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2012-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20120902021013

たとえば、質感じゃない。iPhoneガラスだが、ソニエリは基本プラでしょ? 質感が悪い。

もともとAndroid低価格向けでコストダウンが主流だから 本体の質感が悪い。

 

あとはソニエリAndroidのワンオブゼムだから周辺機器が少ない。iPhoneiPhoneに対して様々な周辺機器メーカーがパーツを出してる。

 

かいところを言っていけば、ソフトの作りこみも違うな。iPhoneは数多くのソフトウェア特許を持っていてバウンシング特許なんかもそうだけど 他社はそういうルック&フィールを使えない。

で、特許回避をしているが、どうしても、超えられていない。

たぶん、作ってる方もなぜこれでダメなのか?わかってないレベルなんじゃない?研究が足りてない。

 

最期に、やっぱり サードの話になるけど、iPhoneiPhoneに向けてチューニングできるけどAndroidメーカーごとにチップセットも違うし液晶サイズもまちまち

どうしても、チューニングレベルが低い。

 

ようするにAndroidはマチマチでトータルコーディネートができていない。チグハグ バラバラ 高級品のポン付けフランケンシュタイン

 

正直iPhoneじゃなくAndroidにする理由は 価格 が1番だけど・・・日本ではAndroidは高いかAndroidにする意味が無い。

正直 iPhoneがほぼ同じ値段で買えるのに、iPhone以外を買う理由が ほぼ存在しない状況。どっちでもいいなら、iPhoneでいいだろ。

2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2010-09-27

そっくりさん支持率急上昇!?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100927-00000000-ykf-ent

オバマそっくりキャラ芸人とかもいるけど、こういう人たちって一体どういうつもりでやってるんだろう。

政治家そっくりさんなんて寿命数年も無いのが明らかで、必ず負ける賭けと言っても過言じゃないと思うんだが…。

フランケンシュタインの真似してる奴とか、小学生みたいな振る舞いしてる奴とかもそう。

さかなクンみたいにキャラ以外の陳腐化しづらい付加価値があるならいいけど、単なるキャラものじゃどう考えても負け戦。

1年でも売れれば普通会社で順当にキャリア積むよりも旨味があるってことなんだろうか。

2009-10-09

DVD

アクエリアンエイジ 劇場版

ハンサムスーツ

君の手がささやいている

君の手がささやいている 第2章

君の手がささやいている 第3章

ナルニア国物語第2章/カスピアン王子の角笛

ロックンロールダイエット

ゲゲゲの鬼太郎/千年呪い

レッドクリフPart1

ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝

ハンコック

未来世紀シェイクスピア 01/ヴェニスの商人

未来世紀シェイクスピア 02/ロミオとジュリエット

カンフーダンク

松尾貴史イエローサブリミナル

いのちの食べかた

ラスベガスをぶっつぶせ

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

ジュノ

ダークナイト

暗黒街の顔役

デリカテッセン

気狂いピエロ デジタルリマスター

エレファント・マン

トレマーズ

松本俊夫実験映像集 1/詩としての映像

松本俊夫実験映像集 2/視想の錬金術

松本俊夫実験映像集 3/反復と変容

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

インサイド・マン

マイアミ・バイス

キング・コング 〔2005年〕

ランド・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット

ビデオドローム

コンボイ

スパイダーマン3

しゃべれどもしゃべれども

かもめ食堂

ナイトミュージアム

プラトーン 特別編

ダイ・ハード4.0

悪い奴ほどよく眠る

ギャング・オブ・アメリカ

ツイン・ピークスローラパーマー最期の7日間

西部魂

となり町戦争

隠し砦の三悪人

悪魔のいけにえ スペシャル・エディションDisc1〔本編〕

ルワンダの涙

カポーティ

ハゲタカ 1

叫(さけび)

ナイト・オン・ザ・プラネット

復活の日

PUNK:ATTITUDE(パンク アティテュード)

ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌

ショーシャンクの空に

007カジノ・ロワイヤル

間宮兄弟

ボブ・ロバーツ

スパイナル・タップ

アメリカングラフィティ

プラダを着た悪魔

父親たちの星条旗

硫黄島からの手紙

プライドと偏見

オーメン (製作30周年記念特別編)

ボーン・コレクター

名探偵登場

招かれざる客

ブレックファスト・クラブ

ザ・インターネット

楢山節考

イッツ・ブラックエンターテインメント

ブラザーズ・グリム

ヒノキオ

力道山

オリバー・ツイスト

ジミ・ヘンドリックス 〔スペシャル・エディション〕

シリアナ

SHINOBI

腰抜け二挺拳銃

オズの魔法使 〔コレクターズ・エディション〕

ワイルド・アット・ハート

レポマン

ランブルフィッシュ

荒野のストレンジャー

恐怖のメロディ

疑惑の影

狼男アメリカン

エドtv DELUXE EDITION

裏窓

ウィズ

宇宙戦争〔2005年〕

遊星からの物体X

ミステリー・メン

ボクサー

ブルース・ブラザース

ブルース・ブラザース2000

フランケンシュタイン

フランケンシュタイン花嫁

光る眼

さまよう魂たち

アメリカングラフィティ

ミッシング

008皇帝ミッション

山賊のむすめローニャ

実相寺昭雄不思議館 不ノ巻

エターナル・サンシャイン

華麗なるギャツビー

星の王子さま

フットルース

アンタッチャブル

ヘルハウス

皇帝ペンギン

オペラ座の怪人〔2004年〕

ミリオンダラー・ベイビー

悪魔を憐れむ歌

菊次郎の夏

HANA―BI

キッズ・リターン

双生児GEMINI 特別版

明日に向って撃て! 特別編

コクーン

天才マックスの世界

エネミー・オブ・アメリカ

エド・ウッド

ブルー

ザ・ガーデン

ホワットライズビニース

シザーハンズ 特別編

ロッキー・ホラー・ショー 特別編

書を捨てよ町へ出よう

青春デンデケデケデケ デラックス

ワイルド・ワイルド・ウエスト 特別版

ポルターガイスト

2300年未来への旅

裸のランチ 特別版

痩せゆく男

夢のチョコレート工場

プリンス パープル・レイン

リトルショップオブホラーズ 〔特別版〕

暴力脱獄

ガープの世界

ワイルドバンチ 特別版

ナチュラル・ボーン・キラーズ

虚栄のかがり火

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

カサブランカ 特別版

理由なき反抗 特別版

俺たちに明日はない

ライトスタッフ

モモ

A2

ルイスと未来泥棒

上海美術電影作品集 vol.1

上海美術電影作品集 vol.2

レミーのおいしいレストラン

ユーリ・ノルシュテイン作品集

イジィ・トルンカ作品集 vol.1

狂気のクロニクル

星の王子さま/プチ★プランス 1

蟲師 其ノ1

リトルロボット/インベーダーがやってきた

トムとジェリーの大冒険 劇場版

メトロポリス

ブレイブストーリー

ナルニア国物語ライオンと魔女 〔アニメ

ジブリがいっぱいSPECIALショートショート

宮崎駿ジブリ美術館

じゃりン子チエ 劇場版

スペース・レンジャー バズ・ライトイヤー帝王ザーグを倒せ!

キム・ポッシブルMOVIE/ドラマチック・ナイト

ダックテイル ザ・ムービー/失われた魔法のランプ

あらいぐまラスカル vol.1

スクービー・ドゥーゾンビ

ロード・オブ・ザ・リング指輪物語 〔アニメ版

ウォーリー

病気/笑いの不条理劇

レミング・壁抜け男/演劇実験天井桟敷

パンくんジェームズ

サンドウィッチマンライブ2008/新宿与太郎行進曲

ゲゲゲのげ/逢魔が時に揺れるブランコ

2009-09-19

オバマ支持率マスコミの嘘放送を別にして、実際には28%前後

スワット渓谷からタリバン残党を一掃した?

タリバンはいつでも何処でもパキスタンの闇から顔を出す

****************************************

パキスタン治安部隊は16日、スワット渓谷のタリバン指導者シェル・ムハマンド・クァサアルを拘束したと発表した。戦闘中に負傷した彼を拘束したもので、息子3人は戦闘で死亡した。クァサアルには懸賞金が12万ドルかかっていたほどの最高幹部の一人。

すでにタリバン広報担当幹部のムスリムカーンマームードカーン逮捕しており、最高幹部3人を拘束したことになる。スワット渓谷はパキスタン北方に位置し、タリバンが隠れ家として思う存分に利用してきた。パキスタン米国の圧力に根負けしたかのようにスワット渓谷の制圧を決め、五月からの戦闘で18000名のタリバン兵士を殺害、付近への難民は180万人という。

兵力を北方に集中した結果、こんどはパキスタンの南方の治安が乱れるカラチでは銀行強盗財閥誘拐が頻発、タリバンの仕業か、タリバンを語るギャングどもの仕業か、詳細は不明である。ただしカラチはもともと治安が最悪にちかく、ここから西のグァイダール港へ向かうハイウェイ路上強盗や誘拐犯が狙っている。中国人エンジニア誘拐され、参人が殺害されたことがある。

さて米国では保守派ばかりか、民主党内部からもアフガニスタン戦争オバマ路線に反対の声があがっている。皮肉なことに与党ではなく、野党共和党の大半がアフガニスタンへの増派に賛成している。オバマアフガニスタン戦争は、野党が支持し、与党がまもなく反対へまわり、政党政治の観点から言えばおかしな構造になる。

「勝利すること以外、米国安全保障にとって破局をもたらす」とネオ・コンが叫んでいるが、共和党ジョン・マケインリンゼイ・グラハム、無所属のジョセフ・リーバーマンも連名で『ウォールストリートジャーナル』(9月14日付け)に寄稿し「勝利はあり得ない」と主張した。付帯条件は「決定的な圧勝をおさめる以外に米国の安全を確立する道はないのであり、そのために早急に増派せよ」だ。

下院民主党は逃げ腰になってきた

レビン民主党)も増派賛成派だが、訓練要員を大幅に増やしてアフガニスタン自前の軍と警察を増強せよ」という主旨である。一般世論は57%が増派に反対(CNN)、ワシントンポストとABCの世論調査(15日)は五分の一前後しか、増派に賛成していないことが分かった。

テロリスト撲滅戦争の大儀を賛成しているのは50%を切っており、下院議会の内密の事前調査では議員の13%しか賛成していないという驚くべき数字もでた。ペロシ下院議長はこの数字の公表を躊躇っているという。

流れが変わっている。オバマ政権支持基盤下院民主党リベラルマスコミも増派に反対し、「四十年前のリンドン・B・ジョンソン大統領の失敗を繰り返すのか」と詰め寄る。

オバマ支持率マスコミの嘘放送を別にして、実際には28%前後アフガンだけではない。「オバマケア」と俗称される健保プランに対してワシントンでは反対集会に数十万者人が集まった。アメリカ人の大半の関心はこちらの方だ。NOBMAプラカードも林立した。

そして辛辣漫画が言う。

OBMAヘルスケアヒトラースターリンカストロレーニンダースベイダーフランケンシュタイン等々」。

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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月18日(金曜日

        通巻第2718号 

2009-06-29

なぜ増田小説概論 (須江岳史)

ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロ小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についての本はいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。

というかこの論は物語小説ニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090703/p1

という指摘も当然のことで、普段、一人称小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での問題について取り組む実力は無い。「小説自己表現なんだから、各々が語りたいように語ればよいと思う」のような言葉で、逃げることしか出来ない。

僕の小説の実力がどの程度かは、http://texpo.jp/texpo/disp/16732を読めばわかると思います)

Ⅰ、小説概論

まず話の筋の作り方を考え、次にそれをどのように小説として表現するかを見、最後に小説を書く上での国語的諸注意事項を述べる。

§1、小説とは?

 そもそも小説がどのような構成要素から成り立っているかを考える。


§2、物語られるもの

2.1.1話の筋

 まず、小説だけではなく物語一般の話の筋がどのように出来ているかを考える。

多くの物語は、欠損-充足の形を持つ。多くの物語は主人公に何かが足りない状態から始まり、それが満ち足りた状態で終わる場合が多いということである。

また、満ち足りた状態にたどり着くためには満ち足りた状態になるための行動が必要になる。そして行動をとるためにはその機会が与えられないとならない。

ここまでをまとめると、物語の筋は

欠損 – 機会 - 行動 - 充足

となる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来た(充足)。


ただ、物語の面白みのためには、充足が起こらないほうが良いかもしれない。行動の結果が、充足の起こらない失敗に終わり、それが新たな欠損となり次の話の筋を紡ぎだすこともありうる。

よって、物語を構成する基本的な四つの要素は

欠損 - 機会 - 行動 - 結果(充足または失敗)

であるとする。この一連の流れが組み合わさることによって、物語は出来上がる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来たが、十二時の鐘がなったので帰宅しなければならない(失敗に終わった結果、新たな欠損)。

王子少女の落し物の靴を持って少女を探す(機会)。

少女は名乗り出て靴をはく(行動)。

王子少女舞踏会で出会った少女であると認識して、二人は結ばれる(充足)。


後味の良し悪しの面から見て、最終的には充足で終わった方が良いように思われる。

また、欠損があって、それを解決する機会を与えられれば物語が始まることがわかる。

また、欠損を細分化したうえで見つかる欠損というのも考えられる。

たとえば、

鬼を退治するためにはお供を仲間にしなければならない。

お供を仲間にするためには黍団子を持っていなければならない。

黍団子を持つためにはおばあさんから黍団子をもらわなければならない。

おばあさんから黍団子をもらうためには黍団子の材料を買ってこなければならない。

というように。

 このようにすれば物語はいくらでも引き伸ばすことが出来る。書くべき物語の分量によって、どの程度まで細分化できる欠損なのかを慎重に選ばなければならない。

 一つの物語で充足される欠損は一つとは限らないし、主人公たちの欠損が充足されるとも限らない。『ロミオとジュリエット』では、主人公たちの恋愛成就しないが、キャピュレット家とモンタギュー家の関係が、対立から和解へと移り変わる。

2.1.2伏線

 物語は、話の筋それ自体で面白いことが最善であるけれども、それが出来ない場合には伏線によって面白さを増幅させるしかない。

 ここでは、仮に伏線には四種類あるとする。

ⅰ)質問―答え

ⅱ)ある現象/行為への意味の付加―行為/現象の再現

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

ⅳ)思い込み―認知

ⅴ)認知―逆転型の伏線


 それぞれ、順を追って説明する。

ⅰ)質問―答え

 物語冒頭に置かれた質問に、ラストシーンで答えることで感動を増す。

 具体例:どうしてキノはこの汚い世界を旅しているの?(冒頭の質問)

この世界が綺麗だからさ(ラストシーンの答え)

ⅱ)ある現象・行為への意味の付加―行為・現象の再現

 ある現象・行為にはある意味が隠されている、と登場人物が語り、その現象・行為が実際に現れる。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『「(とにかく面倒だから、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」』(70ページ)という免罪の方法を提案して、実際に物語の最後付近でそれを行っている。

 

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

物語の中で起こった行為・現象が物語の終盤で再現されることにより、面白みが増す。

アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『聞いてるわたしにも、どうやらこの姉弟がレッサーパンダを盗む気らしい、ということはわかった。』(216ページ)

動物園を振り返って、「さっきの子供たち、うまくやり遂げるかな?」と。』(222ページ)

というようなレッサーパンダを盗むという行為があった上で、

『「あれ、レッサーパンダだ」』

『「盗んだんだよ、あの子供たちは」』(339ページ)


ⅳ)思い込み―認知

 間違った方法を目的を得るための方法だと思い込み、それが間違いであったことに気づく。多くの場合、気づくまでに行ってきた行為が主人公に、行為の目的とは反対の結果を持って跳ね返ってくる。

物語の筋が悲劇的に終わっても、ⅰ、ⅱ、ⅲの伏線幸福を含意していると悲劇性を和らげることが出来る。

ⅴ) 認知―逆転型の伏線

 目的達成を阻むものが、あるものだと仮定して行動していたが、その仮定が正しくなかったことに気づくタイプ伏線。多くの場合、気づく前の行動が気づいた後に本来の意味とは反対の意味を持って主人公に跳ね返ってくる。

 認知は、約束―報いの伏線によって引き起こすのが最も容易である。

 主人公の目的を阻むものは四種類ある。カッコの中の左側は存在場所、右側は存在原因を意味する。

 (自己自己)例:主人公の性格の欠陥

自己,他者)例:主人公の抱えるトラウマ

(他者,自己)例:主人公に対して恨みを持っている敵

(他者,他者)例:絶対悪


 敵の仮定が4パターン真実の敵が4パターンあるので、認知型の伏線には全てで16パターンあることになる。

 これは、『あらすじ.com』の三匹のモンスター概念を内包している。

 (自己自己狼男

自己,他者)対応しない

(他者,自己フランケンシュタイン

(他者,他者)ドラキュラ


2.2登場人物
2.2.1行為項モデル

 物語には六種類の登場人物がある。

主体:物語の主人公。欠損を解決する。

送り手:主人公に、欠損を解決する動機を与える者。

援助者:主人公に、欠損を解決する能力を与える者。

受け手:欠損の解決の享受者。

敵対者:主人公の欠損解決行動を阻む者。

目的:主人公が得ようとする目的。主人公が得ていない欠損。


 それぞれ、同一人物が複数の行為項を演じても良いし、ひとつの行為項に複数人が入っても良い。たとえば、送り手と援助者が同一人物であることは大いにありうる。また、それぞれが必ずしも人間である必要もない。

 欠損ごとに行為項モデルは立てられるので、ある場面では敵対者であった存在がある場面では援助者になることもありうる。

 物語に出てくる全ての欠損について、行為項モデルの六つの登場人物を生めることが出来れば、それ以上の登場人物は物語に必要ではない。

 

2.3シチュエーション

 物語の冒頭やクライマックスを盛り上げるためにシチュエーションは使われる。

 面白いシチュエーションとは、即ちギャップである。

 それは場所と行動のギャップであるかもしれないし、それまである登場人物のそれまでの行動とはかけ離れた行動かもしれない。いずれにしろ、「~であるにもかかわらず」という言葉で表される。

 たとえば、「日ごろ温和な性格であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか「静粛でいなければならない図書館であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか、「たかが100円のアンパンを食べてしまっただけのことであるにもかかわらず、暴れ狂う」とか。

2.4実際に物語を組む

 物語を組む順番として、『欠損-伏線シチュエーション-細分化されていない欠損の話の筋-細分化されていない欠損の行為項モデル-細分化された欠損の話の筋-細分化された欠損の行為項モデル』といった順番で組んでいくのがスマートに行く。なぜならば、欠損がなければ物語は動き出さないし、伏線シチュエーションは話の筋や行為項モデルあとから考えるとそれらに縛られて上手くいかないからである。

①、主人公が向かう目的を定める。

②、主人公が見舞われる危機を定める。または、どのようなギャップがある状況に立たされるかを決める。

③、危機・ギャップが何故起こるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

④、危機がどのように回避されるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

⑤、伏線が置かれる場所を決める。(下位物語を作る)

⑥、必要ならば、下位物語にも①~⑤を施す。

⑦、物語(下位物語も含む)の適所に、ギャップによる面白みを与える。

⑧、整合性を与える。


 また、どのような魅力的な登場人物・伏線シチュエーションでも物語自然な流れを妨げるなら切り捨てるべきである。

§3、小説技法


3.1場面法

 場面では、人物、場所、時間が描かれる。人物、場所、時間のうちのいずれかが変わったとき、場面が転換されたという。また、場面は一人称であれ三人称であれ場面に登場する一人の人物の視点を通して描かれることが多い。

 場面の特徴として、行為・現象の一回性が挙げられる。場面は、一度しか起こらない行為・現象を場面に登場する人物の感覚を通じて読者に体験させる。

 場面の始まり方として、人物・場所・時間を指し示して始まる場合、登場人物の行動から始まる場合とがある(台詞から始まる場合は、登場人物の行動から始まる場合の特殊例とみなす)が、そのいずれにせよイメージすることが出来るか否かが読解の容易さを決めるので、場面の開始からまもなく人物・場所・時間を明らかにしなければならない。

3.1.1場所・時間

 小説を読む上では情景をイメージしやすいほうが読解が容易であるといわれているので、色彩や位置関係を表す語を使って場所や時間を説明するべきである。

 場所・時間の説明は描写法的だといえるが、その場所・時間におかれたものを登場人物の行動の目的語にすると、スムーズに場面を始められる。

 また、場所・時間は登場人物の心境や状況・未来を暗示する。

3.1.2人物

 何かが起こるたびに、その場面に登場している人物全員の反応を描くべきである。また、その感情は、どのような身体的動作を持って表情として表されたかを描くべきである。なぜならばイメージしやすいほうが読解が容易であるからである。

3.2要約法

 要約法は、登場人物が何度も行った行動や何度も起こった現象を記述する。場面法とは違い、複数の時間や場所をまたがる事が出来る。そのため、時間や場所の離れた場面と場面をつなぐのに要約法は用いられる。

 要約法は場面と場面とをつなぐためにしか存在しない。

3.3描写法

 場面法が動画だとすれば、描写法は静止画である。

 描写法は、場面が行われている空間にあるものを描写する。場面が行われているなか描写がはさまれると、場面の時間を止めることが出来る。

3.4台詞と地の文

 台詞音楽で言えばフォルテ、地の文は音楽で言えばピアノのような効果を持つ。多くの場合、台詞はカッコにくくられる為に強調されるが、台詞続きの中で地の文が出てくると大きな強調効果を持つことがある。たとえば強調すべき台詞をあえてカッコでくくらずに地の文で処理することで大きな強調効果を与えることができる。

 台詞台詞の間の間をつなぐために、地の文をおきたくなることがしばしばある。こういったときのために、場面の情景を刻々と変化させるとか場面の登場人物に場面開始と同時に何か動作をさせる方法がある。

§4、書記言語


 書き手の中で起こった感動が読み手の中でも起こるためには、文が書き手の意図するとおりに伝わらなければならない。誤読を少なくする方法をここでは述べる。誤読を避けるために、修飾語と被修飾語主語と述語は可能な限り近づける必要がある。

4.1主語の位置

4.1.1.ガーデンパス

 「私は走る車に飛び乗る」のような文は、読者が「私は走る」と理解した後で、走っているものは車だと改めて理解する。このような事をなくするために、「走る車に私は飛び乗る」のように主語と述語を近づける必要がある。

4.1.2複文

 主語と述語の対が二個以上あり、どちらかがどちらかの文の成分になっているような文を複文という。

 「私はリンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと思う」というような文は読解が難解である。これも、主語と述語を出来る限り近づけ、「リンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと私は思う」とすると読解が容易になる。また、複文を単文(主語と述語の対が一つである文)に分解し、「彼はリンゴを片手で握りつぶす。彼は握力がとても強いと私は思う」というようにすると、誤読は少なくなる。

4.2修飾の範囲

日本語は上から下に修飾が行われるため、様々な不都合な事が起こる。

4.2.1修飾語と並立

「美しい獣と女」は、美しいのが獣だけなのか、獣と女の両方が美しいのかが判然としてない。美しいのが獣だけである場合は、「女と美しい獣」のように順序を入れ替えるか、「賢い女と美しい獣」のように両方に修飾語を与えてしまう方法がある。

 

4.2.2句・節の修飾

地中海で育った少年からもらったトマト」は、トマト地中海で育ったのか少年地中海で育ったのかはっきりしない。トマト地中海で育ったのであれば、「地中海で育った、少年からもらったトマト」のように読点を打つか、「少年からもらった地中海で育ったトマト」のように順序を入れ替えればよい。ただし後者の場合、地中海少年からもらったように誤読される可能性が無くもない。

4.3誤読の少ない順序

ガーデンパス文や修飾の範囲の判然とない文を作らないために、長い修飾を伴う語を文の始めに持っていく方法がある。

「僕は地中海で育った、青白い肌をした細身の少年から貰ったトマトを食べた」よりは「青白い肌をした細身の少年から貰った、地中海で育ったトマトを僕は食べた」の方が誤読が少ないとされる。

4.4文体

4.4.1速さ

一文の中に含まれる用言形容詞形容動詞動詞)と難読語の量、読者の視線の移動距離に依存して、文章の体感時間は定まるとされている。

たとえば①、「彼が作った美しいサッカーボールを僕は強い力で蹴飛ばす」よりは②、「彼が作った美しいサッカーボール。それを僕は強い力で蹴飛ばす」の法が一文に含まれる用言が少ないために体感速度が短いとされる。③、「ええい、お前は畢竟、俺が死ぬのが怖いだけだ」の『畢竟』が難読語だと見なす人にとっては④、「ええい、お前は結局、俺が死ぬのが怖いだけだ」の方が体感速度は短いかもしれない。また、⑤、「やわらかいネコ」よりは⑥、「柔かい猫」の方が、視線の移動距離が少ないために体感時間が短いとされる。

4.5原稿の使い方

小説の場合、論説文とは違い改行は自由に行える。

 行を改めたときは一段下げる。

「しかしカギカッコで新たな行が始まるときはその限りではないというのが最近の主流である。また、主流では閉じカッコの前では句点は打たない」

 ――また、三点リーダー(…)とダッシュ(―)は二つで一つの扱いをする……。

続き http://anond.hatelabo.jp/20090629224306

2009-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20090626024956

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3

やなせたかしアンパンマンを生み出した背景には、戦中・戦後の深刻な食糧事情があった。

この当時彼は、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。

この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想が生まれた。

2007年7月27日放送のなるトモ!(読売テレビ制作)にやなせ本人がインタビューに答え「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と述べている。

また、主人公をあんパンにした理由を「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説している。

最近では、アンパンマンの顔をあんこではなくジャムにしようという考えもある。

最近子供たちは、あんこではなくジャムダントツに人気がある。アンパンマンジャムおじさんの気持ちしだいで中身が変わるから、子供たちには人気がない

空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。

かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。

これらの点について「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」(第1作『あんぱんまん』のあとがきより)と、自身が絵本あとがきで語っている。

やなせは朝日新聞平成20年8月31日版の『たいせつな本』というコーナーで『フランケンシュタイン』を推し、「科学的に生命創造するというテーマのこの19世紀初頭にかかれた傑作の影響を強くうけてぼくはアンパンマン創作した」と述べている。 

2009-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20090315175551

次元の差があるから、3次元は相手にしない

ロリコンと公言することで攻撃されることに快感を覚えるマゾなので公言したい

あと、フランケンシュタインみたいな思いもあるのかと。

「醜い俺を見てくれ!」

2009-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20090125095427

元記事を書いた人は「何を批判している」のか分かっていて、しかも「なんで批判している」のかも知っているようにみうけられる。それに対して、増田は何が批判されてるのかも知らないことが多くて、元記事がなんで批判しているかについては当てずっぽうだ。しかも、批判対象トンデモな理由付けは無視して批判だけ批判する場合が多い。

お前、疑似科学批判批判って言いたいだけちゃうんか?

   元ネタ知らない系

母乳育児万歳〓西原式→だれ?

歯垢検出用の色素は発がん物質→そうなの?

モンテッソーリ→知らん

・ 卵は洗ってないのがいい→これわかんない

マクロビオティック→しらん

・ 七田式とか家庭保育園とかフラッシュカード→だれ?

子どもは絶対裸足→靴下だとすべるからじゃない?

   批判対象の変な所はスルーで批判だけ批判系

妊娠したら薬は絶対ダメ→お医者さんも言ってるでしょ

医者は薬を飲む前に医者に相談しろ、っていうよね。「絶対ダメ」とは言わない。

名前の画数が悪い→科学ではなく文化です。おせちに数の子が入ってるのは"子沢山、子孫繁栄"を願ってるのと同じ感覚

・ 家や部屋の方角が悪い→同上

ただの文化だからたまたま悪くても気に病む必要はないよな?ただの文化なのに大騒ぎする親戚がいたら無視っていいよな?

無農薬・有機・無添加食品がいい→低農薬のほうがいいんでは?

食品についてる農薬は少ない方が良いかもね。でも無農薬・有機・無添加にこだわりまくる必要もないよな?

放射線照射した食品は命がないからダメ→そもそも市場にあまり出回ってない

疑似科学かどうかと関係ないし。

・ 哺乳瓶は危険母乳のほうが医学的にいいと聞いたが?母子両方に。

どれぐらい「いい」の?あと、「哺乳瓶は危険」ってのは間違いでいいの?

・ とにかく母親手作りが一番→そりゃそうよ!食は文化だもん手作り文化を継承するためには子供の頃から慣れ親しみべき。

赤ちゃんの場合は関係ないってことで良い?赤ちゃん手作り料理を食べるのと、その子が手作り文化を継承するかどうかは関係がないし。

ある程度育ったら料理を手伝わせるのが手作り文化を継承するには一番だろうな。「毎食お母さんの手作り」より「お母(父)さんが週2回手作りするのを子どもが手伝う」のほうが手作り文化を継承できる。

・ 昔の食事がいい→だから文化だって

文化の問題で健康には特に関係ない、でいいね?

・ パンは天然酵母→柔らかい気がする

天然酵母じゃなくても、別に良いよね。柔らかくないだけで。

牛乳は牛の飲むものだから人間には向かない→ヤギのほうがいいと聞いた。人間母乳に近いらしい。

人間には向かない」ってのは間違いでいいね?

・ 三歳までは母親が育てるべき→思い出プライスレス

母親の思い出の話だよね?子どもは1/10も覚えてないし、父親や祖父母や保育園の友達や保母さんとだってプライスレスな思い出は作れる。

・ 虫除けは危険子供は虫の子。虫にいっぱい触れさせなさい。

虫に触れさせるかどうかと、虫さされを予防するのは別の話だろ。

   ピンキリ

・ 胎教するといい→胎教も色々あるからなんとも・・・

良い例を挙げてくれると参考になるな。

加工食品添加物だらけだからダメ加工食品ピンキリ

つまり、「加工食品添加物だらけだからダメ」というのは、間違いで良いんでしょ?

遺伝子組換え技術フランケンシュタインのような化け物を作る技術→これもピンキリ遺伝子組み変えのせいで新たな毒性を持つ食品が生まれることもある。

つまり、「フランケンシュタインのような化け物を作る技術」というのは、間違いで良いんだな?

水道水は塩素が入っていて危険地域にの水道によって違うのでなんとも・・・

塩素が入っている『から』危険」っていうのは間違いでいいな?

合成洗剤や柔軟剤やシャンプーは身体にも環境にも悪い→全部の洗剤が悪いわけでもないし、良いとも限らない。要は商品しだい。

つまり、元主張はトンデモと。

妊娠すると太るからダイエットしなくちゃ→適度なダイエットならいいのでは

元記事はダイエットしちゃいけないとはいってないだろ。

子どもはみんな天才(白紙)、教育次第で何にでもなれる→だいたい正解

・ 親のたった一言で一生台無し→ありうる話

教育次第じゃない場合もあるし、たった一言ならカバーの方法もいくらでもあるだろ。批判対象が極端な主張ではないと決め付けてるでしょ?

   疑似科学であることに同意系

母乳にはダイオキシンが含まれるからしぼって捨てて赤ちゃんにはあげないほうがいい→うん、これは変だね

電子レンジ電磁波が出るから使ってはいけない→うん、これは擬似だね

・ ラップやプラスチック食器は使ってはいけない→だいたい同上。でもラップはお皿で代用したほうがいいでしょう。(モッタイナイ的な意味で)

ラップの方が楽なら、ラップでも良いよね。特にお母さんが忙しい場合は。

予防接種危険自然病気にかかるのがいい→うん、これは変だよね。

血液型育児→言う事なし

マンション暮らしのような土に触れない生活では子どもがおかしくなる→おかしくはならないけど、目の前に土の庭があるのはいい事だよ。庭は子供の絶好の遊び場だよ(実体験)

   疑似科学であるかどうかを論ぜず(批判側に)賛成系

・ 缶詰めはダメ→キャンベル缶マジオススメ

・ 家も家具天然素材がいい→スチール家具いいよね。

・ 紙おむつは悪い→え?布派まだいるの

砂糖小麦粉ごはんなど白いもの(純度が高いもの)はダメ三温糖でつくる玉子焼きうまいよ?健康云々よりさ

そもそも、元の主張がトンデモなのは良いか?

テレビばかり見てると自閉症になる→うん、これは間違い。いっぱいTV観ましょう!

   元ネタも批判も気にせず、自分の言いたいこと言ってる系

・ 小さい頃に英語耳を作らないと手遅れ→まずは日本語

・ 小さいうちに絶対音感つけさせないと手遅れ→でも音楽に慣れ親しむ事はいいと思う。

・ せっけんと重曹クエン酸重曹便利だよ

・ 歯にフッ素塗ったりフッ素入り練り歯磨きは危険→つシュミテクト

手作りしても「おかあさんはやすめハハキトク」はダメ野菜少ない。飽きる。

ゲームやるとゲーム脳になる→ゲーム以外に本、漫画映画アニメ音楽演劇など色々な物に触れるべき

   トンデモに片足突っ込んでる系

ホメオパシーとか漢方とかで医療拒否→全部拒否するのは変だね

ホメオパシーとか漢方とかで医療を「一部拒否」だって変だよ。

化学繊維は身体に悪い→俺が子供の頃に湿疹ができて医者に行ったら「化繊で体洗ってない?だったら辞めなさい」と言われて実際辞めたらすぐに湿疹が消えたそうだ。

自分の身に起こったことを過度に一般化。

以下は自分的にもとの批判の趣旨が分からん…

子ども教育お金次第→最近はね。。。

また疑似科学疑似科学と叫ぶばk(ry

http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20090124#p1

いやいやこれ全部が疑似科学じゃないでしょ

妊娠したら薬は絶対ダメ→お医者さんも言ってるでしょ

・ 胎教するといい→胎教も色々あるからなんとも・・・

妊娠すると太るからダイエットしなくちゃ→適度なダイエットならいいのでは

名前の画数が悪い→科学ではなく文化です。おせちに数の子が入ってるのは"子沢山、子孫繁栄"を願ってるのと同じ感覚

・ 家や部屋の方角が悪い→同上

母乳育児万歳??西原式→だれ?

母乳にはダイオキシンが含まれるからしぼって捨てて赤ちゃんにはあげないほうがいい→うん、これは変だね

無農薬・有機・無添加食品がいい→低農薬のほうがいいんでは?

加工食品添加物だらけだからダメ加工食品ピンキリ

放射線照射した食品は命がないからダメ→そもそも市場にあまり出回ってない

遺伝子組換え技術フランケンシュタインのような化け物を作る技術→これもピンキリ遺伝子組み変えのせいで新たな毒性を持つ食品が生まれることもある。

電子レンジ電磁波が出るから使ってはいけない→うん、これは擬似だね

・ ラップやプラスチック食器は使ってはいけない→だいたい同上。でもラップはお皿で代用したほうがいいでしょう。(モッタイナイ的な意味で)

・ 哺乳瓶は危険母乳のほうが医学的にいいと聞いたが?母子両方に。

・ 缶詰めはダメ→キャンベル缶マジオススメ

・ とにかく母親手作りが一番→そりゃそうよ!食は文化だもん手作り文化を継承するためには子供の頃から慣れ親しみべき。

手作りしても「おかあさんはやすめハハキトク」はダメ野菜少ない。飽きる。

・ 卵は洗ってないのがいい→これわかんない

・ パンは天然酵母→柔らかい気がする

水道水は塩素が入っていて危険地域にの水道によって違うのでなんとも・・・

・ 昔の食事がいい→だから文化だって

牛乳は牛の飲むものだから人間には向かない→ヤギのほうがいいと聞いた。人間母乳に近いらしい。

砂糖小麦粉ごはんなど白いもの(純度が高いもの)はダメ三温糖でつくる玉子焼きうまいよ?健康云々よりさ

・ 三歳までは母親が育てるべき→思い出プライスレス

予防接種危険自然病気にかかるのがいい→うん、これは変だよね。

ホメオパシーとか漢方とかで医療拒否→全部拒否するのは変だね

マクロビオティック→しらん

・ 七田式とか家庭保育園とかフラッシュカード→だれ?

血液型育児→言う事なし

モンテッソーリ→知らん

・ 小さい頃に英語耳を作らないと手遅れ→まずは日本語

・ 小さいうちに絶対音感つけさせないと手遅れ→でも音楽に慣れ親しむ事はいいと思う。

・ せっけんと重曹クエン酸重曹便利だよ

合成洗剤や柔軟剤やシャンプーは身体にも環境にも悪い→全部の洗剤が悪いわけでもないし、良いとも限らない。要は商品しだい。

・ 紙おむつは悪い→え?布派まだいるの

化学繊維は身体に悪い→俺が子供の頃に湿疹ができて医者に行ったら「化繊で体洗ってない?だったら辞めなさい」と言われて実際辞めたらすぐに湿疹が消えたそうだ。

・ 家も家具天然素材がいい→スチール家具いいよね。

・ 歯にフッ素塗ったりフッ素入り練り歯磨きは危険→つシュミテクト

歯垢検出用の色素は発がん物質→そうなの?

・ 虫除けは危険子供は虫の子。虫にいっぱい触れさせなさい。

子どもは絶対裸足→靴下だとすべるからじゃない?

マンション暮らしのような土に触れない生活では子どもがおかしくなる→おかしくはならないけど、目の前に土の庭があるのはいい事だよ。庭は子供の絶好の遊び場だよ(実体験)

子どもはみんな天才(白紙)、教育次第で何にでもなれる→だいたい正解

・ 親のたった一言で一生台無し→ありうる話

子ども教育お金次第→最近はね。。。

ゲームやるとゲーム脳になる→ゲーム以外に本、漫画映画アニメ音楽演劇など色々な物に触れるべき

テレビばかり見てると自閉症になる→うん、これは間違い。いっぱいTV観ましょう!

ランドセルで背が伸びなくなる→ハイ、これは嘘ですね。

お前は本当に疑似科学を批判したいかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい

お前、なんか疑似科学って言いたいだけちゃうんかと。

######

1/25 23:30 追記あり

id:ublftbo ちゃんと読め

id:objectO うん、そうだね。でも呪いって言うほどか?

id:doramao すまない、確かにスルーしていた。父親も育児に参加すべきだよね。っと言えばいいのかしら?確かに母親の負担が増えるのは嫌ですもんねー

id:A-WING その言葉をそっくりそのまま返すよ。

id:letterdust 醤油もいいよね

id:rev-9 怖くないお。そもそも俺ブログとかもってないし、はてダ付けてないのでこっちがいいかなと思った。

id:anigoka だが断る

id:WiiAreTheWorld ありがとん

id:mobanama 批判していない、ただ変であると指摘しただけ。

id:MWAVE うん、ゴメンネこれはおかしい謝る。確かにすり替えだ。でも議論のすり替え疑似科学批判でもよくあるよ。

id:titton う、、うん

id:tokoroten999 まぁ絶対に育てろとは言わないし、育てなかったからグレルとかは言わない。そのほうがいいんじゃないの?といいたいだけ。

id:yukitanuki 君が一番正しい!

id:BUNTEN ハイハイ極論!

id:iroiroattena 同上

id:NATROM うん、本当に困るよね疑似科学批判者は

id:b4-tt そうそう、疑似科学批判者はググることもしらないよねー

id:cakeismine 苦しんでる?被害妄想乙w

とにかく俺が言いたいのは世の中の悪い事は全部疑似科学のせい!という風潮が気に食わないんだよ。

そりゃ俺だって血液型占いは信じないし波動水も信じないよ。むしろ嫌いだ!疑似科学なんか大嫌い。

でもさぁ育児の問題を疑似科学と結びつけるのはどうよ。。。

まぁ元記事では『ただの呪い言葉のようなものもあるけど』と逃げ道作ってるけど、結局は疑似科学批判の記事だよね。

かしこれらのリストの多くはただの古い風習や習慣偏見から来てるもので疑似『科学』ではない。

そう科学ではないんだ。だから疑似科学さえなくなれば母親達の負担が減るわけではない。

じゃあどうすれば減るか?それは地域家族などのコミュニケーションを活発化しさらにそれらを開放する事

そして何か変だな?この習慣とかがあったらNOと言える環境と周囲の理解と応援が必要だと思う。もちろんそれらが

全て母親だけで解決出来ないし、周りのサポートが必要です。

最後に言いたい『何でも悪い事があったら科学及び科学なようなもの、のせいにするな!』ってことだ。

以上

2009-01-06

もうそろそろSFで突然攻撃してくるロボットとか、狂ったマザーコンピ

地球へ」最終話をみてそう思いましたよ、ホント。

なんなんだよ、このマザーコンピュータのせいだったの黄金パターンは。いつまでやり続けんだよ、マジで。もう、2001+8年だぞ。2061年とかになってもやり続ける気か。この設定をみんなそんなに求めているわけ? 僕は誰もそんなに求めているとはどうしても思えないんだけどな…。

ハヤカワ・創元の棚ににこのパターンSFが2,3冊以上ある状況って一体どうなのよ。いい加減やめろとはそこまで言わないけどさぁ、国書刊行会に2,3冊とかでいいと思うんだけど。

まぁこのパターンは昔からあって、突然襲ってくるロボットパターン金字塔と言えば「フランケンシュタイン」があるし、映画ターミネーター」や小説未来の二つの顔」や演劇作品「R.U.R.」などにもあるし、日本古典作品「撰集抄」の中にも存在しているけど、それがいまだにSFの中心に居座り続けている状況ってどうなんだ? なんで「物語の出発点の基礎」みたくなっちゃってんだよ。突然襲ってくるロボットや狂ったマザーコンピューターの基本は変えずに、登場の仕方・理由付け・規模・デザイン・展開…が違うだけで、みんな同じなんだもんな。ミューをどう扱っていいからわかんないからとか(地球へ)、人間環境破壊の要因とみなすとか(キャシャーン)、権力者に操られてとか(メトロポリス)、どっか遠くからきた兵器だったとか(バーサーカー赤方偏移の仮面)、恋愛沙汰の末とか(アンドロイドお雪)、ディテールは違うけど、基礎の部分はまったく同じ。この設定に誰も飽きないのか?

突然襲ってくるロボットとか狂ったマザーコンピューターは、創作上かなり効果的な装置なんだとは思うよ。

平凡なロボット日常と言ったら、家・工場の作業がメインとなると思うし、その中で非日常的なロボットを刺激的に登場させようとしたら、自分人間として認識しているとか(あなたの魂に安らぎあれ)、何の前触れもなく単なる材料とみなすとか(大暴風)、限られたパターンの中に収まってしまうけど、その何の前触れもなく襲ってくるロボットが最も刺激的で効果的なフランケンシュタインの怪物の登場の仕方なんだろう。それに、突然やってくるからその理由をうまくオチにできるし、説明もたくさん書ける。

マザーコンピュータに関しても、人類を管理しているから、何も知らない人類との対比がうまく描けるし、突然やってきたヒーローに焦るコンピューターという描写も描けるし(ボトムズ)、昔から人類と交流があるから管理する課程を簡単に省略することもできるし(スチール・ビーチ)、管理課程を省略できるから主人公と突然起こる事件描写を十分に描けるし(ゴールデンフリース)、いろいろと都合がいいとは思うんだけどね。

そして、突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターパターンフランケンシュタインコンプレックス」はSFにとって非常に都合が良いものなんだよな。

大体のSF作品は上下巻、上中下巻がメインの長さで、100巻越えるSF作品なんてそうそうない。2冊、3冊という制限の中で物語を展開しようとしたら、突然襲ってくるロボットとかマザーコンピュータはとても相性がいい。先ほど述べたように、突然ロボットが襲ってくるから下手にページ数をかけて開発過程を描かなくていいし、マザーコンピューター人類を既に管理しているから政治的な導入課程を省ける。まとも描いたら時間がかかる物を描写しなくていいという画期的なセットなんだと思う。短い間の中で未来史を描こうとしたら、これほど都合がいい設定はない。

だから、突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターパターンSF作品に非常に多い。上下巻という短い間の中で十分に物語を描ける設定だからこんなにもSFの中で氾濫しているんだろう…と僕は思う。

でもそれって一体どうなのよ。突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターを縮小再生産していたら、似たり寄ったりなものばっかりになってしまうと僕は思うんだけど。別に突然襲ってくるロボットとかマザーコンピューターは悪くないけど、SFでそればっかやってると飽きられて冬の時代へ行ってしまうんじゃないか?

もうそろそろそういう設定のSFを復刊してもよくないっすか?

ネタ元 http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20090105

追記:記憶違いがあったので訂正。ソフトウェア→大暴風

2008-10-30

[][]ヘリコプターマネーと朝三暮四

2008年10月25日付朝日新聞朝刊 (一部抜粋)

ポールサミュエルソン ノーベル経済学賞受賞者

 メルトダウン(融解)的な危機を招いた理由のひとつはバブルが発生してそれが崩壊したためだ。資本主義歴史を振り返ると住宅バブルは古くからあるが、今回はバブルの坂を上がって行く時に「悪魔的でフランケンシュタイン的怪物のような金融工学」が危機を深刻化させた。表現が長すぎるというのならば「金融工学モンスター」と縮めてもいい。

 グリーンスパンFRB議長が95年ごろから株式市場バブルに対策を講じなかった事も、惨状を招いた理由のひとつだ。

 この危機を終わらせるためには何が有効なのか。それは、大恐慌を克服した「赤字をいとわない財政支出」だろう。極端にいえば、経済学者が「ヘリコプターマネー」と呼んでいる、紙幣を増刷してばらまくような大胆さで財政支出をすることだ。

 大恐慌を克服したのは戦争のおかげだという人がいるが、そうではない。大恐慌当時、私はシカゴ大学学生だったが、自分が学んでいる経済学と、社会現実に起きていることとの大きなギャップについて、深刻に悩んでいた。周囲では、3人に1人以上が失業していた。

 それほど高かった失業率をひとケタまでに減らしたのは、33年に就任したルーズベルト大統領の政策だ。それは戦争前のことで、戦争の脅威も切迫してない時点で着手されたのだ。

 (第1次大戦で敗れたドイツの)ヒットラー報復戦争の準備をするために、際限もなく金を使った。しかし、ルーズベルトがとった政策は、同じ赤字財政であっても、公共事業農業支援計画を通じた巨額の支出だった。それが資本主義を救った。

 国のお金を何に使うかは、その国民が選ぶべき事だ。しかし、無駄な事業でなく善い目的に使うのが、賢明国民の選択であることは言うまでもない。

 今回の危機の克服に当たっても、時間はかかったとしても結局、財政支出が拡大されるだろう。ルーズベルト大統領雇用政策も、目標実現に7年かかった。前任のフーバー大統領は、ケインズマルクス主義者呼ばわりするような人物で、恐慌克服になんら有効な手を打っていなかったことが響いた。本来は(株価暴落直後の)30年から32年までに恐慌対策を打つべきだったのだ。

池田信夫

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7b23d61878dcbf6ad900123f5f3a7186

定額減税が、2兆円の「給付金」という珍妙な形で行なわれることに決まった。これは経済学でよく冗談でいわれる「ヘリコプターマネー」をほとんど文字通り実行する漫画的な政策である。

あなたが市役所に行くと、1世帯4万円のクーポン券をもらえる。これが他人の金だったらうれしいだろうが、その財源はあなたの税金だ。「埋蔵金」を使うなどというのはまやかしで、そのぶん国債の償還財源が減るのだから同じことだ。つまり4万円の税金で4万円のクーポンを買うだけなので、あなたが合理的ならバラマキ財政政策に効果はない――というのが中立命題としてよく知られている理論だ。

しかし実証的には、この理論は厳密には成り立たない。それは人々が近視眼的で、将来の課税より現在の現金の価値を高く評価するからだ。朝三暮四というやつだ。つまりバラマキ政策は、国民が猿のようにバカであればあるほど効果の大きい愚民政策なのである。

だが先進国最近経験は、国民がそれほどバカではなくなってきたことを示している。特に財政赤字が大きくなると、目の前の財政支出が将来の増税をまねく因果関係がわかりやすくなるため、「乗数効果」が小さくなる。さらに北欧などでは、財政赤字を削減することによってかえって消費が増える非ケインズ効果も観察されている。

2008-08-01

AIが人になる時。

AIが人になる時はたぶん感情をもつ時ではない。自己複製時により環境適応した個体を複製できるようになったときである。*1

僕たちは感情なるものを勘違いしている。感情なんて機械的なものだ。AIで感情を実現しようとしているのが間違っている。感情の存在意義は環境に適合する時により多角的に最善なる(自身の経験と知識から、言い換えればろくな知識と経験がない奴はより原始的な感情に従う。いわゆるDQN)選択を選択するための補助機構にすぎない。*2その最善なる選択は適応度を上げるものでなくてはならない。感情は実現するのはない。しかし付随するものである。

故にAIのみで感情を実現することはできない。もし誰かがAIで感情を実現したと言うなればそれはただのシミュレーションであり感情ではない。感情っぽいものだ。

もしAIが他者、いわゆる人類、の干渉なしに自己複製を通して進化を実現したときAIは感情をも実現させフランケンシュタインコンプレックス悪夢が実現するわけである。

*1自然淘汰進化は違う。進化はnondirectionalであるが、自然淘汰自然適当とするという意味においてdirectionalである。機械自己複製で進化を実現すれば必然的に自然淘汰は発現するはずである。

*2たぶん感情が何たるかは個々人の考えによるんじゃないかと思う。僕にとって感情はfitness*3を上昇させるために経験と知識と原始的欲求の三つから決定されるものだと思っている。

*3fitnessを上昇させる手段が何たるかすらもそれは経験と知識によって決定させる。ファッションのよってセックスアピールを上昇させたり、地位を得たり、共同体に属する行為さえ単にfitnessを上昇させる行為に過ぎない。人がどのような戦略をとるかは経験、知識、遺伝的傾向など多角的なもので予測できるものではない。

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