はてなキーワード: 上野千鶴子とは
顔の美醜だって実際は多様でしょう、2つの軸に見えるけど、全然単純じゃない。
単純な顔立ちでいっても、爬虫類系とか小動物系とかたくさんあるし、
本人の就いている職業だったり、時代だったり、人生の在り方でも見え方は変わるわけで、
要するに、そういった要素が美醜に集約されるというのが一元的な評価の問題点だと思うんですよね。
かわいいと社会性の差は結局、お茶の間で言語化されているのかいないのかという話でしかないんじゃないでしょうか?
「仕事ができそう」とか、近い言葉はあるんですが、もっと強烈な単語ができれば解像度も上がってくると思うんです。
あと、取り扱われ方で近いのは(さっき僕がつついてしまったけど)「収入」というのがあります。
ちなみに僕は上野千鶴子嬢の、「カワイイの反対はイケメンじゃない」というのは賛成ですが「多元的な価値があるからイケメンといってもいい」は反対です。
女性が美醜の一元尺度でしか評価されず、男性のように多元尺度で評価してもらえないところに原因がある
と考えているのはおおむね正しい。
そういう差別社会では、女性への美人だ・ブスだ という評価と、男性へのイケメンだ、キモいだという評価が
対等に論じられるものではないのは明らかなんだよ。
上野千鶴子の「可愛い」は駄目で「イケメン」はOK、何故なら男は多元評価、女は一元評価される対象だからって話
こんなの酒の席で話すような内容で日本のフェミニズムの泰斗が言っていい内容じゃないし、ぶっ叩かれるのもよく分かるんだけど、実際これ男なら誰でも思ったことあるよな?
なんで女って好みじゃない容姿の男とセックスできんの?って疑問、男ならみんな1度は抱いたことあると思うよ
社会的に成功した≒金持ちになった男、社会的に有名になった男には女が寄り付く、そういう謎の法則があるじゃん
例えばお笑い芸人の某兄弟とか某サコさんとか、実業家の某エモンとか、女なんて飽きるほど抱いたわ~みたいな武勇伝のある男を見るたびに俺は「女ってスゲー」と思ってた
逆に男はまず無理じゃん
増田の言葉からは「言われたことをちゃんとやったのに見返りがない」という受動的、奴隷的な思考を感じる。
扶養される立場の子どもや小中高の学生だったらそれが一番権力者にウケがいいけど、実社会に出たらそんな奴チャンチャラおかしいとされるじゃん、実際。
やりたい事やって周囲に迷惑をかける人間の方がまだ受け入れられる。
「言われた事やったのに社会はなんで助けてくれないんだ!」と自己憐憫に浸る引きこもりより
実家に帰る度に愚痴られるフーテンの寅さんの方がまだ社会に受け入れられる。それが現実。
上野千鶴子の言ってることは「30代の頃の水木しげる」や「成田悠輔の父親」を潰すようなもんで、それに対しては「うるせーバカ」っつってしぶとく生きればいい。
あの女の机上の話をまともに受け入れる必要はない。
上野千鶴子が言いたいのは、
女を罵るときは「ブス!」の一言で済む。これまでの社会では一元尺度で計られがちだったから。
男を罵るときは「ブ男!」ではダメで、「KKO」とまで言わないと同程度のダメージを与えられない。
※ KKO=キモくて金のないおっさん=外観、経済力、年齢 すべてがマイナス
こういう背景を理解していれば、
『「美人」はダメですよ』 と『「イケメン」はダメですよ』 が対等な関係ではないことが分かる。
女が結局容姿で評価されるというのはたぶん100年後も変わっていない。人のプリミティブな感覚に基づいたものだから、ここを変えるのはほぼ不可能なレベルといっていい
上野はそういった諦観を勘定に入れているからこそ、女はイケメンと言っても良いという立場なのだろう。だからある意味ではルッキズム肯定派だし、教育や文化の成熟に夢を見ていないリアリストとも言える
一方で男にもイケメンと言ってはいけないんですというのは、そのように啓蒙することで女へのルッキズムが緩和されるという希望を持った人たちだろう。啓蒙によって女が仕事や才能でも評価される度合いがもっと拡大するはずだと信じている
上野発言は男の人権の問題として話題になったが、むしろ「上野って未来に絶望してるんだな」ということがわかった事案でしかなかった
勉強ができるという絶対的な評価があるからこそ顔が朝青龍でも自尊心を失わずに生きてこれたところがある。
上野先生厳しいわ。女は結局容姿で評価されるってね、そこは上野先生認めないでくれよ。男にもイケメンと言っては駄目です。男女同じですって言ってほしかった
上野千鶴子は、女性を一元尺度で評価しろ なんて一言も言ってないのに、
上野千鶴子は女性を一元尺度で評価する差別主義者だとブクマカが言い出してて呆れる。
上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言ってはいけない理由」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/4c14deb8308b2307deb2e2accc1cce01510563e0
前半で説明しているのは、男女で評価軸が異なるということであって、
美人はNGでイケメンはOK と言いたいわけじゃないんですよ。
しいてあげるなら、経済力ありそう と言われるのが近いよ という話しなのだ。
後半のチャームは、男女に共通する褒め言葉を使いましょうという文脈なので、
上野千鶴子さん的には、「チャーム」(=魅力的、すてき)は、男女共通に使える褒め言葉と認識しているのだろうと理解できる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ueno_wan/status/1474175084256718848
上野千鶴子 on Twitter: "オミクロン株、尾身苦労株と読めてしまう。この人の2年間、4人の独断・無能な宰相に仕えて、どんなにストレスフルだっただろう。どうする年末年始、尾身氏は3つの「お願い」 強い行動制限は求めず:朝日新聞デジタル… https://t.co/4pJnxJU74b"
驚いてる人が多いみたいだけど。
記者なのにこんなこともわからんのか、、、やっぱりジャップランドって中世だは、、、
上野氏は「美人」発言の問題点について「すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然のことですよね」と指摘したうえで、次のように説明する。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは、“褒める”という行為でも同じこと。
たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利、アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」
それならば、女性が男性に「イケメン」などと言うことも問題視されるべきではないのだろうか。
「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c14deb8308b2307deb2e2accc1cce01510563e0
上野千鶴子の東大の祝辞では逆に増田のような親ガチャ大爆死勢を弱者として、東大に入学した若者たちに「オメーら自分が親ガチャの高い下駄履いとんの自覚せえや」とやってたわけだし。
実家も自分も貧乏で親は少し毒で潰れかけのド零細で細々働いてて後がないキモくて金のないおばさんの自分であるが、それでも出生地ガチャでSSR(東京)を引いたおかげで履かせてもらった下駄のおかげである程度マシに生かされている自覚がある。
能力ガチャ、体格ガチャ、容姿ガチャ、健康ガチャ、誰しも色々なガチャを引いて結果的に履いている下駄があるもんだ。女って1点だけで一切下駄を履かせてもらえてないわけじゃないし、逆に増田の足元にも自分で気づいていない下駄があるのかもしれない。
「男」って下駄いっこ履いてるからってそれを罪と思えとかそういう事を言うやつのことなんか気にしなくていいじゃん。
ただ下駄履いてるのを忘れて、下駄履いてない人にテメーの自己責任だろって言うのは下駄履きとして恥ずべき行いだって自覚が必要だってだけだよ。そしてそれは増田だけじゃなくてみんなに言えることだ。もちろん女にもね。