はてなキーワード: 介護施設とは
均等法とはいえども大企業では相変わらず女は一定以上出世できないので、
家事手伝いでーすw将来の夢はお嫁さんですwみたいな低能ほど女であることに救われている。
旦那がかなりのオッサンであることを受け入れれば嫁という絶対安定ポジションを得ることも(若いうちは)たやすい。
また、美人ほどストーカーに狙われやすいし、若いほど痴漢に狙われやすい。
いじめられるイケメンは見たことが無いが、目立った可愛い子は小学生の頃たいていいじめられている。
中学高校と進むにつれて可愛い子もいじめられなくなり上位グループに入れる傾向にあるが、
女はすぐれているほど苦しんでいる。
逆に、男は優秀さを堂々と生かして生きることができる。
仕事が出来てコミュ力があれば上司から愛されどんどん出世するが、
低学歴でコミュ障だと就職すらできず、引きこもりニートになり、女の無職と違って恋愛・結婚・生殖不可能。
金が無いので両親を介護施設に入れることも厳しく、さらに両親の死後は生活できなくなる。
一切異性から相手にされない人間も男に多い。女は若いだけで一定の需要があるが、男の若さは無価値。
また一人にひとつ必ず行き渡る性的純潔にも、女には価値があるが、男だと無価値。
モテるイケメンは「非童貞は肉バイブ」などと言われることもなく堂々と女を食い続け、
モテないブサメンはキモがられながら一生童貞で過ごし、コンプレックスを増大させて苦しむことになる。
女の上位2割は男に生まれていたほうが確実に幸せだったし、
-復興は移住を伴わざるをえない
今回の震災で、東北の海側の多くの町(宮古、大船渡、釜石、陸前高田、気仙沼、志津川(南三陸)、女川、牡鹿町など。)が自治体レベルで壊滅している。これらの街では、町民の多くが亡くなっている模様だ。本当に心が痛い。私の祖母も石巻に住んでおり、幸い無事だったものの、安否が確認できるまでは、生きた心地がしなかった。
住んでいる方々は街の壊滅を目にし、今後復興が出来るのだろうか、と思っているに違いない。
しかし、幸いにも、今は国を挙げて(世界からも)支援を行う、という機運が出てきており、金銭的・物理的な支援が今後予想される。ただし、生き残った方だけが元の場所にあらためて住居を建てて居住し、街を作るということはおそらくできないだろうし、するべきでないだろう。
それは、これらの街に(東北全部に言えることだが)共通しているのは、どの街も高齢化が進んでいると言う事だ。限界集落となる人口を超えてしまった場所が多数あると考えられる事と、人口が減ってしまう以上、人口に対して街が間延びし、電気・ガス・水道・交通などの復旧コストも増加要因となってしまうからだ。加えて行政・医療・教育・介護などはスケールメリットがきくので、ある程度街のサイズがあった方がきめ細やかなサービスを提供できる可能性も高い。
つまり、復興する街は住民の移住を伴った新しい街になる、ということだ。
そして、もちろん、何よりも地震・津波に強い必要がある。特に、今回想定を大きく超えた津波で壊滅した街が相次いだ事から、海沿いの街のあり方を根本的に考える必要がある。
今回、自治体は一からの復興を目指さなくてはいけないが、逆に言えばまったく何も無い状態から、自由な発想で一から街を作る事が出来るチャンスでもある。
一からの街づくり、というのはおそらく戦後以来であろう。まさに、戦後蓄えた都市計画の知識を総動員する時だ。
特に、高齢化が進んだ街の問題を解決する街を作る事が出来れば、将来的に東北だけでなく日本中到来する高齢化社会のモデルともなろう。
私は、ある程度(千人~)の規模を持った、中層(10F-20F)建ての共同住宅を中心とした、コンパクトシティを目指すべきだと思う。
主な理由としては、
である。
-問題は産業の復興。地域への投資インセンティブをつけ、企業の呼び込みを
今回、漁業・工業などは壊滅的な打撃を受けてしまった。それにより、漁業・工業に従事している方向けにサービスを提供していたサービス業すらもなくなってしまう危険がある。産業が無ければ、労働年齢の人口は生きていく事ができない。この地震により産業がなくなったことで、労働人口がさらに都市部へ流出してしまうだろう。
これをどのように食い止められるか。ある程度は復興事業により雇用できるだろうが、大事な事は復興事業以外の留めない事だ。一時的に復興事業により雇用も生まれるだろうが、復興事業は持続的なものではないのでいずれなくなってしまう。この地域を復興事業依存にしてしまうと、永遠に復興費用を支出しなければいけなくなってしまう。
大事な事は、企業の投資を呼び込んで、持続的な産業を作る事だ。投資企業に対する法人税の免除などのインセンティブを用意し、企業を呼び込むことを本気でやる必要がある。産業の壊滅具合を考えると、各県にこのためだけの部署があっていいくらいだ。
ここで、上記の街づくりと絡めて、「介護都市」を作り、その「介護企業」を作るのもいいかもしれない
企業は寄付も良いが、そのお金で地域再生ファンドなどを作って、会社を作ってはいかがだろうか。企業の一番の社会的責任は、産業を創出し、雇用を作り、納税する事である。
転載 http://d.hatena.ne.jp/yesucandoit2010/20110317/1300339904
ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。
悲しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。
ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員の場合
■3/11以前
地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。
■3/11
その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常ではない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社がビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルやマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長や上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした。電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした。発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新党連合会という右翼の街宣車が自慢の拡声器で交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波が漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいのだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい。仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節もヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校が避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議したり予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこからは上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビのテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかわからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電で冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚やギター、パソコンのモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時、情報を得る手段がラジオとツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリンを無駄にしたはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。
■3/12
7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官が交通整理をしていた。父曰く倉庫にしまわれていた新車両のパトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニや携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニも開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器のキーンという音がした。電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫も電子レンジも炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社にカップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。
■3/13
この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出したく会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞。スーパー、コンビニ、ガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかい?ごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクはガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターやメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所が若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した。津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンション内はところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニ、ガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300の死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道やネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀正しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり、灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした。風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在にスタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。
■3/14
この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパーの情報や給水所の情報、ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件が震災で中止になったが、スーパーの広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい。広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事は仕事だから」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気と水道が通り、そこかしこで炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司がたまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円のカレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達と遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをした。ネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽな情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報はほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談みたいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災は過去の話ではなくて、現在進行中だ。
■3/15
そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列や渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所や時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい。原発に関する情報も、政府や報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。
大叔父スペック
・妻に先立たれる
・子供なし
・身寄りは妹(私の祖母)
大叔父はずっと一人暮らしで、我が家は週1で電話をし、時々健康を確認しに遊びに行く程度だった。
数年前に妻をなくして認知症が始まってきたので、父が手続きをして現在は介護施設に居る。
子供が居ないので現役時代からずーっと貯金していたことは知ってた。だからまぁお金は持ってるんだろうなぁと思っていたんだけど、話を聞いたら今でも毎年年収が250~300万くらいあるらしい。施設の料金以外お金を使うことは無いので、それもほとんど貯金してる。
何故年金だけでそんなに年収が?と思ったら、経歴に理由があった。
・戦争にコックとして従軍。船に乗っていた。
・消火活動中に怪我をし消防士を引退
戦争従事者への年金と、消防士として働いていた年金、あと私立高校の団体の年金も貰ってるらしい。
人の面倒を見るのが嫌いだったり不得意な男は、若いうちは絶対に結婚したがらない。
20代30代を実家で、親に家事をやってもらいながら過ごすだろう。
低賃金でも生活費が親持ちなら、全額趣味に使える。勝ち組生活をおくれるだろう。
しかし父親が定年で収入が減り、両親の身体が衰えだし、介護が必要になってくる。
介護施設は順番待ちだし、待たなくていい民営の施設はかなり金がかかる。
無料の介護士兼家政婦になってくれる女は居ないだろうか。そこで妻探しに必死になると思う。
お母さん、身体が随分弱ってきたようで、頻繁にうちに電話がかかってくるようになったけど。
ごめん、期待に応えられない。
あなたの老後の面倒は見られない。
あなたと一緒に暮らした18年間。
あなたは私の目の前で泣いた。
「もっと可愛く産んであげられなくてごめんなさい」
「お前をかわいげのない子に育てててしまった。お前が人に好かれないのは私のせい」
父が危篤に陥った時、私は連絡をもらえず、死んでしまってから電話が来た。
かけつけた私がショックのあまり、胃が痙攣を起こしてうずくまると冷ややかに言った。
「早く風呂に入って喪服に着替えなさい」
私はそのまま体調を崩し、冬の寒さに高熱を出し咳をして血混じりの痰を吐き、何度もトイレに駆け込んだ。
「みっともないから、きちんと座ってなさい」
そして、葬儀が終わった後、母は泣きながら私に訴える。
死期を悟った父はおかしくなり暴れるので面倒を見れなくなったから精神科に預けた。
亡くなった父を見ていたら、周りに誰もいなくなった時にかっと目を見開いた。
私を恨んでいるのかしら? ねぇ、恨んでいると思う? 怖い。
母は祖母を邪険にしていた。
私が物心がついた時にはもう祖母は惚け始めていた。
そんな祖母の失態を母は叱咤しつづけていた。
祖母は、そんな母に萎縮してまた失態を繰り返し、母はまた叱責する。
祖母が死んだ時、母は泣いた。
ごめんね、優しくあげられなくて、ごめんね、ごめんね。
お母さん、身体が動かなくなったら施設に入って。
面倒見切れないという理由で死に際の父を精神科においやったあなたを、今度は私が施設に追いやる。
自活できないと、家を出してもらえなかったから。
それほどまでにあなたの側にいたくなかったのに。
側にいなくなってどれだけ解放されたかわからないのに。
たまにかかってくるあなたの声は娘を愛して、娘のために色んな事をしてきたと語るのは反吐が出るの。
黙って聞いているのは18年間育ててもらった恩があるから。
数日で私は36になる。
もういいよね。
18年間分くらいは。
でも、そこまでだから、それまでに死んでおいてね。
そしたら、私、あなたの身体に取りすがって泣く。
優しくしてあげられなくて、ごめんねって。
人の面倒を見るのが嫌いだったり不得意な男は、若いうちは絶対に結婚したがらない。
20代30代を実家で、親に家事をやってもらいながら過ごすだろう。
低賃金でも生活費が親持ちなら、全額趣味に使える。勝ち組生活をおくれるだろう。
しかし父親が定年で収入が減り、両親の身体が衰えだし、介護が必要になってくる。
介護施設は順番待ちだし、待たなくていい民営の施設はかなり金がかかる。
無料の介護士兼家政婦になってくれる女は居ないだろうか。そこで妻探しに必死になると思う。
しかしそんな都合のいい奴隷は居ない。
夫婦が面倒を見なければならないのは夫の両親、夫の両親は妻が介護して妻の両親の介護に夫は参加しないと言う介護の不平等は、一人っ子&夫婦で働かないと食べていけず貯金がなくて介護施設も頼れない低所得夫婦が増えるこれから、大問題になるんじゃないかな。
まだ私たちの代までは他にも親の面倒を見れる兄弟も居るし親に金がある。子供に面倒かけずに金で解決できる。
でも貯金も年金も減り老後食べるにも困るだろう私たちの老後、子供の代ではどうなっているだろう。
男の子と女の子の養育にかかる金額は変わらないし、夫婦で働き同じように稼いできたのに、男の親は息子夫婦に食わせてもらい同居で面倒を見てもらえ、女の親は娘夫婦に見捨てられ食うに困り同居で面倒を見てもらえない、そんなはっきりとした格差が私たちの老後に来るけど、どうなるんだろう。
なんだかあちらこちらで子育ての話が多いから、俺もちょっと考えてみたんだけど、独身の俺でも子育ての大変さに気が付いてしまったんで増田に書いてみる。
まあ言葉では「大変だね」なんて幾らでも言ってきたんだけど、どの程度、大変かなんて想像も付かない。ただいくら大変だからといっても、世間一般の人達はそれなりに子育てをクリアしてきているので、たかが知れてるレベルだとは思っていたんだ。友人の家に遊びに行くまでは・・・
その友人宅には、一歳半と二歳半の男の子がいる。そこのカミさんとも仲良しなので、子供が生まれるまでは、晩飯にお呼ばれしたり、酒を飲みに行ったりしていた。しばらく遠慮してたんだけど、子育てにもひと段落付いたから、久しぶりにメシ喰いに来なさいみたいな話になったので、ごちそうになりに行った。
最初は子供達も大人しくしていたが、どうやら俺が安心できる人間だと理解されてからは、もうカオス状態。友人夫婦は常識人だし、しつけも普通にはしているらしいんだけど、夜遅くまで室内をダッシュしまくり、こっちに体当たりしまくり、物投げまくり、皿は割る、水はこぼす、ウンコしてオムツ交換中に暴れてクソまみれ、冷蔵庫バタンバタン、パソコンの電源連打しまくり、プリンタの紙カセット引き出して紙ぶんなげまくり、ティッシュ出しまくり、引き出し引き落とししまくり、なぜかこっちのチンコもまれまくり、電子レンジチンチンしまくり、エアコンのリモコンどっかに隠されたり、俺の携帯がいつのまにか米びつに突っ込まれていたり、意味が解らない大声で叫びまくり笑いまくり泣きまくり、これでひと段落付いているレベルなのかよ・・・と愕然。これが夜寝てる時と昼寝の時間を除いて、朝から晩まで続くそうだ。
帰り道にふと思った。あの子供達は知的障害児なんじゃないかと。抑えが一切利かず、暴れまくる。昔、小学校や中学校にあった特殊学級のメンバー達を思い出した。そういう人達にとても似ていると思った。そういや、そういう子供達は、知能が三歳児レベルだとか四歳児レベルなんて話を聞いたことがある。
はっとした。そうだ、そうなんだ、さっき訪ねた夫婦の子供達が知的障害児かどうかはともかく、せいぜい五歳、六歳になるまでは、子供はこっちのイメージしている知的障害児と同じ行動をするもんなんだと。朝から晩まで知的障害児と暮らすと思うと、マジ大変なんだと思う。そりゃ子供を殺す親も出てくるだろうなと。
子育てがどのくらい大変かイメージ湧かない人間でも、少なくとも5、6年は知的障害児と生活を共にすると考えると、イメージが湧くんじゃないだろうか。そういう子供に朝から晩まで付き合い、1日3食x365日x5年で5500回もメシを作り、喰わせなきゃならん。しかも知的障害児やボケ老人レベルの動きに合わせてやらんといけない。対価は子供の笑顔程度しかない。こりゃ地獄だ。と同時に母親はすげえ。世間一般の母親はそういうものを概ねクリアしているんだから。どんだけ母親すげーんだと。
介護施設や養護学校で働く人達は大変だというけど、しょせん仕事。一方、世間一般の母親は無償で、朝から晩までの仕事になる。どんだけブラックなんだと。
帰りにハーゲンダッツとパピコをかーちゃんの為に買って帰った。肩も揉んであげた。なんかきもちわるいと笑われたが続けた。うっすら俺は泣いていた。かーちゃんはその顔をちらっと見たはずだが、何も言わなかった。何故か結婚したくなった。
1週間くらい前に見た増田が消えてたのでEvernoteにあったやつからうp
レイアウトとか行が前と違うかもしれないけど文章はそのまま。
http://anond.hatelabo.jp/20100627204354
それまで老人というものをひとくくりにして見てきたが、
病院や老人ホームに入った老人はまさに負け犬のような余生を強いられることが分かった。
これがゆえに老人はどこまでいっても社会福祉に満足することないのだということもわかった。
まず、老人が圧倒的に優遇されている。これは事実だ。
(一般の国民も7割は国負担だが、そもそも一般人はそんなに利用しない)
他にも色々な補助があり、
この間脳の手術を行った際には、なんと220万円の手術費のうち、
祖母の負担はわずかに(といっても多いけど)9万円だった。
この制度がなければ祖母は手術を受けられずに死んでいただろうから
私たちにとってはありがたかったが、そのせいで金がいきわたらない人がいるのも事実だ。
我が国の老人は実に自分勝手で教育がいき届いていない人が多い。
「暇つぶし感覚で」「国民の税金をじゃぶじゃぶ使って」「何の罪悪感もなく」「頻繁に」医療制度を使用する。
田舎はどうか知らないが、中途半端なベッドタウンだと本当にひどい。
ジジババどもをできる限り死ぬ直前まで医者から遠ざける為の
ビジネスや宗教にはどんどん税金を使って援助をしても良いと思うくらいだ。
この「行きすぎた」保証と「老人たちのアホみたいな浪費」が何をもたらすか。
老人にできる限りこの制度を使わせたくない、という発想だ。当たり前ですね。
そうはいっても元気で暇を持て余している老人たちは医者に通うのをやめない。
じゃあどこを削るか。
祖母は気丈だからか医者嫌いだからか、民間医療の信奉者だったからか、
とにかく今まで全く医者を利用しなかった。国にとってはありがたい老人だと言える。
介護老人ホームは彼女(とつきそいの私)に対して何を言ったか。
「ホームの許可なく医者に診療をうけに言ったら即出て行ってもらいます」
最初は彼らの態度にブチ切れたが、話を聞くたびに印象も変わってきた。
調べてみると、老人ホーム側も国の締め付けがきつくて、
できる限り老人たちに医療行為を受けさせるな、さもないと認可が・・・と脅しを受けているようだ。
要するに「声のでかい暇な老人」の声は怖いからご機嫌をうかがうが、
「ボケてまともに活動できない老人」については徹底的に締めつけてもかまわんというわけだ。
「明らかに偏向報道だ」「まるで見せしめのようだ」とホームの人間が言っていた。
どうせ印象の悪い介護ホームが何を言っても誰も信じないぞ、と。
お前たちは国の政策に従ってせいぜいボケ老人を預かっていればよいんだ、と。
そう言ってるように感じたのだと。
詳しくは省くがつまりこういうことらしい。
老人たちは、健康なうちは時間のゆとりもあるし、社会福祉も充実している。
しかし、一度ボケたり病気になって入院したりすると、とたんに立場が弱くなり虫けらのように扱われる。
「自分の人生は何だったのか」とか「まるで姥捨て山だ」と嘆きながら死を迎えることを強制される。
これが、戦後高度経済成長を支えてきた自負からか妙にプライドの高い老人たちには耐えがたい。
自分たちの死がこんなに安っぽいものでよいのか、と恐怖すら感じる。
だから、老人たちは、ちょっとの健康不安も見逃すことができない。不摂生のせいであの地獄に落ちるのはいやだ、と。
ボケないように常にコミュニケーションをとる相手を求める。ボケたら人生終わりだ、と。
いざというときのために頼れるのは金だけで、だから手放すこともできない。金の切れ目が人生の終わりだ、と。
より一層の社会福祉の充実を求める。彼らはただみじめな死を避けたいだけなのだ。
過剰なところは削ってもいいから、一番大事なところでもっと安心させてほしいと願って。
その意味で、彼らの必死な行動には多少同情もする。
というよりも、彼らが人の話さえ聴く耳を持っていれば、協力して日本は何とかできると思う。
しかし、彼らは哀しいほど学がない。涙が出るほど現状認識能力がない。
私からしたらボケていなくてもボケ同然である。田舎根性のせいか、長い社畜生活のせいか、
彼らは自分の主張をロクに整理もできない。自分の頭でモノを考えない。
ただ不満や恐怖だけがあって、それをマスコミや周りの人間の意見に踊らされて喚き散らす。
そのくせなぜか息子たちは年長者である自分たちの言うことに従え、とか言う。
本当に彼らは、戦争中も戦争後も、労働面や生活では苦労はしたのだろうが
頭を使わずに生きていける幸せな時代に生きてきたのだなぁ、と笑ってしまう。
この国は、老人に安心を与えて自主的に金を出させるか、
逆に老人から金をだまし取ることでしか生き延びることはできないのではないか。
ただ思うに、私は老人たちが大嫌いだ。
どうみても害悪でしかないのに純粋な善人気取り、被害者気取りというのが許せない。
この2年間、老人ホームに通い続けて思ったのは彼らに生きている価値はあまりないということである。
そう思われたくなかったら、彼らには「過去の栄光話」とか「年長者を敬え」みたいな
あほな話ばっかりして迷惑をかけながら汚く生き延びるのではなく何か尊いものを見せてくれ。
ああでも、彼らも国を今まで信じて支えてきたのは事実だ。
彼らがいなければ私たちはいなかった。
ああもうどうしたらいいんだ、全く分からない。
追加 ちなみに私は40過ぎのオッサンですので、
この記事のせいで若者たたきをするのはやめてあげてください。
以下とりあえず自分目線で書いてみる。
>老人が圧倒的に優遇されている
保険という面や、銭湯やバスの料金が割安になるという点で言えばそのとおり。
選挙の票を考えているのではないかと思う。
>なんと220万円の手術費のうち、祖母の負担はわずかに(といっても多いけど)9万円だった
随分前に弟が心臓の手術をしたけど手術代だけで700万くらいのところほぼ国の負担だった。
むしろ看病にかかる家族が使った交通費や食費のほうが圧倒的に大きい。
自分勝手なのは年を取って頭が固くなっているだけだし、教育が今より劣っているのは嘆いても仕方ないと思う。
50年後の人のためにモラルをもって税金を使いましょうといっても、戦後の高度成長が今でも続いているような発想の人には理解できないと思う。
>元気で暇を持て余している老人たちは医者に通うのをやめない
病院に遊びに行かないようになったら重い病気になったとかボケたとか悪い噂が流れたりするので、みんな頑張って病院に行っている。
これはただ集まる手段として通院を選んでいるだけなので、老人に相応しい場所が提供できれば解決するかもしれない。
>ホームの許可なく医者に診療をうけに言ったら即出て行ってもらいます
介護施設にはそれぞれテリトリーがあるし、勝手に出入りされては管理上の問題になるし、そもそも病院に行かなければならない状況を見抜けなかったとすればまた問題になる。
>まるで姥捨て山
これは昔も今も老人ホームの現状として変わらないと思う。
外部の人が来たときはニコニコ優しくしているけど、帰ってしまえば目つきが変わる。
全部の老人ホームが全てとは思いたくないが、仕事で出入りしていた感想では、まるで姥捨て山に違いない。
祖母は病院で働いていた経験などからこのことを早くから知っていたため、1日体験などには行ったが、入所は絶対にしなかったし、最後まで金は手放さなかった。
資産を出してしまえば子供といえども信用できない、という強い意思があったようだ。
近所でも相続をしたら葬式まで顔を見せなかったという家はいくつもある。
金の切れ目が縁の切れ目。
>戦後高度経済成長を支えてきた自負からか妙にプライドの高い老人たち
>自分たちの死がこんなに安っぽいものでよいのか
死が迫ったら時代関係なく怯えると思う。
>年長者である自分たちの言うことに従え
そういう時代に育ったのだから当然の考えだと思う。
さきほど書いた祖母の時代で言えば、食事はまず家の主人と祖父が食べる。
やっと食べ終わり箸を置いて食べてもいいぞと言われたら残った男が食べる。
その後女子供が冷え切った飯をやっと食べれるようになる。
もし今後日本がまた鎖国して家長制度や男尊女卑の厳しい時代になったら、現代の人は心の底から受け入れることができるだろうか。
「俺の若い頃はなぁ」とグチるだろう。
皆とは言わない.そこは強調する.
だが,老いて尚子に従わず,我が身可愛さばかりを優先する年寄りが,あるべき情を持っているか?
↑は若干煽り気味に書いたのだけれど,
私が昨年亡くなった祖母からよく聞かされていたのは,
昔の人は年をとっても比較的元気で,
死ぬときはわりとさっくり亡くなっていったから,
邪魔などということはなかったと倒れる前に言っていた.
むしろ,よく若者に知恵と人情を説く,文字通りの知恵袋であったと.
脳梗塞で倒れ,左半身麻痺になり,好まない介護施設への入所を余儀なくされた祖母が
たまに会いに来た私に目を細めて喜んでいるのと同時に
車椅子を押されながら妙に寂しそうな顔をしていたのは,そういうやるせなさがあったのだろう.
せめて,そういう健気な態度が,今の世間の多くの老人に,あるか?
ほんとにその通りですね。
些細なことの行き違いが結果として大きく歪ませる原因だったのでしょうね。
特に厳しい状況であるときは、それらの影響が大きいのでしょう。
お母様の回復と、それに伴い貴方の負担が無くなることを祈ってますね!
余談ですが、私の家の要介護者は、
介護施設に入ってもらうという事で決着がつきました。
そこまでたどり着くには反対者もおり大変でしたが、
やはり結果としては一番だったかと思いました。
●愛媛:介護施設で働いていた女性職員3名が職場会議で介護について改善提案をおこなったら、やる気がないといって懲戒解雇された。
●愛媛:住宅販売会社に営業で勤めていた女性が突然、会社から売り上げが減少しているので解雇すると予告された。マンションを買って来月入所予定になっているが、解雇されたらマンション代が支払われない。
●愛知:12月末に解雇予告通知をもらい1月末に解雇。ハローワークに届いた離職票は懲戒解雇になっている。解雇と同時に住まいも放り出されている。
●愛知:警備会社で仕事中にケガ。労災申請をしたが、仕事を変えられて日給7000円だったのが、2000円に下げられた。会社が経費を差し引くのでとても生活できない。
●大阪:旅行者の添乗員をしていて、スペインで脳梗塞で倒れた。(2年ほど前)。会社が労災申請したと言っていたが、やってないようだ。
●大阪:11/30~就労、2/16~アルバイトになって時給が下がった。生活できないので辞めたいが辞めさせてもらえない。
●石川:旅館倒産。3月分まで給料はもらった。「一時金が出る」との噂があるが、そのような金が出るのか?
●石川:社内でリストラの噂がある。売上げ減が続いているのは事実。先にケガで3週間年休をとったのでターゲットになるのではないか?これからの対応を聞きたい。
●北海道:郵便局のパート。6か月更新で2年雇用継続していたが、3/31付けで雇止めと言われた。理由は言わない。JP労組あるがあてにならない。
●新潟:介護の職場で働いている。当初事業部部長で採用されてが、昨年10月に転籍を通告されて給料5万円引き下げられた。移動先の事務長補佐となった。今後2月にまた事務長補佐を解き、給料をさらに5万円引き下げられると告げられ、やむなくそれを飲まざるを得なかった。しかしさらに3月からも給料を5万円引き下げると言われ、「それは受け入れられません」と返答したら、「解雇通告書」をつきつけられた。(3/1)
●新潟:昨年1月6日から勤めているが、3日に1日は休みというシフトでの働き、有休ないと言われている。
●新潟:職場の上司3人から囲まれて退職届を書けと強要され書かされた。
●高知:市の臨時保育士。3/26の契約期間途中で「解雇通知」。理由は「職場での人の和をみだした」とのこと。
●高知:夫の労働災害。2/16夫が愛媛県で民家の修理に携わっていて落下。脊髄損傷の大ケガで入院中。コルセットを自費で作れと言われた。労災扱いになっているかどうかあやしい。
●高知:国家公務員。現在休職中(3回目)。16~17年にかけて経験のない業務となり残業が80~100時間ほどとなりうつ病を発症。「分限免職」となると言われている。
●香川:薬剤師。薬局の経営者が土建業もしているが、土建業が倒産し、従業員の昇給・ボーナス(全額)カットされ給与も減額された。
●愛媛:解雇の相談が大半。大手の介護施設で働いていた女性職員3名が職場会議で介護について改善提案をおこなったら、やる気がないといって懲戒解雇された。
●愛媛:住宅販売会社に営業で勤めていた女性が突然、会社から売り上げが減少しているので解雇すると予告された。マンションを買って来月入所予定になっているが、解雇されたらマンション代を支払えない。
●山口:甥のことで相談。甥が鬱病で退職、以後傷病手当で生活する予定。独身で心配、安い(2万円前後)住宅はないか。
●山口:NHKの朝のニュースを見て連絡あり、面談にて相談。契約社員(57才・女性)。職場の課長よりパワハラを受ける。始業・就業時間管理がでたらめで、未払い賃金の請求をしたい。また雇用期間も1年間から一方的に2ヶ月間にされた。
●福井:年金定期便が届いたことによって、天引きされている厚生年金保険料が多いことに気づき、会社に尋ねたところ、差額分を返すと言われ納得できない。何人かの同僚に聞いたら、同じような状況と分かった。警察や行政に相談したが進展なし。
●群馬:62歳。3Kなので職場替えを希望したら3月末で解雇という。
●群馬:60歳で雇用継続を望むが今まで実績がない。大丈夫だろうか?
●長野:10年1月末に退職。09年9月から賃金未払い。「払います」と言いながら払わない。
●長野:有給休暇が取れない。社長に話しても「景気が悪いのでダメ」と言われた。
●長野:老人福祉施設で、インフルエンザの罹患した職員が病欠したが、有給休暇で処理され、有給がなくなると無給で休む。これでよいのかと産業医からの相談。
●長野:保育園パート。半年働いたが、園児が減るので人員削減と言われた。なんとかまらないか?
●神奈川:大型運転手として、日給14000円で入社したのに、マイクロ運転だと言われ、日給を10000円にされた。
●神奈川:派遣で月給+皆勤手当をもらっているが、社会保険に加入したいなら、月給から1万円引くと言われた。が、賃金明細では別に社会保険関係で法令通りにひかれていた。
●神奈川:出産・育児休暇で4月復帰しようとしたら、会社が大変だからやめてほしいと言われた。
●京都:仕事中に発作が起きて、労災認定受けられるか?名古屋の事業所時代に上司からのパワハラに起因しているのでは、発症は07年夏ごろ、10月頃に病院にかかった。パニック障害、ストレス性血管攣縮性疾患と言われた
●京都:整理解雇を2人が言われた。その相手の人が「1ヶ月前に解雇通告されたらどうしようもない」と言われたのでしかたなく「退職届」を出せと言われたので出した。
●京都:高齢者雇用助成給付金の申請用紙を渡されたが提出して良いか。年次有給休暇が取れない。就業規則は見せてくれない。
●京都:歩合給になって、集金件数によって賃金が決められることになった。賃金が10万円→8万円→5万円と下げられ続けている。
●京都:11年前の職場でいじめられたことが原因で障害を持つようになった。恨みを晴らしたい。パート雇用でいつ解雇になるかも不安。
http://www.labornetjp.org/labornet/news/2010/1267574500952staff01
舛添要一は、社会保険庁のヤミ専従を、告発して、日本年金機構へは就職させない決定を主導した。
ところが、長妻は、連合と自治労のトップから、直の要請を受け、 彼らの就職先を作るために、税金を投入して、介護施設などを作ろうとしている。
さらに厚生労働省の非常勤職員として採用することも決めた。 長妻・民主は、年金泥棒、税金泥棒の味方だよ。
95 :名無しさん@十周年:2009/11/24(火) 21:22:29 ID:/MO930edO
さすが官防長官だなww
96 :名無しさん@十周年:2009/11/24(火) 21:22:53 ID:B1zBER4b0
社保庁の糞職員・・・・辞めて当然だろ 真面目に働く者だけを残せよ。
97 :名無しさん@十周年:2009/11/24(火) 21:23:02 ID:KzdiroG00
そりゃ自冶労が支持母体なんだもん改革なんてしませんw 公務員の給与2割削減はどうなったんだ?w
98 :名無しさん@十周年:2009/11/24(火) 21:23:08 ID:FMxYJDV70
つか、懲戒免職って、戒告とか減俸とかいろいろな罰則がある中で、 最も重い処分だってこと知らないのかね。 やっちゃいけないことの中でも、もっともやっちゃいけないことやったんだよ。 それに再び公務員になれなくなったとしても、雇用機会が皆無になるわけじゃない。 それともアレか? 公務員以外は仕事じゃない、とでも思ってるか?
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20091019/p1
を読んで。素朴な疑問なんだけど、
なんか介護についての話題を見るたび、
・兵役みたいな感じで、60歳以上の人の介護職への従事を国民の義務的負担に。
・報酬はなし。ただし、介護職の従事を終えた人は、公的な介護施設には無料で入れる。
って制度を作れば解決すんじゃねーの?っていつも思うんだけど、これって無理なの?
正直ネズミ講みたいな仕組みだからどっかに欠陥があるんだろうけど、自分で考えててもわからない。
ありきたりなアイデアなので、きっとみんな一度は考えてるはずなんだけど。これじゃだめなの?
もしかしてすでに議論済みで不可能って結論でてる?だれか教えてえらいひと!!
http://anond.hatelabo.jp/20090913020028
「女子校」なら、生徒も先生もほとんど女性で、若い男性なんて、滅多にいない。
「介護施設」も女性率高い。長寿なのは女性だし、世話する仕事も女性のほうが向いてる。男性もいるけど少ない。
「エステ」だと女性が個室で肌をさらす相手が男性なんてあり得ないんで女性しかいない。男性が経営者かも知れないが、滅多に会うことはないだろう。
変わり種だと「レズビアンバー」とか。今でもあるんだろうか。ホストも客も女性だ。
「女性しかいない職場」と目標決めれば、見つけようはあると思う。そういう進路が選べる進学をしていないとしても、そういうところの「事務」なら入れる可能性があるよ。
まあ前にも何度かあったしすぐよくなるだろうと思っていた。
それが今日13時までのバイトを終えて家に帰って一息ついたら母から
「ばあちゃんの容態が悪くなった。今から病院へ行く」
と電話が。
なぜかここでもまだ大丈夫だと思っていた。
そしてしばらくして父が帰ってきて自分が犬の散歩に行ったのだが
なんとなく家にいなくてはいけない気がして
犬には悪いのだかいつもの距離の半分で済まして
家に帰る途中、父がこちらに向かって歩いてきて
「急いで準備しろ。病院へ行くぞ」
と。
ここでああヤバいんだとさすがに思った。
病院に向かう車中で父の携帯に母から電話がかかってきて父が一言
「ダメだった」
昔から体が弱くよく倒れたと母が言っていた祖母。
足の骨を折って寝たきりになってからもう何年か覚えていないが
祖母の兄弟が4年と言っていたので4年だろう、
その4年の間もいろいろあったけども生きていた祖母が
そんな簡単に死ぬわけないだろうという自分の中での妙な根拠があったんだけど
そんなものはなんの意味もなかった。あっという間だった。
4年の間祖母が入院していた病院や介護施設に祖母の顔を見るために何度か足を運んだ。
母曰く孫の中で一番行っていたそうだが
別に自慢できることでもなんでもないように思えた。
でもまあいつだったか最近の気がするので今年に入ってからは確実であろう
祖母は寝たきりのせいか病気のせいか片目が不自由になっていた。
いつもどおり
「ばあちゃーん」
と声を掛けた私に返ってきた祖母の言葉は
「誰?」
だった。
軽い痴呆だったししょっちゅう通っていたわけでもないのだから
当然の反応だったのかもしれない。
でもこの言葉にショックを受けてしまった私は
祖母のところに行く機会は何度もあったにも関わらず行くのが怖くなった。
結局それから祖母の顔を見ることないまま今日を迎えてしまった。
明日が通夜で明後日が告別式、精一杯ごめんなさいして冥福を祈ろうと思う。
自blogで書くのもなーと思ったのでここで書いて気持ちの整理を少しでもつけれれば。