はてなキーワード: ToLoveるとは
割としっくりきたまとめ。
萌え絵って何か?というと、自分にとってはまず条件として「デフォルメの強さ」があって、
特に「目がでかい」、「髪型(色)が特徴的」、そして「性的」なことが思い浮かぶ。
やっぱり、「萌え」って言葉が急速に普及・浸透したのが90年代なので、
あるいはときメモとかサクラ大戦とかデジキャラットとかその辺のイメージが強い。
漫画でも『ラブひな』とか『ToLOVEる』なんかは萌え絵って感じするんだけど、
『I"s』や『BOYS BE…』なんかを萌え絵とは感じないんだよな。
そうだ、エロゲに加えて、自分の中の「萌え」のイメージとして大きいのは「電撃」レーベルかもしれない。
中学時代の黒い歴史の一つとして初投稿です。はてなについてよく分かってない部分もあるので、軽く読んでください。
先日、友人が割れサイトで『ToLoveる』を読んでいることが発覚した。
気持ち悪い。コイツは目が見えなくなれば良いのに。そう思った。
ソイツはどうやら、ヤミちゃんというキャラがお気に入りらしい。割れサイトで読んでいる分際で、何漫画について語ってんだこのアホは、と思いつつも、話を聞いていった。ソイツが言うには、「ヤミちゃんはエロい! エロいからかわいい! かわいいから好き!」とのことだった。俺は、「エロい」と「かわいい」の区別がついていない奴は、刑務所にでもぶち込まれたほうがいい、というタイプなので、イライラしていた。というかコイツは、「エロいから好き!」とストレートに言うと、脳みそがちん子でできていると思われると考えたから、こういう言い方をしたんだろう。まあそれでも普通に、コイツの脳みそはちん子でできているんだな、と思ったが。
さて、本題に入ろう。
俺は、コイツの話を聞きながら、「『ToLoveる』ってそんなにエロいか?」と考えてみた。考えていると、自分自身が、「ラッキースケベ嫌い」であることがわかってきた。
なぜ、「ラッキースケベ」が嫌いなのか。
そもそも、「ラッキースケベ」は現実では起こり得ないことだからこそ、「ラッキー」と呼ばれている。
何か障害物があるわけでもないのにすっ転んで、ん?何か手に柔らかいものが...となることはまずあり得ない。そこが不自然だから、気持ち悪く感じてしまうのだろう。
以前、あるツイフェミ?の人が「普通異性に裸見られたらその後の関係気まずくなるだろ」と言っていて、ツイフェミもたまには正しいこと言うんだな、と思ったことがある。ヒロインの立場に立って考えてみると、主人公は、「よく分からん所で転んで自分のブラやパンツに手を入れてくるヤバい奴」である。それが事故であったとしても、2、3回続けばわざとなんじゃないか?と疑うはずだし、主人公がどんなにイケメンでも、少し距離を置こうとするはずだ。
そもそも、我々は主人公に近い立場に立っているから、「ラッキースケベ」と呼んでいる。だがヒロインからしてみれば、偶然とはいえ、何度も胸を揉まれたり、股に顔をうずくめられたりされる。これだと、「ラッキースケベ」ではなく、「アンラッキー性的いじめ」ではないか。普通にかわいそうだ。
しかし、『ToLoveる』のヒロインはどうだろうか。「ラッキースケベ」を初対面でされても、何十回とされても、な・ぜ・か、主人公に惚れているのである。意味が分からない。人の血が通っていないのか。
おそらく俺は、この不自然さを気持ち悪いと感じているのだろう。
前に、『五等分の花嫁』の原作者である、春場ねぎ先生が、「パンツを見せたらヒロインの格が下がる」と発言し話題になっていた。俺は、この考えに深く共感した。そして、「ラッキースケベ」について考えている時に、なぜそう思ったのか分析をしてみた。
日頃の生活の中で、「パンツが見える」ことはまずない。ほとんどのパンチラは、作者または読者の「パンツが見たい!」という願望によって描かれている。不自然なエロがあると、なんでこんなシーンを入れたのか考え、その結果行き着く先が、作者や読者の願望だからということになり、下品だなと思ってしまう。
また、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメの、カトレア・ボードレールというキャラにも似たようなことが言える。このキャラは、巨乳で、胸元をこれでもかと開けた服を着ている。他のアニメにも似たようなキャラがいることは分かっている。しかし、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という真面目な作品の中で、そのキャラは違和感になっていて、個人的には下品だと感じてしまう。別に巨乳が悪い訳ではない。胸元を不自然なほど開けた、「エロい」服装が下品に見えるのだ。
本質的に、「エロ」と「下品」は紙一重なものではあるが、そう思わせないよう、自然に見せる工夫が必要になるのだろう。
そのため、不自然極まりない「ラッキースケベ」は非常に下品だと感じてしまうのである。
これについて俺は、ヒロインたちが風呂に入るシーンを挙げよう。風呂に入るときは当然、服を脱ぐ。ヒロインたちが一緒に風呂に入ることで仲を深め、今後の展開につなげる。これは比較的自然な流れだろう。
しかしここに、主人公が間違って入って来たらどうなるだろうか。雑な理由づけがあっても、そうはならんやろと違和感を感じる。
なんでこんなシーンを入れたのかを考えると、汚い読者と作者の考えが見え隠れし、下品に思ってしまう。
しかも、その後のヒロインと主人公の関係が気まずくなることはなく、逆にヒロインが主人公を好きになっていたりする。ヒロインの感情が自分の感覚とかけ離れすぎていて、主人公のことを好きになるように動いている都合のいいロボットに見える。
これらのことから俺は、「ラッキースケベ」は、その状況やヒロインの反応の不自然さと、顔を覗かせる読者と作者の汚い願望から、気持ち悪いと感じているという結論に至った。
あくまでこれは俺の意見なので、反対意見があればそれはそれでいいと思う。
ただ、俺はラッキースケベが嫌いだ。
複合要因でオタクじゃなくなっていく
・ちびっこ向け、10代向け、20代向けなど。自分向けじゃなくても面白いコンテンツは多々あるが、やはり多量に摂取していくと飽きるのは早い
・30代向け、40代向けコンテンツは難しいしそんなの流行らない
・仕事が忙しい
・性欲はあるが、初恋、ToLOVEる、ラブコメあたりの青臭さが流石にキツくなってきた、まあ恋愛ものじゃないのに男女の絡み書くのがダルいというのは分かる
・ハッピーエンドを願えなくなってきた
・年をとって何にもエネルギーを持てなくなりつつある(これは多分俺の遺伝的問題、親もそうだった)
でも昨日は仕事しながら久しぶりに色々見た
クレヨンしんちゃんの某人気作品を見た、相変わらずつまらんかった
大豆田とわ子と三人の元夫見た、クソ面白かった、ナレーターが良いね
映像研には手を出すなを見た、とわ子のナレーターが主役の声優らしい、まぁまぁだった、だいぶマニアックだね
1.5日でどんだけ見てんだ
ふーん、きめつブームなんすね
内容はさて置き、前提知識が成り立つくらいの、にわか にはなった。
〇〇の呼吸とか、市松模様とか竹筒咥えるとかそんなミームの背景は知ることができた。
ただし、今時点で最終巻が発刊されてないので、結末を知らない。ジャンプのアーカイブとかを浚うほどの熱量はないので、
「そのうち、最終巻でたら読んでおくかな」
と、詰む読リストに入れた。これはこれで楽しいToDoリストなので良い。
sns界隈に跋扈する(ブクマもそう)完結した作品のオチを会話の下地にする人たちがいる。
このコメにも、多数のネタバレ(と思われる記述)が含まれており、私は攻撃を受けた。
私が間違えたことは、過熱されているブームの最中に安易に飛びついてしまったこと。これを悔いている。
にわか程度の知識で済ますのであれば、最終巻が出たあとで手に取る程度でよかった。
ミームも含めて楽しむのであれば、もっと前に注力すべきだった。
先日ついに塩漬けしていた「いちご100%(I's、ToLOVEる)」と「戦場のピアニスト(帰ってきたヒットラー、シンドラーのリスト)」「ひぐらしのなく頃に」を消化した。