ゴミ箱にまでお金かけるような人は本物の金持ちだろうなって思った
俺ゴミ箱はアマゾンの箱をベースにして自作してて、その中に指定ゴミ袋を入れてるんだよね
くたびれてきたら作り直してる
適当な段ボールがない時はゴミ袋のそのまま置いてるしゴミ箱を買おうと思ったことはない
そういうお金を出す意味も意義もわからないようなものにお金だしてるなんて絶対金持ちしかいない
電車乗るときも周りに配慮しないから1人なのに2人分ぐらい場所とるしさ
そんなリュックでかいのにそれにプラスしてサブバッグ持ってるのほんとなんなの?
何そんなに持ってんの?
謎
1次放流と2次放流とあって、実際に漫画を買ってスキャンしてアップロードするのが1次、
アップロードされたファイルを流用して自分のところのサイトにアップロードするのが2次。
最近アップロードされた漫画ファイルには漫画村のウォーターマークが入っていて、
広告配信プラットフォーム「GenieeSSP」などを展開するジーニーは4月17日、政府が発表した海賊版サイトへの対応を受け、当該サイトにおける広告配信の停止措置を行ったと発表しました。「漫画村」や「Anitube」「MioMio」などの違法サイトで、同社が開発した広告配信システムが使われていたことを受けての対応とみられています。
これ去年も同じ事を書いたんだけど
目先の性欲で人生を棒に振る男多すぎ。
胆力みなぎる男性諸君が自慰行為に費やす時間の無益さったらないし、
ましてや被害者が出るような事案や、
無理にでも賢者タイムに持ち込めば、諸々の一線を越える男もだいぶ減ると思う。
そしてドラッグストアに安価で置け。自覚ある奴は多分買うだろ。
あと先に断っとくが俺は男だからな。
『異端審問』?
なんだ、そりゃ。
俺には馴染みのない言葉だったけど、それを聞いていた信者たちは色めきだった。
「まさか、このご時世に、こんな所で拝めるなんて!」
みんな、その場から離れるのをやめて、再び渦中に集まってくる。
俺はイマイチついていけてないけど、みんなの興奮ぶりを見ていると、ただごとじゃないのは肌で感じる。
気になって、タイナイとカジマに尋ねた。
「ねえ、異端審問って何?」
「オイラも詳しくは知らないっすけど、要は宗教をテーマにした裁判って感じ」
「その目的は様々だけど、今回の場合だと免罪符を売っていたあの人を、生活教の人間ではないって証明するための裁判ってところだろうね」
なるほど、話が見えてきたぞ。
ニセ教祖のやっていたことは、そもそも生活教とは何ら関係のないことだと、その裁判で断定したいわけだ。
信者たち目線では、単なる内輪モメが“異端審問”なんていう物珍しさによって、ちょっとしたエンターテイメントっぽく見えるようになる。
教祖にそんなつもりはなかったのだろうけど、結果として名誉挽回と信者の確保を両立する、ベターな回答を出したわけだ。
もちろん、信者たちにとってはどう結果が転ぼうと、構わない。
ただ、なんとなく刹那的に盛り上がればいい。
こういうのって、あらかじめ予約しておかないと借りられない気がするんだけど。
当日に都合がつくなんて、変な力が働いてないか。
裁判所みたく厳かな雰囲気もなく、みんなが同じパイプ椅子に座っている。
まるで、大人の学級会だ。
「本日、昼ごろ。免罪符を売る、生活教徒が出没。ですが、この者が、生活教を騙る人間ではないかという指摘が入ります」
自治体は中立的な裁判官、および“執行者”として参加していた。
俺たちや当事者はともかく、自治体は余計な仕事を増やされてるから、とばっちりだ。
「生活教、教祖。彼が生活教徒ではないことを証明するものはありますか」
証明するものっつたって、信者の多くが自己申告で成立しているような、ユルい宗教だぞ。
当人が生活教徒だと宣言した時点で、水掛け論にしかならない気がするけど。
「生活教の基本教義が書かれた聖書、『ワーク・ライフ・バランス』の3ページ目をご覧ください」
そんなの、いつの間に作ってたんだ。
「あー、そういえば、そんなのいつも配ってた気がするっす」
「流し読みした限りでは、底辺ブロガーの自己啓発みたいな感じだったから、マジメに読む気が起きなかったんだよね」
この日のためにでっちあげたとかいうわけでもなく、当初から一応あったらしい。
30代中盤になり、将来のことが不安になった私は都会での仕事を辞め、一時的に実家に帰ることにした。
差し迫った理由もないのに安易に気ままな一人暮らしの生活を捨ててしまった自分を今となっては止めたいが、
そのときはこれで高い家賃も浮くし、家の手伝いもできて親孝行にもなるだろうと気軽に考えていた。
世間は人手不足で騒いでいるから、転職にはそれほど困らないはずだ。そんな能天気な期待もあった。
実家は田舎ではそれなりに大きな家で、裕福だ。一昔前よりは減ったが親戚付き合いもまだ多い。
長男の私は子供の頃から「跡取り」になるのだという意識を、その言葉の意味もわからないのに、当たり前のように持っていた。
家業とはまるで違う学部の大学に入っても、家業の役に立たない仕事を始めても、その意識は消えなかった。
今考えると、その時点でおかしく感じる。私は家業を継ぐ気も、実家で一生過ごすつもりもなかった。
自分の住みたいところに住み、やりたいことをして生きるつもりだった。
それなのに心の中ではいずれ家に帰るつもりだったのか。それを既定路線として、どこかで受け入れてしまっていたのだろうか。
昨夜、父と口論した。
きっかけは私に明日(つまり今日)、家業の手伝いをするようにと父が言ったことだった。
別に大した内容ではない。ただ立っていればいいような仕事だし、今までもそういうことはしてきた。それは当たり前のことだったから。
ただそのときは疲れていたのか、本気で拒否してしまい、それからは互いに、というより主に私が、相手を傷付ける言葉を連発した。
(そしてその言葉が数時間後、布団の中にいる私を苦しめ、眠れなくなってこうして書いているわけだ。)
「俺は家は継がない。お父さんが死んだら全部処分するよ」
私はそのようなことを言った。これに対し父が
「そんなこと許されると思ってるのか? これまでおまえにいくらかけたと思ってるんだ」
と返し、以下すべて私。
「俺より早く死ぬ奴のために、自分の人生をめちゃくちゃにする気はない」
「見返りを求めるって、親として最低だよ」
ただし、私の声は異様に震えていた。父と真面目なことを話すときはいつもこうなる。
「毒親」という言葉を最近知った。父がその毒親ではないのかと思うことがよくある。
この番組はCMに入るときに特徴的な効果音が入る。(ちゃんと見たことはないので、違っているかもしれない。)
夜、寝ていると、父と母が怒鳴り合う声がする。その合間合間にあの効果音が聞こえるのだ。
どんなに耳を塞いでも、布団に潜っても、自分の声でかき消そうとしても、怒鳴り声と効果音は鳴り続けた。
この番組が「火曜」サスペンス劇場と知ったとき、不思議な気がした。記憶の中で、あの音は毎晩聞こえていた。
…こんなふうに幼少時の思い出を書くことが何になるだろう?
私は実家に戻って以来、父と生活していることにたまらない不快感を抱いてきた。父は毒親なのだと思ってきた。
だがたぶん、こんな家庭も親もいくらだっている。親は完全な存在ではない。
私はもしかすると、自分が父を不快と思うのを正当化するために、父を毒親の条件に当てはまるよう、
頭の中で自分の記憶や感情を捏造してきただけなのかもしれない。
火曜サスペンス劇場のことだって、たとえば一年前、同じように思っていたか確信が持てない。
第一、昔からそんなにも父との関係が壊れていたら、こんなに軽々しく実家に戻る決心などしなかったはずだ。
「毒親」という言葉のあと、真っ先に親を責めるようなこんなエピソードを持ってくること自体、共感を求めて甘えている。
人が見れば、父など毒親でも何でもないのかもしれない。
出来の悪い子供をちゃんと大学まで行かせて、ニートになっても何も言わずに面倒を見て、
いまは無職となった息子を無料で家に置いている、優しい親なのかもしれない。
というより、書いてて確信したが、きっとそうだろう。
別に父との思い出は嫌なことばかりではない。スーファミのソフトをたくさん買ってくれたし、旅行も何度も連れて行ってくれた。
人並みに反抗期だってあったが、大学入学で家を出てからは衝突もなくなり、二人で飲んだりすることも何度だってあった。
30代半ばにもなってパパなんかだいっきらいなどとわめいている私こそがどうしようもなく幼稚で未熟な異常者なのだ。
何も考えずに家業を継げばいいのに、下らない自意識と自尊心のせいで、父や先祖の築き上げてきたものを無に帰そうとしている。
しかも私はその家業にも家柄にも土地にも、何の興味も持てない。同じ思いをすることになる生命をつくることが罪悪にすら思う。
想像の中の父は怒り狂って、引っ越しの準備をしようとする私を怒鳴りつけ、家から出すまいとする。
そんな仕事してもどうせダメなんだから、おとなしく家業を継げ。
無理矢理家を出れば、父は思い描いていた人生を打ち砕かれ、気落ちして、そのまま死んでしまうかもしれない。それも私の妄想だ。
どうして父との関係をうまく築けないのだろう?
私は父が毒親かどうかなんてどうだっていい。父と仲良くやっていきたいだけだ。
これから二十年、十年、五年、いつまでかわからないが、残りの時間を幸福に過ごしてもらいたいだけだ。
父が人間の屑なら、そうできない自分に悩むこともないだろう。だが私は、悩むのが辛くて、父を屑だと思おうとしている。
父が死ぬほど嫌いだ。憎んでいる。生きていてほしくない。いなくなってほしい。死んでほしい。