最初の内はチェンジ!チェンジ!ウィーキャン!ウィーキャン!とロボットアニソンの合いの手の如くやかましかったがいつの間にかそれらは無難な決め台詞程度に収まりやることも本当に無難で良識的だった。
もしもオバマがトランプのように振る舞えば絶対に許されなかっただろう。
黒人であっても白人の役に立つ便利な働き蜂として振る舞うのなら仮初の王冠を頂くことを許してやろう、それがアメリカ国民がオバマに投票した時の本心だ。
それらは最後までなんとかかんとか世間体や便利な嘘といった薄膜によって包まれていた。
だからこそオバマは黒人である自分が白人の靴を舐めながら生きている事をアピールし続けた。
そうして白人たちはオバマに「ご褒美」としてノーベル平和賞をやろうとまで考えた。
それはオバマを優秀な大統領と認めて送られた物ではなく、黒人が白人のために頑張っていることへの「ご褒美」に過ぎない。
テストで100点を取った子供にゲームを買ってやるような感覚でそれは送られたのだ。
ご褒美を貰った子供はその後「ご褒美を上げたんだからそれに応えろよ」という圧力を大人から受ける。
最後の演説のいい子ちゃんぶりを見れば彼の牙が完全に抜かれた事が分かる。
せいぜいが摂関政治に便利に使われるお神輿としての立ち位置が精一杯。
本当に上に立つことは許されず、それゆえに世界を本当に変える事は許されない。
彼が何度も繰り返したチェンジ!は最初の頃とはもう意味が違う。
いやきっとそうだったのだろう。