はてなキーワード: ブルカとは
性的かどうかっていうよりも魅力的かどうかって視点で、絵師とクライアントは入れたほうが支持率があがるとおもって入れたわけでしょ。
結局のところ商業絵であり広告なんだから、(法と公序良俗の範囲内で)目を引いて支持されるほうが優れてるという視点が必要なのよ。それを性的であるって言う切り口で叩くから、荒れる。
たしかに性的かもしれないけれど、その性的ってのは魅力的の一環であって、そのほうが訴求力が明らかにある(コーラや映画館の実験でも明らかにそうなわけで)でしょう。その訴求力っていう現実を語らずスルーして、性的かどうか論に固執するんでこじれてるわけだ。
露悪的に言ってしまえば、魅力的の一貫としての性的な広告で支持をする消費者は数がいるけれど(なぜこういう言い方をするかといえば性的であれば魅力的だとはいえないため。一般人が忌避する性的表現はたくさんある)、性的な表現じゃないってだけの表現は訴求力に全く結びつかない。
だから広告としての商業表現の世界には美しいものや若者や魅力的なモチーフがあふれるわけで、それを禁止したければ法をもってすべきなわけよ。
極端な話、実在にしろ非実在にしろ、若い女性をモチーフに選んだ時点で、そういう商業判断があるわけで、「若い女性を起用した広告展開をしろ、ただし性的要素を出すな」ってのはもうブルカかぶっとけ論者でそれはそれで差別的だし、逆に「若い女性を含む性的要素も、魅力的なモチーフも一切用いるな」ってのは、訴求力を投げ捨てた無能な意思決定者だし、じゃあフェミの言うような「性的要素やモチーフを除外した魅力的な表現で広告せよ!」ってのがいいのかっていえば、そのハンデ分の開発予算本当に用意してんの?って点で非現実的だ。
真面目に考えると無論、
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
が最大の発明なのは一切疑問の余地はないのだが、それはそれとして、元増田が挙げている物がどの程度「発明」だったかネチネチかつダラダラかつ主観的に検討してみる
無論、発明ではない。遅くとも、表記スペースが極めて限られているボードSLG時代には極めて標準的な考え方だった。
おそらく本当のイノベーションとは、
「イタリックで説明文を追加すれば無闇矢鱈に新しいキーワード能力を追加してもよい」
という決断が下された瞬間である((MAROがどっかで書いてた気がする))。
無論、発明ではない。ただし、
がデッキ構築という概念と密接に絡んだイノベーションな可能性は否定できぬ。
無論、発明ではない。カードゲーム(日本語で言うところのトランプ)を遊べば、そんな物が設定されている物はすぐに見つかるだろう。
ただし、(Raise Deadでなく)Animate Deadは明らかに異常な発想である。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
それより『Bobby Lee』(所謂「積み木の南北戦争」。第一作は1972年出版の『Quebec 1759』)みたいなのをTom Dalgliesh(Colombia Games創業者)がどうやって思いついたのか知りたい。
あれって「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決すること」そのもので、明らかに頭おかしい。
無論、発明ではない。ただし、山札から他のゾーンにカードを移動させる手段が多彩なので、発明に見える可能性は否定しない。
「勝利条件が設定されている」と「勝利条件を狙って行動できる」の間の断絶は本来は極めて大きい。
そういえば、バクスターか何かだと思うのだが、サイドボードがない時代の大会で、デッキ二つ用意して、対戦相手によって使い分ける話が載ってなかったっけ?
Duelistに1回載ってた謎のポイント制デッキのルール、サイドボード10枚毎にポイントが設定されてた(上限30枚)の、面白かったよね。
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
普通のカードの代わりに平然と基本地形が混ざってるリバイスド以前のパックでドラフトしてた人達って頭湧いてたと思わない?
と書き換えると何か直接の先祖があった気がするが思い出せなくてモヤモヤするよね?
タイプ1とタイプ2を分離するのは確かに画期的だったが、本当の決断は
「Ice Ageを出すときにカード背面のデザインを変えなかった」
ことではないだろうか。
もともと、Ante関係のカードの存在故に、まともなトーナメントルールを作るならば「禁止カード」の設定が必然だった、という偶然から発生した話ではある。
それがなかった場合に「特定のカードはデッキに入れてよい枚数をコントロールする」という発想が出たかは謎ではある((いやそれなら最初に「同一カード4枚制限」を思いついたのが一番の発明だろう))。
名誉白人な方々と同じく人種の多様性に無頓着だからご存知ないのだろうけど
彼らは2001年以前からなんなら増田が生まれる前から日本にいるぞ
トルコ風呂の話とか有名だろ?(1984年にトルコ人留学生の抗議運動がきっかけになって「ソープランド」)
エスニック料理店、ケパブ、コンビニ、ホテル、IT、建設、いろんなところに彼らはいる
そして国籍上は既に日本人だったりする方や父母がそちらの方と言う人もいるだろう
辞めましょうねそう言う遊び
んなわけないでしょ
中東や中央アジアの女性を抑圧する習慣についてもフェミニズムは批判してるよ
小宮友根先生のフェミニズム表象論は、そのしくみから抑圧を批判できません。小宮友根先生独自の基準でだめな表象を含むものを禁止するだけで、抑圧の批判とは正反対に抑圧を肯定するものです。そして、女性を抑圧する習慣を批判する別の理屈(があるとすれば)は小宮友根先生のフェミニズム表象論に矛盾します。
例えば顔を隠すブルカが女性を抑圧する習慣だと批判する別の理屈があったとします。一方、小宮友根先生のフェミニズム表象論では、「理由のない露出」を禁じています。イスラム文化圏で顔を出すことは「理由のない露出」なので、ブルカは着用(女性の抑圧を肯定)しなければなりません。同様に、前に示した抑圧されたキャラクターも、小宮友根先生のフェミニズム表象論では、望ましい表現です。
小宮友根先生のフェミニズム表象論は女性への抑圧を肯定するのに、どうして(自称)フェミニストの皆さんは賛成しているのでしょうか?自分たちの嫌いな表現が弾圧できるのなら、理屈が間違っていてもOKってことですか?
ちんぽにブルカを被せろ
男女は過ちをおかす
したがって、
・男女は同室してはならない
このように、事前に自由を制限することによって、安全性を高めるのがイスラム教の考え方。
このようにフェミと非常に親和性が高い。なぜならば現世代のフェミは無自覚な保守だから。
女性間で美貌や化粧の競争に陥り、ブスタイプは蹂躙されることは必然なのだが、
そういう摂理も何故か「男の視線」が悪いことにしたがるのが現世代のフェミ
要するに、新自由主義者で自分だけ抜け駆けて奔放になりたがったのが、前世代のフェミで、
その結果発生した過当競争にあえいでジョーカー側にまわった人間が、今の世代のイスラム式フェミである。