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はてなキーワード: 女房とは

2024-03-28

たまには女房ASDだったお話を聞きたいものです。

皆様、教えてください。

2024-03-11

健康診断体重の増加を指摘された

「少し体重が増えてますね。心配ない範囲ですが、この1年、生活に何か変化がありましたか?」

はい、あの、結婚しまして。女房の飯がおいしくて、ついその」

「それはよかったですね!」

2024-03-08

anond:20240307213455

18歳の女の子って言われて一瞬うらやましいような気もしたけど、甲斐性あるタイプでもないし姉さん女房みたいな人に甘えられる人生のがうらやましいと気づいた

2024-03-01

女房と畳は新しい方が良い」って言うけど。

オタクに関して言えば、推し変コロコロするのでこの頃から何も進化してないのよな。

その点、女オタクは一度、推しを決めたら死ぬまで執着するから現代倫理に適合している。

2024-02-13

anond:20240213115307

知人の紹介で、お互い33とき知り合いました。

私はその頃すでに結婚出産に焦っていて、そしてわたし自身健康診断で注意を受けるレベル肥満なのもあり、

ある程度は妥協する気満々だったのもあるが、今見ても夫の紙面上のスペックは低いと思う。

ただ、話してると楽しくて、ノリが合って、根拠はないけどこの人だなって確信し、押しか女房となった。

今年で交際含めて5年かな。

しかイケメンではないし、趣味パチンコだけだし、タバコ吸うし、義母さんからこっそり「地元ではこの子結婚したって言ったらびっくりされるくらいなのよ」って言われたくらいだけど、

こんな私を妻にしてくれて、家族思いで、私にとって最高の夫だし、息子にとっては最高のパパ。

2024-02-05

NHK朝ドラってなんでいつも女性主人公なの?

男性差別じゃね

なんでアンパンマンを産んだやなせたかしの話をするのにやなせたかしじゃなくてその妻という誰も知らない存在主人公にすんの?やなせの生涯を取り上げてくれよ。

ゲゲゲの女房もそうだった。「の女房」っておい。無理やりすぎるだろ。

あー、マッサンは一応竹鶴の人が主人公か。でも同じくらい妻の方も主演やってるよな。

2024-01-25

姉が無理

もう嫌だ。縁を切りたい。

 

わたしと夫は今年で結婚10年目なんだけど、子供ができない。25〜6くらいまでは楽観的にみていたが、20代後半になるにつれ不安になり、30代になった年についに不妊治療を始めた。そして、一昨年ようやく妊娠した。幸せだった。エコーで見えたあの子は、ちいさな心臓ポコポコ必死で動かしているように見えて、愛おしかった。

だけど、14週目に流産してしまった。

 

そのことを母には伝えてたが、姉には言っていなかった。なぜなら姉はその頃ようやく籍を入れたばかりの新婚で、幸せいっぱいなオーラだったから。水を差すようなことはしたくなかった。

今思うと母はどんな気持ちわたしの話を聞いていたんだろう。

程なくして姉から妊娠の報告があった。

予定日を聞くと、流れたあの子の予定日と同じ月だった。

わずその場に居合わせた母の顔を見た。露骨に目を逸らされた。

 

夫婦妊娠中に家を買い、車を買い換え、ベビーベッドやベビーカー、チャイルドシートなど、赤ちゃんをお迎えする準備を着々と進めていた。

とあるごとに、家族ライングループにて報告や相談があった。

わたしの子も、流れていなければ、こんな感じで準備を進めたのだろうか。

 

姉は、昨年無事に出産した。コロナが5類になる前で、病院には入れなかったが、わたしはそれにどこかほっとしていた。

なんやかんや、多忙感染症リスク言い訳に、会いに行く日を先延ばしにした。

出産祝いは、郵送にした。

から毎日のように、赤ん坊写真動画が送られてきた。

わたしはそれを見て、あの子も生まれてきていれば、こんなふうに暮らしていたのかな。想像もつかない。そう思った。

 

姉の家が建つ頃には、夫から心配もあり、流石に会いに行った。

新築のお家と、新車ファミリーカー。

そして生まれたばかりの赤ちゃん

姉と義兄は、絵に描いたような幸せ夫婦に見えた。

赤ちゃんを抱っこさせてもらった。夫は、流れたあの子を思って、感極まってしまうのではと心配していたそうだが、わたしは驚くほどに自然に接することができた。と思う。

「今度は泊まっていきなよ」

そう言う義兄に、生返事をしつつ、姉のボクシーを横目に、夫とSUVに乗り込んだ。

 

帰宅してから、なんとなく、あの子の飾り棚に、お線香をあげた。

気づけば、あの子が空に行ってから一年の日を過ぎていた。

その間も不妊治療は続けていたが、授かることはなかった。

スマホを見たら、姉から子供写真が届いていた。

 

今年のお正月、姉夫婦の家に夫と挨拶へ行った。わたしの夫と義兄は同い年で、話や趣味も合う。盛り上がった夫たちは次第にお酒を飲み始め、そのまま泊まらせてもらうことになった。

客室に床をのべるために姉と2人きりになったとき

しかいかなと思って、思い切って伝えることにした。

 

あなたの子供と同い年の子妊娠していたこと。

そして流産してしまたこと。

今も不妊治療であるが、難航していること。

いまも、流産の傷は、癒えていないこと。

あなたの子どもを見ていると、あの子が生きていたらと想像して、愛しくもあるが、悲しみも感じること。

から毎日のように送ってくれる写真は、ありがたいけど、見たい気分でない時もある。

できれば、ライン添付で送るのではなく、写真共有アプリなどで共有してほしい。心の余裕がある時に、じっくり楽しみたい。

 

姉は神妙な顔で聞いていた。

わたしのクソデカ感情がきちんと伝わっているのか、よくわからなかった。

でも、わたしが姉の立場でも、そんなこと言われてもなんて言葉をかけていいかからないよね。

この晩はそれ以上この話はしなかった。

 

だが姉はその後もずーーーっと家族ライン写真を垂れ流している。

なんならこちらが仕事中の昼間も。容赦無く。

社用ケータイを分けていないので通知が来たら見るのだがずっと子ども自慢。

もう家族グループは通知をオフにした。

可愛いよ。愛しいよ。でもいつだって「あの子が生きていれば」に繋げてしまうし、そう考えるたびに涙が出てくるの!

こんなものが食べられるようになった。こんなところで遊んだ。歯が生えてきた。体重が増えた。全部が愛しくもあり、だからわたしの心を引き裂くの。

 

姉が無理。わたしあんだけ心の柔らかい部分を晒し気持ちを伝えたのに。写真を見ないとは言ってない。やり方を変えてほしいと頼んだだけ。

 

最近悲しみが怒りに、そして怒りが憎しみに変わっていくのを感じることがある。

なんでよ。あんたはわたしと違って出来が悪くてスタイルが悪くて頭が悪くて、金ばっかりかかる地方私大をなんとか卒業たかと思ったら就職浪人。ようやく就職たかと思ったら低賃金の大したことない仕事実家寄生し続けては「会社が嫌になった」とニート生活に逆戻り。人生舐めてるでしょって内心思ってたよ。そんで30超えてようやく彼氏ができたと思ったら結婚する気がない男だったよね。わたし以外の家族総出で説得してようやく籍入れてもらった押しか女房夫婦揃って頭も悪けりゃ世帯年収もうちより低いでしょ。あんな高騰してるタイミングで車がなきゃ生活できないようなクソ田舎コスパの悪い家を買って。当然ウチより狭くて部屋も少なけりゃ設備も悪いしほとんど建売で部分的カスタマイズしかできないのに。

 

でも。

 

幸せそう。羨ましい。惨めだ。悲しい。

姉は悪くないの、わたしより生きるのが上手くて、運がいい。それはよくわかってる。

わたしは、自分が浅ましい人間だと言うことはよくわかってる。

でも、姉が無理なの。

 

こんなことは誰にも言えない。母にも言えない。

夫はわたし気持ちがわからないみたい。不妊治療受動的だし、あの子エコーすら、結局見に来ることはなかったよね。

供養もしなくていいんじゃない?という感じだった。忘れてないよ。

夫は今の暮らしに満足してるもの。夫は趣味がたくさんあるから

義兄に、趣味はなんなの?って聞いた。そしたら、「結婚前はパチンコ競馬麻雀ゲームとかだったけど、今はもう、どれもしてないな。休日は妻と子どもが行きたいとこややりたいことに付き合うばかりだし。そういう意味では、それが趣味かな」って。

素敵な旦那さんだね。姉は幸せね。

初めて会った時は、ぶっきらぼうコワモテで、明るくないし爽やかでないし、愛想もないしなんだか嫌な感じの人だと思ってた。

顔もスタイル仕事年収も、夫の方が素敵なの。夫は人当たりもいいし、多趣味で、知識教養も広くて、実業家一族の息子で育ちもよくて、品性があって。わかってるの。夫のそんなスマートさに惚れたよ。

だけど、それすら間違っていたのだろうか。

わたしは、どこで間違ってしまったの。

2024-01-22

大河ドラマロバート秋山の「演技力ヤバい役者オーラに絶賛の嵐

 俳優吉高由里子が主演を務める、大河ドラマ『光る君へ』(毎週日曜 後8:00 NHK総合ほか)の第3話「謎の男」が21日に放送され、藤原実資役のロバート秋山竜次が登場した。

 秋山が演じる藤原実資は、藤原小野宮流の当主有職故実政治儀式のしきたり)に詳しく学識がある。正義筋道を重んじると同時に、プライドが高い頑固者でもある。道長にとっては尊敬しつつも煙たい存在

 第3話では、帝の容態は一向に回復しないまま時が過ぎ、実資が「重くはなっておらぬ。されどご回復の兆しもない。あのご様子はただのお疲れではない。どうあってもおかしい」と鋭く気づき内侍所にて陪膳の女房たちの取り調べを行う。

 そのほか、譲位を促され弱気になる天皇を励ます一方で、女房たちからの陰口に落ち込む姿も。視聴者からは「ロバート秋山さん、コントキャラネタで鍛えた演技力と芝居がかった台詞回しが大変に平安貴族してる。これは配役の妙……」「もうすっかり大河俳優役者オーラがムンムン」「ロバート秋山演技力ヤバいわ、流石コント師」「ロバート秋山が演技してるだけで何か笑顔なっちゃう」などの声が寄せられている。

秋山さんやるやん

ワイもこの人は何か持ってると思ってたんよな

2024-01-21

日本人だんだんブサイクになっている気がする

40年前、東(南)アジア各国(🇨🇳🇰🇷🇹🇭🇮🇩🇲🇳🇵🇭🇳🇵🇰🇭🇸🇬などなど)を周っていたとき、現地の人には悪いが日本人って顔面偏差値高いのだなとつくづく思った。

だが近年コロナも落ち着き、また旅行に行こうと女房シンガポールなりタイなり行くわけだが明らかに顔面偏差値が高くなってきている。それに反比例するように日本はまあ田舎で芋掘ってそうな面のやつが増えた。男も女も。

経済が下向きになると国民容姿にも影響するのだろうか。

見た目はいいに越したことがないので悲しい限りだ

2024-01-20

anond:20240120150836

お前も性格の良い女房と仲良くやってそうだな😊

2024-01-16

・男にとって女房の良しあしは決定的な影響を持つ。伸びるか伸びないかは過半以上が妻の責任である

・各界で活躍している成功者の9割までは奥さんの出来がよい人だといってまず間違いない。

・良妻の条件は1.健康であること 2.まじめな努力であること 3.虚栄心の強くない地味な人であること 4.人に好感をもたれる人柄であること 5.美人でないこと(冷たい、権威張った印象を与えない)

主婦タイプには「バカバカ」「カシコバカ」「バカカシコ」「カシコカシコ」の4種類がいる。

・「バカバカ」は論外、案外多い「カシコバカ」は表面上小賢しくテキパキして夫をリードしたがるが、知恵の方はサル程度。「バカカシコ」の方が格上。

・悪妻は100年の不作、よくよく性格品性を見極めてから決心するに越したことはない。

2024-01-14

anond:20240114114846

👴「…腰を痛めて寸胴も湯切りも持てなくなっちまったんだ、女房に作らしてるが、どうだったかい?」

2024-01-07

私の印象に過ぎぬものの、しゃべりが舌足らずで知的な感じがせず

もっと知的で芯が強くやや暗めで文学マニアっぽい感じの印象の女優さんのほうがよかったなあと思っちゃった、配役知ったときは。むしろ明るく楽しいイメージ彼女は。

宮中出仕するとき同僚の女房達に最初はいじめられたが、わざとアホっぽく振舞って受容されたというエピソードがあることから、それ込みの配役なのかしらとも思ったが

ドラマ自体は期待しているので、どんな人物に演じていくのか注目していこうと前向きに考える。

2023-12-30

ずっと間違えてた

(o´・ω・`o)「…『女房を酔わせてどうするつもり?!』が大原麗子だとずっとおもってた、ほんとは中野良子だった、大原麗子キャスト中野良子CVだったらよかったのになぁ。。。年末増田ラジオ明日最終回、そんな、『少し間違えてて、ながーく間違えてて』なことがあったら皆さん是非是非おくってください、宛先ははてな匿名ダイアリーURLは、…」

2023-12-28

女房がどうしても一緒にお風呂に入ってくれない

あの時助けた鶴かな、もしかして

2023-12-22

インスタントの袋麺でうまかっちゃんって有るよね... [追記有り]

なかなか手に入らなくて、どーしても食べたいと思った。

或る時イオンで売ってたから5袋のパックを買った。

女房からは白い目で見られる。)


暫くは食べるチャンスが無くてほったらかしになってたんだけど、

或る時機会を作って食べる事となった。

期待して鍋を火にかけ沸騰したところで麺を投入、ここまでは良かった。

説明書き通りに火を止めて粉末スープを投入!

「くっさ!!!なんやこれ。

九州ラーメンに慣れた人しか受け入れられないラーメンか、

からこの辺じゃ売ってなかったのか。

いざ、実食、「ダメ匂いが全てを台無しにしてる、なんでこんなに臭いを付けたんだ。」


まだ4袋残ってる。

女房には「どうすんのよこれー!!!

しょうがいから俺が全部喰うよ、何カ月かかるか分からないけど。


うまかっちゃんて人気が有ったと思ったんだけど、どういう人に人気が有ったんだろ?

不思議


追記

今朝トラバが増えてて驚いた。土日は見てなかったので。

豚骨ラーメンの事を書いてる人がいるけど、

普通豚骨ラーメンは食べるよ、乾麺でも生麺でも。

どちらも臭いと思った事は無い。と思う。

ただ、乾麺とんこつ味は殆ど記憶に無い、大体が生麺だったから。


みんなの言うように、調味オイルって言うのが臭い事が分かったので、

日曜日に調味オイル無しで食べた。普通インスタントラーメンだった。

だったら他の豚骨ラーメンを食べた方がいいと思ったよ。

2023-12-11

「女とちがって男にはそうカンタンに口がないよ」

「なんでもするつもりなら必ずあるよ。ないと思うのはお前さんが怠け者だからよ。そこに気がつかないようだから、お前さんはタタミの上に住める身分じゃないんだよ。ドブの中へ消えちまう方が身にあってるのさ」

「よっぽどミミズと思いてえらしいけど、実はオレはこう見えてもシンから人間なんだ。先祖代々人間だ」

「当り前じゃないか

「それを知ってたら戻ってもらいたい。ホレ、この通り手をついてたのむ。今後は亭主風は吹かせない。お前が毎晩帰ってくると熱い湯をわかしておいて背中や手足をふいてやって、夏のうちはお前がねるまでウチワであおいでやる」

「お前さんは自分が働こうという気持がまだ起きないのだね。私はウチワや蒸しタオルと同居したくて生れてきたワケじゃアないからね」

「分らねえ人だね。そのウチワを動かすのや蒸しタオルをしぼるのがオレという人間から、ここが人間の値打なんだ。一生ケンメイにそういう値打のあることをやるから戻ってくれとこういうワケだ。分ったろう」

人間の値打は働いて女房子供を安楽に養うことだよ。ミミズはさッさと戻んな。もう二度と来ないでおくれ」

人生案内 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43246_23707.html

2023-11-28

anond:20231127235546

女は三日殴らないと狐になる

他人の牛が逃げ回るのは見ものだ」

他人の家の火事見物をしない君子はいない」

「弟の死は肥やし」

母親を売って友達を買う」

「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る」

「死んだ女なんか陰部を隠すものか」

「らい病患者の鼻の穴に差しまれにんにくの種もほじくって食べる」

「一緒に井戸を掘り、一人で飲む」

自分の食えない飯なら灰でも入れてやる

「川に落ちた犬は、棒で叩け」

「泣く子は餅を一つ余計もらえる」

2023-11-23

奥さん」という呼称について

相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます

勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。

 それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、

「開けて下さい。」

 と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。

「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」

 さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人泉鏡花、1908(明治41年

奥さん」は、自分配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分夢想する上流階級を思わせる女性奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界垣間見せてくれますね。

奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生青年期に下宿していた、静さんの母親呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます

私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。

 私の知る限り先生奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。

こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さん先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品先生訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います

次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき奥さん母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります

 それはある軍人家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷士官学校そばかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。

(略)

 私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。

(略)

 私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。

「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所ニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者尊称)」「既婚女性尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。

かみさん奥さんの用例としては、

そういうわけで、私たちは家の主婦奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさん奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))

…「下宿屋のおかみさん奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂明治まれですし、物語時間10数年前(つまり震災前)という設定ですから言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代明治期の想定と言えそうですが。)

昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉ちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。

奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。

 お医者奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願太宰治、1938(昭和13年))

医者が、夫の体の静養のためにセックス禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者患者配偶者である若い奥さんに言い聞かせるとき呼称医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者ニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気表現されているのは実にうまいです。

最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。

 は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。

莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」

 彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。

 しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。

(「蚊帳」織田作之助、(初出が調べられなかったのですが、上の満願より少し後の1940年前後だと思います。))

この3つの呼称の呼び分けを、代名詞豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。

さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉時代ジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。

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