はてなキーワード: ブルカとは
声が高くて体が小さくて力がなくて身にならないものにばかり関心を持って自立してるように見せかけて人生のどこかのタイミングで誰かの庇護下に入ることを密かに期待しているという一般的なイメージを持たれるハズレ個体を2分の1の確率で引いてしまった
人によってそれぞれ違うのは重々承知の介ですがステレオタイプとか記号的な女はこれなので、その都度自分は違いますってアピールしないと軟弱なバカ女と同じだと思われちまう
外見で性別を判断できなくさせたいので男女両方がブルカ(ヒジャブの全身バージョン)を身に着けるようになった世界に生まれ変わりたいがそれは不可能なので自分がバカ女であることをとっとと認めてアホみたいに生きるか早く死のう
何カレーを作るかで適切なルー変わるからそこを無視してルー単体で話ししても意味ない。
シーフードカレー作るならゴールデンカレーが合ってたり、普通の家庭のカレー(ジャガイモ人参玉ねぎ肉)だったらお好みで分かれたりする(バーモントカレーとかこくまろとか)
ジャワカレーはオーソドックスなカレーというよりはナスやレンコンとか尖った材料でスパイシーなベジタブルなカレーにしたいとかが向いてたりする。
オーソドックスなカレー、シーフードカレー、ココナッツカレー、キーマカレー、ベジタブルカレー、ほうれん草カレー、トマト多めカレーとで自分がいいと思うカレーのルーはマジで変わる。
性的かどうかっていうよりも魅力的かどうかって視点で、絵師とクライアントは入れたほうが支持率があがるとおもって入れたわけでしょ。
結局のところ商業絵であり広告なんだから、(法と公序良俗の範囲内で)目を引いて支持されるほうが優れてるという視点が必要なのよ。それを性的であるって言う切り口で叩くから、荒れる。
たしかに性的かもしれないけれど、その性的ってのは魅力的の一環であって、そのほうが訴求力が明らかにある(コーラや映画館の実験でも明らかにそうなわけで)でしょう。その訴求力っていう現実を語らずスルーして、性的かどうか論に固執するんでこじれてるわけだ。
露悪的に言ってしまえば、魅力的の一貫としての性的な広告で支持をする消費者は数がいるけれど(なぜこういう言い方をするかといえば性的であれば魅力的だとはいえないため。一般人が忌避する性的表現はたくさんある)、性的な表現じゃないってだけの表現は訴求力に全く結びつかない。
だから広告としての商業表現の世界には美しいものや若者や魅力的なモチーフがあふれるわけで、それを禁止したければ法をもってすべきなわけよ。
極端な話、実在にしろ非実在にしろ、若い女性をモチーフに選んだ時点で、そういう商業判断があるわけで、「若い女性を起用した広告展開をしろ、ただし性的要素を出すな」ってのはもうブルカかぶっとけ論者でそれはそれで差別的だし、逆に「若い女性を含む性的要素も、魅力的なモチーフも一切用いるな」ってのは、訴求力を投げ捨てた無能な意思決定者だし、じゃあフェミの言うような「性的要素やモチーフを除外した魅力的な表現で広告せよ!」ってのがいいのかっていえば、そのハンデ分の開発予算本当に用意してんの?って点で非現実的だ。
真面目に考えると無論、
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
が最大の発明なのは一切疑問の余地はないのだが、それはそれとして、元増田が挙げている物がどの程度「発明」だったかネチネチかつダラダラかつ主観的に検討してみる
無論、発明ではない。遅くとも、表記スペースが極めて限られているボードSLG時代には極めて標準的な考え方だった。
おそらく本当のイノベーションとは、
「イタリックで説明文を追加すれば無闇矢鱈に新しいキーワード能力を追加してもよい」
という決断が下された瞬間である((MAROがどっかで書いてた気がする))。
無論、発明ではない。ただし、
がデッキ構築という概念と密接に絡んだイノベーションな可能性は否定できぬ。
無論、発明ではない。カードゲーム(日本語で言うところのトランプ)を遊べば、そんな物が設定されている物はすぐに見つかるだろう。
ただし、(Raise Deadでなく)Animate Deadは明らかに異常な発想である。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
それより『Bobby Lee』(所謂「積み木の南北戦争」。第一作は1972年出版の『Quebec 1759』)みたいなのをTom Dalgliesh(Colombia Games創業者)がどうやって思いついたのか知りたい。
あれって「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決すること」そのもので、明らかに頭おかしい。
無論、発明ではない。ただし、山札から他のゾーンにカードを移動させる手段が多彩なので、発明に見える可能性は否定しない。
「勝利条件が設定されている」と「勝利条件を狙って行動できる」の間の断絶は本来は極めて大きい。
そういえば、バクスターか何かだと思うのだが、サイドボードがない時代の大会で、デッキ二つ用意して、対戦相手によって使い分ける話が載ってなかったっけ?
Duelistに1回載ってた謎のポイント制デッキのルール、サイドボード10枚毎にポイントが設定されてた(上限30枚)の、面白かったよね。
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
普通のカードの代わりに平然と基本地形が混ざってるリバイスド以前のパックでドラフトしてた人達って頭湧いてたと思わない?
と書き換えると何か直接の先祖があった気がするが思い出せなくてモヤモヤするよね?
タイプ1とタイプ2を分離するのは確かに画期的だったが、本当の決断は
「Ice Ageを出すときにカード背面のデザインを変えなかった」
ことではないだろうか。
もともと、Ante関係のカードの存在故に、まともなトーナメントルールを作るならば「禁止カード」の設定が必然だった、という偶然から発生した話ではある。
それがなかった場合に「特定のカードはデッキに入れてよい枚数をコントロールする」という発想が出たかは謎ではある((いやそれなら最初に「同一カード4枚制限」を思いついたのが一番の発明だろう))。