自分の中の生き物の部分が強いてきたり促してきたりしない人は別に子供を作らなくてもいいんじゃないの。
ひさしぶりの晴れ間なので、自転車で適当に走ってたら、いつもの癖で土手の舗装路に来たんだけど
そういうや水位上がりすぎてるから、水ひいても草が寝ちゃって走れないなあ。と考えながら、確認しにいったら、もう既に走れるようになってた。
舗装路を走ってると、土手掃除の小型車とすれ違って、道を譲って貰った。
ああ、この人のおかげで走れるんだろうな。と、思いながらも、軽く会釈だけして通り過ぎた。
何気なく利用してる場所も、知らず知らずのうちに、こうやってメンテしてる人達のおかげなんだなあ。
まあ、すれ違った先は、まだ荒れかけてたけど、ギリギリ走れそうだった。
清潔感というとモテキーワードみたいになるので嫌なのだが、それは絶対に必要だ、
1、とにかくいらないものを捨てる、
ひとりぐらしでつまづくのが、いらない物を買いあさるということである。
はしをとにかく買ってみたり、食器をとにかく買ってみたり、気持ちはわかるぞ!!!
買い足していく事が楽しいのだでも、
使ったものを処理しないで新しいものを使いだす→洗い物やらが増える
という負の連鎖に陥るので、いる分以外はすぐ捨てろ。
そのほこりのかぶったフィギュア本当にいる?誰にも見せないのに?捨てろ。
ひとりぐらしして最近の流行だなと思うのは自炊してますよ、アッピールだ!
料理→片付けという作業が発生する、それをほっておくと汚部屋になる。
『たまに自炊しますけど、忙しいときはコンビニです。』←これのほうがモテるし、部屋もきれい。
時間があるときに、自炊して、あとはコンビニで安いものを替えばよい、
3、乾かすな!
乾かしてもう一度利用するというのは、当たり前のようで、
とても難しい技術だという事が分かってきた、全国の主婦を尊敬する。
ぞうきんを乾かして使おうもんなら、絶対臭くなる。
なので、俺はぞうきん、ふきんをすべて捨ててキッチンペーパーに切り替えた。
ふく→捨てる。
なので、服を乾かすのももっぱらコインランドリーだ、乾いてくる衣服は気持ちがよい。
乾かすということにお金をかけても良いと思う。
コツはこれだけだ!
全国の部屋が汚い男どもよ。
自分の部屋を見回してみよい、よけいな物はないか、
よけいなものがあったら捨てろ。
ミニマリズム????みたいなものを推奨しているわけではない。
私が言いたいのは自分のキャパシティを知れということだ、部屋に飾ってるフィギアが
埃一つなく飾ってあるならそれはよけいな物ではない!立派に必要な物だ。
しかし、ほこりかぶっていて、見向きもされないなら、残念ながらそれは必要ない。
部屋というのは、自分に帰ってくる。
清潔そうな奴の部屋はぜったい綺麗だ、
隠しとうそうとしても、部屋が汚い奴はわかるんんだ、いくら表層を装っても
よく分かった
もし年上の女性と結婚するのであれば、自分より高収入で、先輩姉貴先生みたいなタイプならアリ
文字にすると伝わらないが口調や雰囲気から内向的で探り探りな対人関係取るタイプがにじみ出ている友達みたいな女性だったら別に年上である必要がない。
http://anond.hatelabo.jp/20150913203021
すまん。あと言いたいこともわかる。
でもグロ展開とか鬱展開の程度と、その時に感じるつらさは関係ないと思うんだよね。
客観的に見てこの作品より鬱な展開とかグロい作品なんか山程見てるけどそういうのは平気なんだよ。
ためしに、鬱展開への耐性に自信がある君がキツイって思う作品あげてみてほしい。 多分私君が上げる作品は平気だと思うよ。
まあ、君が上げた作品がよほどすごいものだったら私も凹むと思う。 さあどうぞ、君のプライドをかけて君のおすすめ作品を紹介してください。
やりました・・・。やったんですよ!
必死に!その結果がこれなんですよ!!
仕事に行って、叩き合いをして、今はこうして増田と歩いている!
これ以上なにをどうしろって言うんです!!何と戦えって言うんですか!!
経験上この手の人は、十年以上たっても自転車操業状態から抜け出せない。なんだかんだで家族が君のお金をあてにするようになる。
この状況から抜け出すためには次がいい。
●高校卒業して、理系職に就いて、なるべく早く「海外」に行く。
君の場合は文系で、法律に興味を持っている理由が分からないけど、プログラマーを目指してみたら?少なくても情報処理試験の基本情報技術者に合格していれば何社か受ければ就職できる。
アメリカでプログラマーやってる知り合いに聞くと新入社員が普通に年収1000万円以上。日本で収入の話をするのもバカバカしい話。お金に関しては海外に行くことだけに集中するのが正解。
一方、お金に困ってない日本の技術者にお金の話をしても余り意味ないけどね(いかに刺激的な仕事ができるかという話をすべきということ、でも最近10年日本に刺激的な仕事は余り無いけど)。
また、60過ぎの親戚に聞いたら、昔は大学の学費も寮費も安く、仕送り無しでも週数回の家庭教師で十分生活できたそうな。(それなりの学力の人しか大学行ってなかったけど。)
つまり、ノーベル賞取った人たちは実はお金には全然苦労していない(すぐ就職して稼がないといけない状況もあっただろうけど)。日本は色々変えないと当分大変な状況だろうと予想される。
1人で映画館に足を運んだ。
始まった。
周囲の人間が立ち上がり始めた。
いいのか?
みんな棒を持っている。
光っている。
オレだけ何も持っていない。
スクリーンが見えないので仕方なく立ち上がる。
恥ずかしかった。
郷に入っては郷に従えを痛感したが、本当に恥ずかしかった。
知らない曲ばかりだった。
あべまなっていう子がかわいかった。
昨年急に浮世絵に目覚めた人です。
http://anond.hatelabo.jp/20150815210249
これに対して、
http://anond.hatelabo.jp/20150816024827
こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式で進化してるように思う。
ここで、それについて説明していきたい。
日本人のアイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。
ここで、見てもらいたいのは、ルフィが市川猿之助に似ていないこと。
なぜだろう?
「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」
その通りだ。
ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。
ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。
役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg
狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式なアンソロジーみたいなものである。
絵はすなわち、歌舞伎の様式美、世界観、江戸の空気を体現したものではならない。
ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである。
似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本は世界を変えた。
勝川春章
この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎の世界観、様式美との調和に成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg
顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。
歌舞伎の雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する。
彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。
ちなみに、葛飾北斎は勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。
面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである。
http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg
歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。
正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性がデッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。
スネオの髪型やカイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。
女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいのエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。
続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。
先に写楽に触れよう。
東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg
http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg
Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。
小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正は必要ない。
芝居小屋の闇を表現したかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗りの人間にスポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。
実際、写楽は売れなかったらしい。
なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビュー、しかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。
よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である。
ところで、写楽は商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。
写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば
歌舞妓堂艶鏡
http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg
http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg
歌川豊国の役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。
勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg
歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg
この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国、自称二代目豊国)、幕末の豊原国周まで続く。
末期がどんなになったかといえばこんなだ
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg
さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵の様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。
人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。
最後の浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。
晩年ともなると、このような感じ。
http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg
http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg
絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。
下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式。
どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である。
劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能。
人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター。
デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。
人物はデフォルメでも、背景描写はパースを重視するのも浮世絵的。
っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。
ちゃんとした美術史や絵の解説書から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。