はてなキーワード: 氷河期とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blogos.com/article/381324/
だんだん「一人で死ね」と発言した人へのバッシングになってきたなぁと思った記事。
その中で気になったんだけど「死ぬくらいなら他人を巻き込んで生きろ」ってさらっと書かれてるんだけどさ
これって「一人で死ね」と何が違うの?
と思ってしまった。
これ聞いて、はいそうですねって他人に頼れたら苦労しなくない?
自分は自殺こそ考えないけど氷河期ぼっち、周囲に知人無し毒親気味という環境で孤独だよ。
報道を見て、8050問題に手を差し伸べるどうのこうのみたいな話を見てると、
ああそうだね、って思う一方で、じゃあ誰が手を差し出すんだ?と思うんだよ。
その結果、今日の今日まで手を差し伸べる人が居ないからぼっちだったんじゃないか。
そう言うとね、お前が悪いって言われるんだよ。
人間関係を構築できないのはお前に原因があると。
そうやって、こっちから手を伸ばしてもすごい勢いで振りほどかれたの。何回もね。
そしてもう手を伸ばす事をやめたの。
何が「他人を巻き込んで」だ、今更。ああ腹が立ってきた。
まあ、嫌だよね。気が合わない奴と仕方なく付き合うのって。
お前の人生、俺の人生もそう、氷河期のぼっちに手を差し伸べる事がやりたい事か?
違うんだよ。
みんな余裕ないの。
それを分かっていながら、「やだやだ手を差し伸べてくれないと死んじゃう!」って、駄々こねろってか?
恥ずかしくない?
相手がクソデカため息つきながら面倒くさいけど仕方ないオーラ全開で手を差し伸べてきて喜べる?無理。
それができないから54人は一人で死んでるんじゃないの?
他人を巻き込んで生きようとする試みはありだと思うよ。
でもまあ成功しないよね。
今まで失敗続きだった人が、最後の最後で成功できる確率どのくらいある?
そうやって「手を伸ばそう」というメッセージを発信して
誰かにその手を振り払われて、やっぱりダメだと絶望する可能性の方が高いよ。
まあ0か0でないかなら0ではないと思うが
(最初から「ネットのトラブルの殺人」と報道されてたので予断を持ちようがないというのもある)
誰かが責められてるのを見てはリンチだと怒って殺害予告するぐらいだったから
「〇○関係の議論に絡まなかったので~」というプロファイルしていいならほぼ何でも言える。
迂闊なはてなですら「困窮者」というざっくりしたくくりで、特定世代と決めつける論調は初期から目立っていなかった。
「容疑者は40-50代の男性」としかわかってない段階で、「無敵の人」がtwitterのトレンドに上がり、容疑者が社会から虐げられてきたかわいそうな人の前提で大勢の人がコメントしてるのなんなんですかね。
(実際、何不自由なく健康で裕福で家族に恵まれたリア充が突然凶行に及ぶ理由はないのだから、多かれ少なかれ社会に疎外感があり恵まれない要素がある人である可能性は高いのだろうけど)
中には容疑者に対する強い共感からか、(俺たちキモカネを馬鹿にしてきた)一人で死ねというお前らが望んだんだ!おめでとう!くらいの勢いで、快哉を叫んでいるとしか思えない人まである。
思うんだけど、これが「60-70代の男性」だったらどうか。
「また老人が子供を殺した」「老害が若者を殺す国」との声にあふれ、容疑者に対する共感などわずかだっただろう。
「20代くらいの男性」だったら、「キチDQNやべえ」「メンヘラか」くらいの切り捨てだったし、
「女性」だったら、「女は○○、女は〜〜だから、女様やべえ」「フェミさんは何も言わないの?(笑)」
氷河期が来て温暖化と相殺されるとか、温暖化は陰謀だとか適当なこと言ってたやつここにも居るだろ。
自分では忘れてても、俺は覚えてるぞ。
今年も暑さで何人も人が亡くなるだろう。
関係ないと思ってるかもしれないが、その0.1パーセント位はお前らの責任だぞ。
1000人死んだら死んだ人のうち1人位はお前らの責任だからな。
覚えてろよ。
動物は人間のご飯でした。過去数千年も人間は狩猟採集で生きていました。
狩で仕留めたマンモスを食べて氷河期を生き抜き、山でシカやイノシシを食べて生き抜きました。私たちの祖先はヤギや豚や牛や羊や鶏を、長い長い長い年月をかけて家畜化しました。家畜化なんて一朝一夕一世代で出来ることではありません。祖父から父へ、父から子へ、飼育のノウハウを受け継ぎながら、家畜を食べる肉食文化を発展させました。
色々な国で色々な食文化が発展してきました。それは日本のように仏教によって禁止されながらも、こっそりと楽しまれたり、文明開化とともに最先端の料理として食べられたり、ヨーロッパのようにソーセージやベーコンや干し肉なんかにして長期保存できるようにされたり、焼いたり蒸したり揚げたりして、美味しく食べれるように工夫されたりしてきました。イヌイットのように生食する民族も、沢山の香辛料でスパイシーに食べる民族もいます。食文化は、宗教やその土地の気候と密に絡み合いながら発展してきました。
文化は人間が長い歴史の中で作り上げた叡智の結晶です。衣、食、住の1つである、生き物にとって欠かせない「食」の文化は何にも劣らない人類史の大切な要素です。文化人類学的な価値を持つものです。
生物学的にも人間が動物を食べるのには意味があります。日本人だけが海苔を消化できるように進化したことは有名ですが、お肉も同じです。人間が肉を美味しく食べて、消化して、エネルギーとして利用できるのも、人間が長い間肉を食べ続けて、そのように進化したから美味しくお肉が食べられるのです。お肉を食べるのは人間が生態です。人間は雑食なのですから。
連綿と続くこの歴史の中で、動物が可哀想だという考えを持ち、肉食をやめることもまた文化です。人類がそのように方向転換し得る可能性を持つこともまた大切なことです。
しかし、それを望まぬ人に強要すること、人間全体から肉食文化を奪うことは文化の破壊です。畜産家や肉屋やコックさんから仕事を奪う権利は誰にもありません。
食文化は生活に根付いて始めて意味があります。レシピの本だけあっても仕方がありません。肉を食べないということは今まで育んできた肉食文化を永久に手放してしまうことになります。日本の和食が文化遺産であるように、世界の肉食文化は和食よりもうんと重要な文化です。ヴィーガンの肉を食べない「食」が尊重されるべきように、私たち雑食の食文化も尊重されるべきです。