はてなキーワード: イスカリオテのユダとは
学生時代、件の「あえぎエディタ.xls」におそらく触ったことがあるのだ。
学部生と院生が共同で利用できる談話室で、そこにはPCが一台だけ置いてあった。
PCルームのコンピュータの方が機種が新しかったためか、はたまたそこに一台しかないために起こる遠慮のせいか、ほぼ独占していたように記憶している。
ある日、気まぐれに隠しファイルを検索すると、諸先輩方が残した過去問データに混ざって「エディタ.xls」があるのを発見したのだ。
文章を入力すると、その緊張度合いが「絶頂度」という値で算出される不思議なツールだった。
これを卒論に応用できないかと思い、試行錯誤したものだが、式を見ても音声的要素の数値化と計算処理の妥当性を担保する理論を自力で復元できなかったため、諦めざるを得なかった。
どういう理屈で作り上げたのか、テキスト化してくれなかった制作者を恨んだものだ。
1点目は、増田が指摘していたように「多くの作品で、最後に向かうほど「絶頂度」が高まっていく」ことだ。
2点目は、「1点目の傾向は短~中編に顕著で、長編になると当てはまらないものが増える」ことである。
例えば、太宰の「駈込み訴え」は典型的な「最後に向かうこと「絶頂度」が高まっていく」作品だ。頭から250越えの高い値をマークしていながら、「私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。」で最高潮に達する傑作である。(最後の数値は伏せる。太宰は「羅生門」より高くても低くても何か言いそうだ。)
しかし同じ太宰でも長編小説の「人間失格」はエピローグの値が全体的に低いのだ。(ただし「神様みたいないい子でした」で跳ね上がる。)
この、長編における末尾の値の落ち着きについて何か述べたかったのだが、前述の経緯で諦めたため、そこから先のより突っ込んだ分析はしていない。
それにしても、算出される値に「絶頂度」と名付けるとは、不思議な趣味だと思ったが、こうしてツール作成の経緯と本来の名前が判明したことで合点がいった。
あえぎ声か。すると私が気にしていた「末尾の値の落ち着き」はさしずめピロートークだったのだな。
ヴンダーに戻ってきたシンジにビンタしてうれし泣きをする場面と、エヴァに乗ろうとするシンジを銃撃する場面がシンエヴァでの主な見せ場ですね。
前者ではQでの悪印象が反転します。彼女の「エヴァにだけは乗らんといてくださいよ!」は序盤のおさらいパートでも採用されており、Qのトラウマ発言フラッシュバックでも関西弁なのでやたら目立っていた印象。しかし彼女を振り切って脱走し、フォースインパクト未遂まで起こしたシンジをうれし泣きしながら「あほ!あほ!」と抱きしめるサクラ。
アスカの「女房か、あんたは」のツッコミで、観客も「黒波は退場して、アスカはケンケンとくっついて、シンジはサクラと結婚するんだな」とわかる親切仕様。
アスカにシンジ君身元引受書にサインさせるのってそういうことですよね。
でもシンジくんは「あれ?チョーカー付けなくていいの?」くらいの反応。カヲルと黒波を看取った男だ、面構えが違う。
あと、サクラ視点だとDSSチョーカー付けたまま出てったシンジがエヴァに乗って覚醒したわけで、あの時シンジは死んだと誤解してたのかもしれません。
サクラはチョーカーの記録から首パァンしたのは別のパイロットだと知りますが、シンジの目の前で人が死んだのに、なぜ戻ってきたのか理解できないサクラ。
生きてたのはうれしいけど、エヴァに乗ってほしくないから戻ってきたのは複雑なんでしょう。シンジさんはケジメつけるために覚悟完了してるわけですけど、誰もそのことには気づいていない感じ。
チョーカーなしで対爆隔離室に保護(軟禁)されるシンジ。青葉だかが放置してネルフに利用されるよりはいい、みたいなこと言ってたが、船に乗せたことでシンジをエヴァに乗せるという選択肢が生まれたことは事実。
この後、アスカに渡されたトウジ一家の写真と手紙を見てサクラがすすり泣く場面があります。
ツバメが無事生まれたことを喜んでいるのかと思ったのですが、ゲンドウの最終計画を阻止できなければ死んでしまう家族を想って泣いているんじゃないかともいわれており。
いずれにしろ、彼女が家族を想う気持ちは強く、家族をニアサーで喪った悲しみも深いものだったと推測できます。
食事シーンでミドリ(ピンク)が「射殺許可出てるんだからいざとなったら撃つ」
「疫病神(シンジ)のせいで家族殺されたのに、みんな身内に甘すぎ。艦長も信用できない。再生水だって元は誰のオシッコかわからないのに、清めればすむなんてそんなわけないじゃん」的な発言をして、ヴィレクルーに窘められます。この後シンジがエヴァに乗ろうとして撃たれますよ、という前フリと、シンジを許せない遺族代表としての発言ですな。
唐突なオシッコ発言のせいで某所で飲尿キャラ扱いされる風評被害を受けるわけですけど、もとは汚水なのに、なかったことにして平気で飲み干すなんておかしい!ってのは結構鋭い。そうするしかないってのは頭でわかっているとしても。
その後、サクラがシンジに「何かあったら赤いボタン押して呼んでください」と電話するのを、ミドリがにらむシーン。おそらくサクラとミドリの相部屋ですね。
「こいつも、清めればすむと思って…!」みたいな表情してます。サクラがシンジの傍にいない理由や、シンジへの思いやりを示す説明パートだと思うんだけど、ミスリードと前フリも兼ねてるんですね。
ネルフ妨害のためセカンドインパクト爆心地に向かうが、冬月の計画にハマって打つ手なしのヴィレ。
普通に会いに来て元部下とは普通に話すけど、息子が来たら逃げるゲンドウは見どころの一つ。
当然銃を向けるミドリ。
でもやっぱり撃てない。
パァン!
「碇さんはエヴァには乗りません!」
ここでミドリと観客の度肝を抜く展開。サクラがシンジの足元を撃つ。そんな素振りなかったっしょ!?
シンジさんはエヴァに乗ったせいで自分も周りも不幸にしたってのは、トウジやヴィレクルーとも共通の認識ですね。
でも乗らなくていいじゃなくて、力づくでもエヴァに乗せないのってのは女房の特権。
でもケジメのためにひるまないシンジさん。
「無茶言わんといてください!怪我すればエヴァに乗らんで済みますから」パァン!
2発目はミサトさんが庇って腹で受けるが、動揺しながらもまだ銃はかまえるサクラ。
シンジがエヴァに乗らなければ人類は滅びていた、責任はすべて自分が取る、とミサトさんが説得するが、
「シンジさんは恩人で家族の仇なんや!」と激重感情を吐露し、なおも撃つつもりの女房。
ミドリが自分の足元を撃って「もういい!明日生きることだけを考えよう!」
銃を落とし座り込むサクラ。マリが騒動がひと段落したタイミングでスッと出てくるんだけど、女房発言の時にもいなかったし意図的に接点なくしてる?
「なんで艦長撃たれてんだニャ!?」くらいは聞くかもしれないけど、アスカも取り込まれてるしそんな余裕はないのかも。
この後艦長に応急処置をして、処置中の「弾は溶けますから…」発言で(溶けるから何なんだよ)という疑問を観客の心に残すが、ほぼセリフなしでフェードアウト。
ケガをさせてでも止めるという鉄の意志、恩人で親の仇という愛憎の深さをさらけ出して、その後出てこないのが人気の秘密かもしれない。
あと、「明日生きることだけを考えよう」ってのはちょっと気になる。言葉通りだとシンジのことは忘れろってことじゃん…。まぁ、切り替えて今やることをやろう、ってことともとれるが。
仇なのにシンジに向けるのはほぼ恩義で、それでいて恩だけじゃないじっとりした重みがあるのもいいですね。
ここで、シンジがエヴァに乗らなきゃインパクト止めれないじゃん!ってのはよく突っ込まれるポイント。すでにフォースは発生してほぼ打つ手なしの状況だし。
エヴァに乗らずこのまま二人で…(BGM:甘き死よ、来たれ)ってのも考えられなくはないけど、溶ける弾と応急措置セットで助ける気はマンマンなんですよね。
その場合、マリにマイナス宇宙でゲンドウと追いかけっこしてもらえばなんとか阻止できるかもしれないけど。
世界より自分の大事な人を優先するってのは、ニアサーのシンジとか、補完計画のゲンドウと同じなんですよね。その結果結局世界も愛する人も両方失うわけです。
サクラエンドについて。
サクラのシンジへの重い感情を知った後だと、8歳の少女が碇シンジ管理担当医官になるまでの14年間はいろんな意味でヘヴィーだったと想像できるわけですよ。
そう考えると一途さヤバいし、シンジは14歳のままずっと寝てたせいで、目覚めたら8歳の親友の妹が14年間自分を想い続けてた22歳に変わってるってのは恐…感動的だと思うんすよね。
あと、シンジがケガをさせた少女が医官になって治療する側に回るのとか、シンジが初戦で助けた子が最終戦で引き留めるところとか、
父親と和解して自分が父親になるとか、サクシンエンドって色々きれいにまとまるし。
贖罪とかケジメってのはQとシンでのテーマになってるんすよね。
Qでは「槍でヤリ直す」ことですべてなかったことにしようとしたけど失敗して、カヲル君は爆死。
シンではトウジの「遺族の言葉を受け止めるのも医者のケジメや」の言葉に影響を受けて、命がけでケジメつけようとする。
ミサトさんも贖罪は自分からしなきゃダメみたいなこと言ってたし。
アディショナルで「過去はなかったことにしない」ことにするのは、ニアサーで生まれた縁を知ったのもあるけど、やっぱ自分の行動に責任を持つってシンジ君なりのケジメなんでしょうね。
第三村は一見のどかな田舎だけど、実態はニアサーの遺族が集まった難民キャンプみたいなもんなんすよね。
知らん人同士の寄せ集めというところも、田舎というより都会っぽい。
やってることはバガボンド農業編なんだけど、村の住民全員吉岡一門の遺族みたいな。
あと、委員長や第三村のマダム、子供たちが黒波を通じてシンジを立ち直らせるとことか、他人の力で鬱から立ち直るみたいなとこもあったり。
ユーロネルフの殉死職員や加持さん特攻も、自己犠牲の文脈ではあるけど利他主義でいい方向に回ってるというのもあり。
死んで花実を残すのは黒波もですね。シンジも周りに助けてもらったけどその覚悟ではあっただろうし。
駅のシーンはやっぱりまだマイナス宇宙じゃないかなぁ。じゃないとチョーカー付けてるのがおかしいし。向いのホームにチルドレンいるし。
無事第三村に帰った描写はするけどその後は映さない(自由に想像してね)ってのは徹底してるし。
マリのイスカリオテのマリアってのはイスカリオテのユダとマグダラのマリアかなぁ。普通に聖母マリアかもしれないけど。
シンエヴァの一番の欺瞞は、現実の世界は何一つビューティフルワールドではないということだろう。シン・エヴァはOne Last Kissが主題歌ではあるけど、最後はBeautiful Worldで締めくくられる。
新しく世界を始める、ネオンジェネシスだ、という話になってシンジによって世界が再構築され、庵野監督の出身地である宇治新川駅で大人になったシンジが背広を着て、椅子に座りながら電車を待っている。そこに大人になった真希波・マリ・イラストリアスが後頭部に胸を当てながらだーれだ、とやってくる。声優が神木隆之介に変更された大人シンジが
「胸の大きいいい女」と言うと、
「ご名答!相変わらずいい匂い」
「君こそ相変わらずかわいいよ」
などと言い、マリはシンジの首からチョーカーを外す。二人で手をつなぎ駅の階段を駆け上がってEnd。そしてBeautiful Worldが流れる。
最終結論は「この現実が美しい世界だ。背広を着て女といちゃつけ」と言っているように見える。
しかしこの女は、作中で一度も人間らしく描かれたことのない、バーチャルな女、無条件で自分を探しに来て救ってくれる都合のいい女であり、冬月から「イスカリオテのマリア」と呼ばれる、(イスカリオテの、とついているが)聖母マリア的存在、全く現実味のない女だ。逆に考えると「お前らはバーチャルな女でしか救われることはない。今まで通り二次元に勤しめ」といっているようにも見える。
その名にイスカリオテのユダ、裏切り者ユダも入っているので、「その女もいずれお前を裏切る」と暗示しているのかもしれない。
それはいいとして、俺が最も癪に障るのは、ありきたりな現実の一風景を見せてビューティフルワールド、と言い切る神経だ。確かに庵野秀明や宇多田ヒカルにとってはこの世界はビューティフルなのかもしれないが、背広を着た一般男性にとっては、女がいようといまいと世界は美しくもなんともない、バーチャルな女にチョーカーを外してもらっても現実では社会人、首輪に繋がれた社会の奴隷であり、会社に生殺与奪の権を握られ一生を労働に明け暮れることを運命づけられた存在だ。
なぜアニメの中において「世界をより良くしよう、よりビューティフルにしよう」ではなく、「今のこの世界がビューティフルだ」なんていう、イスタブリッシュメントが大衆を飼いならすための洗脳ビデオみたいなメッセージを見せられなきゃならんのか。新劇場版が映画四本使ってたどり着いた結論が「お前らはバーチャルな女さえあてがえば、首輪が外れ世界がビューティフルであるように錯覚しながら生きていけるだろう」というもので、それを見たオタク達は「素晴らしい、僕もエヴァの呪縛から抜け出し、現実を見て生きていきます」なんていいながら感動している。なんだこれは。最悪だ。そもそもたいして面白くない上に、美しい世界という虚構でオタク達を騙している、本当に最悪の映画だと思う。
聖母マリア・十二使徒・パリサイ派・イスカリオテのユダ・十字架刑・キリストの復活・マグダラのマリア・タルソのパウロ・新約聖書・ローマ教会・コンスタンティノープル教会・アレクサンドリア教会・ローマ教皇・カノッサの屈辱・十字軍・ラテン帝国・ヴァチカン市国・カトリック・プロテスタント・免罪符・マルチンルター・カルヴァン・イエズス会・フランシスコザビエル・コンキスタドール・ピサロ・正教会・東ローマ帝国・ロシア帝国・イコン・英国国教会・コプト教・異端・魔女裁判・ジャンヌダルク・グノーシス主義・ ナグ・ハマディ文書・トマスの福音書・マニ教・ネストリウス派・景教・カタリ派・モルモン教・エホバの証人