いや、人って、地下にもぐって、わからないと思うと、どんなすごいこともするんだなと思った。
今後、役職定年で、リタイアした人は、あまり具体的には書けないが、2,3段階の降格になるそうだ。
人としての倫理観の低下がすごいけど、自分たちの論理で、組織の為に正しいことしてると信じてるから、こういう
隠れた制度の延長線に、世間を騒がしている、スポーツ、大学などの不正(疑惑)に落ちていくんだと思った。
ちょっと前に、社員アンケートを入力させられたが、モラルハラスメントは通報しましょうなんていわれたけど
モラルハラスメントしている人たちに、通報するなんて、とんだ喜劇だ。
そもそも、役職定年などという、年齢で、その人の能力を差別する制度は、人としての倫理観を疑うが、、、
そんなことされて、誰が納得できるんだろうね。
どこかのWebの記事に、50代会社員が直面する「役職定年」のリアル 年収減に異動、モチベーション維持が課題
というのがあったけど、記事のピントがずれてる。役職定年の制度そのものがおかしい。
今は、違う。所詮、メディアも、企業からの広告収入で生きているので、企業よりの記事しか書けない制約があるので、ネットの発達した
今では、少し、哀れな存在だと同情する。
これは個人の体験で、他の女性たちがどうだったか分からないんだけど、それでも私にとっては確かに衝撃を受けた体験だったから書き残しておく。
私がエロ表現に初めて触れたのは、十歳にならない頃、電車の中。向かいの席の男性が読んでいたスポーツ新聞のこちら側にヌードの女性が写っていた。多分ビデオの紹介とかだったのだろう「喘ぐナントカ…」みたいなコピーがついていた。体育の着替えが男女同室だったくらいの歳で、性的衝動の存在を知らなかったから、そのヌードを見てただ驚いた。女性の裸が新聞に載って眺められる需要が存在することを初めて知った。
意識して周りを見渡すと、それらしい気配は各所にあった。大磯ロングビーチの広告、公衆電話ボックスに貼られた女子学生の写真と電話番号、週刊誌の中吊り広告に太字で書かれた「ついに脱いだ!」という踊り文句。女性の外見、特に裸は世間から求められていて、しかもそれはあまり上品な欲求をもとにした明るいものではなさそうだということに気がついた。(ちなみに当時は女性の幼さを強調したイラストはそう無かったように思う。覚えているのは「幼妻」という単語の衝撃くらい。セーラームーンの月野うさぎちゃんが13歳とは思えないほど大人びたスタイルで描かれていた。変身シーンで一度ヌード風になる意味が分からず何となく恐ろしかった。)
時を同じくして、電車の中で痴漢にあうようになった。隣に座って太ももを摺り上げてくる人、ぐいぐい押しよってくる人、自慰の様子を見せつけてくる人、色んなバリエーションがあった。特に自慰を見せつける人は印象に残っていて、膝の上で週刊誌を開き読んでいる風を装いながら、その下で性器を触っていた。時折目の前に座る私に視線を寄越すので、何だか危険な感じがして動けなかった。当時男性が自慰をするなんて知識は全くなく、隣に座る友達と「前のお兄さん何してると思う?」と小声で話し合えるくらい、その行為はただの変な出来事だった。他の痴漢も同じくらいセクシャルな意味はまるで理解できず、ただなぜ自分の体を触られているのかが意味不明で混乱した。
そんな鈍感な私も、身体もやがて第二次性徴を迎え、初潮を経験し、乳房が形になり始め、何よりアンダーヘアが薄く生え始めた。このとき一気に、大人のお姉さんたちとそこに注がれる視線が他人事ではなく、このあと私が受けるものであることを自覚した。振り返れば、太ももを撫でたあの人も、「セックスって知ってるか」と話しかけてきたあの人も、変な行為に目が釘付けの私をチラ見してきたあの人も、私をヌードのお姉さんたちと同じように扱っていたのだと思い至った。私は一方的に慰みものになっていた。
それからしばらくは成長するのが嫌で仕方なかった。胸の膨らみを憎み、下の毛をカミソリで全部剃った。修学旅行ではこの成長を周囲に悟られたくなくて大浴場には入らなかった。成長が進んでしまったら、女性の性的な部分を世間に差し出し、あの水着のお姉さんたちのように他者に評価されながら生きていくしかないのだと絶望した。
やがて中学生となり男性に恋をして、女性であること・女性の身体を持っていることへの嫌悪感は減った。男性がそれに魅力を感じること、またそれを上手く見せることで好意を引き寄せることができると学習したから受け入れられるようになったのだと思う。自分の体と社会の折り合いをつけるようになったのだ。その学習効果は、スカートを短くすることや、石鹸の香りの香水をつけること、唇をツヤツヤにして”キスしたくなる”状態に保つことなんかに現れた。(当時、セブンティーンやプチセブンはそういう指南に溢れていた。)
このあとは割愛。私は一般的な異性交友体験を重ね、特にセクシャリティに関するトラウマを持つこともなく、平均的な年齢で好きな人と性体験をし、恋に悩んだり、遊んだりしながら結婚して母になった。
もしあの頃の自分に声をかけてあげられるとしたら、女性・男性の性的魅力を記号のように表現したり消費したりする文化の一段奥には、相手個人を切実に求める個人間の原始的な愛のやり取りがあることを先に教えてあげたい。それは人間(というか生き物)として自然な欲望であり、それを感じる相手とだけでいいから、お互いに性的魅力を伝えあえる関係になることが大切なんだと安心させてあげたい。
幼い頃は健康で丈夫な自分の体をただそれだけで好きで信頼していたのに、チラチラと差し込んでくる性的なものたちに気を取られ、私はその信頼を疑ってしまった。スカートは膝上20センチじゃないと、ブラは2センチ厚のパッドが入っていないと、髪はセミロングを揺らしていないと、女子学生らしくないと毎日夢中で取り組んでいた。その呪い、タイムマシンで解きに行きたいよ。
そうやってカモを集めるのはやめなさいよw
あれは、プログラマー大量解雇時代を見越して、講師業の需要を作っている、と私は穿って見ております。電卓全盛期のそろばんみたいな立ち位置の、ロジカルシンキングを標榜した技能的嗜み。
エスカレーターで左側に並ぶ人が大量にいて右側がすかすかになってるの見るたび、中途半端にエスカレーターで歩くなって啓蒙した鉄道会社にくっそ腹が立つんだけど、多分そんなことて腹立ててるの俺だけなのでまぁ、別にいいんだ。
重いよね、、
萌え絵は女性や子どもが極端にステレオタイプ化されてて、この場合当事者にはクレームを出す権利がある、だそうだ。
うーん?
男が思う女っぽい格好させて「これが女だ」って決めつけるのが気持ち悪いって事なんかな?
でもそうなると体は男性心は女性みたいな人は「スカートを履く」「女性ものの下着をつける」「化粧をする」「髪を伸ばす」なんていう
典型的な「女性のステレオタイプ」の格好をしちゃいがちなわけで
逆に体女心男の場合短髪にしたり…
「もし勝っちゃったらヤバい」とか、第1党にならなくても、いまは「何でも反対!」をされて膠着させている悠長な場合ではない、と考えている人が多そう。
何でも反対はイメージでしかない、と枝野さんは例をあげて否定しているけどね。
あと、進んで悪くなるなら膠着してたほうがマシでもあるわね。
資格は自分について回るもの、というのはとても正しい気がしました。
自分で考えて自分の役に立つと思ったものを取るのがよさそうです。
ただ、オラクルマスターの例でいえば、内容は役に立たなくても「この資格を持っている」というステータスが自分や会社の役に立つことがあるってことだから、会社から言われた資格も無意味と決めつけるのは良くないのかもしれない…
私の学校は私服の女子校なので、ハロウィン当日の昼休みや放課後は仮装をした女子で廊下が埋まる。みんな各々着飾ってメイクもして、王道のハロウィンコスからアニメキャラまで千差万別、かわいいコスプレで友達と写真を撮ってはしゃいでいる。
私は「そうじゃない」側の人間だ。友達からもらったお菓子を食べながらがらんとした教室でスマホを弄ってる方。陰キャの中の陰キャ。
別にだからっていじめられたり差別されたりするわけじゃないし、私もそれなりに満足していたけど、いままでずっとそっち側だったから最後くらいハロウィンに仮装をしたい、はしゃぎたい、という気持ちが湧いてきた。
でもそれは私にとって「選ばれし方」の特権だ。そこまでかわいくない、友達も大していない女が変にかわいいコスプレとかするの、イタくない?という変な自意識が働いて、まだ衣装すら買えずにいる。さりとてネタに走って笑いを取れるほどの面白さもなく、カワイさと面白さで完全に板挟みだ。
本当はみんなそんなに気にしてないって分かってるけど。多分そんなに悲惨なことにはならないんだけど。でも気にしてしまう。あ〜どうしよ。