バカなことを書きます。
病気になったので4年くらい引きこもってた。で、ネットで長時間時間つぶすのも億劫だったので、はてなも2chもやめて(Amazonで買い物したりとかグーグル検索とかはしてた)、ひたすらめんどくさい本を読んでた。どれも名著ばかり、知性あふれる文体で知的好奇心を刺激されて楽しかった。
で、最近だいぶ体調もよくなってきて久しぶりにネットの世界に戻ってきた。そこでぼくは愕然とした。人気記事やそれにともなう読者のやりとりを見てみると、どれもあまりにもレベルが低いのだ。レベルが低すぎて批判しようとも思えない。ただただぽかんとしてしまう。
どの人気記事もあまりにも読みやすすぎる。なにも引っかからない。読んでいても知的好奇心がぜんぜん刺激されないし、簡単すぎる文章なのでまったく頭使わずに読めてしまう。ぱーっとスクロールしながら速読して終わり。なんでこんなのが人気記事?って思う。
もちろん、ぼくは4年間本を読んでいただけで、べつにそれによってぼく自身が賢くなったわけでもないってことは十分よくわかってる(この文章を見てもよくおわかりいただけると思う)。
むしろ引きこもっていたせいでだいぶ頭の動きは鈍くなったと思う。社会参加ももう難しいだろうし、そんな人間が他人をバカにしていても滑稽なだけだ。
それに自分以外がバカに見えるというのは自分の視野が狭くてバカだからだというのもよくいわれるところでわかってはいる。
ネットでのうわべのやりとりだけで相手をバカだと思ってはいけない。相手をある種のラベルによって決めつけその限界を決めてしまうというのは相手を殺すことと同じだ。
というか、そもそも誰かを見下すというのはいいこととはいえない。
でもこの実感はほんとにどうしようもない。どうしたらいいんだ。
この病から治った人がいましたらどうやって治したのかを教えてください。
似たような感情なら俺の中にもある。
俺の場合元カノは何名かいるけどそれぞれから色んな事を学んだ。
今は感謝してる。
普通に生活してて何かのきっかけでその人たちのことを思い出すことがあって、
たとえば皿の洗い方であの人はこういう手順で洗わないと文句言ったよなとか、些細なことなんだけど。
お互いに感情をさらけ出し合って、一時期とはいえ人生のある点で重なっていた人のことを
よく覚えているって、そういう人は割と多いんじゃないかな。
少なくとも俺はそう思ってる。
引きずってるとかそういうことではぜんぜんなくて、ただ単純に自分の人生の一部だから
それを否定しようとしたり無理矢理忘れようとするのは、
まあ、こういうことを人前でどうどうと話すのは気が引けるから、
作品の感想なんてものは人それぞれ勝手に受け止めるものであって、そんなものは「※個人の感想です」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないものなのに、
文化人とかサブカルとか言論者なんかが自分のメシを食うためのメディア露出や本や雑誌やブログ記事のネタつくりや、ハク付けや権威や発言力を高めるためにしゃしゃり出てきて、出さなくても良いクチを出しているだけ、っていう認識なんだけど。俺の中では。チラシの裏に書いとけよ。と。
権威が幅を利かせる社会だから、権威を作ることでメシ食おうという職業が成り立つ土壌だということか。カツマとか。
んで、そういった権威を、作品を作る側や商売展開する側も利用しているので、彼らの中ではwin-winなんだろうな。お金払って評論書いてもらったりしてるのかも。
権威のための評論なんかじゃなくて、いろんな見方や新しい切り口を提示してる個人の感想文のほうがよっぽど意義があるとおもう。
たとえばヱヴァ破のときに、「あれはギャグである。"そんなの関係ないって言ってるでしょう!"って発言は小島よしおに結びついており、現代において"いかに笑いをとるか"ということがコミュニケーション上の重要な要素であることの表現なのだ」的な主旨のブログを見たけどそれはおもしろかった。
でも、「権威評論 かつ 新しい切り口で面白い」というパターンもあるかも。それはそれで面白いからおk。
※個人の感想です
id:Beaufortといいます。
普段日記を書いていないのでこちらに。
「小娘のつれづれ」さんの、
「やっぱ1回だけはっきり書くよ、高橋愛の結婚報告は悲しかった」 - 小娘のつれづれ
この記事は少なくとも、一部のブコメにあるような、
アイドルの結婚そのもの、すなわち、疑似恋愛というフィクションを壊された、と批判するような意図はないでしょう。
それは冒頭の
「恋愛しててもよかった、
ただ事実として、10年もアイドルを生業としてきた一人の大人として、
この件に関する彼女のファンへの対応は、あまりにも不誠実だった。」
というところから明らかです。
そもそも愛ちゃんの結婚について結婚そのものにショックを受けている人はそれほど多くない気がします。
批判の対象は、結婚相手の選び方やこの記事のように情報公開の仕方にあるでしょう。
愛ちゃんの結婚そのものを批判する人が少ないと予想する理由は、27歳という年齢もあるのですが、
娘。の現役時代からアイドルとして扱われることをあまり是としていなかったことがあります。
ブログもアイドル風ではないですし、服装も男性受けするものではない。
疑似恋愛の対象としてのアイドル、という点で見れば、愛ちゃんは有能だったとは言いがたいと思います。
それでは高橋愛の才能が何かといえば、ステージ上でかっこいいモーニング娘。を見せる、というその一点につきます。
彼女が歌とダンスのクオリティが飛躍的に向上した「プラチナ期のパフォーマンス」を牽引したのでした。
少なくとも当時私からはそう見えました。
とりわけ、バラエティでの当意即妙な受け答えは望むべくもなく、
その結果、ファンは
「これだけのパフォーマンスをしているのだから、テレビなどで活躍する必要はない」と考えると同時に、
「もっとテレビで活躍すればこのすさまじいパフォーマンスが世に知れ渡るのに」、
パフォーマンスが向上すればするだけこの内心の矛盾は大きくなってゆく。
(それと同時に事務所レベルでなんとか出来る問題では無いのかという疑念もあって、
ファンはアップフロントを敬愛といらだちを込めて「糞事務所様」と呼ぶのです)
おそらくこの延長線上にあり、
どん底の時期からパフォーマンス集団としてのモーニング娘。を再生させた高橋愛の偉大さと、
それにしても公表の仕方は他にあったんじゃないかという情報戦術のまずさとがないまぜになって、
いろいろなものが(自分も含めて)心のなかでぷすぷすしているということだろうと思います。
(追記)
「それよりお笑い芸人を見下しているのではないかという疑いがあって、私はお笑いファンとしてそこに敏感になるのだ。」
たしかにそこは同意で、しかし、逆にそれもなんだかいじりにくい感じから来ているきがするのです。
「愛ちゃんの選んだ人だから」と必要以上に「良識的」であろうとするためになんとなく貯めこむものが増えている気がする。
ヤンタンのさんまさんのごとくいじり倒せる方が敬意は表せるんでないかと思います。
(もっともそれは芸人さんに対してテレビの向こうの「一般人」がどういう態度を取るべきかというまた厄介な問題が介在するので確信は持てないけれど)
おい、あべこうじ、あべこうじの分際で愛ちゃんと結婚するとは何たることか
愛ちゃん、本当におめでとう。
両親健在で父が痴呆入ってる。
先週もお見合い話を持ってこられた。
そもそも40代で独り身、童貞の毛深い男と誰が好き好んで結婚するんだよ。
費用は300万程かかるらしい。
というか初対面でもおかしな目で見られる。
出世にも響くらしい。
学生時代はそこそこモテたはずだし自分がこんな目に会うと思わなかった。
ともかく結婚しなくては。
『おおかみこどもの雨と雪』はフェミ寄りの女性から叩かれてるみたいだけど
個人的には「主人公が現実離れした理想の母過ぎ」とか「田舎暮らしが上手くいきすぎ」とか
そういうところは別にいいと思うんだよね。
現実と掛け離れた夢を描いたシングルマザーものっていうのは嫌いじゃない(『世界で一番優しい音楽』が好きだったし)。
残念だったのは雨は狼を選んで家出、雪は全寮制の中学に入ったってところで
わずか11,12歳かそこらなのに子育て終了にして終わりにしちゃった事だな
孫やひ孫に囲まれて花が大往生するまで書けばよかったのに
たかが300円なんかなくしたっていいやって言う心理。
仮にピンはね率が20%くらいに下がっても1枚30万円になったら買わないわ。
ラノベ原作はあまり見ないけど女の子が出てるアニメ全般だね。ラノベ原作なら電波女や化物語、ハルヒとかを見てたよ。
嫌悪感は一切ないなあ、性的に消費されるコンテンツだなんて考えながらアニメ見てないし。
マジかよ!数式見なかったら話が理解できないじゃん!
人生は皆平等に与えられているとかクソだと思えるくらいに、ホントに苦しみと痛みを耐えた人を失った。
今思うと、彼女がどんな時も周りを気遣う優しさを持ってたのは、心体の辛さを誰よりもよく理解してるからだった。
最後に倒れる前日に両親に渡したディナー予約のプレゼント、届くことはなかったけど、そんな彼女が残した優しさに応えるために、僕等は笑顔を絶やしてはいけないし、幸せを逃がさないようにしなきゃいけない。
RIP.
宝くじで儲かる確率は統計学的にかなり低い。だから宝くじ買うやつは非合理的で頭が悪い。
みたいなこと言うやつよくいるけど、お前の方がよっぽど頭が悪いわ。
そもそも期待値の高い、採算性の良い選択をすることと、幸福になることは全然関係が無い。
本当の意味で合理的なのは、自分の人生の幸福度が最大化する選択をすることであって、
統計的に正しい選択をすることじゃないだろが。
で、夢とか希望みたいなものは、人の幸福感に最も影響を及ぼすものの一つだ。
人間は夢とか希望を持つと脳みそからものすごい快感物質が出て、つらい日常もなんとかやり過ごせたりするわけで、
その快感物質が数千円とかで買えると考えたらめっちゃ採算性高いだろ。
宝くじ数千円分買っても統計的には確実に外れるから合理性が無いとかいうやつの言う合理性ってのは、
少ない金で大量のカロリー取れた方が費用対効果高いから、食パン買ってそのまま食うのが一番合理的だ、みたいな話だ。
3億円当たって自分の人生変わるかもしれない、っていう可能性がたった数千円で買えると思ったらめっちゃお得なのに、
それを統計的な確率だけで非合理だなんだと食パンむしゃむしゃ食いながらバカにしてるお前の方がよっぽどマヌケだわ。
普通に生きてると夢を持つのって結構難しくて、とりわけ金持ちになれるかもしれない夢を持つのって、
現実的に金持ちになれる統計的な確率を上げようと思ったら、ものすごい労力と時間がかかり、色んなことを犠牲にする必要があるし、
そのコストを支払った時点で、もはや金持ちになるのはあまり夢じゃなくなっていて、脳みそから快感物質は出なくなってしまう。
幸福感という点では、現実的に3億円を儲ける確率を上げることより、たった数千円払っただけで
一切労力を払わず3億円が当たるかもしれない可能性を手に入れた方が効果が高いんだから、宝くじ買う方が合理的だろう。