はてなキーワード: 不経済とは
スマホとかのデジタルガジェット類をやたらと買い換える人が理解できない。特にIphoneの新型が出るたびにアップルショップに行列作って発売日に手に入れないと気が済まないみたいな人の気が知れない。新型機を発売日に買うというのはわざわざ高い値段で買うということだ。IPhoneはそんなに簡単に値下がりしないかもしれないけど、他のメーカーのものであれば数ヶ月待った方がずっと安く買えることが多い。たとえ早く手に入れたいとしても、前日とかから並んで徹夜したりする必要はないと思う。発売2日目だろうが3日目だろうが、とにかく人より早く買えば「新型のIphone買ったんだ♪」っていう自慢はできるじゃん。
いちおう私もカメラとかパソコンとかデジタルガジェット系は好きだし、特に買う予定がなくても、ヨドバシとかビックカメラに行ってめぼしいのはないか探してしまう人なんだけど、自分の持っているガジェット類を「旧型すぎてまともに機能しない」とか「バッテリーがへたってきて、バッテリー交換がきかなくなった」ぐらいまで使い倒す人々に好感を覚える。
スマホって超多機能だけど、頻繁に使う機能って限られているので、モデルチェンジのたびに買い換える必要性があるほど使い倒す人はあまりいないと思うのだ。カメラとLINEとインスタしかやらない人に最新型のスマホは必要だとは思えないんだけど…。しかもIphone Xみたいにノートパソコン買えちゃいそうな値段のスマホを見るとアホかと思う。デジタルガジェット評論家とかでありとあらゆる機能をいじり倒していろいろな媒体にレビュー結果を書かないといけないとか、理系の技術者とかで、新しい機械を見るといろんな機能を試さずにいられない人とかは勝手にすればいいと思うけどね。
自分の中で比較的優先順位高いのはカメラなんだけど、あれはあくまでも写真を撮るための道具に過ぎないので、新型の高性能カメラを買えば良い写真が撮れるという保証がない。まだレンズの方が値段と画質が比例するけれど、画質だけ良くても撮る人にセンスと技術がないとやっぱり無意味だ。プロ向けのカメラやレンズはそれなりに高額だし、それを持って歩くのに腕前がいまいちだったりするとなんとなくみっともない気がするのだ。
新型機や高性能機を買うことで、使い勝手が飛躍的にアップして便利になるなら、お金で不便を解決するのもいいと思うけど、結局本人の技術力や腕前が問われてしまうものについてひたすら新型を追いかけるのはムダな気がする。何かというと新型に飛びついて、わざわざ高い値段で買う人々に、「あなたはなぜそのような不経済な行動をするのか?」と聞いてみたい。
どこのスーパーマーケットでも買える食材を使ってうどんを作ります。ゆでうどんは安い。讃岐とか冷凍とか気取った枕詞が付いていないうどんはだいたい格安で買えます。どのくらい安いかというと近所のスーパーマーケットで確認した限りでは税抜きで18円です。税込みでも19円。とても安いです。
供給も安定している傾向があるけれども、閉店間際に行くと売り切れていることもある。とても安いがゆえに人気が高いことも事実です。年金生活の一人暮らしのじいさんやばあさんがこれを一つずつ買って売り切れたのではないかと思うと社会問題を提起したくなる。年金生活になったら、18円のうどんを毎日食べる日々。こんな世の中になることをみんな夢見て働いてきたのか。今を時めく政治家の方々にはスーパーマーケットのうどん売り場の前を一日中見張って、18円のうどん購買層の方々の悲哀を確認してみろ。と、気持ちの昂ぶりを抑えなくてはなりません。
ここでうどんの食べ方を確認しておきます。お店でかけうどんといえば、なみなみと注がれた汁にうどんが入っているこれがうどん業界での常識です。飲むか飲まないかわからないうどんの汁を大量に用意しなくてはならないブルジョワ志向。たくさんのおいしい汁を潤沢に用意することは庶民には高いハードルです。
名前を言ってはいけない元グループのメンバーの一人が宣伝マンをしている昆布つゆという商品があります。昆布の成分のおかげで糸魚川静岡構造線よりも西側の味がする一品。この瓶の裏のラベルには、かけうどんには水で5倍に薄めよと書かれています。さらに冷やしうどんのつけ汁には3倍に薄めよとの助言がある。ところが5倍に薄めると少し上品すぎてパンチが足りないと脳の中枢からの叫びが発せられます。この問題点を改善するために3倍希釈の濃度でかけうどん用の汁を作ると塩辛く、飲み干せない。この汁を捨てるのがもったいないと感じとっておこうと思うのか、いらない汁は使い終わったら下水道へ一直線に捨てることができるのかが貧困線の一つと思うのです。残った汁を保管し、次の機会に使うという行為を始めると家の中に無数のペットボトルやヨーグルトの容器が増殖を始める。うどんの残り汁の入った容器は台所を占領し、そのほかの生活空間をも脅かしていきます。ゴミ屋敷まっしぐら。兎に角も希釈したうどんの汁はその場限りで使い切らないとより不幸になってしまうのです。
ここまでのお話で、うどんが安いこと、薄めたうどんの汁はできるだけ無駄なく利用することが心の安定のために望ましいことがわかります。次にうどんの茹で方と鍋の使い方を話します。
駅の立ち食いそばうどん店やセルフ形式のさぬきうどん店へ行くとカウンター越しに厨房の様子を見ることができます。せっかく見えるのだから、ここから学ばない手はない。この様式のお店では、席の回転を上げるためにできるだけ早くうどんを提供しなくてはなりません。うどんを茹でる鍋と汁の鍋が別になっている点に注目。これはうどんを茹でた濁った汁に汁の素を入れていたのでは汁がうどんから出た小麦粉成分で濁ってしまうことを防ぐために考えられたうどん業界伝統の手法です。しかしながら、家の台所で鍋を2つ使ってうどんを作ることは不経済の印象が拭えない。せっかく安価な18円のうどんを調理するのにお金がかかっては本末転倒です。一つの鍋で沸かしたお湯で経済的にうどんを作ることがジャスティス。一つの鍋で作ることを考えます。茹でうどんはすでに茹でてあるため、温まれば食べれる。この性質は鍋での茹で時間が大変短いということです。手順を説明すると、鍋にお湯を沸かす。お湯をお玉で2杯すくい、どんぶりに入れる。どんぶりが温まったところで、お湯を捨てる。お湯を捨てたどんぶりに昆布つゆを大匙で2杯入れる。大匙を用意するのがめんどうな人は大匙2のラインにマジックで線を描いておくとよい。鍋からお玉でお湯を1.5杯入れる。このお湯の量の加減はお玉の容量によるとところが大きいので、各自工夫してください。ここまでの手順で、汁を温める鍋を準備することが省略されました。手順も片付けも半分になり大変経済的です。鍋のお湯は沸騰したままですので、ここにゆでうどんを投入し、20秒ほど温める。この時間は立ち食いうどん店での店頭でプロの調理人がその時間で茹でていたことに由来します。カウンター越しの学習はとても役に立つ。カウンター席のあるお店は知見の宝庫です。お湯を捨て、うどんを汁の中へ入れます。洗い物が増えることをいとわないのならば、湯切用のテボを使ってもいいのですが、洗い物が増えることは経済的ではない。ゆえに地味に箸でどんぶりに移します。
かけうどんの完成です。このまま食べても昆布つゆの開発者の研究心のおかげで家庭でもとてもおいしい汁のうどんとなります。味に変化をつけたいときは、「わさび」「からし」「七味」を使って刺激を与える。わさびとからしは、粉末タイプをおちょこで溶いて都度生成するのがおすすめです。「うどんにからし」に抵抗感がある人がいるかもしれませんが、豪雪のニュースで名前が出てくる越後の一地方ではからしでそばを食べています。そばに使える薬味をうどんに使わない手はない。ということでからしも薬味に加わった次第です。
さて、冒頭の見出しでは納豆うどんと銘打っているのに納豆が出てこない。ここまでの長文を読ませておいて、これはどういうことだと気が付いた読者は賢明です。納豆はなくてもこのかけうどんは完成する。完成するけれども、栄養面でこころもとない。このうどんをたべても野菜350グラムを摂取することができない不完全食です。できるだけ完全食に近づけるべく納豆を入れる。この時点でできているうどんもすでにおいしい領域に達しています。かけうどんと薬味で半分食べたところで、納豆を入れると食味が変わって、一粒で2度おいしい状態になる。うどんに納豆を入れるときは、汁が多すぎると納豆の粒を箸で拾いにくくなるので、あまり都合がよくありません。半分食べたところで汁を少なめにして納豆を入れるとうどんの中で納豆の濃度をとても高めることができより経済的に納豆うどんを味わうことができます。
ここまでで最低限の納豆うどんの説明はおしまいです。これだけの自炊行為で最低限の命をつなぐことができる。政府関係者から格安うどんをよりおいしく食べる方法として広報されてもいいと思います。
おちんぽさんとか何でさんづけするのかさっぱりわからないです。
まあそれはさておき寒いです。
とても寒くて陰嚢がすくみあがっております。
陰嚢だけならまだよいのですが足が冷えてしまうのがよくないです。
太ももから膝にかけてとても冷たいです。
ノートパソコンを冷却できるくらい冷たいです。
しかし今は気温がとても低いのでわざわざ僕の膝で冷やす必要はありません。
さっきから足をドライヤーで温めてたりもしているのですがかなり不経済だと思います。
やはりここはこたつの出番なのではないでしょうか。
おこたで足をぬくぬくと温めつつノートパソコンを上に置いてぬくぬくとはてな遊びをするわけです。
私は一人暮らしのとき、シングルのトイレットペーパーを使っていました。材質には特にこだわりがなく、色が付いていたり可愛らしいものを選んでいました。結婚後も同じようなトイレットペーパーを買っていたら、旦那にダブルの柔らかいトイレットペーパーにしてくれと頼まれました。最初は不経済だしエコじゃないなーと思っていたのですが、しばらくして気づいたのです。
女性は小でもトイレットペーパーを使います。それこそ一日5回、10回と使います。家族に女性が多いとトイレットペーパーがどんどん減っていきます。なので少しでも安い、ゴワゴワしたシングルトイレットペーパーを買ったりします。それでも小なら問題ないんです。だって小のときは、トイレットペーパーをこすらないから。紙を丸めて濡れたところに当て、水分を吸わせる使い方をするんです。だからトイレットペーパーの質が悪くても大して不快ではありません。
でも大の時ってトイレットペーパーでお尻をこすりますよね!ゴワゴワのトイレットペーパーじゃ痛いわけですよ。男性が唯一トイレットペーパーを使用するのが大の時なんだから、そりゃトイレットペーパーの質が悪かったら不快ですよね、と理解しました。しかも女性って毎日ウンチしない人も多いから、トイレットペーパーの重要度が違うのかも。今では小用の安いトイレットペーパーと大用の柔らかいトイレットペーパーの二種類を用意しています。
このことで、旦那(あるいは男性)の言い分にもそれなりの理由があるんだな(言葉にしないだけで)、と大らかになれました。さらに子供が産まれて、子供の言い分にも色々あることを学びました。が、私の視野が広くなったきっかけのひとつがウンチっていうのがいたたまれません。
http://anond.hatelabo.jp/20160403231721
良い指摘だと思う。財源についても指摘したい。
育児サービスをインフラにして誰でも使えるようにするのなら、恐らく兆単位の財源が必要になる。
現状の試算では数千億だが、誰でも使えるようになれば利用者が増える。
事実、保育所は増えているが待機児童は減らないんだ。整備されても使いたい人がドンドン増えているからね。
0歳から5歳まで使えば一人年200万は税金がかかるから、1000万。
1歳から預けようとか、3歳位まで自分で育てようとかする人も居るだろうが、兆単位の財源が必要なのは間違いない。
これは1年だけではなく恒久的に出し続ける必要があるので、赤字国債は使えない。
追記 投資だから赤字国債でOKという人がかなり多くて驚きました。
投資と赤字国債ですが「投資はやった本人が責任を取る」「赤字国債はやった本人が責任を取らない」という特性が有ります。
作った赤字国債は、子供たちが返す事になります。我々は先の世代が残した赤字国債に苦しめられていますが、少なくとも保育では赤字国債を残されていません。
後の世代に「俺達の親、祖父祖母は保育すら俺達にツケを回した」と言われるとは考えませんか?
となると増税だろうか?
例えば保育の為に消費税1%上げても良いのか?と自分に問うて欲しい。
又は所得税を上げる?富裕層に重税をかける程度ではどうにもならないので、震災復興税のような形で全員にかける必要が有るけどね。
議員や無駄を削れと言う人がはてなに多いけど、そんな事で出てくる財源は知れている。企業に重税をかければ国外に本社や所得を移されるだけ。
追記
防衛費を削れという人も居るみたいですね。では具体的に防衛費のどの項目を削れば良いのかご指摘下さい。
5兆円有るから削れるだろ?という発想なら、民主党(現在の民進党)が一般会計特別会計合わせて200兆有るから数兆は出ると言って出なかった件を振り返って下さい。
または社会保障を削るべきだろうか?
高齢者は国に払った税金の数倍も恩恵を受けている。そこを削れば良いのか?
ただし、社会保障を削ると老人が死ぬ。削る規模にもよるが、兆単位で削れば万の老人が死ぬかもしれない。
兆単位の財源が必要なら、国民全員への増税か、社会保障を削り老人を殺すか、どちらかをやるしかない。
魔法の杖を一振りすれば、どこかからお金が出て来て全て解決なんて事は無い。
民主主義は国民全てが政治家としての考えを求められる。さて、この問題をどう解決しますか?
ブコメに対する返答です。
「0歳から5歳まで使えば一人年200万は税金がかかるから、1000万。」せめて試算やり直してくれんかね。三歳以上は自己負担抜きでもその三分の一程度だ。
まず意図的に0~2歳を除外しておられるご様子ですが、例えば認可保育園に通う0歳児は月40~50万、年間500万程度の税金がかかります。
認可保育園に通う1歳児も300万程度の税金がかかりますので、0歳から5歳までで1000万というのは控えめな試算です。
保育園の3歳以上には年間70万くらいしかかからないとのご主張ですが、確かに認可外も含めて頭数で割ればその通りかもしれません。
けれども、全てを認可保育で賄おうとすれば3歳以降も100~200万くらいかかります。
認可外でもかまわない。運動場無しで無資格の保育士が見ても良いというなら、3歳児以降はあなたの仰る通りですよ。
認可保育園を前提にしすぎ。このあたり、医療サービスを下敷きにしてるのかなぁ。認可外が質の低いサービスである、とは言い切れないけど、大抵良いものは高い。
保育園については、認可保育園が安くてサービスも良いです。つぎ込まれている税金のケタが違うので。
認可保育園を上回る質の保育をしている認可外は有りますが、毎月数十万の支払いが必要ですよ。経営者や資本家が入れるような所ですね。
無資格の保育士に狭い部屋で大人数を見させても良いというなら、かかる費用は随分下がるのは確かです。で、我が子をそんな環境に入れたがる親がどれだけ居るのですか?
「例えば保育の為に消費税1%上げても良いのか?と自分に問うて欲しい」<<全く問題ないよ//ところで、何故「防衛費を削る」とか「法人税を上げる(=企業内保育所を設ければ減免etc.のバーター可)」って案は出ないの?
消費税8%から10%に上げるのに大騒ぎして中止になりそうな訳ですよ。そこに保育のため更に1%上げるという話を通せると思えるのは凄いですね。
もし増税して更なる不況が来た場合「保育不況」と呼ばれるのではないでしょうか?
防衛費についてはどこを削るのかご指摘下さい。削る余地は私が見る限り皆無なので。
企業内保育に関しては、例えば丸の内に作ろうとすれば1人あたり月100万以上の経費がかかりますよ。バーターで減税すれば、認可保育園を増設するより不経済です。
お金も場所も、魔法の杖を一振りすれば出てくる訳では無いのです。
いずれも共産党がよく使う方便ですが、彼らは資本主義を理解していません。ブコメ書いている人も恐らく理解していないのでしょうね。
30年前ならともかく、現在は累進課税強化や法人税増税を行えば、所得を海外に逃がすだけです。
もちろん海外に逃がすのにもコストはかかるのですが、一昔前の累進課税80%など復活させようものなら、凄まじい額の海外流出がおこるでしょうね。
法人は個人よりも海外に収入を逃がす事が容易です。ここを増税すると法人税と共に雇用も失われてダブルパンチです。
困ったら誰かから税金取れって、中世の領主の考え方です。その考え方、数百年遅れていますよ。
ボーダレスなグローバル経済下で、国家の出来る事などたかが知れているのです。
最後に
だいたい皆さんの意見がわかりました。やはり政府頼りの方が多数派を構成していますね。
赤字国債発行しろの人は、子供に借金を残しながら「未来へ投資した」と仰る森元総理のご同類で失笑を禁じえません。
増税を安易に言う人は「俺より稼いでる奴から取れ」の感覚丸出しで清々しいです。
実際は年収400万程度から所得税増税、消費税15~20%まで既定路線なのですが、実現するまで夢を見ているのは自由です。又は年収400万も無い人達なのかもしれませんが。
子供にハーネスを付ける事に人権的な問題があるのかどうか、そんな事は知らん。どうせまたインテリの言葉遊びなんだろ。ただ俺は子供ハーネスには別の問題があると思ってる。
子供ハーネスは、ベビーベッドの柵と同等では無い。そういう純粋なセーフティー機構とは意味が違う。ベビーベッドの柵は落下の危険性を抑える為の施策としてもっとも効率よく理にかなった機構だ。他の方法で代替しようとした場合、なかなかへんてこな事になる。かといって無くしてしまって、寝ている最中ずっと監視してるのも不経済甚だしいだろう。
一方、子供ハーネスはどうだろうか。確かに紐を括りつけて行動範囲を限定すれば不慮の事故を回避できるかもしれない。親の身体に不自由などがあるのであれば大変有用なデバイスであるのは確かだ。
ただそういう回避できない制限が無い場合、同様の効果を得るための手段として代替できる別の方法が沢山ある。
こういう常識的な回避策がいくらでもあって、普通の親はいつのまにかこういう事を自然とできるようになる。ハーネスを繋ぐことをまず思いつく親はなかなか少ないのではないだろうか。
確かに、みんな大好きアカチャンホンポなどでハーネス付きリュックなどを見かけると「へえ、こんなのがあるのか。便利かな?」と一瞬思わなくもないが、それを装着して連れ回すのがあまり現実的でないのはすぐ想像できる。単純に「こんなの使うシーンなくね?」と思い至る人が多いのではないか。強いて使いそうなシーンを思い浮かべると、混雑してる子供イベント内などでは使えそうだけど、その実やっぱり先ほどの「ゴールテープ状態」になりまくって、ハーネスにゴールインして引っかかりまくるおともだち(この呼び方にやっと慣れた)続出してやはり危ないと思う。
なにより実際に試してみれば、便利かどうかの前に親として感じる違和感が拭えない人が多いのではないか。実際、俺もみんな大好きアカチャンホンポで子供にハーネス付きリュックを背負わせてみたことがあるが、その時感じた強烈な違和感は忘れられない。試した事さえ謝りたくなるほどの違和感。「ごめんごめん、ないない」とすぐさま子供から外して謝りたくなったのを覚えてる。それが偏見だろうが思い込みだろうが、親として到底許容できない感触がそこにあったのは正直意外だった。もうこればっかりは子供作って使ってみなよとしか言えない。
ちょっと話が逸れてしまった。こういう感情の話を極力排除して語らなくてはいけない。
つまり、ハーネスと同等かそれ以上の “子供安全策” は他にもたくさんあるのだ。
だのになぜ、ハーネスなのか。安全策としてそれを選ぶ親の考えはどういうものなのか、それこそが子供ハーネスの問題だ。
子育て経験が無い人が純粋に “デバイス” として子供ハーネスの安全性を語るのは、バイクに乗らないヤツが「バイク乗りはなんで全員カブに乗らないんだ」とかそういう話と同じじゃないかな。違うかな。
ちなみに老人のハーネスとの大きな違いは、子供は物理的に軽く親ができる事がたくさんある事。(その点、老人ハーネスは物理的にそれでしかできない部分が大きく、ベビーベッドの柵に近いセーフティー機構)
私には不可解なのだが、そもそも、年末年始の帰省と称してこれほどまでの数が大挙して民族大移動するのはなぜなのだろうか。新幹線に子どもを乗せること以前に、新幹線の乗車率が異常。
この国は人多すぎであるうえに、横並びでみんなして形式的に同じ行動をとる。それは気色悪いとさえ思える。
時期をずらして休暇がとれないのか? もっと長い期間にわたって休暇がとれないのか? どこもかしこも西暦の1月1日にあわせて里帰りだのなんだのをしなければならないのか?
そもそも、どうしてこれほどまでに多くの者が、(おそらくかなり多くが)東京近辺に出稼ぎに来ているのだろうか?
帰省ラッシュと呼ばれるもののみならず、毎朝晩の満員電車も異常。
電車に子どもを乗せることがどうこうとかいうような瑣末な議論をしていてもはじまらないだろう。
電車に乗せてはイカンと言うならば自家用車なのか? それはもったいない。資源のムダだし、道路が渋滞している。
ことごとく不経済でムダなことばかりしているのだが、自覚がないのだろうか? それとも、直す気がひとりとてないのだろうか? お上がすることで自分にはかんけーないとでも言うのか?