はてなキーワード: 入れ墨とは
たまに女と遊んで独り身のほうがいい
152円で支えられたね
80で落ちてきたね
80ショートも67くらいで離隔して
勝負したんだけどね
152円ショートしたんだけどね
いけるかな 2回ほど152.2をたたいて
下は結構とれるように
20ぴぴ損切で
151.8で支えられて
3回たたかれたら終わりだと思った
2回目で勝負
152.6でショート
10pp損切
なんも考えずに働いてた
イヤイヤ働いてはいない
働いてなかったら暇になる
151.08Lが151.375で利確された
150.80で損切り
150.80まで下がったら上はないのかなって
40センハバで動いてる
153.2が直近高値
40センで動いてるから
152.8 152.4
152.0 151.6
151.6を跳ね返して152円を試していた
151.6を3回たたいて返された
3回目を割り込んだけど結局戻った
その時点でうえ強いなって思った
社会通念上推奨されていない行為を行うことで一生涯レッテルを貼られてしまうことを覚悟の上で行動に及んだ自己責任の被差別階級って、今やもうこの辺しか残ってないと思うんだよね。
昔はアル中やポン中がこの枠だったけど、合法ドラッグの流行とか依存症への理解が進んだこととかで「病人なんだぜ?優しくしてやろうよ」みたいになっちゃったからなあ。
反ワクやカルトですら「洗脳されているだけの被害者でもあるんだ」みたいな感じで思いっきり言葉で殴れるような感じじゃなくなってきてる。
それこそ犯罪者に対してさえ「なんか理由があったんだろ」とか「つるんだ仲間が悪かっただけ」とか「技能実習生の待遇が」とか色々な擁護が入ってきてくっそめんどい時代だよ。
でも入れ墨掘ってるやつに対しての差別だけは未だに根強いんだよね。
まあ一番の理由は「未だに根付よい差別に負けない我道を行く俺様」ってのが日本におけるタトゥー文化の根底にあるからなんだけどさ。
自分たちで勝手に差別される側に回ろうと頑張っちゃう暴走族みたいなマインドのおかげで、タトゥー界隈はこんな時代においても「差別してヨシ!」となってるし、掘ってる側も「ヘイヘイ!差別足りてねえぞ!ビビってんのかぁ!」って感じで助かるわあ。
リアル社会で脱げないヒールのマスクを被ってくれてるようなもんだよね。
ぶっちゃけさ、相手側が悪役ムーブを楽しんでるんだろうなってのが分かるからこそ、こっちも安心して正義マンパンチでプロレス出来るわけよ。
WIN-WINだよね本当。
入れ墨が入っていても舐められるの?
ていうか反社案件やんけ。まんまと印象操作に釣られてる人やばいぞ
5/20
「トー横」と呼ばれる一角で、取材中だった報道機関の20代女性記者に腕の入れ墨を見せつけるなどして詰め寄ったとして、警視庁少年育成課は20日までに、東京都迷惑防止条例違反の疑いで、住所不詳の指定暴力団住吉会系組員河合喬容疑者(33)と、千葉県八千代市、職業不詳新井風月容疑者(24)を現行犯逮捕した。
https://www.sanspo.com/article/20240520-L2EBVGJFKNJXZD7ZVMXOPFG7B4/
9/10
https://www.sankei.com/article/20240910-U4PH54F4UBLBVGBWWMTMOAXLWQ/
「すぐ腹を壊す人=サボってる」
「熱を出す人=サボってる」
こういった偏見の眼差しを持って他人を測ろうとする態度こそが、あらゆる差別における根本的な原因であってそこに対して、感覚が敏感とか恵まれた環境で暮らしているとかはあまり関係がないんじゃないだろうか?
つまりは「自分が慣れ親しんだもの=素晴らしい」 「自分と接点の薄いもの=存在そのものが歪」という幼子のまま成長せず老害になったような価値観を全世界の普遍的な常識だと勘違いしていることが問題なんだろうな。
公教育というのはこういった狭い偏見を超えた広い視野を持たせるために様々な機会を提供するはずなのに、実際にやっているのはそれとは真逆で「地毛が茶髪なら黒に染めてこい」といった教職員側の偏見に基づく画一化を推し進めているわけで。
ではなぜそうなるかと言えば、この国の国民が根本的な部分で差別意識に満ちていて画一的な隣人を求めているからなんだよな。
「入れ墨をしている奴らはチンピラだから公衆浴場に入って欲しくない」とか、「アイドルは偽の恋愛感情を売っているんだから本物の恋人を作ってはいけない」とか、そういった身勝手な言い分を振りまいてそれらをさも常識であると言い切る理論が大手を振っているわけだ。
入れ墨をしていたらチンピラだというなら、成人の儀式などにおいて伝統的に入れ墨をしている部族はみんなチンピラであり、憎むべき文化の持ち主だからわざわざ集落に乗り込んでいって文化を浄化するのが人類のためなのかという話だよ。
結局、人類ってのはどいつもこいつも高慢ちきで、自分たちの生まれ育った文化圏こそが唯一清く正しくご立派な人としての道を歩む絶対の正解だと勝手に思い込んでいるのさ。
凝り固まった『常識の殻』を知恵のハンマーで叩き割ってやるのが公教育の役目だろうに、先にも述べたように奴らと来たら殻の上をより分厚くコーティングすることに手一杯だ。
んでもって生まれてくるのが一生自分の殻から出ることもなく暮らしてきた『平等意識における盲人』の群れなわけだよな。
まあ、現代社会においては憐れなる無知蒙昧の輩と言うしかないわけで、キャンセルカルチャーされまくって然るべき無能という他ない。
入れ墨(タトゥー)に対する意見は人それぞれで、賛否が分かれることが多いテーマです。以下に、入れ墨に対する一般的な意見や考え方を整理してみます。
日本では、入れ墨に対する偏見が根強く残っています。特に、ヤクザや犯罪との結びつきが強調されるため、入れ墨を持つことが社会的に受け入れられにくい場合があります。
入れ墨を入れる際の痛みや、感染症のリスクを心配する人も多いです。特に、衛生管理が不十分な場所で施術を受けることは危険です。
時間が経つにつれて、入れ墨を入れたことを後悔する人もいます。特に、若い頃の衝動的な決断が後々の人生に影響を与えることがあります。