多い。
もちろん、広い視野も大事ではあるのだが、「深さ」も重要だと分かっている人が少ない。
どれだけ深く洞察したかを加味せず、自分より下の視点(狭い視野)だと判断すると議論放棄する人をたまに見かけるが
もう少し相手を敬ってもいいんじゃないだろうか、と思う。
相手もそれなりの洞察を経て、その意見にたどり着いているのだから。
人の意見に感銘を受けて、それを他者に話すというのはよくあること。
実は人の意見なんてそれがすべてかもしれない。
ところが、その2ホップ後の意見を聞いて、それを批判して、元の1次ソースに対して「たいしたことねーな」と言ってしまう人が多い。
割と有名なAという人に感銘を受けたBという人が、CさんにAさんの言ってることを鸚鵡返しのごとく話したところ
Cさんはそれに対して反論して、Bさんがそれにこたえられなかったときに
「Aは大したことねーな」
という人のこと。正しくは
「俺にはよくわからなかった」
割と2chに偏ったけれどこんなところかなぁ。
http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200808200380.html
コレに起因するわけだが、親権が子の親に属するものだというのはいつからの認識なのかというのが気になった。
そもそも社会性を得たことで脳が発達するという進化をたどった動物としては、産んだ親だけが親なのかという疑問がある。
哺乳類でなくとも、群れを構成して生活する動物は沢山あるわけで、社会を構成する動物だけが脳を発達させたとも言えない訳だが、似たような方向性はあるのではないかと疑問はわく。
あなたに漠然とした質問をひとつします。
深く考えずにとりあえず答えてみてください。
「答えはどこにあると思いますか?」
本当に漠然とした質問で戸惑ってしまったかもしれません。
でも、答えてください。
反射的に出てきた言葉でいいので何か答えてください。
何となく決まり文句で出てきた言葉でいいので答えてください。
答えましたか?
これは自分探し病にかかっているかどうかをチェックするテストです。
「自分の中にある」と答えたあなた!自分探し病にかかっています。
このテストは、速水健朗「自分探しが止まらない」を読んで、私が勝手に考えたものです。かなり精度の高いチェッカーだと自負しています。実際の自分探し病患者である自分自身の病理をよくよく観察して考案しました。
「自分探しが止まらない」を読んで、自分自身が自分探し病にかかっていることを認めざるを得なかったのです。不本意ながら。
でも、病を自覚できたおかげで、最近悩んでいたことがすっきりしました。
娘の教育にあたっての妻との衝突の悩みです。
「これだけは誰にも負けないという何かを、何でもいいから持つべし!」というのが、娘の教育にあたっての私の方針でした。決して突飛な考え方ではないと思います。
しかし、これを聞くと妻はため息をつきます。そして言うのです。
「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!」
たしかに妻は、勉強や運動で飛び抜けた成績をあげたこともなく、これといった得意分野もありません。何かの趣味に熱中することもありません。
では、どうして妻は、私にとってかけがえのない存在なのでしょうか。
そして、娘の教育方針はどうしたらいいのでしょうか。
現在の子育て世代は、深刻な自分探し病世代でもあるように思います。自分探し病でわが子まで不幸にしないために、私の考えをまとめてみました。
「自分探しが止まらない」では、我々の世代はみんな、自分探しを社会から強制され続けてきた世代であることを、様々な事例から明らかにしていきます。
我々の世代というのは、「あいのり」世代として区切ることができます。青春時代に放送されていた恋愛バラエティー番組が「あいのり」であるという世代です。比較して語られるのが「ねるとん」世代。
私は「あいのり」世代です。そして、「あいのり」の本質は恋愛バラエティーではなく自分探しバラエティーであると、「自分探しが止まらない」は分析しています。
私は「あいのり」という番組が大嫌いですが、好むと好まざるとにかかわらず、時代の空気というものは誰もが影響を受けてしまうものです。そして、テレビ番組は時代の空気を映す鏡です。極論すると、我々の世代の全員が自分探し病の患者か予備軍なのです。
「ねるとん」のキーワードは「三高」、「あいのり」のキーワードは「本当の私」、ここに世代間の意識の違いがくっきりと現れます。
「高身長・高学歴・高収入」と恋愛成立の条件を「相手」に求める「ねるとん」に対して、「あいのり」は「本当の私を分かってくれる人」といった具合に、一見すると相手に求める条件のようでいて、じつは「自分」の内面的なことがすべてであるという違いです。
私たち「あいのり」世代は、徹底した自己分析によって自分の適性にぴったりの職業を見つけて、その職業に就くことによって初めて幸せな社会人になれると刷り込まれ続けてきました。
というか、刷り込まれてきたという自覚もありません。仕事=自己実現であり、答えは自分の中にあるのであり、就職活動=本当の自分探しであるという考え方に疑問すらわかない状態です。
自分探し病が重症になると、恋愛についても同じ考え方をしてしまうわけです。恋愛=本当の自分探しであり、やっぱり答えは自分の中にあると考えるのです。
常に本当の自分とやらを見つめ続け、
「よくよく考えてみたら、私にはこんな一面があると気づいたの。だからあなたとはお別れね。あなたが悪いんじゃないの、あなたを選んだ私は、まだ本当の私じゃなかっただけなの。」となるわけです。
問題をややこしくしているのが、この考え方が「あいのり」世代特有の奇妙なものであることを自覚するチャンスが無いということです。「自己分析」という自分探し病キーワードを「あいのり」世代が口にしても、スルーされてしまうという罠があるのです。
罠のポイントは、「あいのり」世代の奇妙な考え方にお説教のひとつくらいしてもよさそうな50代から60代あたりの世代こそが、私たちに「個性重視」教育を施した当事者であるということです。
その世代の人たちは、ある種のファンタジーというか、ものの考え方の振れ幅の片方として教えていたつもりで、まさかそこまで本気で私たち世代が信じ込んでくれているとは思ってもいないのです。
(没個性・画一教育へのアンチテーゼという意味での)「個性重視教育」
をやっていたつもりが、いつの間にか括弧書きの部分が取れて、
「個性重視教育」
になってしまったのです。
ファンタジーが現実になってしまったわけです。バリバリの没個性・画一教育を受けて育ってきた世代には、どうにも実感の湧かない現実でしょう。自分たちが目標に掲げて実現した世界なのに。
だから、「自己分析」というキーワードを「あいのり」世代が口にしたところで、そこに信仰にも似た過剰なまでの熱量が含まれているとは思ってもみません。文字通りの意味で受け止めて、微妙にずれた言葉のキャッチボールが成立してしまうのです。ある程度の「自己分析」が就職活動に必要なことは間違いないのですから。
相当に丁寧な言葉のキャッチボールをしないと、この微妙な、だけどとても大きなずれに気付くことは出来ません。
このような「自分探し」をめぐる世代間の認識のずれは、自分探し病についての建設的な議論を台無しにしてしまいます。
50代から60代あたりの世代は、まだマシです。我々「あいのり」世代が抱えている「自分探し」観を懇切ていねいに説明すれば、
「へぇ?、そんな風に考えていたんだね。思っても見なかったよ。」と素直に受け止めてくれる人も少なくありません。
問題は「ねるとん」世代です。「ねるとん」世代は、「自分探し」がブームになった世代なので、「自分探し」について自分たちの世代もよく知っているつもりです。「深夜特急」が青春時代に刊行され、そのマネをして旅に出たという友達がまわりにたくさんいた世代です。
だから、自分探しについて自分なりの考え方を既に持っています。そして、それを語り尽くしたら、議論をおしまいにしてしまうのです。
「自分探し?そんなものは俺が若い頃にもあったし、俺もかぶれた時期があった。あんなものは一種の通過儀礼で、いつまでも自分を探しているやつは甘えているだけなんだよ。」みたいな感じです。
たしかに「ねるとん」世代が青春を謳歌していた頃に「自分探し」はブームになり、「ねるとん」世代も多くの人が自分探し病にかかりました。
しかし、まさに「ブーム」でした。
「ねるとん」世代の多くは「ブーム」として自分探し病にかかり、「ブーム」だからこそ、しばらくすると熱は冷めていったのです。
自分探し病がそのまま重症化してしまった人も、もちろんいました。オウム真理教に入信してしまった人などです。ただし、それは特別な存在でした。
しかし、我々「あいのり」世代は、自分探しこそが幸せへのパスポートであると社会全体が大合唱している中で青春時代を過ごしてきました。今の大学生にいたっては、物心ついてからずっとです。
自分探し病の病原菌に、いつか治すべき流行病として感染したのが「ねるとん」世代。素晴らしいワクチンであると学校で接種されて感染したのが「あいのり」世代なのです。自分探し病にかかるということの意味合いが全く違ってくるのは当然でしょう。
そのあたりの認識のずれに気付かないまま自分探しを論じているブログがたくさんありました。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51003082.html
Baldanders.info
「『自分探しが止まらない』を眺める」
http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000376.shtml
どれも、我々「あいのり」世代の自分探し観と微妙にずれた、彼らの世代の自分探し観を前提として持論を展開し、議論を切り上げてしまっているように思えます。
自分の病理として捉えつつも、このように冷静に分析できたのは、私が自分探し病にかかりつつも、それほどこじらせないで済んでいたからです。
妻のおかげです。
私と妻、それぞれがまったく違う生き方をしてきたのが功を奏しました。
私は圧倒的な優等生としてずっと生きてきました。常に学級委員を務めていて、勉強も出来ました。しかも、好奇心旺盛で何にでも興味を持ち、個性的と賞賛される発想を、ずば抜けた行動力と調整力によって実現してしまう伝説級の優等生でした。運動神経は全くありませんでしたが、スポーツから逃げるのがしゃくで、中高と運動部に所属して、それなりにこなしていました。
あくまで事実を書いただけですw
より適切に表現するならば次のような感じでしょうか。
キモオタなんだけど、やたらと行動力があって、運動以外のスペックが全般的に高くて、何より精神的なダメージへの耐性がむやみに高いせいで、周囲の微妙な空気も含めて力技で引っ張り回して、何だかんだで思い通りにしてしまう人間でした。
要するに、「あいのり」世代が受けてきた「個性重視教育」に、これ以上ないくらいに適応した人間だったのです。学校が楽しくて仕方ありませんでした。
就職するときには、超氷河期の中でしたが、おもしろそうだと思った仕事にすんなりと就くことが出来ました。今も仕事が楽しくて仕方ありません。
一方、妻は、勉強も運動も人並みで、特に何かに熱中することもなく、至って普通に生きてきました。学生時代に何かを成し遂げた思い出も無いそうです。
なんとなくいくつかの会社を受けて、内定をくれた会社に就職し、しばらく働いてから寿退社。今は専業主婦です。
要するに、「個性重視教育」に背中を向け続けてきた人間なのです。学校では先生のお説教が憂鬱で仕方なかったとのこと。
相変わらず我が道をばく進する大学生だった私が、ひょんなことから出会った専門学校生の妻に交際を申し込んだ理由は、そんな妻の普通すぎる価値観が逆に新鮮だったからでした。
まぁ、正直なところ妻の美しさが最大の理由でしたが、新鮮な価値観に魅力を感じたのも嘘ではありません。妻としても、私のキモオタぶりも含めて、すべてが新鮮だったからOKしたそうです。
実際に交際を深めていく中で、かけ離れた価値観をぶつけ合うことが、やはりとても生産的なすばらしい行為であることを知りました。というか、妻がここまで徹底抗戦してくるとは思っていませんでした。
私が積み重ねてきた経歴や、獲得したたくさんの語彙や、膨大な知識に、まったく臆することなく、というか意味を見出さず、ひたすら一つのことを問いただし続けるのです。
「あなたは私を幸せに出来るの?」
そのあまりにシンプルな問いと向き合ったおかげで、私の自分探し病は悪化しないですんだのかもしれません。
「あなたは私を幸せに出来るの?」
「俺には輝かしい学歴があるからね。」
「いや、これが結構残念なことになっちゃう人も多くてね。
だけど、俺は違うよ。就きたい職業のイメージもしっかりしているし、そこに向けた努力もきちんとしているし。」
「仕事はおもしろそうだし、お給料は人並みにもらえるらしいし、安定している業界だし、忙しい職場だけどそれなりに家庭生活とのバランスもとれるっぽいから、大丈夫だと思うよ。」
「本当に?」
「たぶん…。」
「私を幸せに出来るの?」
「いや、そう言われると…。これから社会がどんな風に変わるか分からないし、仕事が自分にとって本当におもしろいかは入社してみないと分からないし、それなりに出世するつもりでいるけど、学歴とか関係ない職場だし…。言われてみると…。」
真剣に具体的に考えて、私は愕然としてしまいました。
私にあるのは可能性だけで、何一つ確実なものは無いのです。
輝かしい学歴も、個性的な発想力も、築き上げた人脈も、彼女に幸せを約束するための十分条件にはならないのです。いや、必要条件ですらないのです。
三段跳びに例えると、助走で最高に気持ちよく走ってきて、スピードものってタイミングもばっちりだけど、ホップ・ステップ・ジャンプでうまく跳べるかなんて、踏み切ってみないと分かりはしないってことに、初めて気付いたのでした。
走ることと跳ぶことって全く別のことですもんね。うまく助走出来た方が、うまく跳べる可能性が高くなるというだけです。うまく助走できていたのに、うまく跳べないことなんてざらにあります。一方で、助走ではいまいちスピードがのらなかったのに、うまく跳べてしまう人も少なくありません。
更に言えば、ホップ・ステップまではうまく跳べたのに最後のジャンプで大失敗なんて、歴史の教科書ではむしろ多数派です。
そんな問答を彼女としながらも、私はとりあえず就職活動を進めていて、希望通りの業界で内定をもらいました。
しかし、内定を手に大学4年生となった私に、トラブルが発生したのです。勉学以外の活動が面白すぎて夢中になっているうちに、最後の一年でとるべき単位が大変なことになっていたのです。時間割のすべてのコマをパズルのように埋めて、すべての授業で単位を獲得できれば卒業できるという状況でした。
跳ぶことの怖さに気付いてしまった私にとって、そんな状況は、跳ぶのを止めて、とりあえず助走を続けるのにぴったりの理由に思えました。
その年度の卒業は諦めて、もう一度就職活動を仕切り直そうと思ったのです。自分探しを延長するのにぴったりの大義名分だと思ったのです。
三段跳びの踏み切り板が近づいてくると、もう少し走れば、もっといい感じのスピードとタイミングになるかもしれないと思えてきたりもするのです。
内定した会社より、重役面接で落とされた別の会社の方がやっぱり自分にあっている気がしてきてみたりするのです。
そんなことを彼女にほのめかしてみたところ、一喝されました。
「何が何でも卒業して就職した方がいいと思う。最初から留年するつもりなんだったら、別れる。
だって、就職留年して別の会社に内定したところで、幸せを約束できるわけじゃないのは一緒でしょ。試験勉強応援するからさ。」
彼女がそういうんだったら仕方ないというか、そうした方がいいことは薄々気付いていて背中を押してもらったというか、私は卒業に向けて全力投球することになったのでした。
そして、私は無事に大学を卒業して就職し、今に至るというわけです。彼女、つまり妻が一喝してくれて本当に良かったです。
助走って楽しいんですよね。でも、助走はしょせん助走なんです。助走としての個性重視教育にしろ詰め込み教育にしろ、過剰に最適化された私は、走ることがあまりにも心地よかったこともあって、跳ぶことをついつい先延ばしにしてしまうところだったのでした。
たしかに、踏み切り位置がきっちり決まり過ぎていた頃は、それゆえの悲劇もあったのかもしれません。
足のタイミングが踏み切り位置にたまたま合わなくて失敗したとか、もう少し長めに助走していたらスピードがぐっと上がっていたはずだったとかです。
だから最近は、そのあたりの悲劇を無くすために、踏み切り位置をきっちり決めないでOKとする風潮になってきました。
でも、何だかんだ言って、結局は跳ばなきゃ話にならないのです。
「もっと真面目に助走しろ!」と怒られ続けてきた妻にしてみると、それほど意味がないように思える助走なんかさっさと切り上げて、早々に跳んだ方がいいに決まっているのでした。
ということで、妻に一喝されたおかげで、私は自分探し病をこじらせないで済んだのでした。
でも、いまいち問題の本質を理解しないままでいて、危うく娘まで自分探し病的な考え方に押し込めてしまいそうになっていたところを、再び妻に一喝されたというわけです。
「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!」
「誰にも負けない何か」というのは、私がずっとすがりついてきたキーワードでした。
閉塞感が漂う時代は、多くの人が確実そうなものにすがろうとします。医学部が人気になったり、公務員試験の競争率が高くなったり、金相場が上がったりします。
でも、私たちの世代は、「すがれそうな確実なもの」という幻想をことごとくぶち壊された世代でした。
私たちが大学受験をした当時は、医者余りで食いっぱぐれる医者も出てくるなんて言われていました。
学歴は、無くて困ることはあるけど、あったところで何かを保証されるわけで無いことを、みんな知っていました。
大規模リストラのニュースが毎日のように流れ、終身雇用の原則は、音を立てて崩れ落ちていきました。
そもそも、大企業自体があっさり潰れる実例をたっぷりと見せつけられました。
かといって官僚も、天下りありきの賃金構造でモチベーションが維持されていて、そんないびつな構造を維持できるはずがないと、みんな薄々気付いていました。
そんな状況と、骨の髄まで染み込んだ個性重視教育から導き出されたのが、「誰にも負けない何か」という考え方なのです。
確実なものなんて望めない世の中だけど、それでも望もうとするのならば、努力によって磨き上げられた圧倒的な才能くらいでないとすがりつくことは出来ないという悲壮な認識です。
でもね、そんなものに手が届くはずがないのです。認めたくないですけど。
だから、妻の反撃は私を追い詰めていきます。
「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!あなたにはあるの?」
「Aの分野における、Bという条件での、Cなら誰にも負けない自信がある!」
「随分限定するのね…。そこに需要があるの?」
「ある!…はず。」
「食べていけるの?」
「…いけると思う。」
「子どもの学費もあるんだよ。」
「いける…ん…じゃないかな…」
「厳しいんじゃない?」
「まあ…ちょっと…覚悟は…しておいて…」
それなりにスペックが高いと自負している私は、努力さえすれば「誰にも負けない何か」が手に入ると思っていました。でも、ちょっとやそっとでは「誰にも負けない何か」なんて到達できるはずがありません。
そこで、私はニッチ路線をひた走る戦略へと方針転換したのでした。数は少ないけど熱烈に支持してくれそうな見込み客がいて、市場としてこれから成立しそうな分野に、今から開拓者として乗り込んでおこうというわけです。この方針転換自体は間違っていないと思っていますが、もはや「すがりつける確実なもの」というレベルの話でないことを、認めざるを得ません。
というか、「一生安泰」のためには、「誰にも負けない何か」を「ある程度維持し続ける」必要があります。一発屋が、むしろ不幸へとつながりやすいことをみんな知っています。かといって、「誰にも負けない何か」を「ある程度維持し続ける」という生き方は、もはや普通の人生以上の修羅の道です。
要するに、「誰にも負けない何か」なんて見果てぬ夢であって、それを目指すことは悪くないけれども、それを必ずつかめるはず、それをつかんで初めて幸せになれるなんて考えるのは大間違いだということです。
でも、なにか確かなものが欲しい!
そこで頭に浮かんだのが、「誰にも負けない何かなんて何も無い」妻が、私にとってかけがえのない存在であるということでした。
私にとって妻がかけがえのない存在である理由を考えてみました。
私は常に暴走モードに入っています。ふと思いついた楽しそうなことに向かって、闘牛のようにとりあえず一直線に向かっていきます。
そんな私の背中にまたがった妻は、時々私の耳たぶを引っ掴んで大声で叫ぶのです。
「あんたバカぁ!?そっちに行ったら危ないでしょ!ちゃんと前見て走りなさいよ!」
妻を背中に乗せていなかったら、私は壁に激突しまくって瀕死の重傷を負っていたことでしょう。
一方で、私の背中に乗っていなかったら、自力で前に進むのが苦手な妻は、その場に座り込んでため息ばかりついていたことでしょう。
今となっては、これ以外考えられない組み合わせです。
「誰にも負けない何かなんて何も無い」妻ですが、私を操縦することにかけてだけは、誰にも負けないわけです。
一方で、こんなきっついツンデレ妻を背中に乗せていられるのは私くらいだという、妙な自信もありますw
もちろん、最初からこの組み合わせがうまく機能していたわけではありません。長いつきあいの中で、お互いに激しくぶつかり合って、お互いに譲り合ったりしていく中で、何とか作り上げたギリギリのバランスです。
自分らしさの大切な要素だと思っていたものを、それぞれが泣く泣く諦めたりして今があるのです。そして、これからもぶつかり合いは続きます。
そうなんです。ぶつかり合いは続くんです。あらゆる状況は常に変化していくわけで、最高の関係を築き上げたつもりの私たちの間で、微調整どころではないぶつかり合いが、これからも発生し続けることは間違いないのです。
結局は、個人と個人とが直接ぶつかり合って作り上げた関係性の中にしか、確かなものなんて無いというのが私の結論です。そして、それは常に揺らぎ続けるものであって、確かなものにし続けるために不断の努力が欠かせないものなのです。
不断の努力無しには崩壊してしまうものが「確かなもの」であるかは微妙なところですが、わが家では、その程度の「確かなもの」で十分とし、それ以上のゆるぎない何かを求めるとろくな事にならない気がします。
私たちが探し求めている「自分」というのは、結局のところ「存在意義のある自分」なんですよね。
そして、それは「自分の適性を最大に生かして仕事をすること」とか、「誰にも負けない何かを身につけること」とか、「自分のすべてをありのままに受けて入れてくれる恋人と出会うこと」とかではなくて、「大切にしようと決めた人と、お互いがお互いにとって大切であり続けるためにもがき続けること」でしか手に入らないものなのです。
かといって、「キミとボクの関係が世界のすべて」だなんて、そこに過大な意味を見出そうとすると、また妙なことになってしまいます。
そうではありません。あくまで、世界のすみっこで生きている個人同士が、その存在の小ささを受け入れた上で、お互いの存在価値を認め合って、それに見合った努力をし続けるということなのです。
「答え(=「存在意義のある自分」)は、どこにあると思いますか?」
という質問に改めて答えるならば、「大切な人と自分との間」にあるといったところでしょうか。
後編へのリンクを忘れていました。
初増田なもので、すみません。
わが子を自分探し病から守る 後編
http://www.digitalinfra.co.jp/20080511/9400.html
なんかこの人病的に批判してるけどなんかあったんだろうか・・・。
ともかく、突っ込みどころが満載だが、そもそもIPv6ってのがアドレス枯渇どうこうとか言うのって正しいの?
IPv6って基幹ルータの経路表を圧縮するために導入するような認識なんだけどなぁ。
エンドツーエンドの通信がどうこうとか、P2Pの利用がどうこうとかどうでもよくて、
1ホップごとにいちいちチェックサム計算するようなルーティングとかもういらんでしょ。今は内部的にどうなってるか知らんけど。
IPv4ってアドレス云々の前にルーティングが本当に限界に来ているんだから、なんとかしないとダメなはずなのに。