はてなキーワード: キッズ・リターンとは
スコセッシの映画みたいな派手に成り上がって転げ落ちて、でも生きてる。人生ってそうやん?みたいな作品が割と好きだったんだけど、最近ちょっと飽きてきた。なんでフィクションでまで現実に引き戻されなアカンねんなって気持ちになる。
こうなるとたまには何もかも全部手に入れてムカつく奴を全員ぶっ倒して、ワッハッハッハッハッ……ワーーーーッハッハッハッ……って高らかに笑いながら𝓯𝓲𝓷を迎えるようなのが見たくなってくる。
スターウォーズやロッキーが鬱病みてーなニューシネマの反動でウケたという話はホンマかいなと思ってたけど、ちょっと分かるような気がする。ロッキーは全部を手に入れてはいないが。
成り上がるのとは違うけど、トレインスポッティングとかNHKにようこそとかキッズ・リターンとか鬱病方面の青春作品も、やっぱり生きていくしかないやん?みたいな落とし所は最近あまり好きでない。
それだったらミーンストリートとか往年のニューシネマ作品みたいな、やるせなさや苛立ちや閉塞感、鬱屈、焦燥感を爆発させて呆気なく(派手にでも全然いい)散る話が好きだ。
長々と生きてしまった、生きざるを得ないと悟ってしまった手前、自分の納得も程々に大事にしつつ、ショボくともみっともなくとも目先の生活を着実に生きるのが結局一番大事なんだよな。なんて言わざるを得ない状況になる前にやっぱ派手に死にてえ。真面目に生きるのって面倒臭えしから嫌だし、でも真面目に生きないと幸せになれるビジョンが見えねえから。ワンスアポンアタイムインアメリカのデニーロの破滅的な笑顏になりてえよおれは。
これは飽きたとかだけではなくて、おれの情緒が最近著しく悪化している事が多大に影響している気がしてならない。そんでこのうらぶれた気持ちが嫌だとか直したいだとか全く思いっていないというのが、傍から見れば一番重症な部分なんだろうなって思う。
■イントロ。
今回の【N.C.P.】は、『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏と二人で、1999年度のベスト5を選ぶ……という、年間総括だったりします。あと、例によって筆者の暗い文章。とほ。
おいら的に今年やったゲームって事で……(汗) 発売は去年かも……多数?
1 Kanon
2 ぱすてるチャイム
3 がんぶる
4 days innocent
1→久々にやりまくりでした~音楽と絵のタイミングがよかった。
2→コレットさんが成長しちゃうところがマイナスですが、ぶかTシャツにスパッツはよい。
3→全てが丁寧に作られた感じがよいいなり。ただパッドがないと最後つらかった。
4→一部当てはまらないけど、精神的にはみんなずーれーだから。
5→はじめて、ごんぽりーな女の子が可愛く見えた。(EDENは今年の作品なのかわからないけど……やったのは今年)
【個人的総括】
うーん、今年はKanonですかねぇ~。何はともあれ、音楽が好きかも~。当時はアレンジCD聴きまくってました。オープニングからかっちょよろしくて、ぶるぶるきました。他的には……う~ん『days~』がえろ~すゲームとしてはえろかったかなぁ。後は可愛いので選んでしまった感じ。
実際、まだ全部のゲーム終えれてないので、今やってるママトトとかがランクインしてた可能性もあるんですけど、いかんせん、おいらゲームはじめる前にねかして熟成した頃にやるから(^^; 故に、ママトトやダークロウズは、すでに来年のゲームな位置づけなり。個人的には、大作なえろーすRPGをやりたいなり~(闘神都市2みたいな)
実は、キャラ的には沙耶(ぱすてるチャイム)だったりします……へふ。
1 フロレアール
2 Kanon
3 とらいあんぐるハート2
4 くるみちゃん あ・そ・ぼ◆
5 憧れ
1→巧みに構築された論理と悲劇……と書くと『総長賭博』っぽい?(誰も分かりません)
2→バランスの悪さはあれど、印象は強烈。でも、えろげーとしてはちょっと辛いかも……(全年齢版出るけど)。
3→昔気質のラブコメ魂と意地を感じさせる作品だと思う。中毒性はメチャ高い。
5→アダルトで上品に抑えた雰囲気がナイス。女教師ゲーとしては最強かも。
【個人的総括】
今年はエロゲー界のチェ・ゲバラこと、臭作さんのようなヒーロー不在で寂し……もとい、昨年に比べると、大手・中堅メーカーに意欲作が少なく、面白みに欠けたかも。大作ばかりでなく、味のある小品がもっと増えないと、全体の層が薄くなる一方だと思う……。
あと、恋愛描写の水準は強まっているけど、全体的にえっち度が弱まっているような感じが、ちょっとあるなあ……。キャラ萌え&ストーリー重視な流れの弊害かも知れないけど、えろげーはやっぱり、エレクチオンさせてナンボ!って気はするですね(小池先生ライクな台詞)。……いや、Kanonもかなり好きですが~。
■本文。
親がとある新興宗教の狂信者だったので、生まれてからずっと、カルト的なコミューンの中で育った。ある時、その閉鎖性に気づいて、家を飛び出した。でも、辿り着いたのは、[オタク]という別のカルトだった。
それはそれとして、1999年の美少女ゲーム界で最も気になっているのは、ジャンルとしての共通言語が失われつつあるな、ということだったりする。[萌え]と[泣き]の両極がそれぞれ先鋭化し、カルト的なコミューンが形成されつつあるようにも見えるのだ。具体的に書く気すら起きないが、コミケの企業ブースやデジフェスで、毎回決まったように起こる混乱は、そのあたりの空気を微妙に表していると言えるだろう。
量的な飽和と多様化が、ユーザーの細分化をもたらしている。そのこと自体は悪くないと思うが、それがカルト的な求心力を持ってしまうことには、危惧を抱かざるを得ない。そして、[萌え]=キャラクター志向派、[泣き]=ストーリー志向派……という図式が発展していく過程で、両者がそれぞれ保守化し、一部では対立の構図も見られるようになっている……というのは、美少女ゲームというジャンル全体を考えるに、不幸な結果しかもたらさないのではないか? という気がするのだ。
早い話が、筆者が、ある陣営のゲームについて、コラムを書くだけで、別の陣営には激悪な印象を与えている……という状況が、厳然と存在していて、どうも息苦しいのだ。
さっき、「カルト的」と書いたのは、特定のイデオロギーを通してでしか、ゲームや人間関係を判断できない人が、あまりにも増えてしまったからだ。元々、美少女ゲームには、フェミニズムやマッチョイズムに属することのできなかった人々にとっての宗教という側面はあるが……。
例えば、神仏を信じられない人のために、心霊主義(スピリチュアリズム)や科学信仰があるように、それ自体はごく自然なものなんだけど、行き過ぎると単なる狂信者になってしまうのは、どちらも同じだ。筆者も、昔は狂信の極みにいたしね。
だから、このコラムも、印象批評的な文章はすっかり書けなくなってしまった。どうしても状況論的なものに終始してしまうのは、印象批評を書いた瞬間に、どちらかの陣営に与したと見なされ、筆者の友人は半分に減ってしまうからだ。これがまた、かなり実話だったりするから笑えないんだけどさ……。
別に[萌え]でも[泣き]でも、どちらでもいいのだ。出来上がったゲームが面白ければ。いや、本当に心を動かされるような良質の物語は、[萌え]と[泣き]を内包しつつ、そんなイデオロギーの枠組みすら超えてしまうはずなのだ。だいたい、イデオロギー抜きの意見を述べるのが最も難しいという状況は、冗談抜きでふざけているとしか思えない。好きなゲームを好きと言えないって、どういうことだい?
まあ、美少女ゲーム業界に限らず、どこの世界でもそうなりつつあるのは確かである。編集やライターを生業とする筆者の周辺でも、オタク系とサブカル系でお互い反目しているので、人間関係では要らぬ苦労を強いられる。全てのジャンルにおいて、そういった対立構造が必ず存在し、延々と繰り返されているメビウスの輪の中で、閉塞感だけが肥大していく……そんな悪夢が年々、増幅されているような気がする。
だから、もう嫌なのだ。オタク世界全体に漂っている、奇妙な停滞感が。何より、汲み取るべきものが見当たらないから、何も編集する気が起きないし。よって、編集者としては、秋から休業中だったりする。なんだか、自分の話ばかりで申し訳ない上に、冒頭から変なことをカミングアウトしているんだけども、今回の年間総括は、この連載を一年近く続けてきた、自分に対しての総括でもあるのです。申し訳ない……。
最後に、[萌え][泣き]……どちらにしても、[癒し]を大量消費している構造には変わりはない。問題は、[癒し]という概念が、思考の暴走を抑えるという、本来の意味を失い、思考停止の為だけに使われていることである。何も考えないために、生まれてくる全てのものを消費していくのだとしたら、これほど不毛なことはない。これはもう、「終わらない日常」どころじゃない。だいたい、始まってもいないのだから。何となく、『キッズ・リターン』のラストみたいだけども。
この状況に対して本当に必要なのは、ノイズを削ぎ落とし、完成された構造の作品ではなく、むしろ、ノイズとされてしまった要素を積極的に取り込み、想像力の領域を拡げ……ポストモダンを超えていく作品だと思う。新しい[魔法]の材料は、ノイズの中にしかないのだから。
しかし、閉塞を乗り越えた作品も時が過ぎていくにつれ、カルトに取り込まれ、更なる閉塞へ向かって保守化してしまう。そう、どんなに素晴らしい魔法も、[メディアミックス]という名の魔物による、カルト性を帯びた資本主義の洗礼によって、いつかは解けてしまうのだ……。
もっとも、商売としては、カルト化して、一定数のユーザー=信者から、大量の金を収奪するシステムにしてしまった方が、美味しいんだろうけど……その辺は、世間を騒がせている『法の華』や『ライフスペース』の事件を見ても分かる通りで……カルトの信者ほど、財布の紐が緩い人々はいないからねえ……。
それでも……いや、だからこそ、作り手とユーザーは、次々と新しい魔法……新しい物語を目指さなければならないのではないだろうか?
それは、思考停止して閉塞へと向かっていくカルトの罠から、自立していくために必要なことだ。更に言えば、進化と消費は、セットであるべきもので、乖離してしまっては、全く意味を成さないのだ。
つーか、逃げるために消費するのは、もう止めようや。キャラクターへの愛情は、グッズに注ぎ込んだ金額じゃ計れないんだぜ!(←バカ)
■総括の総括というか、感想。
毎年恒例(?)年間総括……と思ったら、周りにバランス良くえろげーをやってる人が、へっぽこさんしかいないという……いや、それ以前に、えろげーをバリバリやってる人もいない……何故~?
という訳で……へっぽこさん、今回は本当に、ありがとうございました~。
俺も非常に感動したんだけど同時に気になったことをツラツラと。
ストーリー上、たまこともち蔵を二人っきりにするために犠牲になったとしか思えないが、
アニメ本編でたまこが肉親の死に深いトラウマを抱えているのを知っているだけに
大事には至らなかったとは言え狼狽するたまこを見るのはツラい。
1のアオリを受ける形になるが、みどりちゃんが餅をノドに詰まらせる照れ隠しギャグをやるのが
らしくないような気がする。彼女がそんな無配慮なことをするだろうか?
終盤、学級閉鎖で誰もいない教室でたまこがもち蔵を待つシーン。あれ他の教室には生徒がいるんだよね?
学校全体が閉鎖されてるんだったら入れないはずだし人気なさすぎてちょっと不思議。
特にラストでみどりちゃん、かんなちゃんが校庭?の木に登ったりしてるけど
あれって他の教室の生徒から見たら北野武のキッズ・リターンで校庭で走りまわる安藤&金子みたいな事になってるのかな。
やはり舞台となった土地に住んでる者としては、一体どんだけの距離走るんだよ…と思ってしまう。
あと駅ビルに圧倒される描写もあるけどアレもなぁ…。たまこの普段の生活範囲がかなり狭いのかなぁ…
数多く作品を見てる訳ではないが、どうも京アニのストーリーテリングには問題があるんじゃないかと思う。
印象として話の序盤は登場人物の一挙手一投足が実に丹念に描写され、見るだけで満足するんだけど、
そのおかげで疎かになったストーリー進行が後半になるにつれて破綻しているように感じられる。
また背景に実在の風景を描いて、作品世界を身近に感じられるのは良いとは思うが
上の3,4で書いたように、ストーリー後半にはそれが足枷になって現実でもフィクションでもない
摩訶不思議な空間に放り込まれるので、富士の樹海で方位磁石が狂った様な気になった。入ったことはないが。
他作品の聖地で暮らされてる皆さんはそんな経験ありませんかね?
■DVD
君の手がささやいている 第2章
君の手がささやいている 第3章
レッドクリフPart1
未来世紀シェイクスピア 02/ロミオとジュリエット
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暗黒街の顔役
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ダイ・ハード4.0
悪い奴ほどよく眠る
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ルワンダの涙
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ブレックファスト・クラブ
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さまよう魂たち
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