はてなキーワード: 強がりとは
処女が好きだなんて言えない。わらわらと恋愛経験豊富なブックマーカーが集まってきて「童貞乙」「自信がないんだろ」「経験がないからだ」「器が小さい」と砲火を浴びせる。批判はどれも的確で急所を鋭くえぐるものばかりだ。
だから俺は何も言わない。器が大きいふりをする。恋人が過去何人とギシアンしてきても気にしない。ビッチ最高。性病もってて一人前。元カレ100人できるかな。それが格好いい男ってもんだ。なあ?そうだろ?そうだって言えよ。ほら見ろあそこに処女厨がいるぜ笑ってやれ。童貞乙!器が小さい!アハハ。処女厨を虐めるのは楽しいな。
そんな強がりに疲れてきた。元々の器が小さいんだ。神経質な屑が突っ張っても鷹揚な男にはなれない。もうだめだ。
対人依存って別に絶対的に他社を必要とする脆弱な人間の精神病とかの類じゃないのね。
なんだよなんだよそーなのか。
あんたのこと責める。
お前はいいこなんかじゃない、なかった。
あんたがなかなか良い頭だけは持ってるくせに福祉系の大学にいこーが知ったこっちゃねえや。めんどうくせえ。お前なんかボロボロになってろくでもない男にDVでもうけやがれ
社会的底辺層の仲間入りでもしちゃえ、
他人に心をすこしも開こうとしない奴なんて大嫌いなんだよ、このメンヘラ女が
そのくせ体裁だけつくろって記号上のオトモダチつくりはすんげえうまい。
告ってくれて泣くほどうれしいとか、バッカジャネーノ、うそばっか。
さんざ振り回してくれちゃってさ、俺なんかトラウマの大量生産だよくそったれ。なんで俺がお前なんかにびくつきながら生活おくんなきゃなんねえんだよ。
よわっちいのにすがりもしねえ、何にもいわねえ、強がりばっか、察しろってか?この野郎。知るか。
自分のこともまともに制御できないない奴が何が福祉だよ。お前が患者だろw
お前みたいのを対人依存症って言うんだよ、さんざん人のせいにしやがって。されたぶんだけしてやるよ
どれだけ俺がおれてきたかわかんねえだろうな
敵の味方は敵、あんたと俺の先輩だった人も共通の女友達だった奴も俺にとっては全員敵。
中立なんか認めない、信用できなくなった、できなくしてくれたよ本当。
敵ばっか増やしてくれやがって、首くくれ、死んでくれ。
あー、強がりってのはあるかもなw
今年の12月24日、家族と一緒に楽しく過ごした。彼女はいない。
と、これ↑はネットだから書けることで、リアルでは絶対にこんな風には言えない。
「彼女がいないから寂しく過ごしたんですよー」とのニュアンスの付加が必須になる。
「彼女と過ごすイブ」以外のイブについて、楽しかったとか充実してたなどとは絶対に言えない。
自分から「負け犬」と名乗るライフハックを開発したのが酒井順子である。
自身の属性として「負け」を付加することで、逐次の言明負担を減ずる。スマートだと思う。
本心を言うにしてもその結果強がりと誤解される恐れがあるぐらいなら
負けの所作をしたほうがよい。
という心情は多くの人が理解してくれると思う。
ところで、
クリスマスに一人身の男が抗議活動(と言う名の故意に惨めたらしい行動をする)
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/3872151.html
個人的にはくどさを感じた。
つまり、もうそろそろ、
これって質問者が
「人は人といないと死ぬ。それが必要ないなんてモテない奴の強がり」
っていうのが絶対揺るがない前提だから話がいつまで経っても噛み合わないんだな。
手に入れたことのないものを「無ければ死ぬ」って前提で喋られたって
実際なくても生きてるのに、何言ってんの?ってなるよ。
女にも絶対いるよね?
俺は元増田に同感する男だけど
女の同類が居ないわけないと思ってる。
女に比較的こういうのが少ないとすれば
元増田みたいなことを口に出したときの「強がりだ」みたいなフルボッコがより酷いとか、
俺男だから想像だけど。
「結婚ですか?」
「うん」
「結婚願望は、特にありません。」
「したくないってこと?」
「特別、絶対したくない、というわけではないんですが。どちらでもいい、どうでもいいという意見に近いです。」
「なんで?結婚って人生においてもっと重要なことじゃない?どうでもいいことはないでしょ?」
「そうですね。結婚したい人にとっては重要かもしれませんし、いずれ結婚する人にとっては重要でしょうね。」
「じゃあ結婚しないの?」
「おそらく。」
「なんで?」
「なんで、と言われましても。結婚するのに理由はあっても結婚しないのに理由はないでしょう。ただ今のままというだけです。」
「する人は多いかもしれませんね。」
「じゃあなんで結婚しないの?」
「そうですね。強いて言えば、私にとっては結婚は普通のことではありません。少なくとも、今のまま歳を重ねていけば自然に訪れるイベントではありません。」
「なんで?今彼女いないの?」
「いません。」
「過去には?」
「いたこともありました。」
「結婚しようとか思わなかったの?」
「具体的には思ったことはないです。」
「結婚したくなかったの?」
「したいとかしたくないとか、そういうのは漠然としていましたね。あまり真剣に考えたことはないです。」
「なんで?それは若かったから?」
「かも知れません。」
「じゃあこれからは、彼女ができて、結婚するかもしれないじゃん?」
「そうかもしれませんね。あまり現実的ではないですが。」
「作ればいいじゃん?欲しくないの?」
「特別欲しいとは思いません。」
「なんで?さびしくないの?」
「さびしいというのがどういう事かいまいちよくわかりません。」
「えー、そんなことないでしょ!ひとりぼっちだと心細いとか、人と触れ合いたいとか、そいうのないの?」
「それがさびしい、ですか。」
「多分」
「そうですね。心細い、ということはないです。人と関わりたいということはあります。何かこう、暇を持て余している時は特にそう思います。ずっと物を相手にしていても変化に欠けますから、やっぱり人と関わらないとつまらないですね。」
「んーーーーそういうのとはちょっと違う気がする」
「違いますか。」
「もっとこーかのじょほしーとかそういうさびしさ?」
「それは、よくわかりません」
「じゃあさ、性欲はないの?」
「あります。」
「あるの?」
「ありますよ。」
「さびしくて?」
「…えっと、やっぱりいいや、性欲はあるんだよね?」
「はい。」
「性欲があるのに彼女欲しくないの?」
「欲しくない、ですか。難しいですね。」
「難しくないよー彼女欲しいの?欲しくないの?どっち?」
「どちらとは言えないですね。真ん中です。」
「まんなか?なにそれ」
「どちらでもいい、です。」
「ええーーーそんなのあり?」
「ありでしょう。」
「だって性欲あるんでしょ?」
「はい。」
「彼女いたほうがよくない?」
「なぜですか?」
「だってエッチできるじゃん」
「そうですね。」
「あの、今はとりあえず性欲に限っての話ということでいいんですよね?」
「え?うん」
「わかりました。私の性欲についてですが、彼女がいなくてもどうとでもなります。まず第一に、放っておけば治まります。第二に、治まらなければ自ら処理します。第三に、それでも治まらなければ彼女ではない人でも処理は頼めます。以上の三点から、私に性欲があることが理由で彼女がいたほうが良いことにはまりません。」
「変な喋り方するね…んーでもそれってオナニーとか風俗とかってことだよね?それだとさびしくない?」
「さびしい?性欲が満たされるとさびしいのですか?」
「…じゃあ、性欲の話はわかったから、セックスについて、一人でしたり知らない人としたり、お金払ってしたりはさびしくない?」
「それは、何故ですか?よくわかりませんが。」
「よくわからないって?」
「ですからその、何がさびしいのですか?」
「何がって、ほら、そういう事は彼女とかお嫁さんとか相手にしたくない?」
「私には相手がいませんから。」
「それは知ってるけど、そういうのってさびしいと思う」
「そうですか。なぜですか?」
「だってほら、好きな人としないとさびしいじゃん?」
「それは、またなぜ?」
「なぜって、だって愛が無いじゃん?」
「愛?」
「愛って、何を愛とおっしゃるのですか?」
「何をって、相手が好きかどうか」
「すごく難しいことを言われますね。」
「難しくないでしょ!好きな人いないの?」
「それも、よくわかりません。」
「わからない?」
「はい。」
「好きな人がいるかどうかわからない?」
「いえ、好きというのがどういうことか、どの程度か、何を指し示すのか」
「相手を好きって思うことじゃん」
「そうですね。それがいまいちよくわからないのです。」
「えっとじゃあさ、今までどうやって付き合ったの?きっかけとかは?」
「きっかけ、ですか。そうですね。例えば、元々知り合いだったのが、付き合うことになったとかでいいんでしょうか?」
「その、元々の知り合いから付き合うにあたって、変化とかなかったの?」
「より親しくはなりましたけど。」
「え、ちょっとまってじゃあ、元々好きだったってこと?」
「それがよくわかりません。」
「でも告白したんでしょ?」
「告白はしてません。」
「相手がしたの?」
「相手もしてません。」
「じゃあどうやって付き合ったの?」
「どうやって、…いつの間にか。」
「はあ?そんなことある?」
「あると思いますけど。」
「信じられない…まあいいや、何の話をしてたっけ」
「じゃあ、順番にまとめていいですか?」
「お、おねがいします」
「1.結婚願望はない
2.さびしくはない
4.愛とか好きとかよくわかっていない」
「はい質問!」
「どうぞ。」
「ええと、…とてもプライベートなことだけどいい?」
「かまいません。」
「はい。」
「けっこうするの?」
「はい?」
「どれぐらいするの?」
「それは、具体的な回数とかペースのことですか?」
「そんな具体的じゃなくてもいいよ!なんとなく、どれぐらいかなーって」
「そうですね。あまりしません。」
「どっちが?」
「どっち?ああ、自分でするのは気が向いたら、です。あまりしません。人とすることは滅多にありません。年に1度も無いと思います。」
「そんなに少ないの?」
「少ないかどうかわかりませんけど、だいたいは何もしなくても治まりますから。」
「そうなんだ…」
「はい。」
「性欲薄いんだね」
「薄いんですかね。確かに、そんなに強い衝動に駆られるようなことはありません。」
「へええ…」
「あと、あまり好きではありません。」
「何が?女の人?」
「そうではありません。自慰行為とか性交渉があまり好きではありません。」
「性欲あるのに?」
「そう、性欲はあるのに、です。これはもう動物でありながら理性を持つ人間の不条理でしょうね。」
「意味わからないけど、なんで嫌いなの?」
「なぜか、気分が悪いからです。」
「気分が悪い?気持ち悪いってこと?」
「気持ち悪くはないですけど、すごく無駄な気がするじゃないですか。しませんか?」
「しない」
「そうですか。私はすごく無意味というか、無駄というか、なんというのでしょうね。虚無感とでも言いましょうか。その感覚がいい気分ではないので、好きではありません。」
「だからしないの?」
「そこまで進んではしません。」
「ていうか、してくれる相手いるの?いないから風俗行くんじゃん?」
「そうですね。そのときはそうです。」
「女性に相手にされないってことでしょ?」
「そうですね。相手にはされません。」
「ただモテないだけじゃん?」
「そうかもしれませんね。」
「彼女いらないとか結婚したくないとか、モテないことの言い訳じゃん?」
「言い訳?」
「そーそー、モテないで独りだから強がって彼女いらない!とか結婚したくない!とか言ってるんじゃん?」
「そうですね、女性から好かれることは無いですね。」
「え、何故ですか?」
「努力が怖い?がんばってもモテなかったらどうしよう!とか思っちゃう?だったら俺はがんばらないからモテないだけなんだ!って言い訳を残しておきたい?」
「…ちょっと、待ってください。」
「なに?怒った?」
「怒ってないですけど、」
「バカにされたと思った?」
「それも、別に思ってないです。」
「思ってないの?じゃあなんなの?」
「あなたはですね、何か、男性というものをひどく誤解されているような気がして。」
「誤解?」
「そうです。」
「どんな誤解?」
「この誤解を解くには非常に難しいと思います。事実、あなたが認識されているような男性もいなくはないので、あなたの認識が嘘かといえば、嘘ではありません。しかしながら、あなたの認識が全てに当てはまるかといえばそういうわけでもありません。私もその認識の外の対象になります。そしてその誤解の対象は少なくとも私だけではないと思われます。大多数とは言いませんが。」
「だから、どんな誤解?」
「その、ですね、まず」
「うん」
「まず、これはとても単純ですが、認識を誤ると根本的に話の流れがおかしくなるので大事なことなんですが。」
「なに?」
「はい、我々男性ですが、皆が皆、いろいろな女性から好かれたいなどとは思っていません。」
「そうです。」
「それも強がりでしょ?俺は別にモテなくてもいいんだ!モテたくないんだ!っていうモテない男の言い訳じゃん」
「ええと、ですね。」
「でしょ?」
「ですから、そこの認識を誤ると、全ての話が通じなくなります。」
「なに?どういこと?」
「その根本的な部分を誤解したままだと、何の話も出来ないということです。」
「だって嘘じゃん?モテたくないとか嘘に決まってんじゃん?そんなの信じられないし」
「そこも若干違います。」
「何が?」
「でしょ?自分で認めてんじゃん」
「そうではありません。私の意を正確に表すならば、“色々な人に好かれるのは構わない、しかし、好かれないからといってどうということはない”ということになりましょうか。」
「嫌われたい訳ではないけど、好かれたくもないってこと?」
「そうですね。似たようなものですが、あの、最初の結婚の時にも思ったんですけど、」
「何?何が?」
「はい。あのですね、私に関して言えば、ですが、まずその、気持ち自体がそんなに強くないんです。」
「気持ち?どういう気持ち?」
「え?どういうこと?」
「はい。ですから、好かれたい、とか、好かれたくない、とか、付き合いたい、とか、独りでいたい、とか、さびしい、とか、セックスがしたい、とか、そういう全般的なことです。」
「え?え?」
「どういえばいいんでしょうね。簡単に言えば、無関心なのです。私の場合は、何事においてもほとんどが“どちらでもいい”或いは、“どちらかといえば”になります。」
「興味ないってこと?」
「興味無いはちょっと言い過ぎかもしれませんが、どちらにせよその結果を求めるために努力しようなんてバイアスは全くもって働かないんです。」
「??」
「こうなればいいかもしれない、でも、ならなくてもいい、という状況であなたは努力しますか?」
「そうでしょ?そういことです。」
「ええ!?じゃあもっと強く思えばいいんじゃん?」
「思いませんよ。だって思えないんですから。」
「なんで?それはなに、振られるのが怖いとか?努力して駄目だったら怖いから?彼女いてもめんどくさいとか?束縛されるからとか?結婚のメリットがないからとか?人生の墓場っていうから?」
「違いますね。」
「違うの?ありがちじゃん?今結婚のデメリットとか流行ってるし」
「どこが違うの?」
「はい。まず、結婚のデメリット云々という議論ですが、これは『デメリットばかりで男にとって結婚は損だ』という議論ですね?」
「違います。」
「じゃあなに?」
「はい、このデメリット議論ですが、それはそれで大いに議論してくださって構いません。いろいろな意見があるでしょう。でも、これらの議論は『デメリットが無ければ結婚したい、メリットばかりなら結婚したい、けれどデメリットばかりだから結婚は嫌だ』という原点から、そのデメリットを説明する議論になっています。」
「うーん、そうだね。男にとって結婚は損だから結婚しないなら、得だったら結婚したいの?っていう話だよね。」
「はい。」
「そう、そこです。そこが違います。」
「違う?」
「はい。違う点はそこです。私は結婚が得であろうが損であろうが関係ありません。そもそもどちらでもいいのです。メリットデメリットは、初めに結婚ありき、の話です。結婚とはどうなんだろう、得するのか、損するのか、損をするなら、やっぱり結婚はしたくない、という議論です。私の中には初めから結婚を考えることがありません。ですから、デメリットなどを考える土台にすら立っていないのです。」
(おまけ追記)
以前に書いたエントリー
両方のエントリーともに思いの外たくさんの方に見てもらえて、ついつい蛇足をつけずにはいらせんでした。御精読頂いた方、長々とありがとうございました。しかし以前のエントリーに比べたら半分以下の長さだと思われます。お目汚しがてら言い訳したいのですが、前回のは4時間ぐらいかけて試行錯誤しながらタイプしてましたが、今回のは1時間もかけずに走り書きです。前回と比べたらめちゃくちゃ荒いです。同じ内容であと3倍ぐらいは書きたかった。ですから、本当は後から加筆修正するつもりだったのですが、思いのほか人に見てもらえたのでめんどくさくなりました。私個人的には、10人しかわからないことを一行で書くよりも、30ページ書いて1000人に理解してもらう、というスタンスですので、どうしても説明文が長くなります。そこまで言わなくてもわかっている、という人もたくさんいらっしゃるでしょう。逆に、コメントを見ていれば、あれだけ回りくどく説明しても文面さえまともに読めない方もいくらかいらっしゃると思います。それは諦めます。現実社会では、そこまで説明することもありません。
これはおまけなので、返って本文を台無しにするかもしれませんが、そんな大層な本文でもありませんので、言わせて頂きます。まず、たくさんいらっしゃった、この“回答者”に共感頂けた人へ。あなたは間違っていないし、おかしくもなければ、独りでもない。多数の共感者がいる。だから、自分について、理解されないからといって、腐らないで欲しい。悲観的にならないで欲しい。誰が何と言おうと、あなたはあなたです。あなたの思うように生きればいい。自信が持てなければ持たなくてもいい。そして、今後僕らの考え方がどのように変わっていくかもわからない。しかし、あなたがあなたであることは忘れないで欲しい。自らを受け止めて、受け入れればいい。自分らしく。
次、共感できなかった人へ。今回のエントリーは、現実では起こりえない対話文となっております。なぜ起こりえないかというと、当然ながら誰もそこまで追求しないし、説明もしないから。ですから、我々が思っていることの一部も、あなたがたは知らないし、今回のように多少知り得たところで共感できないでしょう。しかしながら、我々は基本的に、わからない人たちに対して理解を求めません。いわれの無い非難や誤解に対しても、関心を示しません。なぜなら、それらは幼少期、とうの昔に試みて、対抗して、失敗しているからです。我々は理解を諦めております。ただ、あなた方も我々のような存在があるということを知るのは損にはならないと思います。あなた方の中で、こういう人もいるという視野が少し広がるかもしれません。なぜならそれは、少なくともあなた方が考えていたような人種ではなかったのですから。
この対話文はありとあらゆる予想される問いかけを想定して書いたつもりですが、なにぶん不十分で、思いがけないコメントを頂いて「そういう意見もあるのか」と参考になります。当然、「それに対してはこうです」と返答したい。いろいろなコメントやトラックバックに対してもこの回答者のように一つ一つ返答してはみたいけれど、めんどくさい。けれど、いくらでも返答は出来る気がします。「理解して欲しいわけでは無いなら、なんでこんなことを書いてるの?」とか「何がしたいの?」とか、あるかもしれません。一つ忘れていたのは「経験してみればわかる、君は知らないだけだ」という意見にたいする返答。これぐらいは予想できたはずなのに、何故か抜けてしまいました。
おまけついでに、蛇足ついでに、これははてな匿名ダイアリーとしては反則かもしれませんが、もし回答者と直接対話を望む方がいらっしゃれば、メールしてみてください。いないと思いますが、仮にいればこれも一興かと思いまして。もちろん、その内容をどうされても私はかまいません。興味があればどうぞ。hatenatokumei@gmail.com
まぁタイトルどおりなんだが...
第一子妊娠のときに妊娠初期から生後1年以上、つまり2年間ぐらいSEXしなかった。
胸を揉むことすら「子宮がうんぬん」「乳腺がうんぬん」で揉めないという状態。
もともとそれほど性欲が強い方ではないけれど、さすがに2年間おっぱいもめないのはツライ。
で、妻には第二子妊娠したら風俗に行ってみる。と公言してあった。
単なる性欲処理として、また好奇心として行ってみたいということは理解してもらっていると思う。
妻からは「病気をもらわないように」「私も興味があるから報告して」と。
若い娘のあそこって超綺麗。舐めまくってきた。
ハコヘルにも行ってみた。
ギャルっぽい娘がめっちゃ攻めてくる。なんだか征服感。
これなら月イチぐらいで通おうかなと思ってる。
で、この体験をつわりでオエオエ言っている妻に言えるわけもないわけで...
同じような経験をしたことのある人と話しをしたいけど、自分の友人から妻にも伝わる可能性があるわけで...
そんなわけで増田に書いてみたわけで...
id:shioaji84kcal
id:minazuki6
id:sagonohashi
「興味があるから報告して」が本心じゃないとか強がりとか気づかいだというのは、確かにそうかもしれないと思う。
この話をしたのは第二子のための子作り期間中だったので、つわりでツラそうな今現在は言う気はなくなったんだ。
でも話をした以上、いつかは「実は妊娠中、ホテヘルで痴漢ごっこしてきたよ。変態さんになった気分で楽しかった。」
みたいな話をしてもいいんじゃないかとも思ってる。
だって妻との会話では
俺:風俗に行く→妻:同意→俺:実行
妻:報告して→俺:未実行
なわけで、報告しない方が罪なのでは?!とも思うわけ。
だから、よくある「風俗行ったのがバレちゃって怒られた」っていう体験談じゃなくて
「風俗行くのを同意された上で、行って報告したら○○○した」っていう体験談を聞きたいんだ。
id:toaruR
id:klaftwerk
誰かと体験を共有したいんだよ。PINKちゃんねるとかのスレだと風俗通いし倒している猛者しかいないから、増田に書いてみたわけで。
id:twift
了解。今度読んでみる。ありがと。
id:pukiuki
お互いの浮気感については話しあってあるし、風俗については明確に同意されてるんだぜ。(言葉だけかもしれないが少なくとも言葉だけでは)
id:metalbabble
まぁ、そこまで極論するつもりはないよ。というか妻を性欲解消の対象とは見てないんだな。
妻とは仲良くしたいんだ。一緒に旅行したり、子育て悩んだり、そういう中のひとつとしてSEXが含まれてる。
だからお互いに体調がいいときにゆっくりと時間をかけて楽しんでSEXするわけ。
だからどっちかが我慢してどっちかの性欲を処理するなんて考えてないよ。
だから普段はオナニーするわけだけど、たまにはおっぱい揉みたいでしょ?
id:your
はじめて行ったんだもん。誰かに言いたいじゃん。
id:honjitsutosan
うん。それは全然問題ない。問題なのはそれによる育児放棄や借金であって、性に関してだけならむしろ推奨するね。
どうされたのが気持ちイイのか聞いて参考にしたいし、もし俺とSEXをするのが嫌になっても夫としてOKならお互いSEX相手は自由に探すことにすると思うよ。
「風俗行くのを同意された上で、行って報告したら○○○した」っていう体験談を聞きたいんだ。
あと「つわり・育児で大変なときに風俗言ったのを報告するなんてアホか」という批判がありますが、そんなタイミングでは言わないのでそこの心配にはおよびません。
あと、報告というのを詳細なものだと思って批判されている人も居ますが、内容のディテールを話すつもりはないですよ。
「あまりにもストレスたまったんで、風俗行ってみちゃったんだ。てへ。」ぐらいかな
id:steel_eel
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/059/p01.html
id:seenone
あなたの意見が一番まっとうだ。うん、コソコソ行くことにする。
id:migurin
すまん、本題と関係ない俺の意見を書いてしまった。現代日本の価値観だとインモラルらしい。
id:feita
揉むとドーパミンがどばっと出るから中毒になるんだよ。たぶんそういうことだ。
id:kairusyu
オナホはそれで代わりがきくが、おっぱいはやっぱり本物がよくないか?体温とか
id:yarukimedesu
すまぬ。
id:gebonasu30km
自分の妻がNTR大好きとは思えない、おそらく普通の人なので「本当に許す」ってわけにはいかないだろうね。
でも、報告してほしいと要求したのは妻なのです。
id:ajico_x
ちゃんと読んでないでしょ?脊髄反射で批判するのはよくないですよ。
一般化して申し訳ないけど男性だと思われる人は夫と妻両方の気持ちを考えた意見が多いけど
女性だと思われる人は妻側だけの気持ちの意見が多いな。なんでだろうか?
id:tokoroten999
「かまってあげれなくてごめん。風俗行ったの?楽しかった?よかったね♪」
いや、ひとによると思うけど。
わたしは基本人生の前半を勉強に捧げて来たルックスが残念な人だったので
年を経るごとにモテてるなー、俺と思うようになった。40でも余裕で結婚する自信がある。
なんつーか、ルックス以外で勝負できる人ならいいんでね。わたしはもうそっち諦めてるし。
変な話だけども。
わたしは結婚することに対する焦り皆無だし、そもそも強がりでもなんでもなくしなくていい。
女性ほどには風当たりがキツくないし、カネがあればたいていのことは解消出来るし。
出会いパーティー(笑)でタダメシ食って遊んでればそれなりに楽しいし。ローストビーフ乾いてるけど。
つーか、わたしが思うに。
稼ぐ男の旬って35からなんですよ。仕事に余裕が出て稼ぎが最盛期を迎えて。
この時点までマトモに人生積んで来た奴は、それなりにモテちゃうんですよ。35でも。
全然悠長でいいと思うんだよね。まぁ、例外はあるけど。学生時代あれほど悲惨だったわたしのこの余裕っぷりから考えても
男の旬と女の旬は10年違うと思う。学生時代の性欲マックスの甘酸っぱい日々を楽しめなかったことは
非常に残念ではあるのだけれど。それはそれとして、稼ぎがあれば焦りってないっすよ。
大佑が亡くなった。
事件性のある疑いはなく
ご冥福をお祈りしてる前提で書くけれど
いまファンの方にそう読んでいただけるか自信ないな。
でも、そのつもりで読んでほしい。
私は蜉蝣をちゃんと見たことはないし
蜉蝣の曲もちゃんと知らないけれど
今では元オバンギャ程度になり下がった私でも
その名前がわかる程度には
その界隈で有名だったバンドマン。
残されたバンギャたちは心からつらいだろう。
大佑がもし自分から死を選んだのであれば
選ばざるをえなかったことを残念に思う。
残念という言葉はあまりに簡単で
なんだかしっくりこないけど
ほかにぴったりくる言葉が思いつかない。
バンドマンとして成功してたじゃないの。
ファンもいっぱいいたじゃないの。
仲間も大勢いたじゃないの。
それなのに!!と、自分がファンならきっと思った。
私の好きだったバンドマンは
おととし病気で亡くなったんだけど、やっぱり突然だった。
大佑ファンとは同じ気持ちじゃないだろうけど
似たような気持ちなのかなと思う。
大佑ほど有名じゃないけれど
私にとっては大好きな大好きなバンドマンだった。
いまだに思い出しては泣くこともあるけど
今では
「ずるいっすよ、あんなに早く死んじゃうなんて。
みんなびっくりしてましたよ!もう!!」
なんて感じのことを
何十年後かあの世で言ってやりたいと思っている。
私の好きなバンドマンは34歳で亡くなったから
私は少なくとも倍の68歳、できれば3倍の128歳まで生きて
そのうえで言ってやりたいと思う。
私も早死にしたら
「キミもけっこう早く死んじゃったじゃない」
って言いかえされるもの。
http://anond.hatelabo.jp/20100512122859
前回の続き。
自分の中の整理ができたつもりで、できた。と思い込んでる。
一人、感傷的なA君はとっても寂しがりや。
でも、表立って出てくる事はほとんどない。
もっぱら世に出ているのはB君。
実はA君だったりする。
でも、このA君、条件を満たすと結構出てくる。
それは、俺が心を許したかどうか?
心を許した相手の前ではA君はこれでもか。
って言うくらい出てきてしまう。
それがうれしくてうれしくて仕方なかったんだね。
でもね、感傷的なA君は、時々論理的なB君の口をふさいじゃう。
だから、つきあってる時にB君が見たもの聞いたもので、
あれ?と思った事もA君が口をふさぐから気づかないふり。
だけど、A君傷ついて自分の傷をさすり始めたら
口が開いたB君はとたんに言い始める。
彼女はあそこがだめだった。ここも違ったんじゃない?とか。
でもこれは弱いA君が壊れるのを防ぐためのB君のやさしさ。
でも、同時に彼女を否定するっていう暴挙。
A君は痛いよ。辛いよ。と泣き叫び。
B君は駄目だよ。駄目だったんだよ。と押さえつけてる。
それは自分の心の平静を保つために、一生懸命わめいてるんだな。
そういう風に感じるようになってきた。
そして、今日はA君の声の方が大きい。
葉桜が花を追いやり、新しい生活に浮き足立つ人とそれを迎えて浮き足立つ、つまりは春のこの時期、親友が亡くなった。
一度ならず未遂を繰り返して、それでもなんとか生き延びてきたのだが、ようやく見つけた就職先に勤めるために一人暮らしを始めて一月たらずだった。
以前私が家を尋ねた際、心配する親御さんと携帯の番号を交換していた。ひとしきり友人の現状について話したあと、でも大丈夫と言いながら、遠方に暮らす私に相談させてねという。
私と友人は高校時代からの友人で、恋愛について語り合い、漫画の話をし、科学技術や宇宙やコンピュータやインターネットや世界平和について語り、どちらかと言えば早熟で覚めてそのくせ好き嫌いの激しい私に文句を言いつつも、しょうがないなぁと笑っている優しい人であった。そんな友人の存在が私の助けになっていたと思う。
大学は二人とも、関東の別々の大学に入学し、それぞれに新しい生活と仲間ができていった。
顔をあわせるのは年に4〜5回程度となった。会って話をする機会は減っても、相変わらずだなと笑い合っていた。
学生時代の半ば頃、メッセンジャサービスが普及し始めた。いつでも連絡できるようにはなったけれど、たまに近況を報告しあったり、オンラインのゲームをする程度。でもやっぱり相変わらずで、自分たちは全然変わらないんだと思っていた。
それは私の勘違いで、友人は強がりでそう振舞っていただけだった。
バイトと趣味に没頭して留年した私と、同じく学業以外に没頭していた友人は5年目を終えた春に大学を去ることになった。
大学を去る前に二人で新宿で打上をした。この後福祉の専門学校に通うという友人の話を聞いて、私とは違ってやっぱイイヤツだと思っていた。
後に親御さんに聞いた話では、その時既に何度か自傷を繰り返していて、限界だと思ったので親元に戻したそうだ。私は全然知らなかったし、気付きもしなかった。
私は大学を辞したあと、なんとかバイトで食いつなぎながら就職先を見つけることが出来た。派遣ではあったが、希望の職種で社会人生活をスタートし、タイミングよく動けた転職や、職場の人たちに恵まれた結果、東海地方で正社員として生計を立てられるようになっていた。
私は調子にのっていたのだろう。
専門学校2年で就職活動を始めた友人に、いろいろ相談を受けた。多少ではあるが先輩社会人として精一杯アドバイスした。
自分のやりたい事をやって、住みたいところに住んだ方がいいよ、という話をして、やはり関東に戻りたいという友人のことを応援した。自分が読んでためになった、と思ったドラッガーの本を送ってみたりして。何様だ。
友人と知りあって11年目のことだった。
入社早々期待されまくって緊張する、という友人に、いいことじゃんwとか、久しぶりに関東にいる高校時代の仲間と遊びに行ったよ〜とか、メッセで話をして4月末の週末を迎えた。
金曜の夜、友人のアカウントがオフラインになっているのを見て「おお、飲み会かなんかいってるんじゃんwいい感じだね。順調だね〜」なんてニヤニヤしつつ私も友人と飲みに出かけた。
土曜日、正午近くに着信音で目が覚めた。
これまで一度もかかってこなかった、友人のおばちゃんからだった。
「またね、自分でやっちゃったみたいなの・・・」という声を聞いて二日酔いが吹っ飛び、血の気が引いた。
「一人で冷たくなっちゃったの」
呆然としながら東京行きの新幹線に乗り、葬儀場に行った。学生時代私が過ごした街の近く。
金曜の朝、出社してこなかったため会社の人が自宅に行って発見してくれたそうだ。私が友人と飲んでいる時には既に友人は旅立っていたと。
普通だったのになぁ。なんで気がつけなかったんだろう。
話してくれなかったことにショックを受けた。
無神経な私が木曜日のメッセで何か追い詰めるようなことを言ったかもしれない。
もっと前に一人暮らしを進めたのがわるかった?ドラッガーを勧めたのが追いつめた?
くちゃくちゃに混乱して、しばらく眠れなくなっていた。
もう数年前の話だ。
今も毎日100人くらいの人が自殺していて、私と同じような思いをしている人がその10倍とか100倍とかいて、そのことが悲しいと思う。
最近おばちゃんに電話したら、昨年結婚した友人の妹に子どもが生まれたらしい。
友人にそっくりだというおばちゃんの声が少し明るくなっていることが嬉しいと思った。
私は友人を救えなかった自分を憎んでいる。
個人には死を選ぶ自由があるのだとしても、救えなかった自分を憎む。
友人が失った希望や未来を全部背負いこんで、全部任せろ! と言う力がなかったし、今もない。
救いの手を差し伸べなかった日本を憎む。友人の求心力たりえなかった宗教を憎む。
ああ、同級生のうち何人が今も生き残っているんだろうか。
一例
http://d.hatena.ne.jp/karaimonokirai/20100225/1267111952
客観的に見て、筆者に「あらかじめ偏見や悪意があったわけではない」とは思う。だが、筆者はこれらの光景を「自分の目で見て、素直に判断して、とある一国の文化(あるいは「国民性」とか言い換えても可)が『嫌いになった』」と発言している。
あるいは、多くの人が「何が問題なの?これはこれで正当じゃん」と思うかもしれない。だが、そう言う人は、たとえば捕鯨問題についてどのような感想を持つのだろうか?
たとえばとあるアメリカ人が、自分の「印象」に基づいてこんな記事を書いたとする。
自分は日本は好きでも嫌いでも無いし、別に環境保護について強い関心があるわけでもない。だが日本を旅行中、食堂などで捕鯨問題を取り上げたニュースがあると、それを見る人は大抵「シーシェパードは頭がおかしい」とか「所詮金のために環境保護を利用しているだけだ」とかいったコメントばかり言い、「鯨を殺すのはおかしい」という意見については自分の経験した範囲では一度も耳にしなかったことに驚いた。街中でも鯨肉など提供しているところは見ないしほとんどの人は日常的に鯨を食べないのに、鯨を殺すことに対してどうしてこれほど寛容なのか。残念ながら、自分は日本人というのは非常に残酷な民族なのだという感慨をもって日本を後にすることになった。
これは公正(fair)な議論だろうか。
私は、残念ながらこれは差別だと思う。彼は、鯨を「食物」と見ない文化から訪れており、かつまた自分たちの文化が過去にどれほど鯨を殺したかも知らない。彼の問題点は、物事に対する歴史的視点や、自分の背負う文化に対する批判的観点というものが欠如していて、自分の「素朴な感想で世界を見ることに全く無批判」である点だ。
「彼」は一応架空の存在である(よかった)。しかし、彼が今後日本に関する問題について、常にこの「見方」を「事実」として自分の判断根拠に採用することはほぼ疑いない(残念なことに)。彼は、パールハーバーも、太平洋戦争時のアメリカにおける日系人差別も収容所のことも、あるいは貿易摩擦から生まれたジャパンバッシングも知らないかもしれない。だが、何も教えなくても彼は、とある民族をひとくくりにして、unfairな意見に基づいた判断を下すようになった。これは立派に「偏見」であり「差別」ではないか。差別や偏見は、このように日々誕生するのであって、過去の差別について「教えなければ消える」というものではない。
捕鯨に関してだけではなく、とあるものごとについて、それをめぐる政治的状況、文化的文脈(コンテクスト)といったもの、状況性や歴史性や文化性を全く無視して(更に言えば自分自身の背負っている状況性や歴史性や文化性について全く批判的でなく)発言するとき、常にこのような危険は発生する。「率直で素直な感想」と称されるものは、非常に危険なのだ。
「自分がそう思ったことは事実であり何がわるいのか」といったヒラキナオリ、つまり「率直で素直な感想」と本人が認識しているだけに、こういった感想に基づく「意見」が修正されることは少ない。実際、「率直な感想は絶対であり、それを修正することなど出来ない」と多くの人は思っている。だがそれは大きな間違いだ。歴史性や文化的コンテクストを学ぶことで、ものの見え方や風景など簡単に一変するからだ。ある人の背景(たとえば「強がりをせざるを得ない状況や過去」)を知ることで、「ツン」な行動が可愛く(「デレ」に)見えてくる、という現象はとみに知られているが、それも同じである。「学習」は「印象」を大きく変化させる。
そもそも我々は、様々な状況性や文化を背負うからこそ、物事を認識できるのであって、「率直で素直な感想」といったものなど、本当は存在しない。どんなに直感的感情的判断であっても、何かを判断するとき私たちは必ず何らかの「知識」を土台にして判断している。学ばなければ、私たちはほとんど何も感じず、表明することもない。生まれたばかりの赤ん坊は、自分を取り上げる産科医や両親の「美醜」を「判断」したりはしない(子どもがそういうことで悩むのは、おおむね思春期の頃である)。
我々は、互いに離れた土地に住み、そして相手のことをよく知らない。知らないことは恐れを生み、行き違いや偏見を生む。そして差別が始まる。かつては川一つ、山一つ隔てるだけでも、そうであった(「○○村の奴らとはクチをきいちゃなんねえ」的な)。教えるから差別が持続するのではない、教えないから差別は発生するのである。ただし、それは「かつてはこんな差別がありました。差別はいけませんね。以上」といったことを教えるということではない。
従って、たとえば人権について学ぶプログラムは、以下のように進められなくてはならない。
低学年……「作法」として、「陰口を言わない」で「みんな仲良くする」ことを学ぶ
中学年……「作法」として、「素直で柔軟な発想を大切にする」「賞める」ことを学ぶ
高学年……「作法」として、「文化を大切にすること」「おせっかいと勇気は違うこと」を学ぶ
中学校 ……「知識」として、「色々な価値観、文化が存在すること」を学ぶ。
現状、人権教育にこういう見通しがないことはとても残念である。小学生に(イイトコだけ見せるような)異文化体験を推進したりしている人は、将来その子が「欺された!小学校の教師なんて嘘つきだった!」という感想をもつ可能性について全く想像していないのだろうか。私は、上のような準備が子どもにできないうちから安易に異文化体験を進めることは、百害あって一利無しだと考えている。
最初の文章の筆者に対して、どのようなメッセージがあるわけではないが、もし可能ならば、今回の件を踏まえた上で、単純に隣国を「嫌う」のではなく、「なぜ『今の日本』に住む私は、『今の韓国』の文化にこのような感想を抱くのか?」ということについて、調べたり考えたりしてくれるといいな、とは思う。これを読んだ後、たとえば図書館で戦前の日本の大衆雑誌とか読んでみるだけでも、私が言わんとすることは理解して貰えるだろう。
長いヒキコモリ生活。
16~19歳というもっとも楽しい時間を、購買欲承認欲を必死に押さえ込み我慢して引きこもって過ごしてきた。
するとどうだろう。もうわたしは近所のユニクロに行くのさえ面倒になってきた。彼氏もいらない、強がりとかでなくて。
人から誉められるのにしなきゃいけないことの多さを考えると、誉められたいとさえあまり思わない。
ネットでたくさんイラついてきた。タチの悪い2ちゃんねらがやることは大抵やった。嫌韓、嫌女、弱者たたき、その他いろいろ。
それで今は、右vs左、男vs女、若者vs老人、、、そんなのもうどうでもいい。ただ、面倒な争いとはかかわりたくない。ただそれだけ。
今の夢は、
山の奥にあったかい家を建てて、猫や兎や馬や犬と暮らし、少量の野菜を育て、静かに暮らすこと。
そして死んだら、だれにも見つからずに土にかえっていくこと。死にたいとは思わないけど、自分が死んで腐って土になるのを想像すると、ホッとして涙がでる。