何か言葉が足りないよなぁ
だけど、本来はババア!は初老以降のおばあさんに対して使ってほしいわけよ
おばあさん、ばばさま → ばばあ!
おばさん、おばさま → 現状ばばあ! ここにもう1語欲しい
おねえさん、ねえさま → ?? できればここにも欲しい
こう思ったのは、20代後半のにいちゃんがジジイ呼ばわりされてるのを見て、なんかしっくりこなかったせいだ
おじいさん、じじさま → じじい!
おじさん、おじさま → 現状じじい! ここにもう1語欲しい
おにいさん、にいさま → ?? できればここにも欲しい
例えばクソジジイ!とは言えるが「クソおじさん」とは言えない、「クソお兄さん」も言いづらい
そもそも「にい」「ねえ」が言いづらい
たぶん反抗期の中房みんな思ってるはず
「期待が外れた」って一番残酷じゃない?
「○○してくれる」「○○になってくれる」って相手の行動を自分が予測して、
それが実際に起こらなかったら幻滅するってすっごく身勝手に思うわけよ。
物事がうまくいくかどうかなんて本人の実力以外の色んな要素があるのに、
その要素全部すっ飛ばして「見損なった!」って。知らんがな。
っていうのは自分でもよくわかっているんだけど、
恋人や配偶者に「期待しない」ということはとても残酷に感じられる。なんでだ?
ありのままを受け入れるって考えればれりごーっぽいけど、
「期待する」って言っても別に年収1億とかそんな大それた話じゃなくて、
向こうが「こうなりたい」って宣言してくるような、目標みたいなものね。
だから「期待しない」ってのは、その人の目標を否定するようでなんか気が引ける。
でもその目標が達成されるとも限らないから、期待したらいざというとき幻滅するわけで。
うーん。
好きな人に期待するのは当たり前ってか?
それとも、好きだから期待していたいとか?
いっそ、期待しないまま好きを維持するっていうのが愛なのか?
期待するって難しい。
堂々と学校に来て教職を続けているのがみんな気に食わなかったので何かにつけ
「あいつケツバットやったくせに何のお咎めも無しで偉そうに…」とヒソヒソやっていた
で、授業ノートを回収チェックした際、友人(女)が体調悪くて字が荒れてしまったページを見つけ
これはお前が書いたんじゃないな他人に書かせるなといくら弁明しても自分の思い込みを変えず高圧的に怒鳴った
周りに比べてどうもゴミみたいな人生送っていて最近その理由が分かった。
まず、非常に消極的。
自分の気持ちをどんな所でもほとんど言わず、周りとの関わりを避ける。
仮に気持ちを言うとしても恐縮しながら回りくどい事を言ってしまう。
そんな事があっても1人で抱え込み
じっとしてやり過ごそうとしてしまう。
これが二番目の欠点だ。
どういう点かというと、プライドが高い点だ。
体は非常に細く、慢性的な精神病にかかっている。 学歴は高校中退。
信頼できる人は0で(親はあまり頼りにならず忍耐または自己否定を提案する)ひどい時は誰かに襲われるのじゃないかと怯えている。
道徳心を持とうだの、他の人よりマシと考えて怒りを抑えようとする。
自分がいつまで立っても上手くいかない理由はこの二つにあると痛感した。
こう大人しくなってしまったのは様々な要因があるが、メソメソ泣いていても周りは変わってくれず容赦なくいじめ抜く、または見て見ぬ振りをされる、哀れに思って意思を汲み取って配慮してくれる人は少ないという事を実感したのであった。
ああ、なんて厳しい社会だ。
車通勤ならネゴ次第で出退社をずらせばいい。俺はラッシュアワーなら片道45分だけど、10時半に家を出れば25分くらいで着く。だから11時-19時半みたいなスケジュールにしてる。
「学校の勉強は役に立たない」というのは、役に立たない部分の印象が強いんだと思う。
国語で「主人公の気持ちを書きなさい」→大人になってから、小説を読まないので主人公の気持ちとかどうでもいいし。
こういう小さな事象の積み重ねが、悪印象を与えてるというわけ。
実際には、
数学で学んだ三平方の定理は測量の仕事で不可欠なレベルで役に立ってるわけです。
でも、そいう役に立ってる知識は、本人にとっては常識と化してしまうので、学校で勉強した知識であることを忘れてしまいがちです。
ネットで検索しても満州人の官僚か柑橘類くらいしか出てこないんだよ。
こんなに「俺はたくさんの知識を得てるんだ!」と豪語してる人が使う「マンダリン」は、私が知らないだけできっと特別な意味を持つに違いないと思ったので、質問してみました。
ヒトはですね、二本足で歩く珍しい動物で、白っぽいのも黒っぽいのも結構個体によってバラバラで。
基本的には群れで生活しているんですけど、ボスがいて厳格にやってるかと思ってたら、みんな従ってる振りだけで全然言うことを聞いてなかったりして、群れ独自のルールがあるみたいですね。
ひとはっしょうのちほごく いぶおねえさん(あふりか)
http://anond.hatelabo.jp/20170204214653
増田がこういうことを言う前提には、「学校で学ぶことは実用的でない」という考えがあるのだと思うけど、必ずしもそうではないと個人的には思っている
(今のカリキュラムや指導法がすべて適切だということはないにせよ)。
「中学までの科学知識があれば」なんてことは偽科学批判の枕詞でよく使われる。
この前のトランプ大統領の就任演説なんて中学校までで習う単語がほとんどだったそうだし、
書店で「中学までの英語で英会話はできる」というような内容の本はよくある。
政治の問題で過去の歴史が引き合いに出されることなどいくらでもあるし、
逆に過去の例を知らずに出した「斬新なアイディア」がクソだってことは少なくない。
保健体育をきちんと学んでいれば、性感染症や望まぬ妊娠はかなりの程度避けられるはずだ。
そもそもの話として「学問は実用的でなければならないのか」という問題があるけど、それをさておいても
なんでこんなに多くの人が「学校の勉強は役に立たない」と口にするのだろう。ぱっと思いつくのは二つ。
一つは「教え方」の問題だろう。人間、習ったことで「試し斬り」をしたくなるもので、、
それが上手くいくことは学ぶことの動機付けの一つにはなる。恐らくそれが不足している
(でんじろう先生がもてはやされたのは、学校レベルではそのような実感がいかに乏しいかという傍証のひとつだろう)。
二つ目は、社会の不条理や不平等のはけ口として、平等に与えられる学校の勉強が槍玉にあがる、ということだ。
例えば、それなりの大学を出ても、お金持ちや権力者にかなうわけではない、だから「学校の勉強など無駄じゃないか」というわけだ。
それに加えて、学問ってのは個人の資質で下手するとスポーツ以上に到達度に差が出る。割と絶望するレベルで。
他にも恐らく切り分けて考えるべき問題が沢山あって、現実は複雑で、
教師だけ責めても何も解決しないってことは薄々みなわかっていて、
スーパー、特にGMS系のサービスの悪さは糞にも失礼なぐらい糞なんで一切利用しないし、利用すべきでない旨近所にも運動を呼びかけている。
スーパーの質の悪さは
などなど枚挙に暇がない。
このような質の低い業態は遅かれ早かれamazonが駆逐してくれるだろうが、万一生き残った場合これらに加えて客に商品を取らせるという馬鹿げた仕組みをいつまでも残すことは想像に難くない。
これ多分嘘でしょという気がする。子供の言い方が強調されているというかやけに細かいので、これは子供が大人を言い負かすというお話になっている。大学名(東大)とか自傷の話とかのノイズが子供の話に対して膨らみを持たす役割になっていると感じる。
嘘だろうなと思って読むと興味深い
> 院進しなかったから「学問そのものの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。
大人である著者が大学院に進まなかったという事をあげ、それが「学問そのものの価値」について説明する資格がないというもっともらしい事で結論が出せないことから逃げている。これとても上手いな。説得力がある用に思えるが、中学生が納得する勉強する必要性が何かを考えた時、必要な資格がいるとも思えないんだけど、「学問そのものの価値」というのが有ってそれが東大院に行かないと分からないことだと敷居をぐっと上げて読者から遠ざける、そうして結論を出さないために話題をズラしている。この一言を最初に持ってくることで、結論を出さないことに対する違和感を消している。
この文章の目的は釣り(見ている人たちが自分の意見を言って拡散すること)であって、結論はなくていいのだ。そのためのテクニックだと思うと興味深い。
もう一つ引用
> かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。
まず1点目は「水素水の何が嘘なの?」で、読者は何を馬鹿なことを言ってるんだこの子供は、という印象を持つが、この後の「嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」でハッとさせられる。すごいですね。この後続けざま「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」と畳み掛けることで信頼性をなるべく高めているのだろうと思う。水素水の何が嘘かっていうとただの水だからなんだけど、話をずらして言いたいことを言っている。
2点目は「怪しい新興宗教とか」が特に気を使っていて賢い点だと思う。「宗教とか」では困るのだ。そもそも勉強は宗教を否定することには繋がならないからね。勉強をすると宗教に騙されない、だと明らかにそれは間違いでさらに論点がずれる。だからそこを「怪しい新興」と補足をつけて怪しい新興宗教は間違いという正論を使っているのが興味深いところだとは思う。でも、だからこそ、そこにテクニックを感じる。
まだ興味深いので引用
> 「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」
これ、面白いなあ。だって情報源の話なんてしてないでしょ(後半の権威もいい味出してるが)。ここで、著者の言いたいことは、誰が書いたか分からないアノニマスダイアリー自体が信頼の置けないもののはずなのに、読んだ人はつい騙されてしまっているということだよね。まあ自分が話をずらしといてそういう話じゃないってところもなかなか良いと思う。