漫画っていうのは、絵を用いることで圧倒的な分かりやすさ、情報伝達の素早さを特徴とした表現手段だと思うんですね。
小説で、風景描写にリアリティを持たせようとしたら、相当の文字数を読ませないと伝わらないけど、
漫画なら1枚の絵によってほぼ瞬時に伝えられるみたいな感じ。
ある増田の影響で偶然見かけたワニワニパニックをプレイしてきましたわ。
向かって右端のワニの顎がむーざんむーざんな状態になっていました。
それでも遠慮なく叩いて、
なぐったワニ:74
かまれた回数:7
とくてん:67
でしたわ。
本日のスゴウデは96点で、
場所は伏す。
ある増田
プランナーに限らない。
非プログラマにはプログラミングで何ができて何ができないのか、
一度決めたことは引き返せるのか引き返せないのか、といったことがわからない。
コミュニケーションでカバーしようとしても、当のプログラマからの返答が的を得ないのでわからないしイライラする。
つまり、「○○なプログラムを作って」とプログラマに依頼する際に
○○をどこまで詳しく追及しないといけないのかがお互いにわからない。
例えばプランナーが「ログインボーナス作って」と言ったとする。
プランナー「パズドラとかにあるやつだよ。ゲーム起動したらいろいろもらえるでしょ」
プログラマ「起動するたびにもらえるの?アプリ閉じてもう一回起動したらまたもらえる?あとそれと具体的に何がもらえるの?もらえるってどういうこと?なんとかボックス的なやつ?賞味期限ある?」
このあたりでプランナーは思考停止して上の空になるパターンが多い。
このようなやり取りに辟易するのはゲームのプランナーに限らない。ソフトウェアを作る仕事において常に発生する。
プログラマに仕事を依頼する際、プログラマの方でうまくやっといてくれというようなことに関して面白いほどプログラマはうまくやってくれない。
http://68.media.tumblr.com/42fa4c5ae80c850683b4c2c09c94b8b0/tumblr_olzbhqaL341uv8svno1_1280.jpg
ちょっと背伸びしたい若い男子大生がさ!二十万のジャケットに目がくらんで、若い肉体にものを言わせて、お金を稼ごうとするわけよ!
それを決めていいのは、オルガじゃない。オレなんじゃないのかな」
https://twitter.com/fanybot/status/835556477909659649
https://twitter.com/fanybot/status/835556939706712064
最近こういう、ゲーム制作におけるプランナーを無意識に無能と思ってる人をちょくちょく見るけど、
どんな環境にいたらそんなことになるんだろう。
ロボットに仕事を奪われて生存が脅かされる的な考え方をなだめるためにロボットに苦役は任せて人間はもっと楽したらええやんって考え方
ってロボットの自意識や権利というものとどう向き合うのって問題に気づく前に戻ろうってわざと後退して目を逸らすような所業だと思う。
もちろんいきなり前者の状況になるなんてありえなくて後者のような過渡期を通過していくんだろうけど
「誰がそんなことを決めたの?失っている過去を守るのは間違いで、今ある現実を守ることだけが正義なの?それを決めていいのは、オルガじゃない。オレなんじゃないのかな」
AIにとってはプログラム通りで正しい事だけど、人間の判断としては間違っている事、
幸いなことに、自分のために何かしてくれるという人が今、自分の周りにいてくれている。
それはほんの些細なことなんだけど、失敗しないようにとフォローしてくれたり、これからやっていくことに対して応援してくれたり、ときには冷静な知見からアドバイスをくれるといったものだ。
それはそれで嬉しいのだけど、彼女に対して自分が何ができているのかということがわからない。
「絵も描かずに『神絵師を目指す人々』を描いた漫画が破壊力高すぎて大ダメージを受ける人続々」(https://togetter.com/li/1084759)を読んだ。
この手の話は、まとめのコメントにもあるように「とにかく描くこと」という結論に落ち着きやすい。
しかし、当たり前の話だが、こんな結論を知ったところで何も解決しない。これは、受験勉強で「とにかく勉強すること」を解決策とすることと何ら変わりがないのだ。
高い目標を達成するためには、地に足を付けて自分に合った形に目標を設定し直さなければならない。
さらに言えば、達成難易度が高い目標の場合、攻略法は必然的に複雑になる。ここをまず勘違いしてはならない。
(1)最終目標を明確にする
神絵師とは何なのか。ある程度数値化できるレベルに具体化する(「即売会で1000部完売」等)。
しかし、萌え絵(死語?)を描きたいという欲求を持った人は、数値的な目標よりも、それを手段とした他者とのコミュニケーションが最終目標とされる場合が多いと感じる。
これでは目標が抽象的すぎて具体的な行動に落とし込むのが難しくなる。
その場合、目標から演繹的に方法を考察するのでなく、具体的な行動指針を逐一検証して積み上げていく戦略を採ることになる。
自分の現状を把握するために、何か課題を設定しておく。そして、数か月後に同じ課題に取り組む。
この課題はきちんと記録として残しておく。そうすることで自分の成長を確認できる。
(3)基本方針
基本的には、メニューを決めて、実践、問題点の検証の繰り返しである。部活でいう筋トレみたいなものである。
とにかく、何か決まっていないとだれてしまう。メニューはとにかく負荷の少ないものとする。
継続の負荷をいかに少なく気楽にやれるかである。これが一番難しい。
気持ちで乗り切ろうとするのが一番最悪で、とにかく感情を挟まないように環境を構築するのが良い。
負担や負の感情が喚起されるパターンをとにかく書き出す。そして、その原因に対する対策を立てる。
(4)私の方針
私は、最初は○(まる)をB5用紙いっぱいに描くというレベルに設定した。これ以上は欲が出てもやらない。翌日も描きたいという欲求を残しておく。
大学入学後、夏休み前まではひたすら絵を描くことに慣れるという抽象的な目標があり、具体的な目標としてB5用紙1枚いっぱいに図形を描いた。
なお、その期間に、好きなイラストレーター、漫画家、アニメーターについて調べた。自分の目標とする、好きな絵柄の方向性をきちんと把握するためである。
気に入った人がいたら、その人の資料をとにかく集める。なお、私は冬目景が好きである。
そして、夏休み以降は、その好きなイラストをひたすら模写する。
年明けに、毎日模写1枚と自由1枚にし、それをひたすら1年続けた。
(5)情けない結果
結果、約2年で私の画力は飛躍的に上がった。
その後、カラーイラストに嵌っていくのだが、その練習も方法論は基本変わらない。
というか、教本が充実しているので、その方法論を具体的なトレーニングメニューに落とし込めば良いので楽だった。
しかし、ある程度描けるようになって気が付いたのだが、私は別に絵を描くことが好きではなかった。
絵を通じてコミュニケーションをするのが目的だった。そして、その目的は、ある程度描けるだけで達成できたのだ。
したがって、ある程度描けるだけで満足してしまった。
父ちゃん、母ちゃん、せっかく息子をここまで育ててくれたのに、ごめん。本当にごめん。でも、これ以上喪失の悲しみに我慢できない。最後に少しだけ、これまでの出来事を振り返らせてほしい。
端的にいうと、好きだった人に振られた。いや、実際には振られてすらいない。希望が無くなったわけでもない。ただ連絡が返ってこないというありふれた問題でここまでなってしまった。心臓が張り裂けるほど四六時中胸が痛い。今までは耐えてこられたけど、これほどの痛みはさすがに我慢できそうもない…。
本当に素敵な人だった。この人といれば、確実にもう一度青春を謳歌できると思った。もし晴れて好意を抱いてくれたなら、相手が喜ぶことであればどんなことでもする。全て投げ捨ててもいい。行動やしぐさから、少なくとも嫌われてはいないのかなと思っていた。
が、最終的に連絡が途絶えてしまった。せめて連絡手段さえあれば希望が見つかるのに、その線すら途絶えてしまった。でも、それはかつて自分が他人に対してやっていたこと。今更嘆いても、同じことをやっていたのだからもう遅い。
あとから振り返ってみれば、果たして自分が純粋に好意を抱いていたのかもわからない。恋愛感情とはいったいなんなのか?かつて経験した数少ない恋愛でも、独占欲にまみれ相手を私物化しようとしたあげく、「自分の感情がよくわからない」と言い残して旅に出てしまった。結局、後々事の重大さに気づいた時には別の相手ができており、完全に後の祭り。何度も夢に出てきた。その度に胸が痛んだ。
今、片思いしている人はとてもできた女性だったから、一緒にいるだけで本当に幸せだった。周りにいる家族の方、周囲に住んでいる人も自分を暖かく受け入れてくれた。家庭事情は表面上のことしかわからないが、しばらく過ごして「子どものことを素直に受け入れる、素晴らしい親御さんだな」とわかった。
一方うちの家族は、側から見ると普通の家庭に見える。ただしそれは年齢を重ねるとともに落ち着いてきただけであって、離婚を重ねた夫婦だけに問題は山積み。何かあるとすぐにヒステリックを起こし、努力しても認めてくれない、面倒な話は避ける、子どもの意見を親の権力で黙殺するなど、よくある話かもしれないが、自慢できるものでもなかった。
20代前半にして、やっと気づいた。自分に全く自信が持てない。その根本には、昔家族に受け入れてもらえなかった問題がある。いわゆるアダルトチルドレンというやつか。人との距離感が掴めず、自信もないから誰と会話してもぎこちなくなる。本当はめちゃめちゃ孤独を感じていて寂しいのに、人と話すたび罪悪感を感じる。嘘で顔面を塗り固めながら話している感じだ。当然周囲の人は離れていくし、自分も傷つけたくないから人と関わらなくなっていた。重い話を相談できる相手も、もちろんいない。
好きな人と会った時も、好きだけど今の自分には全く相応しくないだろうし、関わるだけで申し訳ないと思った。でも、高ぶる感情を我慢できずに関わって案の定終わってしまった。幸せな時間が多かったけど、持病のぎこちない病を発症してまともに会話できなかった。自業自得だ。
今からでも、人生を変えることはできると思う。時間をかけて自分の痛みを癒し、仲間をつくってやりがいのあることを見つければ、充実した人生が送れるかもしれない。アダルトチルドレンの本にはそのように書いてあった。
でも、その状態で生きていてなんの価値があるのか?時間が解決するっていったって、この苦しみを当分の間背負わなければいけないの?もう散々痛みを感じているのに、できるわけないでしょ…。
別のことで紛らわすという方法もあるだろうけど、そもそもこの精神状態では何に対しても興味がわかないし、生きる気力もないし、かといって下手なプライドで家に引きこもってると飛び出したくなる。というか、飛び出したくなって東京まで来たのに、むしろ辛い。
全て両親が悪いか…というと、そうでもないだろう。両親の家庭環境も悪かったそうだから、結局貧困家庭の典型的な問題を再生産しているだけ。両親も人だから、彼らなりに頑張って今の状態があるのだろうと思う。
両親を責める気はないし、好きな人も拒絶された以上は諦めるしかないだろう。というか、もう自分で自分を振り回しすぎて疲れた…こんな状態で生きていくのは無理。先も見えないし、人生ハードモード過ぎました。今の状態で精神がやられているなら、どうせこの先、生きていけないだろう。本当にごめんなさい。終始自分のことしか考えてないのに自害するとか、アホな話だな…。
決して両親が悪いわけでも、まして好きな人が悪いわけでもない。この世に生を授けてくれて、本当にありがとう。今まで内面に埋もれていた感情を気づかせてくれて、本当にありがとう。自分すら、悪くないのかもしれない。ただ、色々と運が悪かっただけ。
最後に、もし同じように辛い目にあってる方がいれば、ぜひ教えてください。少しでも、同じ悩みを持ってる方のことを知れたら嬉しいな…と思います。